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第六章-朔日-

第6章 第95話

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「あっ!」
 一瞬の閃光。まともに見てしまったドルマは、思わず声を上げ、両腕を目の前にかざす。
 そのドルマの外套チュパの胸元を、輝煌きこうの中から伸びた雪風の右手が、掴む。
 はっとしてその腕に視線を下げ、腕を辿って輝煌の奥に目を向けたドルマは、見た。
 服など一糸たりとも纏わず、しかしながら淡い光の羽衣を纏うかのような雪風の裸体が、その輪郭がゆらりとぼやけるのを。

 雪風の声と気合いに合わせ、必要量を大幅に超えた源始力マナが首に巻いたチョーカーの薄桃色の水晶に流れ込んだ。コマンドワードがまじないを起動し、雪風が身につけている全ての服が瞬時に胞衣エナに変換され、『源始力マナを伴った胞衣エナの変換情報』の形でチョーカーに、『亜空間ゲート固定装置』に格納される。変換効率が100%に届かない分を余裕を持って補う為、必要量を超えて投入された源始力マナの余剰分は熱を伴わない純粋な光となり、一瞬の輝煌として放出され、あるいは『変換の都合上避けられない無駄な胞衣エナ』として情報を持たない胞衣エナに変換され、雪風の体に纏いつき、淡い光を放ちつつゆっくり消滅する。

 ドルマの胸元を掴んだ雪風の視線が、ドルマの目を見つめ、射抜く。
 その雪風の目が、檜皮色ひはだいろの瞳が、金色に輝く。
 最初、ドルマはそれを、光に目がくらんだせいだと、見間違いだと思おうとした。
 雪風の目の色も、体の輪郭も、自分の目の眩みのせいだ、と。
 そして、すぐに、見間違いではない事を、雪風の目の色は獣の、狼のそれであり、輪郭がぼやけるのは、雪風の白い肌が、胞衣エナの残滓の輝きにきらめく艶やかな黒い獣毛に包まれてゆく為だと、気付く。
 雪風の体型が、変化する。人から、人に似ていながら人ならざるものへ。
――ああ、そうか、そういうことか。全てが、腑に落ちた――
 ドルマは、目の前のその有り得ベからざる変化へんげを見ながら、唐突に、理解した。
――私のこの姿を見て怯えも恐れもしなかったのも。寝具に残っていた黒い獣毛も。ツァムジューが見た黒い獣も。全ては、こういう事だったのだ――
 ドルマは、自分が自嘲的に笑っている事に、気付かない。
――これこそが、真の『悪霊』。本物の、私のような『作られたまがい物』ではない、真性の『獣の悪霊』――
 ドルマの角が、だらりと垂れる。
――刃向かっても、無駄。かなうはずが、無かった……そう、そうね――
 ドルマの目尻に、涙がたまる。
――これは、罰。きっと、そう。親に背き、師を裏切り、男にうつつを抜かす、堕落した私が報いを受ける、地獄に墜ちる、そういう事なのだわ――

