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第六章-朔日-

第6章 第87話

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「では、それで私がここに戻って来るのを待っていた、と?」
 夜半過ぎ。『都』の、あてがわれた部屋に戻ってきたオーガスト・モーリーは、地下に入る前に一服つけて来たパイプが充分に冷えていることを確認してから、マウスピースを外して軽くメンテナンスする。
「ええ。お嬢様方は、今夜は徹夜になりそうだからと早めに就寝されまして。私に、ミスタ・オーガストが戻ったら起こすように言いつけられたのです」
「なるほど」
 ざっと拭き上げた愛用のパイプをポーチに入れて胸元に仕舞いつつ、オーガストはニーマントに言う。
「それは、ご苦労な事ですね」
「私は、睡眠も食事も必要ありませんから。ミスタ・オーガスト、あなたもそうでしょう?」
「それはまあ、そうなのですが」
 誰も見ていない自室で、オーガストは肩をすくめる。
「このところ、規則正しい生活をしているせいか、食事と睡眠がこれほどまでも素晴らしいものであると体が思い出してしまったようです」
 オーガスト・モーリーは、イタクァに魅入られて以降、寝る事も食べることも必要ない体になってしまっていた。それ自体はまあ、便利と言えば便利なのだが、人として有り得ベからざる状態であることも間違いない。
「お二方がここを離れられて先、この空きっ腹をどうやって満たしたものか、少々心配になって来ました」
 オーガストは、苦笑する。ユモに言わせれば、周囲の源始力マナを直接、エーテルを媒介して吸収しているのではないかということだが、オーガスト自身にはよく分からない。
「隠れ家に、大量に食料を保管していたのでは?」
 ニーマントは、半日前に見たオーガストの隠れ家の木箱のことを指摘する。
「まあ、そうなのですが。同じ味では三日と経たずに飽きてしまうことは請け合いです」
 オーガストは、首を振る。
「まあ、そこは自分で何とかするとしましょう。それで、お嬢様方はもうお目覚めなのですか?」
「先ほど、ユキカゼさんが顔を洗いに部屋を出て……ああ、今、戻ってらっしゃいました。改めてユモさんを起こしにかかって、あ、ダメですユモさん、寝ぼけて私を振り回さないでください、ダメですったら」
「もう!二度寝してんじゃないわよ!」
「うるさい!」
 どうやら、ニーマントとオーガストの会話は、ユモと雪風にも聞こえてはいたらしい。やや遠くから聞こえる雪風の、ユモを起こそうとする声と、明らかに寝覚めで不機嫌なユモの声に、オーガストは苦笑する。
「それでは、ミスタ・ニーマント、お嬢様方の用意が出来たら声をかけてください。そちらに向かいますから」

 しばらく後。
 ニーマントからの合図でユモと雪風の部屋に入ったオーガストは、二人が完全に旅支度を調えているのを見る。
 雪風はいつもの黒のセーラー服に、オーガストが譲ったガンベルトを巻き、二丁の拳銃と予備弾倉をそのベルトに収めている。ベルトには他に、雪風がダンプポーチと呼ぶ雑嚢が括り付けられ、さらに、ペーター少尉のキャンプでもらった雑嚢ブロートボイテルをたすき掛けに二つ、肩にかけている。その首筋には、ユモが作ったチョーカーが薄桃色に淡く光る。
 ユモは、これまたいつもの黒のワンピースの上にM36オーバーコートを羽織り、腰には例の魔法の小瓶の入った弾薬盒パトローネンタッシェ付きのドイツ軍のガンベルトを巻き、左腰には鞘に入ったSG71銃剣バヨネットを、背中にはユモ自身が『アンスヴァルト』と名付けたGew71ライフルを担いでいる。プラチナに近いブロンドの長い髪は、これから動き回ることを想定して、雪風の手できつすぎない程度の三つ編みにされている。
 そして、そのユモの胸元、ワンピースの上には、ほんのわずかに淡く白く光るような水晶玉と、対照的に全く光を反射しない輝かないアンシャイニング・多面体トラペゾヘドロンのペンダントが鎮座する。
「……臨戦態勢、やる気満々ですな」
 その様子を上から下、下から上と確かめたオーガストは、そう言って顎に手をやり、ニヤリとする。
「止してちょうだい、人聞きの悪い」
 ぷくっとふくれて、ユモは否定する。
「流れ次第で、そのままここからおいとまする事になるだろうから、持ち物全部持っておこうって。ホント、それだけですよ?」
 雪風も、へらっと笑ってオーガストに答える。
「だ、そうです。あくまで旅支度だそうですが」
 ニーマントが、混ぜっ返す。
「大体、そういうオーガストさんも、武装してますでしょ?」
「わかりますか?」
 雪風に指摘されて、オーガストはわずかに目を剥く。
「油と火薬の匂い。オーガストさん、普段は銃を持ち歩かないから、すぐ分かりました。あそこ・・・で手入れしてたんです?」
「これは……ご名答です」
 『白熊の外套』に冷気を貯め込む間、暇つぶしの手慰みに、雪風に弾薬を渡したことで思い出した自分の銃を手入れし直し、一応試射もしておいたオーガストは、さすがの雪風の鼻にあらためて脱帽する。
「もう……二人とも、話しを聞きに行くだけでしょ?」
「あら?嘘つき・・・のヤサにカチ込むのに、準備は必要でしょ?」
「ホントに武闘派なんだから……あたしは平和主義者なの!約束してちょうだい、話しをしに行くのよ?」
「話をするだけ、荒事は可能な限り避ける、でしょ?」
結構よJa Natürlich
「こんなやりとりを、もう何度見ましたことか」
 ニーマントが、ユモと雪風の掛け合いの合間を縫ってオーガストに呟く。
「事に当たる前の、もはやお約束ですらあるようです」
「なるほど……して、ミスタ・グースはいずこに?」
 オーガストは、これからの行動の確認もかねて、聞く。
「用意が出来たら『寺院』に来て下さい、との事でした」
 ニーマントが、答える。
「合流して、それから『宮殿』へ?」
「そういう事になるわね」
「ここから『宮殿』の間に『寺院』があるのは、そう考えると都合が良いわね」
 オーガストの再確認にユモが答え、雪風が補足する。
 三人にあてがわれた個室のある『迎賓館』からは、反時計回りに回廊を通る場合、『寺院』を経由してから『宮殿』に向かうことになる。『宮殿』からは、全ての施設に直通の通路もあるが、今そちらを使う理由はない。
 ユモは、一同を見まわし、片方の口角を不敵に上げて、言う。
「じゃ、行きましょうか?」

 『寺院』に居る、といっても、モーセス・グースが具体的に寺院の何処に居るかは誰も聞いてはいなかった。だが、そこはニーマントの能力がある。居場所を特定するのは、『寺院』に近づいてしまえば造作もないことだった。
「……2階層下、ですね。埋葬所、墓地でしたか、その一角に、ミスタ・グースが居ます」
 あっさりとモーセス・グースの居場所を割り出したニーマントの言葉に従い、三人は『寺院」そのもの――第一階層は『死者の館』、遺体安置所だと聞いている――に入ること無く、『寺院』の黄金の扉にほど近い階段で第三階層まで降りる。
 第三階層『埋葬所』の扉も、立派な黄金のそれだった。
 施錠されていることを心配したがそれは杞憂に終わり、黄金の扉は重々しく、しかし音もなく観音開きに開く。扉の内側はそのまま大ホールになっており、差し渡しは50メートル四方程に見える。
 「……あ」
 その片隅に、見慣れた巨体を見つけて、ユモは小さく声を上げた。そちらに向けて歩き出すユモに、雪風とオーガストもついて行く。
 ホールの床は、硬く締まった土で敷き詰められていて、一抱えほどの大きさの、墓石らしき石版が所々に置かれている。
 モーセスが居るのは、そういった石版の一つの傍らで、ホールの殆ど端の角と言って良い位置だった。
「……」
 邪魔をしないよう無言で、足音を忍ばせつつ、三人はモーセスに近づく。石版の近くに片膝をついたモーセスは、目を閉じ、指を組んだ手を胸の前に置いて、祈っているようであった。
 ユモも雪風も、その姿にわずかな違和感を覚え、すぐにその違和感の正体に気付く。
 モーセス・グースは、クリスチャンとして、祈っているのだ。
 忍ばせていていても消しきれない足音に気付いたのだろう、モーセス・グースはちらりと音のする方を見、神を称える言葉を口にし、十字を切り、立ち上がる。
 立ち上がって、改めて合掌すると、短い経を唱え、石版に向けて頭を垂れた。
「……誰のお墓?」
 ユモが、聞く。
「お墓よね?これ……」
 モーセスは、石版の前に両膝をついて、チベット語のその文字を指でなぞる。
「……僧侶にして牧師、モーセス・グース……」 静かな声で、モーセス・グースは言う。
「……拙僧の、いえ、拙僧だった人間の、墓です」

「……え?」
 ユモは、再度立ち上がったモーセスを見上げ、一言だけ、呟くように聞く。
「ちょ、え?な?」
 ユモのすぐ後ろで、雪風がテンパっている。
「ミスタ・グース、それは、一体……」
 オーガストも、モーセスの言葉を飲み込めていない。
「墓というのは、死体を収める場所のことですね?」
 ニーマントの感情の乗らない声が、飄々と響く。
「ミスタ・グースの墓がそこにあり、しかし、ミスタ・グースはそこに居る。これは、どう理解すれば良いのでしょう?」
「ご安心ください」
 一同に向けて微笑んで、モーセス・グースが説明する。
「この下には、何も埋まってはいません」
「……はい?」
 ユモと雪風の声が、ハモる。
「……なるほど」
 何事か勘付いたオーガストが、顎に手を当て、言う。
「けじめ、ですか?何のけじめかは分かりませんが……ミスタ・グース、あなたは、何かのけじめに、自分が生まれ変わった、その証として自分の墓を建てた。そういう事では?」
 にこりと、モーセス・グースは満面の笑みを湛える。
「ご明察です」
 モーセスは、自分の墓を見下ろし、言葉を続ける。
「これは、キリスト教徒としての布教を生きがいとして生きたモーセス・グースという牧師、そのためにチベット密教の導師ラマにまでなった男が、『元君』の眷属として生まれ変わった、その証なのです」
「なんだ……」
 ユモは、肩の力を抜く。
「あたしはてっきり、あんたの心臓か何かがそこに埋まってるのかと思ってたわ。『人では無くなった』証に、ね」
 モーセスは、ユモの言葉に、ゆっくりとユモに向き直って、笑顔を見せる。
 ユモは、そのモーセスの笑顔に、何か底冷えのするものを感じる。
「さすがは『福音の少女』、当たらずと言えど遠からず、という所ですか」
「だからそれ止めてって……って、え?」
 一瞬、モーセスの言葉の意味を掴み損なったユモは、遅れて、聞き返す。
「この下には、何も埋まってはいませんが」
 モーセスは、ユモに頷いて見せながら、言う。
「モーセス・グースのオリジナルの脳は、ここには入っておりません」
 モーセスは、自分の頭を人差し指で指し示した。
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