20 / 39
20
しおりを挟む
「仕留めた、のか?」
三メートルちょっと離れたところから拳銃で、倒れた桐崎の胴体を狙いつつ、信仁があたしに聞く。
「……まだね。仕留めたなら、この夢時空も消失するわ。コイツは、まだ生きてる……生かしてあるのよ」
あたしは、桐崎を見たまま、言う。半分は本当だ。コイツが死んでないから結界が生きている。そして、あたしは殺していない。いや。
あたしには、コイツを仕留める決め手が、ない。
物理攻撃で夢魔を倒すのは、実は難しい。今現在、切断した両腕からほとんど出血していないから、この体自体も相当に深く、夢魔の影響下にあるのは間違い無い――切れているけれど肉体には切れていないと信じ込ませ、血流さえもコントロールしているとか、そのレベルで精神が侵食されていると思って良い。だから、たとえ肉体を細切れにした所で、再生するか、死んだふりしてほとぼりを冷ますか、あるいは機を見て逃げ出すか。いずれにしても、物理的に切り刻むしか出来ないあたしには、とどめが刺せない。
けど、それをここで公言するわけにも行かない。だから。
「コイツは、父さんと母さんの仇だもの。楽に死なせる気はないわ。それに、引き渡したい人もいるし、ね」
断腸の思いで、あたしはハッタリをかます。これも半分は、いや気持ちとしては全部、本当だ。婆ちゃんなら、コイツの話を聞きたがるだろう。
そのあたしの言葉を聞いたのか。あざ笑うように、桐谷から乾いた、くつくつとした嗤い声が聞こえた。
「……言ってくれる。ようもやってくれたものよ。さすがは典侍の身内、半端者とて油断はならんか」
両腕のないまま、桐崎は上体を起こす。出血こそ少ないが、両腕を切り落とされたのは流石に厳しいのか、声は硬く、顔に脂汗をかいて。
「楽に死なせないなどと、威勢の良いことを。しかし、半端者のおまえでは、我を殺すにはちと力が足りぬ……」
銃声が、桐崎の、「奴」の言葉を遮った。
あたしの傍に寄って来ていた信仁が、桐崎のすぐ右脇の床板を撃ち抜いた、無表情に。
「少し黙れ……あんた、姐さんの親御さんを殺したってのは、本当か?」
信仁の声に、抑揚が、ない。
「小僧……何を」
銃声がもう一つ、今度は左の床板を撃ち抜く。
「聞かれたことだけ答えろ。腕、切られて平気みたいだが、痛みは感じるみたいだしな。有り難い事にこっちは弾なら割とあるんだ、射的の練習台になってもらっても良いんだぜ……もう一回聞く。おまえが、姐さんの親御さんを殺したってのは、本当か?」
くつくつと笑ってから、桐崎が答える。
「そうともよ、我が、その半端者の親狼を殺したのよ!」
桐崎は、信仁にそう答えた。脂汗を垂らしつつ、口を耳まで裂くようにして、嗤いながら。
「……あ?狼?」
息を呑む音が、大きく響いた。あたしは、それがあたし自身が発した音だと気付くのに、一瞬時間を要した。
「おや、小僧、知らなんだか?」
本当に楽しそうに、桐崎は嗤う。
「小僧、おまえの隣に居るその娘はな……」
「やめて!」
あたしは、言わせまいと、聞かせまいと、咄嗟に動いた。
肩で信仁を突き飛ばし、そのまま前に出て木刀で桐崎の口を貫こうと。
けど、桐崎の口を塞ぐことは、出来なかった。
「……そいつはな。おぞましくも忌まわしいケダモノ、人狼よ」
「ぐあっ……」
衝撃で、あたしは三歩ほど後じさった。たまらず、片膝をつく。
あたしの体に、さっき斬り落とした桐崎の両腕が、結晶性の刃を纏った左腕が右の肋骨の間を、先の右腕の切断面から生えた結晶の槍のような物が左の腹を、それぞれ突き刺し、貫いていた。
突こうとした木刀のおかげで、顔と心臓のあたりを真正面から貫かれるのは避けられたけど、焦りに任せて突いてしまったから、桐崎の両腕が急に動き、飛んできたのを弾くことが出来なかった。
「姐さん!てめぇ!」
「舐めるな小娘!小僧!我は夢魔の長、夢紡姫の臣なるぞ!」
「っせえ!知るか!」
立ち上がり、高笑いと共に言い放つ桐崎に、あたしに駆け寄った信仁は銃口を向ける。偶然、あたしが突き飛ばしたおかげで、信仁には桐崎の腕はかすりもしなかったらしい。