「ドルマさん、見て。これがあたしよ。本当のあたしよ」
 雪風は、ドルマの目を見据えて、言う。
「ねえ、ドルマさん、あたし、何に見える?」
「……悪霊」
「そう、悪霊……悪霊?」
 バケモノとかケダモノとか、その手の言葉が返ってくる事を予想していた雪風は、斜め上のドルマの回答に虚を突かれる。
「そうよ、あなたは、本物の、獣の悪霊。私のようなまがい物を殺しに来た、羅刹天らせつてんの使い……いいえ、もしかしたら、羅刹女らせつにょそのものなのかも。そうでしょう?そうなのでしょう?」
 何かを諦めたような寂しい笑顔を、ドルマは雪風に、狼の目に向ける。
「私が、『元君ユァンヂュン』の、『夜宴サバトを仕切る黒山羊』の落とし子であり、そのごく一部でもあるように」
 ドルマの笑顔は、涙で潤む目は、美しくも、哀しい。
「さあ、羅刹の使い、獣の悪霊よ、この私を罰してください。男にうつつを抜かし、それが故に師を裏切り、人を殺めるこの罪深き悪鬼を、どうか……」
 ドルマの目に宿るくらい光を、雪風は見た。
「……楽に、してちょうだい」
「ちょ、ちょっと!」
 自分をサンドバッグ代わりにして、貯まりに貯まったドルマの鬱憤を残らず吐き出させてからガツンと一発説教してやろうと計画していた雪風は、話しがあらぬ方向へ横滑りしだしたのを感じて、取り乱す。
「ちょっと待ってよ!」
 あわてて、雪風はドルマの胸元を掴んでいた手を離す。ドルマは、ほんのわずか押された形になり、すとんとその場に腰を落とす。
「さあ、どうか……」
 手を合わせ、ドルマは、雪風を見上げる。
「お願い、楽にして……もう、もう……」
 ドルマの目の中の冥い炎が力を増したように、雪風には思えた。
「……もう!私は!嫌なの!」
 だらりとしていたはずのドルマの二つの角が、鞭のようにしなって雪風に斜め左右から打ち付けられる。
「うわ逆ギレ!」
 なんとなく予感がしていた雪風は、その角の鞭を間一髪でかわして、後ろに大きく飛びすさる。
「殺して!」
 その雪風を、ドルマの角が追う。
「私を、楽にして!」
「ってドルマさん逆!言ってる事とやってる事逆!」
 突っ込みつつ、雪風は横っ飛びに避ける。
 直後、一瞬前まで自分が雪風が居た空間に二つの角が振り下ろされ、石畳の床にヒビを入れる。
「ったくもう!」
 飛び退いた勢いのまま、ドルマを中心に左回りに走った雪風は、思いの外射程のある角の間合いを計りかね、相対距離を前後にゆすりつつドルマの斜め後ろに回り込む。
 あえて一旦、ドルマから見て七時方向で動きを止め、角が自分に向かって振り下ろされたのを目の隅で見た雪風は、最初は右に、次に左に軌道を振ってから、三歩目で一気に距離を詰める。
 空振った――まだ・・二本同時に同じ動きしか出来ていない――角をドルマが引き戻すより早く接近した雪風は、横座りに体をひねってこちらを向いてるドルマの左の角の根元を左手で掴み、自分の勢いを殺すとともにドルマを引き倒す。
「あっ!」
「上等よ!」
 力業で引き倒され、床に背中を突いたドルマを見下ろして、雪風が吠える。
「とりあえず一回ぶちのめしちゃるから!話しはそれからよ!」
「うるさいっ!」
 後ろ頭を床に強打したドルマは、痛みに顔をしかめつつ、掴まれていない右の角を横薙ぎに振るう。
「うはっ!」
 左の角から手を離し、全身のバネで跳躍して、雪風は低空を薙ぐ右の角を避ける。
「この!」
 体を回して雪風に上半身を向けたドルマは、着地する雪風に向けて左の角を突く。
「っとお!」
 読んでいた雪風は、着地と同時に床を蹴って右横に飛び、次の一歩で前に出る。
――させない!――
 雪風が明らかに格闘を狙っていると、接近格闘は断然自分に不利と理解しているドルマは、伸びきった左の角を戻す傍らで右の角を自分の体の前に、床に這わせる。
「くあっ!」
 雪風が接近するのに合わせ、ドルマは床に這わせた角の大半を水平に保ったまま振り上げる。
「うわ!」
 途中でドルマの意図に気付いたが突進を止められない雪風は、あえて加速してその角を、ドルマの頭上を飛び越える。
 その空中の雪風めがけ、ドルマの左の角が伸びる。
我、纏いたるは輝煌なりハー・ニィイ・フラーッシュ!」
「あっ!」
 狙ってくるだろうと、空中で避けも躱しも出来ないところを突いてくるだろうと本能で読んでいた雪風は、コマンドワードを唱えて閃光を放ち、ドルマの目を眩ます。
 たまらず目を逸らしたドルマは、それが故に狙いが逸れ、角は雪風から離れた空間を貫く。
 ドルマの背後に飛び込み、腕から着地した雪風は、そのまま三度ほど前転して間合いをとる。人寄りのプロポーションに纏い直したセーラー服の、膝丈のスカートがひるがえり、裾から狼の尻尾が覗く。
 一度、両の角を引き戻してから改めて突こうと身構えたドルマは、間合いをとった雪風を見て、体を硬くする。
 一体いつ抜いたのか、膝撃ちニーリングのモデファイドアイソサリースに構えた雪風のM1917コルトの銃口が、ピタリと自分の眉間に向いていたからだ。

 ちきり。
 引き金トリガーがゆっくり引かれ、撃鉄ハンマーが起きると同時に弾倉シリンダーが回る。
 それが何であるか、拳銃などインド旅行の際に警官が吊していたものくらいしか見た事のないドルマでもわかる。そして、それが発射寸前の状態であることも。
 ち。
 松葉型の撃鉄バネハンマースプリングは限界まで圧縮され、発射位置に来た弾倉シリンダーにはロックがかかり、回転が止まる。
 右の人差し指にかかる力があと1グラムでも増えたら、引き金トリガー撃鉄ハンマーの結合は解かれ、230グレイン、約15グラムの弾頭がほぼ音速で銃口から飛び出す。
「嫌!」
 咄嗟に、無意識に、ドルマは両手を顔の前で交差させる。二本の角が、腕の動きに合わせるように体の前で交差する。先端が、団扇うちわのように広がる。
 あえてゆっくりとトリガーを引いていた雪風は、その一部始終を確認したうえで、わずかに照準をずらして初弾を撃ち放った。

