西王母の谷-金色にして漆黒の獣魔女、蝕甚を貫きて時空を渡る-Schlucht der Königinmutter des Westens

二式大型七面鳥

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第五章-月齢28.5-

第5章 第84話

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「……あれ?」
 夜目の利く雪風が先に、その人影に気付いた。
 『都』の結界とも言える、巨大な石版。『都』の中心と言える『井戸』からおよそ五百メートル程の距離を置いて、U字谷の上流下流双方にある、チベット語で『境界ツァム』と書かれたその石版。
 上流側のそれのそばに、異様に大きな人影がある事に。
「モーセスさん、ですよね?」
 あえて足下の砂利を踏み鳴らしながら、雪風はその人影に声をかける。
「こんなところで、こんな時間に、どうしたんです?」
 こんな時間、と言うほど遅い時間では本来ないのだが、山の端に遮られて夕暮れが短いこのあたりでは、あっという間に夜の闇に包まれることもあってか、『都』の住人は日暮れ以降も外に居ることは滅多にない。
 それが分かっている上で、それでも『狼の姿』を見られる事を警戒した雪風は『境界』の石版から充分離れた地点でU字谷に下りて、獣の姿から人の姿に戻っていた。
「お坊さんが、遅くまで出歩くなんて、褒められた事じゃ、ないんじゃなくて?」
 警戒した雪風が距離を取った分、割を食って、ガレ場の不安定な足場を暗がりで歩く羽目になったユモが、若干息切れ気味に聞く。
「……何か、あったの?」
「……流石は『福音の少女』、勘働きが鋭いですね……」
 一瞬だけ回答を躊躇したモーセス・グースは、珍しくため息を一つつくと、明確に、答えた。
「ケシュカル君が、居なくなりました」

「……え?」
 咄嗟に事態を飲み込めなかった雪風が、思いの外大きな声で、疑問を呈した。
「……何やってるのよ!」
 5W1Hの「何がWhat」だけは理解したユモは、すぐさまにモーセスを叱責する。
「あんたを信用して任したのに!」
面目めんぼくありません」
 即座に、モーセス・グースはこうべを下げる。
「ちょっと!ユモ!」
 いくらなんでも。そう感じた雪風が、ユモを諫めにかかる。
「必ずしもモーセスさんのせいってわけじゃ……」
「拙僧の不徳の致すところです」
 雪風の言葉を遮るように、モーセスは言い切る。
「……言い訳、しないのね?」
 腕を組んだユモは、次第に人の顔の見分けもつかなくなりそうなとばりに包まれつつある中、強い口調で、言う。
「ユキ!ニーマント!周囲に人影は?」
「……ないわよ」
 念のために一度鼻をひくつかせてから、匂いと気配で周囲を確認した雪風が答えた。
「ありません」
 源始力マナで周囲を探ったニーマントが、雪風に続けて返答する。
いいわグート
 ユモは、組んでいた腕をほどいて腰に当て、言う。
「じゃあ、詳しい話、聞きましょうか?」