「大丈夫、なわけねぇな、しっかりしろ姐さん!」
銃口を桐崎に向けたまま、信仁はあたしを左手で抱える。
「心配要らんぞ小僧、その娘は狼、その程度で死にはせん、そうだろう?」
「……」
一言二言、あたしは桐崎に言い返したかった。けど、激痛と、肺に貯まる血が、あたしの喉を塞いでいた。声を出すどころか、呼吸すらままならない。なまじ心臓を外しているから、逆に出血が止まらない。
確かに、この程度ではあたしは死にはしない。でも、死なないからこそ、痛みは、出血も、続くんだ。あたしは、歯を食いしばる。その隙間から、ダラダラと血が落ちる。
「……この……」
やっとの思いで、あたしはそれだけ、言葉を絞り出した。
「どうしたどうした?ケダモノの娘。典侍の身内であれば、獣に変じてみれば良かろうよ。そも、我の刃など躱すも易かろうに?」
両腕のない桐崎が、あたしを見下ろし、嗤う。
「半端者風情が、ケダモノ風情が我に刃向かおうなどと。おまえらにあの時、後れを取ったのが返す返すも口惜しいわ」
憎々しげに、桐崎は吐き捨てる。あの時とはつまり、あたし達が封を解かれた時。あの時、あたし達姉妹は力を合わせて、コイツを押し戻すことに成功したから。
「その程度か?何故獣の姿にならぬ?我をまだ舐めているのか……いや、違うな?……さては、やはりおまえ……」
見下すように嗤い、桐崎が言う。
「……獣に変じることすら出来ぬ、半端者、か」
悔しかった。歯軋りするほど。その通りだったから。さっき、本気出してないのかも、とか思ったけど、出せない本気ならそれは意味が無い、今出せない力なら、それは最初から持ってないんだ。あたしは、ここまでの半端者なんだ。そう思い知らされたのが、本当に悔しかった。
「黙れ!」
銃声が二つ、続けざまに響く。桐崎の肩が揺れる。信仁の撃った弾丸は、桐崎の両方の肩甲骨のあたりを貫いていた。
よほど頭のネジが外れていない限り、人に向けて引き金を引くのは、正常な人には難しい。そのハードルを超えてしまうほど、信仁は激昂していた。あたしを抱える信仁の手から、その怒りが伝わってくる。
でも、急所を、外した。いや、狙えないんだ。頭、心臓、正中線、いくら激昂していても、人の形をした物の急所を撃つ決心は、この後に及んでまだ無いんだ。当たり前だ、どんなに銃の扱いに慣れていても、射撃が上手くても、そして激昂していても、コイツは普通の人間、普通の高校生なんだから。人殺しは、出来ない。あたしは、激痛と失血で混濁する頭の片隅で、それを思った。
「痛いぞ、小僧」
桐崎が、見下ろす視線を信仁に変えて、言う。
「この体は人のもの、傷つけば痛い……まあ、しかし、先日のあれも含め、痛みを受けるのも久しぶり、何年ぶりか……」
この時のあたしは、それどころじゃなかった事もあるけど、その意味はわからなかった。まあ、分かるはずも無かったけど。今はわかる。桐崎は、この何日か前に、青葉五月さんからダメージを受けていたんだって。
「……さて小僧、我に痛みをくれた褒美をやろう。受け取れ」
「な?っと?」
「ぐあ!」
桐崎がそう言うのと、あたし達の背後の、道場の窓ガラスが割れる音と、あたしが、本能的に感じた危険に押されて無理矢理体を動かして信仁を押しのけたのが同時だった、と思う。その直後、あたしは背中から何かに貫かれ、呻きを吐いた。
「姐さん!」
あたしの背中から腹を貫いていたのは、さっき東教室棟二階で斬った、桐崎の右腕の刃だった。
「……てめぇ!」
あたしに押しのけられて右に倒れた信仁が、崩れた姿勢から拳銃を四発、連射した。弾丸が桐崎の胴体に吸い込まれ、貫通するのを、さらに増えた激痛でかすむ視界の片隅で、あたしは見た。見て、やはり急所は狙えていないのも、確認する。
それで良い、あんたは、あたしのために怒ってくれるのは嬉しいけど、殺しちゃ駄目。
桐崎が、倒れた。人の体で四発も弾丸をくらえば、人としては痩せぎすの体なら、そうなる。死ぬどころか、大したダメージではないだろうけど。
