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第六章-朔日-

第6章 第98話

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「ところで」
 『控えの間』と呼ばれる大ホール、表層階のそれに近い、およそ幅30メートル、奥行き40メートルはあろうという清潔で簡素な空間の奥、入り口の向かいにあるやはり黄金の大扉の前で、ユモはモーセスに聞く。
「この先に何があって、あたし達はどこに向かってるのかしら?勢いで来ちゃったから、一応確認しておきたいんだけど」
「そうですね、お話ししておきましょう」
 モーセスも、頷いて話はじめる。
「まず、先ほどの、ラモチュン達がいた小堂ですが、いくつもの横穴の入り口があった事はお気づきだと思います」
「あったわね、幾つあったかしら?」
「下りてきた階段の出口を除いて、九つですね、ただ、どこに繋がっているのか、私の検知範囲を越えてトンネルが続いているので私にも分かりませんでしたが」
 ユモの疑問に、ニーマントが答える。
「ここを含め、基本的に、浅層と深層はセットになっています。中層部分にも部屋はあるようですが、今は誰も入れないので確認のしようがありませんが……ここは宮殿の下、この『控えの間』の奥に『接見の間』、『儀式の間』と続きまして、その奥に『謁見の間』、貴き宝珠マニ・リンポチェがおわします。『謁見の間』は、『都』のほぼ中央、『井戸センターシャフト』のすぐ側になります。基本的に他の六つのエリアの深層も似た構造ですが、広間の数や作りには違いがありますね」
「つまり、それぞれ違う役目の地下施設、という事ですか?」
 今度は、オーガストが質問する。
「はい。図書室の下は記録保管庫、食堂の下は食料保管庫、寺院の下は、『元君』、『赤の女王』が支配する領域で、本当に何人たりとも立ち入ることを許されません……」
 モーセスは、ちょっとだけ言い淀んでから、言葉を続ける。
「……衛生施設の下は、先ほど説明した、肉体から脳を切り離す作業の処置室、迎賓館、皆様の居室の下は、その切り離された脳の保管庫です」
 ユモとオーガストは、それを聞いて、軽く言葉を失う。
「住居棟、ラモチュンらのような『光の大師第四階位』やその下の『神智の伝道者第五階位』の者の個室のある場所の下は『ユゴスキノコ』の領域だと聞いています。もちろん、ここも立ち入りは禁止されておりますし、好んで立ち入る者も居ません。残りの二つは、『いにしえの支配者』の化石、化石ではなく休眠状態の仮死状態なのですが、その体を保管している保管庫と、『井戸センターシャフト』の最深部に至るトンネルになっています」
「……色々と、興味深いですな」
 オーガストが、やっとの事のように、呟く。
「そうね。時間があれば、ゆっくり探検してみたいところだけど」
 ユモも、同意し、そして、言う。
「残念だけど、あたし達にはもう時間がそんなに無いはずなの。優先順位つけて、最優先から片付けていかないと……で、ケシュカルが居るのは、どこ?」

「残念ですが、分かりません」
 モーセスは、即座に首を振る。
「確実にここに居る、と言える証拠は何もありません。いうならば、先ほど説明したどこに居てもおかしくはない、そう言っても過言ではありません。何しろ、ケシュカル君を呼び出したその意向、目的そのものが不明なのですから。ですから、拙僧は光の王子との直談判を持ってその意図を問い質し、ケシュカル君を取りもどす、そのつもりです」
「……馬鹿正直ねぇ……」
 モーセスの言葉を聞いて、ユモは腰に手を当て、ため息をつきつつ、苦笑する。
「正面突破、物理的にも脇道が無いこの場合、正攻法ではあります」
 オーガストも、同意する。
「ま、それが一番近道か。あんたも、痕跡とか分からないんでしょ?」
 胸元に聞いたユモに、ニーマントが答える。
「残念ながら。今、私の感知する範囲に居ればまだしも、痕跡となると放射閃オドが大変に希薄で……追跡とかそういうのは、ユキカゼさんが得意なのですが」
「……そうだけど!ユキにはドルマさんの足止めしてもらってるんだし!居ない人の事言っても仕方ないし!」
 胸元に向かって怒鳴ったユモは、大人達に視線を上げて、
「行きましょ!正攻法でカチ込むなら善は急げ、よ!」
 くるりと、緩く三つ編みに結ったブロンドのおさげを振って、ユモは黄金の大扉に向き直った。