 今更隠す必要も無いので、ユモは『かりそめの大地』のまじないを使って自分とモーセスを崖の上に運び、何度か利用し、かまど・・・の形に石を組んだままにしてある焚き火場に向かう。途中、よさげな枯れ枝等の薪材を拾い集め、器用に薪を組んでから、
「……精霊よ、速やかに現れ出でて、我が示す先にほむらとなりたまえ……」
 ほんのわずかに聖灰を付けた銃剣バヨネットで、焚き木のてっぺんを軽く叩く。
 ぽん、と、汲んだ焚き木の中で炎が爆ぜ、焚き火がおこる。
「便利なものですね」
 率直に、モーセスは感嘆し、感想を述べる。
「言うほど便利でもないわ。修行も必要だし、集中力だって要るもの」
 さらりと、ユモは返す。しかし、その口元はまんざらではなさそうでもある。
「あたし達の魔法は、エーテルを振動させて、望みの物や力を具現化するもの。そのために必要なのは、集中力と、呪文と、イメージ。触媒があればそれに越したことはないけど、無くても大体大丈夫だし、使い慣れて十分に理解出来た呪文はその分短く練り込むことも出来る」
 ユモは、焚き火を見ていた視線をモーセスの目に移して、言う。
「例えるなら、最初はお手本通りに文字を書いて、次第にお手本無し、筆記体とか草書体とかになって、速記になって、最後には記号だけになる、そんな感じかしら。もちろん、複雑で高度な呪文はまた話が違うけど」
「なるほど……写経して経を覚え、いずれ念仏をそらんじるのに似ていますね」
「基本的には同じ事だと思う。魔法の呪文とお経、賛美歌の類いに、本来は違いはないってママムティが言ってたわ。きちんと集中し、そこに正しいイメージを載せれば、言葉の違いや宗派の違いは問題にならないって。もちろん、まじないの内容によって、言葉の向き不向きはあるけど」
「なるほど……」
 顎に手を当てて、モーセスは考える。
「あたしが教わってる呪文の殆どは、ドイツ語やラテン語で置き換えエミュレートしても効果に問題ないものが多いけど……」
 事前に雪風から渡された――雪風は食器と水を汲みに『都』に行っている――缶詰、オーガストからもらったそれを早速キコキコと缶切りで開けながら、ユモは続ける。
「……ごくまれに、『人には正しい発音が出来ない』呪文もあるわ……あ、これ、ポーク&ビーンズだわ」
 いいかげん暗くて缶詰の文字が読み取れなかったユモは、そう言って、開けた缶詰を上手いこと石組みのかまど・・・に載せ、遠火で炙るようにする。
「大体そういう『発音出来ない呪文』は超ヤバイ奴だから、使う時は本当に注意しなさいってママムティに言われてるけど……これはコンビーフか」
 二つ目に開けた缶詰を脇に置いて、ユモは三つ目を開けにかかる。
「昼前に、『御神木』のところであたしが使った『生ける炎』の呪文、あれなんかがそれよ。あれ、本来は特定の星座が特定の位置に来ないと使えない呪文だけど、『生ける炎』そのものじゃなくて、その周囲の空間に接続するようにママムティがアレンジして発動条件を緩和してあるんだけどね。うっかり『生ける炎』そのものを呼び出すと、とんでもないことになるらしいし……あ、戻って来た?」
 崖の下から、徐々に大きくなる食器のカチャカチャいう音に気付いて、ユモはそちらに目を向ける。
 程なく、いくらか獣っぽくなっている雪風が、勢いよく崖の上に飛び出してきた。

 フライパンにラードを引き、遠火でゆっくりじっくりコンビーフを焙る。ちょうどいい感じに暖まったポーク&ビーンズを器に取り分け、缶入り乾パンにコンビーフを載せて添える。
「さて、戦前の米軍のレーションはどんな味かな、と」
 三人分の『食事』を用意した雪風は、ホクホク顔で倒木に腰を下ろし、カトラリーを手にする。
「拙僧も戴いて、本当にいいのですか?」
「食べちゃダメ、って事でも無いんでしょ?」
 ひと匙、ポーク&ビーンズをすくって、ユモがモーセスに答える。
「誰かをお預け食らわせて、その目の前で食事するほどあたし達は悪趣味じゃないわ」
「そうそう、みんなで食べた方が美味しいに決まってます」
 ユモの後を引き取って、雪風は一言付け足し、匙を口に運ぶ。
「……うん、まあ、悪くはないか」
「いかにもアメリカ、って味だわね」
 件のスペリオル湖畔の一件をはじめとして、19世紀末から20世紀初頭のアメリカに時空跳躍タイムリープすることが比較的多い二人の少女は、『リザーブレーション』と呼ばれるこの時期の米軍携帯食をそう評価した。
「……なるほど……このあたりでは手に入らない食材ばかりですな、これは珍しい」
 同様に一口ポーク&ビーンズを一口啜ったモーセスも、相好を崩す。
「モーリーさんなどは、このような物を毎日召し上がっていたわけですか。なんとも贅沢ですな」
「……毎日コレってのは……」
「……まあ、畜生鍋サノバビッチシチューも似たようなもんだったけど……」
「そういえば、モーリーさんはご一緒ではなかったのですか?」
「あ、ああ、オーガストさんですか?」
「なんか、もう少し仕事してから来るって言ってたわよ」
 さらりと、嘘にならない範囲で、ユモと雪風はごまかす。実際にはオーガスト・モーリーは、自らの『白熊の外套』に冷気を貯め込むため――スラヴの魔女バーバ・ヤガーにもらったその外套は、冷気を貯め込むことは出来るが、流石に冷気を生成する事は出来ない――に夜半頃まで自分の隠れ家に留まると言っていたのだが。
「……で、食事しながら嫌な話しってのもなんだけど、ケシュカルがどうしたの?」
 乾パンを囓りながら、ユモがモーセスに水を向ける。
「……お二人には、お話ししなければなりませんね」
「食べながらで良いわよ」
 食器を置こうとしたモーセスに、ユモが即座に声をかける。
「あたし達も、食べながら聞くから。いいでしょ?」
「お行儀、良くないですけどね」
 ニヤリとするユモ、肩をすくめる雪風に、安堵のため息を漏らしてから、モーセスは話はじめる。