でも、今しか無い。
あたしは、弾倉を交換している信仁に、やっとの思いで、言った。
「抜い、て。この、腕」
「え?しかし」
ぎょっとして、信仁はあたしを見た。
「大丈、夫、だから。自分、じゃ、出来、ない」
昨日、出刃を刺された時もそうだ。普通なら、刺し傷の応急処置として、うかつに凶器を抜くのは御法度、止血出来る用意が無い時は抜いてはいけない。信仁は、それを知っている。
けど。そういう「人間」の常識の、あたしはその外にいる。
「お願い、早、く」
「……わかった」
決断が早い。あたしの知る範囲で、信仁はこういう時の決断が早い。なんかの小説の一節「明日思いつく最高の手より、今出来る最善の手」が座右の銘だって、前に言ってたっけ。そんな事を、あたしは思い出した。
一番手近な、あたしの右胸に刺さる桐崎の左腕を抱えるようにして、あたしの左肩に手を置いた信仁が、言った。
「行くぞ」
あたしは、歯を食いしばる。次の瞬間、ものすごい衝撃的が全身に走る。痛い、なんてもんじゃ無い。
「……ぐっ」
でも、あたしは文字通り歯を食いしばって耐える。悲鳴を上げたら、信仁を戸惑わせてしまう。そして、これを抜いてもらわないと、あたしは動けないし、体も再生しない。
「……もう一つ、行くぞ」
そのあたしを一瞬見て、信仁は迷わず次の一本、腹に刺さる槍を握る。
「ぐ!……っふ」
衝撃的な激痛と、溢れ出す血と体液。斬られたり突かれたりは初めてじゃないけど、ここまでってのは滅多に無かった。
「大丈夫か、もう一つ行けるか?」
あたしの背中に周りながら、信仁が流石に心配そうに声をかける。
「平気よ……お願い」
肺に刺さってた刃が抜けたから、体に空いた穴から肺に貯まってた血が流れ出たから、声が少し出し易くなった。でも、笑顔で言ってやりたいけど、そんな余裕はさすがに無い。あたしは、目をつぶる、固く。次に来る痛みに備えて。
「じゃあ、もういっちょ行くぜ」
あたしの背中で、あたしの左肩に信仁の手が置かれた。その時。
急に、あたしのまぶたの裏が光る、丸く。全身に衝撃が走る。痛みじゃない。むしろ、快感。全身の毛が逆立つような、今まで感じたことのない、高揚感。
まぶたの裏の満月を見て、あたしは理解した。
桐崎が、あたしが目をつぶったその時を狙って、あたしと直接接している腕を通じて、あたしの心を弄り、あたしに満月を見せたのだ、と。
「……ぁあああっ!」
「うわ?」
三本目、桐崎の右腕が抜けた瞬間と、あたしの叫びと、信仁の驚きが重なった。
一瞬、あたしの全身から背筋をものすごい快感、いや、歓喜と言った方がいい感覚が駆け抜けた。膝をつき、のけぞったあたしは、直後に力が抜けて床に両手をついた。自分でも、息が上がっているのがわかる。
「あ、姐さん?大丈夫、か?」
信仁が、信仁の心配そうな声がする。
「……大丈夫、何ともないよ」
自分でも驚くくらい、すっと声が出た。左肩越しに振り向いたあたしは、桐崎の右腕をかかえた信仁が目を丸くしているのを見る。
「え?何?」
「いや、姐さん、その……」
「それが、その娘の本性よ」
面白がっているのが丸わかりの、桐崎の声がした。
「うあっ!」
信仁が抱えていた桐崎の右腕がすっぽ抜け、桐崎の声のした方に飛んでゆく。それを追うようにあたしは桐崎に視線を向ける。両腕が綺麗にくっつき、三本目の、右手の代わりに右腕に生やしていた槍を頭上に浮かせた桐崎がそこに居た。
「どうだ?あまりに情けないから力を貸してやったぞ?月臨観とか言ったか?くだらんケダモノのお前らの好物だったな」
「な……!」
言われて、あたしは床についていた両手を見る。その手を顔の前に持って来て、もう一度見る。その手で、顔に触る。
爪が、長い。鋭い。人の爪ではなく、獣の、狼の爪。顔も、顎が上も下も突き出しているのがわかる。
体の後ろで、何かが動く。自分の体だ、見なくても分かる。尻尾だ。
あたしは、半獣の姿、人狼の姿になっていた。
三メートルちょっと離れたところから拳銃で、倒れた桐崎の胴体を狙いつつ、信仁があたしに聞く。