「……やっと、言えたね」
 あふれんばかりの涙を目尻に溜め、唇を噛みしめて自分を見上げるドルマに言って、雪風は、ドルマの頭を胸に抱く。
「辛かったよね?言うの、嫌だったよね?苦しかったよね、きっと。ドルマさん、プライド高そうだし、人に頼るの苦手そうだし。言いたくなかったんだよね」
 ぎゅっと、雪風は、まだ髪の代わりに角の生えたままのドルマの頭を強く抱きしめる。明らかに年上のはずの、でも、多分、人生経験としては自分のようには場数を踏んではいないだろう、箱入り娘の頭を。
「でも、言えたよね。嫌だけど、勇気出して言ったんだよね。凄いよ」
 雪風は、ドルマの髪を撫でる。角は、いつの間にか髪に戻っていた。
「勇気出して、乗り越えたんだよね。だから、だったら、苦しかったこと全部、吐き出しちゃえ」
 雪風は、ドルマの耳元に口を寄せ、そっと呟く。
「『助けて』って言われたからには、あたしは、絶対に、全力で、助けてあげるから」
「……ぅぐ、う、く……う……」
 ドルマは、雪風にしがみつき、その背中に爪をたてるほど強く抱きついて、涙を流した。

 どれくらい、そうしていたのか。
 三十秒か、三分か。ドルマには、よくわからない。
 ただ、明らかに年下の少女にしがみついて泣いていた、その事だけは、はっきりと分かっていた。
「……やだ、私……」
 もがいて、身を少し離して、ドルマは目尻の涙を指で拭う。
「……落ち着きました?」
 静かに、雪風は問うた。
「……ええ……でも、恥ずかしい……私の方が、年上なのに……こんな……」
 潤んだ瞳で、ドルマは雪風を見上げる。どんな顔をしたものか、迷いながら。
「恥ずかしいことなんか無いですって。だいたい、『旅の恥は掻き捨て』って昔の人も言ってますし。まあ」
 雪風は、肩をすくめる。
「旅しているのは、あたしの方ですけどね……」
 言ってから、何かに気付いた雪風は、ドルマに顔を寄せて、強く言う。
「……そうだ、そうですよ、ドルマさん。この際だから、恥ずかしいこと、掻き捨てっちゃいましょうよ、このあたしに」
「え?」
 ドルマは、困惑する。雪風の言葉の意図が、掴めない。
 雪風は、そんなドルマに、微笑んで見せて、言う。
「だってあたし、多分もうすぐ、ここから居なくなりますから」

「多分だけど、あたしもユモも、明日の……」
 言いながら、何かに気付いた雪風は左手首の腕時計――ソーラー電波時計で停まらない代わりに時間合わせの竜頭リューズが無いから、ズレた時間表示を常に暗算で調整している――を見て、
「……12時過ぎてるからもう今日か、今日のお昼頃には、多分、ここから・・・・居なくなると思うんで」
「……え?」
「あたし達、日蝕をきっかけに時空跳躍タイムリープするんです……ああ、今、新月なんで、今までの経験上、多分明日、日蝕になります」
 雪風は、イマイチどころかイマ3くらいによく分かってなさそうなドルマに、ゆっくりと説明する。
「あのですね、ドルマさん頭いいから薄々気が付いてたかもですけど、あたしもユモも、この土地の人間じゃないどころか、この時代の人間ですらないんです」
「……それって……え?」
 色々な事が腑に落ちたような、それとも上手く言いくるめられているような、今ひとつ納得行かない表情で、ドルマは雪風を見つめる。
「あたし日本人でユモがドイツ人ってのは本当で、時代はまあ、色々弊害があるので言えないですけど……で、あたし達の意図に関係なく、日蝕の時にどっか知らない所に吹っ飛ばされて、そこでしばらく過ごして、そこの日蝕でまた吹っ飛ばされる、そんな事をもう、半年くらいかな?正直よくわかんなくなってますけど、それくらいは続けてて」
 一気にそこまで言った雪風は、一応は話しに付いてきているらしいドルマの表情を見て、続ける。
「だから、今からここで何を聞こうが、あたしは明日の昼以降はここに居ない。ドルマさんは色々ぶちまけてスッキリして、でもそのぶちまけ話はもう、唯一知ってるあたしが消えてなくなるから、ここら辺にいる誰にも知られる事はない。そういう事です。だから、ドルマさんの嫌なこととか、人に聞かれたくないけど、誰かに打ち明けたいこととか、そういうの、思い切ってあたしにぶちまけちゃいましょうよ。そうすればきっとスッキリすると思うし、大体……」
 雪風は、苦笑する。
「ドルマさん、頑張りすぎだと思う。もっと吐き出して、貯め込まなくて、我慢しなくていいんですよ、きっと」
「……」
 ドルマの頭に、心に、じわじわと、ゆっくりと、雪風の言葉が染みこみ、理解されてゆく。
 我慢?貯め込む?吐き出す?ドルマは、わからない。そんな事をしていた意識そのものが、無い。
「私……私は……」
 よく分からなくて、ドルマは、泣きはらして赤くなった目で雪風の顔を見る。見て、はっと気付く。
 そうだ。私は、この娘を、この娘達を、羨ましいと思った。人種も国籍も違うのに、何の屈託も無く軽口を叩き合える、ユキさんとユモさんが。確かに、以前私はそれを口にした。それは、つまり。
 私は、そのような誰かも居ないし、そのような事をした事も無い私は、我慢し、不平を口にしない事が当たり前、それを不思議と思わない人格、性格に育て上げられていたのだ。
 父母が、意図的にそう育てたのかどうかは、分からない。仮に意図的だったとしても、恐らくそれは『チベット人としてあるべき姿』に忠実なだけで、そうすることが当たり前だと思っていただけで、それ以上の意図は無かったのだろう、意図的で無いとしたらなおのこと、今の私には、そう思える。
 そう思える程度には、私も『チベット人』であり、その文化が染みついているのだ。 そう、今、はっきりとわかった。私は、そんな人生に戻るのが嫌で、『井戸』に身を投げたのだ。
 チベットの文化が嫌いになったわけではないけれども、ほんのつかの間であってもチェディと話すことで違う文化、違う考え方に触れた私は、嫌いなものは嫌いと、好きなものは好きと、そして、何よりも、好きな人には、好きと伝えたい。そんな自分になりたい、そうありたい、心の底で、心の底から、そう思っていたのだ。
 ああ、『福音の少女』とは、本当によく言った物だと思う。ペーター様は、本当に鋭い。私の理想の生き方が、求める精神が形になったような少女、それがユキさんやユモさんなのだから……
「……大丈夫、です?」
 自分を見つめたまま動かなくなってしまったドルマの目を覗き込むようにして、雪風は声をかける。
「……ユキさん」
「あ、はい?」
「それじゃあ、聞いてもらえますか?いえ、聞いてください。私は……」
 まだ泣いた後の鼻声のドルマは、一度深く息を吸い、吐く息に乗せて、言った。
「……私は、親を殺したんです」

 それから、ドルマは、訥々とつとつと語り出した。
 チェディと名乗っていたテオドール・イリオンと出会い、心を惹かれ、しかし、捨てられた事。
 地方領主に嫁がされそうになり、逃げて、思いあまって『井戸』に身を投げた事。
 気付いたら、『赤の女王』にいだかれていた事。
 そして。
 決心して、両親と話し合いをしに行って……そこに地方領主も居て、わけがわからなくなって……気が付いたら、両親と領主が死んでいた、自分が殺していた事。
 何故そうなったのか、自分でもわからない。覚えているのは、ただひたすら、気分が高揚してた事だけ。
 それからも何度か、人を殺めた事。
 殺そうと思ったわけでも、殺せと言われたわけでもないけれど、ただ、あの姿・・・だと気持ちが高ぶってしまい、高ぶったまま声をかけて、手で触れると、人は死んでしまう事。
 そして、あの夜、雪風と対峙して、初めて、あの姿・・・の自分に触れて、死なないどころかケガ一つ負わない、むしろ自分が傷つけられた事。
 その夜、不思議な痺れに全身を包まれた事。
 その日から、あの姿・・・であっても、自我を保っていられるようになった事。
 それと関係あるのかどうか、自分はペーター少尉に惹かれている事に、その時に気付いた事。
 気付いて、そして……ペーター少尉から、一緒にドイツに来て欲しいと言われた事。
 嬉しい半面、もはや人ではない自分はどうしたらよいのか、分からなかった事。
 分からず、迷っている間に……ペーター少尉を、自分を好いてくれて、自分も惹かれていたペーター少尉が、失われてしまった事。
 着崩れた外套チュパの膝の上に置いた量の拳に、熱い涙を滴らせながら、ドルマは訥々と語った。

 雪風は、ただ、聞いていた。
 聞いて、ドルマが言葉を切って目を、涙をいっぱいに溜めた目を自分に向けたとき、雪風は、言った。
「……そうか……辛かったよね」
 震える声で、そう言って、雪風も目尻を指で拭い、鼻をすする。
「辛いよね……苦しかったよね……」
「う……く……」
 声にならない声で答え、ドルマは何度も頷いて、引き裂けるほどに強く外套チュパを握りしめた。

「……よおっし。決めた」
 ややあってから、雪風は、低い声で、静かに、言った。
「行くわよ、ドルマさん」
「……え?」
 言って、立ち上がる雪風を見て、ドルマは聞き返す、鼻をすすってから。
「行くって、どこへ?」
「下よ」
 明確な決意に満ちた目でドルマを見返して、雪風が答える。
「人の恋路に首突っ込むのは野暮だけど、助けるって約束した手前、やるだけやったげる、お節介しまくってあげるわ。第一、ペーター少尉の本音を聞き出さない事には、あたしも腹の虫が治まんなくなってきた。これじゃ、ここから消えるに消えられないわよ」
「え?」
 ドルマは、話の展開にイマイチついて行けていない。
「だから、ドルマさんも、ペーター少尉に会って、直接聞くのよ。あたしと仕事とどっちが大事なの!って。で、泣きわめいて、ひっかいて、ひっぱたいて、あの朴念仁の目を醒まさせてやるのよ!仕事よりドルマさんの方がもっと大事なんだって、思い知らせてやるの!ドルマさん、それ、やっていい!やる権利、あるから!」
「そんな……え?ひっぱたくって、え?」
「いいの!やるの!パパが言ってた、男はこれやられるのが一番こたえるんだって。何言っても無駄で、結局『お前が一番大事だ』って言わざるを得なくなるからって。だから、そう言わせるの!これであのエリートお坊ちゃんに引導渡してやるのよ!」
「い、引導って」
「正直あたしも急いで下降りてユモと合流してケシュカル君探さなきゃだし、何となくだけど状況から見てケシュカル君はペーター少尉と一緒に居るような気がするし、ドルマさんが一緒なら一石二鳥だわ。あーもうなんかマジ腹立ってきた!さ!行きましょ!」
 雪風は、ドルマに手を差し出す。その手を握って、ドルマも立ち上がる。
「……はい!」
 雪風の手の温もりを感じた時、ドルマは思い出し、気付いた。
――『元君』が言っていた、私に胸を貸す女って……――
「行きましょう!ユキさん!」
 力強く外套チュパの埃を払い、着乱れを直して、鼻声で、でも微笑んで、ドルマは答えた。
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