 思わぬ長話、思わぬ経験、思わぬ事実に触れることになってしまった『御神木』の前での一件の後、モーセス・グースは、放置してしまっていたケシュカルの様子を見、昼食に呼び出すため、割り当てられた個室に向かっていた。
 気分は、高揚していた。かつて知り得なかったものを見て、知ったのだ。
 だからこそ。その高揚があったればこそ、モーセス・グースは、居るはずと思い込んでいたケシュカルが部屋に居ないことを知って、動揺した。
 用を足しているか何かで部屋を外しているという可能性は、真っ先に否定された。何故なら、自習していたはずのケシュカルが、その道具をきちんと片付けて――用足しですぐ戻るならともかく、食事その他で一定時間席を外すのなら、本や道具はきちんと片付けるよう指導したのは、何を隠そうモーセス自身である――あったからだ。
 すぐに思いついたのは、時間が時間な事もあって、モーセスが呼びに来るのを待ちきれず勝手に、あるいは誰かに呼ばれて、一人で食堂に向かった可能性だった。一人で勝手に動くことは少々考え辛かったが、あり得ない話ではないとモーセス・グースは思い直す。
 思い直すのだが、それでもなお、高揚の後だからから不必要に強くショックを受けたのだろう、心にむずがゆい不快感を覚えながら、モーセス・グースは足早に食堂に向かった。

 食堂は既に、三々五々集まった同胞団員が食事中であった。食堂では可能な限り静粛を保つのがこの『都』の習わしでもあるので、モーセス・グースは声を出してケシュカルを呼ぶ事はせず、食堂内を見まわしてその姿を探す。
 しかし、モーセス・グースの高身長をもってしても食堂の全てを見通すのは、なおかつ小柄なケシュカルを発見するのは困難であり、つい、モーセス・グースはうめきを漏らした。
「モーセス師範ロード、どうかなさいましたか?」
 そのモーセスに、背後から小声で呼びかける者があった。モーセスは、慌て気味に振り返る。
「ああ、ラモチュン」
 モーセスも、その姿を認めて小声で返事をし、目配せする。下男達に配膳の指示をしていたラモチュンも、その意味を汲んで、頷く。
 互いに一度食堂を出た二人は、改めて話しを続ける。
「誰か、お探しでしたか?」
 ラモチュンは、改めて聞き返す。
「ケシュカル君を、探しています」
 モーセスは、即座に返事する。声が固いのが、自分でも分かった。
「ああ、ケシュカル君。師範ロードは、御存知なかったのですね」
 安堵なのか、単純に大したことないと思ったのか。ラモチュンは、微笑んで答える。
「ケシュカル君は、寺院の貴き宝珠マニ・リンポチェのお部屋に招待されて、会食中です」
「……なんと?」
 今聞いた事がストンとは腑に落ちず、モーセスはラモチュンに聞き返した。
「はい。王子は、ケシュカル君をいたくお気に召された御様子で、是非ともお話しをしたいと。堅苦しくしたくないので、会食しつつが良いのではないかとおっしゃられて、そのように」
「なんと……」
 モーセスは、軽く身を引く。
 その立場からすれば、王子は大変に気安い方ではあるが、それにしても……
「ああ、そうでした」
 ぽんと手を合わせて、ラモチュンは付け足す。
「ペーター・メークヴーディヒリーベ氏も、御一緒されてます」
「……なんと?」
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