「……まだね。仕留めたなら、この夢時空も消失するわ。コイツは、まだ生きてる……生かしてあるのよ」
あたしは、桐崎を見たまま、言う。半分は本当だ。コイツが死んでないから結界が生きている。そして、あたしは殺していない。いや。
あたしには、コイツを仕留める決め手が、ない。
物理攻撃で夢魔を倒すのは、実は難しい。今現在、切断した両腕からほとんど出血していないから、この体自体も相当に深く、夢魔の影響下にあるのは間違い無い――切れているけれど肉体には切れていないと信じ込ませ、血流さえもコントロールしているとか、そのレベルで精神が侵食されていると思って良い。だから、たとえ肉体を細切れにした所で、再生するか、死んだふりしてほとぼりを冷ますか、あるいは機を見て逃げ出すか。いずれにしても、物理的に切り刻むしか出来ないあたしには、とどめが刺せない。
けど、それをここで公言するわけにも行かない。だから。
「コイツは、父さんと母さんの仇だもの。楽に死なせる気はないわ。それに、引き渡したい人もいるし、ね」
断腸の思いで、あたしはハッタリをかます。これも半分は、いや気持ちとしては全部、本当だ。婆ちゃんなら、コイツの話を聞きたがるだろう。
そのあたしの言葉を聞いたのか。あざ笑うように、桐谷から乾いた、くつくつとした嗤い声が聞こえた。
「……言ってくれる。ようもやってくれたものよ。さすがは典侍の身内、半端者とて油断はならんか」
両腕のないまま、桐崎は上体を起こす。出血こそ少ないが、両腕を切り落とされたのは流石に厳しいのか、声は硬く、顔に脂汗をかいて。
「楽に死なせないなどと、威勢の良いことを。しかし、半端者のおまえでは、我を殺すにはちと力が足りぬ……」
銃声が、桐崎の、「奴」の言葉を遮った。
あたしの傍に寄って来ていた信仁が、桐崎のすぐ右脇の床板を撃ち抜いた、無表情に。
「少し黙れ……あんた、姐さんの親御さんを殺したってのは、本当か?」
信仁の声に、抑揚が、ない。
「小僧……何を」
銃声がもう一つ、今度は左の床板を撃ち抜く。
「聞かれたことだけ答えろ。腕、切られて平気みたいだが、痛みは感じるみたいだしな。有り難い事にこっちは弾なら割とあるんだ、射的の練習台になってもらっても良いんだぜ……もう一回聞く。おまえが、姐さんの親御さんを殺したってのは、本当か?」
くつくつと笑ってから、桐崎が答える。
「そうともよ、我が、その半端者の親狼を殺したのよ!」
桐崎は、信仁にそう答えた。脂汗を垂らしつつ、口を耳まで裂くようにして、嗤いながら。
「……あ?狼?」
息を呑む音が、大きく響いた。あたしは、それがあたし自身が発した音だと気付くのに、一瞬時間を要した。
「おや、小僧、知らなんだか?」
本当に楽しそうに、桐崎は嗤う。
「小僧、おまえの隣に居るその娘はな……」
「やめて!」
あたしは、言わせまいと、聞かせまいと、咄嗟に動いた。
肩で信仁を突き飛ばし、そのまま前に出て木刀で桐崎の口を貫こうと。
けど、桐崎の口を塞ぐことは、出来なかった。
「……そいつはな。おぞましくも忌まわしいケダモノ、人狼よ」
「ぐあっ……」
衝撃で、あたしは三歩ほど後じさった。たまらず、片膝をつく。
あたしの体に、さっき斬り落とした桐崎の両腕が、結晶性の刃を纏った左腕が右の肋骨の間を、先の右腕の切断面から生えた結晶の槍のような物が左の腹を、それぞれ突き刺し、貫いていた。
突こうとした木刀のおかげで、顔と心臓のあたりを真正面から貫かれるのは避けられたけど、焦りに任せて突いてしまったから、桐崎の両腕が急に動き、飛んできたのを弾くことが出来なかった。
「姐さん!てめぇ!」
「舐めるな小娘!小僧!我は夢魔の長、夢紡姫の臣なるぞ!」
「っせえ!知るか!」
立ち上がり、高笑いと共に言い放つ桐崎に、あたしに駆け寄った信仁は銃口を向ける。偶然、あたしが突き飛ばしたおかげで、信仁には桐崎の腕はかすりもしなかったらしい。
「大丈夫、なわけねぇな、しっかりしろ姐さん!」
銃口を桐崎に向けたまま、信仁はあたしを左手で抱える。