「いっ!」
 轟音が通廊の壁を震わせ、硝煙の匂いがあたりにたちこめる。
 四十五口径のフルメタルジャケット弾を盾のように広げた角で受けたドルマは、鋭い痛みに短く悲鳴を上げた。
 ぽとりと、その変形マッシュルーミングした銃弾は床に落ちる。銃弾を受けたドルマの角は、窪みこそすれ血も出ていない。
――やっぱ、抜けないか――
 銃を構えたまま立ち上がった雪風は、冷静に状況を確認した上で、わざと大声で、言う。
「ちょっと!ドルマさん!なんで避けるのよ!」
「え?」
 つい、小さく返事してしまったドルマは、二本の角――二枚の盾と言うべきか――の隙間を広げて、雪風をうかがう。
「死にたいっつーから、一発で楽になれるように頭狙ったのに!言ってる事とやってる事違うじゃない!」
 言って、一秒で二発、雪風はドルマの角の盾に.45APC弾を撃ち込む。
 もちろん、万が一抜けたとして、ドルマの体にあたらないところを狙って。
「あいっ!痛っ!」
 普通なら、とても痛いでは済まないその銃弾を受けたドルマは、しかし痛みのあまりに勢いで言い返す。
「いっ……もう!うるさいわよ!いいじゃない!どうでもいいのよ!私なんか!」
 角の盾をもう少し開いて、ドルマはわめく。
「鉄砲で撃たれたって死なないんだもの!私は……もう、正真正銘の悪霊なのよ……」
 わめく声が、徐々に震え、小さくなる。
 角が、いつの間にか床に垂れる。
 床に両手をつき、目を伏せたドルマは、肩をふるわせる。床に、涙がこぼれる。
――うわ、すっごい情緒不安定――
 口には出さずに心の中だけで思って、雪風はため息をつく。銃を下ろす。
 その雪風に、床に垂れていたはずのドルマの角が、鞭のようにしなって横様よこざまに襲いかかる。が、二本の角は空振りし、空しく石の床を叩く。
 雪風は、角が動く気配を悟ったと同時に前に跳び出し、両手で銃を持ったまま一回前転して角を躱すと、ドルマの目の前で膝をついて停まる。
 M1917コルトの銃口が、ドルマの額の生え際に軽くあたる。
「……ダメね、どうやっても、勝てないみたい」
 俯いたまま、ドルマは言う。
「勝てないけど、死ねもしない……ねえ、ユキさん」
 ドルマが、顔を上げる。
「あなたは、どうしてそんなに強いの?私は、どうしたら楽になれるの?そんなに強いあなたなら、私をどうにかする方法も知ってるんじゃなくて?」
 泣き顔のまま、ドルマは笑う。
「教えて。ユキさん。何をどうしたらいいか、もう、私は何も分からないの。どうすれば、私は死ねるの?どうすれば、私は楽になれるの?」
――多分、あたしなら、ドルマさんを、殺せる――
 雪風は、必死に何かをこらえているドルマを見下ろしながら、考える。
――弾に念を載せて撃てば、ドルマさんの体がどれだけ硬くても、多分、抜ける。何なら『れえばていん』なら、念を載せて斬れば。でも……――
 雪風は、感じる。ただ撃ち抜けば、斬れば良いわけではないのだ、と。
――……それじゃあ多分、救えない、楽にはしてあげられない。だったら――
 雪風は、銃口をドルマの額に当てたまま、言う。
「話して。何も話さずに苦しみ続けるか、とにかく話して、吐き出して、少しは楽になるか、選ぶのはドルマさんだけど、話してくれれば、あたしは一緒に泣いたり怒ったりしてあげられると思うから」
 しばし、沈黙。ドルマは、返事出来ない。
「話すの自体辛い、ってのも分かるけど。でもね」
 雪風は、M1917コルトを腰の左のホルスターに仕舞う。するりと、雪風は『人寄りの獣人けものびと』から『人』の姿に戻る。
「あたし、お婆ちゃんに言われてんだ。誰かに『助けて』って言われたら、何があっても助けろって。あたし達は、大抵の事ならそれが出来る一族なんだから、出来るからには、やるのが筋だ、理屈なんてどうでもいい、って。だから、さ」
 腰を折って、雪風はドルマの顔を覗き込む。
「言っちゃえ。『助けて』って」
 笑顔でそう言った雪風を見て、ドルマは、目に涙を溜め、唇を噛み、口をへの字にして、やっとの思いでその言葉を吐き出す。
「……助けて……お願い……」


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ドルマと雪風のイメージの落書きです。
お目汚しですが、興味あればご覧いただければ幸いです。
※実際には、作中に存在しないシーンですが。
あの・・ポーズ、メチャクチャ難しい……

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