「心配要らんぞ小僧、その娘は狼、その程度で死にはせん、そうだろう?」
「……」
一言二言、あたしは桐崎に言い返したかった。けど、激痛と、肺に貯まる血が、あたしの喉を塞いでいた。声を出すどころか、呼吸すらままならない。なまじ心臓を外しているから、逆に出血が止まらない。
確かに、この程度ではあたしは死にはしない。でも、死なないからこそ、痛みは、出血も、続くんだ。あたしは、歯を食いしばる。その隙間から、ダラダラと血が落ちる。
「……この……」
やっとの思いで、あたしはそれだけ、言葉を絞り出した。
「どうしたどうした?ケダモノの娘。典侍の身内であれば、獣に変じてみれば良かろうよ。そも、我の刃など躱すも易かろうに?」
両腕のない桐崎が、あたしを見下ろし、嗤う。
「半端者風情が、ケダモノ風情が我に刃向かおうなどと。おまえらにあの時、後れを取ったのが返す返すも口惜しいわ」
憎々しげに、桐崎は吐き捨てる。あの時とはつまり、あたし達が封を解かれた時。あの時、あたし達姉妹は力を合わせて、コイツを押し戻すことに成功したから。
「その程度か?何故獣の姿にならぬ?我をまだ舐めているのか……いや、違うな?……さては、やはりおまえ……」
見下すように嗤い、桐崎が言う。
「……獣に変じることすら出来ぬ、半端者、か」
悔しかった。歯軋りするほど。その通りだったから。さっき、本気出してないのかも、とか思ったけど、出せない本気ならそれは意味が無い、今出せない力なら、それは最初から持ってないんだ。あたしは、ここまでの半端者なんだ。そう思い知らされたのが、本当に悔しかった。
「黙れ!」
銃声が二つ、続けざまに響く。桐崎の肩が揺れる。信仁の撃った弾丸は、桐崎の両方の肩甲骨のあたりを貫いていた。
よほど頭のネジが外れていない限り、人に向けて引き金を引くのは、正常な人には難しい。そのハードルを超えてしまうほど、信仁は激昂していた。あたしを抱える信仁の手から、その怒りが伝わってくる。
でも、急所を、外した。いや、狙えないんだ。頭、心臓、正中線、いくら激昂していても、人の形をした物の急所を撃つ決心は、この後に及んでまだ無いんだ。当たり前だ、どんなに銃の扱いに慣れていても、射撃が上手くても、そして激昂していても、コイツは普通の人間、普通の高校生なんだから。人殺しは、出来ない。あたしは、激痛と失血で混濁する頭の片隅で、それを思った。
「痛いぞ、小僧」
桐崎が、見下ろす視線を信仁に変えて、言う。
「この体は人のもの、傷つけば痛い……まあ、しかし、先日のあれも含め、痛みを受けるのも久しぶり、何年ぶりか……」
この時のあたしは、それどころじゃなかった事もあるけど、その意味はわからなかった。まあ、分かるはずも無かったけど。今はわかる。桐崎は、この何日か前に、青葉五月さんからダメージを受けていたんだって。
「……さて小僧、我に痛みをくれた褒美をやろう。受け取れ」
「な?っと?」
「ぐあ!」
桐崎がそう言うのと、あたし達の背後の、道場の窓ガラスが割れる音と、あたしが、本能的に感じた危険に押されて無理矢理体を動かして信仁を押しのけたのが同時だった、と思う。その直後、あたしは背中から何かに貫かれ、呻きを吐いた。
「姐さん!」
あたしの背中から腹を貫いていたのは、さっき東教室棟二階で斬った、桐崎の右腕の刃だった。
「……てめぇ!」
あたしに押しのけられて右に倒れた信仁が、崩れた姿勢から拳銃を四発、連射した。弾丸が桐崎の胴体に吸い込まれ、貫通するのを、さらに増えた激痛でかすむ視界の片隅で、あたしは見た。見て、やはり急所は狙えていないのも、確認する。
それで良い、あんたは、あたしのために怒ってくれるのは嬉しいけど、殺しちゃ駄目。
桐崎が、倒れた。人の体で四発も弾丸をくらえば、人としては痩せぎすの体なら、そうなる。死ぬどころか、大したダメージではないだろうけど。
でも、今しか無い。
あたしは、弾倉を交換している信仁に、やっとの思いで、言った。
「抜い、て。この、腕」
「え?しかし」
ぎょっとして、信仁はあたしを見た。
「大丈、夫、だから。自分、じゃ、出来、ない」
昨日、出刃を刺された時もそうだ。普通なら、刺し傷の応急処置として、うかつに凶器を抜くのは御法度、止血出来る用意が無い時は抜いてはいけない。信仁は、それを知っている。
けど。そういう「人間」の常識の、あたしはその外にいる。
「お願い、早、く」
「……わかった」
決断が早い。あたしの知る範囲で、信仁はこういう時の決断が早い。なんかの小説の一節「明日思いつく最高の手より、今出来る最善の手」が座右の銘だって、前に言ってたっけ。そんな事を、あたしは思い出した。
一番手近な、あたしの右胸に刺さる桐崎の左腕を抱えるようにして、あたしの左肩に手を置いた信仁が、言った。
「行くぞ」
あたしは、歯を食いしばる。次の瞬間、ものすごい衝撃的が全身に走る。痛い、なんてもんじゃ無い。
「……ぐっ」
でも、あたしは文字通り歯を食いしばって耐える。悲鳴を上げたら、信仁を戸惑わせてしまう。そして、これを抜いてもらわないと、あたしは動けないし、体も再生しない。
「……もう一つ、行くぞ」
そのあたしを一瞬見て、信仁は迷わず次の一本、腹に刺さる槍を握る。
「ぐ!……っふ」
衝撃的な激痛と、溢れ出す血と体液。斬られたり突かれたりは初めてじゃないけど、ここまでってのは滅多に無かった。
「大丈夫か、もう一つ行けるか?」
あたしの背中に周りながら、信仁が流石に心配そうに声をかける。
「平気よ……お願い」
肺に刺さってた刃が抜けたから、体に空いた穴から肺に貯まってた血が流れ出たから、声が少し出し易くなった。でも、笑顔で言ってやりたいけど、そんな余裕はさすがに無い。あたしは、目をつぶる、固く。次に来る痛みに備えて。
「じゃあ、もういっちょ行くぜ」
あたしの背中で、あたしの左肩に信仁の手が置かれた。その時。
急に、あたしのまぶたの裏が光る、丸く。全身に衝撃が走る。痛みじゃない。むしろ、快感。全身の毛が逆立つような、今まで感じたことのない、高揚感。
まぶたの裏の満月を見て、あたしは理解した。
桐崎が、あたしが目をつぶったその時を狙って、あたしと直接接している腕を通じて、あたしの心を弄り、あたしに満月を見せたのだ、と。
「……ぁあああっ!」
「うわ?」
三本目、桐崎の右腕が抜けた瞬間と、あたしの叫びと、信仁の驚きが重なった。
一瞬、あたしの全身から背筋をものすごい快感、いや、歓喜と言った方がいい感覚が駆け抜けた。膝をつき、のけぞったあたしは、直後に力が抜けて床に両手をついた。自分でも、息が上がっているのがわかる。
「あ、姐さん?大丈夫、か?」
信仁が、信仁の心配そうな声がする。
「……大丈夫、何ともないよ」
自分でも驚くくらい、すっと声が出た。左肩越しに振り向いたあたしは、桐崎の右腕をかかえた信仁が目を丸くしているのを見る。
「え?何?」
「いや、姐さん、その……」
「それが、その娘の本性よ」
面白がっているのが丸わかりの、桐崎の声がした。
「うあっ!」
信仁が抱えていた桐崎の右腕がすっぽ抜け、桐崎の声のした方に飛んでゆく。それを追うようにあたしは桐崎に視線を向ける。両腕が綺麗にくっつき、三本目の、右手の代わりに右腕に生やしていた槍を頭上に浮かせた桐崎がそこに居た。
「どうだ?あまりに情けないから力を貸してやったぞ?月臨観とか言ったか?くだらんケダモノのお前らの好物だったな」
「な……!」
言われて、あたしは床についていた両手を見る。その手を顔の前に持って来て、もう一度見る。その手で、顔に触る。
爪が、長い。鋭い。人の爪ではなく、獣の、狼の爪。顔も、顎が上も下も突き出しているのがわかる。
体の後ろで、何かが動く。自分の体だ、見なくても分かる。尻尾だ。
あたしは、半獣の姿、人狼の姿になっていた。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
【書籍化進行中、完結】私だけが知らない
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる