西王母の谷-金色にして漆黒の獣魔女、蝕甚を貫きて時空を渡る-Schlucht der Königinmutter des Westens

二式大型七面鳥

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第五章-月齢28.5-

第5章 第68話

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 新しい朝が来た。
 チベットの朝だ。
 朝獲れマーモット肉のあぶりサンドイッチに、健やかに大口を開けて、ユモはがぶりとかぶりつく。
「ん~♡」
 マーモットは、チベットでは普通に食される獣であり、なかなかに美味であるとされる。
 このところ、めっきり『食べられる野草ソムリエ』の腕と鼻が上達しまくっている雪風による、肉を巻いているレタス代わりの香草も、シャキシャキの食感と、ほのかな苦みと辛みが実に旨い。
 夜明けからざっと2時間ほど。夜明け前から活動を始めて巣穴のアタリを付けといた朝駆け作戦で仕留めたマーモットの調理と火起こし、手と顔を洗ってユモを起こして仕度させてからの朝食としては、まあ手際が良かった方だと、リスのようにサンドイッチをほおばるユモの笑顔を見ながら雪風は思い、コーヒーを啜る。
 うららかな、朝。調整しようのない電波式ソーラー腕時計からの換算によると、現地時間でだいたい九時前。
 煮出したコーヒーの濃い匂いを胸と鼻いっぱいに吸い込みつつ、雪風は思う。
――あと、丸一日ちょい、か……――

「ん?」
 マーモット肉とコーヒーで鼻がバカになりかけていた雪風は、しかし、下草を踏みしめる微かな足音が近づいて来るのを鋭敏に聞き取って、三つ目のサンドイッチを咥えたままその方向に向き直った。
 つられて、両手で水筒の蓋を持って砂糖たっぷりのコーヒーを飲んでいたユモも、振り向く。
 緩い斜面を登って現れたのは、ドルマだった。

「ペーター様は……いらっしゃらないのですか?」
 明らかに落胆した顔と声でそう尋ねたドルマに、雪風が答える、軽く既視感デジャヴを感じながら。
「今朝は来てないですよ」
「何よ、一緒じゃなかったんだ」
「それが……」
 ユモにからかい半分に聞かれたことなど流して、ドルマは、
「……先ほどお部屋にうかがったのですが、いらっしゃらなくて」
「んま!」
 明らかに分かった上で、ユモはわざと大げさに驚いてみせる。
「あんた、夜討ち朝駆けとは大したもんね」
「え?」
「じゃなくて」
 イマイチ分かってないドルマと、わかっててからかったのが滑ってむっとしてるユモに苦笑しつつ、雪風が話をまとめようとする。
「ペーター少尉殿、朝から部屋に居ないんですか?」
「ええ……寝具の冷え具合から見て、相当前からお部屋にはいらっしゃらなかったようです。私はてっきり、朝食の準備で早起きされたのだと思っていたのですが……」
「一応聞いておきますけど、ドルマさんはなんでペーター少尉殿の所に?」
「それは、朝食をご一緒させていただこうかと思いまして……私も、町の暮らしが長いので、その、どうにも朝目が覚めて、お腹が、減ってしまいます、ので……」
 自分で言っていて、やっと『朝デートに誘いに自分から男の寝室に乗り込んだ』という捉え方が出来たらしいドルマは、語尾の方がごにょごにょしてしまう。
「……はて、少尉は夕べは、夕食後に私と同じくらいに図書館から自室に戻られたはずですが」
 少し離れた所でパイプをくゆらせていたオーガストが近づいてきて、パイプの中の灰をポンと焚火の中に落とし、冷ましていたコーヒー――の入っている飯盒の蓋――を手に取る。
――ミスタ・メークヴーディヒリーベなら、夕べ遅く部屋を出て『宮殿』に向かわれたようですが?――
 その時、ユモ・雪風・オーガストの耳にだけ、のほほんとしたニーマントの声が届いた。
 うげ。雪風はこの不意打ちに顔が歪むのを隠せず、オーガストに至ってはコーヒーを吹き、むせてしまう。
――あんたねぇ……――
 ユモも、奥歯を噛みしめつつ口の中で呟く。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
 自分の言った内容が、見方によっては思いの外ふしだらな行いだったことに気付いて恥じ入って俯いていたドルマは、幸か不幸か異変の瞬間を目撃せず、咳き込むオーガストの心配をする。
「ああ、いやいや、大丈夫です」
 ハンカチで口元を拭いながら、オーガストが答える。
「……あんたね、そういう大事なこと、なんで黙ってたのよ!」
 ドルマの意識と視線がオーガストに向いているのを確認して、ユモは小声で胸元に語りかける。
「皆さんお休みでしたので。それに、無理矢理連れ出されたのでは無く、ラモチュンさんが呼びに来ていましたので」
「あのねぇ……」
 限界まで声と怒りを絞り込むユモの様子は、ドルマには幸いにも気付かれる事は無かった。

「……ニーマントさん、そういうとこですよ」
 もう一度探してみます、そう言ってドルマが『都』に戻り、絶対に大丈夫と思える程度に離れてから、雪風が言った。
「本当よ!どうしてそんな大事なこと、すぐに言わなかったのよ!」
 輝かないアンシャイニング・多面体トラペゾヘドロンと『源始力マナの泉と知識の書の水晶』、二つの魔石のペンダントをさっきまでテーブルにしていた岩の上に置いたユモも、その前に仁王立ちになってペンダントニーマントめつける。
「そう言われましても」
 これっぽっちも悪びれないニーマントの声が、返事する。
「以前何度か、寝ている時にお声をおかけしたところ、お二人からこっぴどくどやしつけられる事が続きまして以来、私も学習しましたので」
 肉体を持たず、空腹も疲労も感じず、睡眠欲も無いニーマントは当然のように『眠る』という事がなく、故に過去に複数回、就寝中のユモと雪風を何らかの用事で叩き起こしたことがあった。そしてその都度、理由のいかんを問わず、安眠を妨害されてブチ切れた乙女二人から怒濤の勢いの罵詈雑言を浴びせかけられてもいた。
「そりゃそうかもですけど」
 事実は事実なので、雪風はつい、弱気になる。
「時と場合と状況を考えろ、って言ってるのよ!」
 が、ユモはそんな事実はお構いなしだった。
「いくら記憶と肉体が無いからって、あんたどう考えてもあたし達より長く生きてるはずだし、何ならあたし達より『上位』の存在だった可能性だってあるってのに、何なのよその体たらくは!」
 リッグ湖畔での『彼』との経緯から考えても、ニーマントが最初からこの石ころで生まれたわけではなく、むしろ蕃神ばんしんに何らか関係する何者かであった可能性の方が高い。その事について以前、何度か雪風と検討をを重ねていたこともあって、一抹の理不尽を噛みしめつつユモは畳みかける。
「あたし達がダメなら、そうよ、オーガストを起こしても良かったじゃないの!」
「一理ありますな」
 パイプを磨き布ポリッシングクロスで軽く拭いてから内ポケットに仕舞いつつ、オーガストが同意する。
「とはいえ、ミスタ・ニーマントも、悪気があったわけではありますまい」
「悪気でやられちゃたまらないわよ」
「悪気など毛頭もうとうございません」
「とにかくさ」
 話を先に進めようと、雪風が口を挟む。
「ペーター少尉殿は夕べ遅く部屋を出て戻ってない。行き先は宮殿方向、ここまでは間違い無いわけよね」
「そうなりますな」
 オーガストが、頷く。
「私が感じられる範囲を出てしまわれたので、行き先が確かだとは言い切れませんが、副回廊の方を通られましたので、まず間違いないかと」
 ニーマントも、平然と補足する。
 ニーマントが検知可能な範囲は、本人の弁によればおよそ半径50m程、地下都市の各エリアは『井戸』を中心に半径100m程でほぼ等間隔で配置されており、各エリア間も直線距離で100m弱と言ったところになる。
 なお、各エリアは主回廊で数珠つなぎデイジーチェーンになっているほか、『宮殿』から直通する副回廊と、衛生施設に隣接する水場に直通する通用回廊とで繋がっている。『客室』とも呼ばれる『迎賓館』、ユモと雪風を含む外来者や、『都』に定住していない同胞団員の宿泊施設からは『井戸』に向かって左手に衛生施設、右手に寺院への主回廊があり、寺院の先が宮殿になるが、前述の通り宮殿への直通副回廊もあり、主回廊の寺院経由より副回廊の方がわずかに道のり距離が短い。
「……って事はよ?宮殿に住むやんごとなき誰かさんに、ペーター少尉は呼び出されたって事かしら?」
 ユモも、ニーマントを責めるのを止めて、冷静に考える。
「そして、そんな事しそうなやんごとなきやからって……」
「……貴き宝珠マニ・リンポチェ?」
 ユモの言葉を引き取って、雪風が言った。その雪風の目を見て頷きつつも、ユモは
「じゃないかも知れない、他の高官か何かかもだけど、どっちにしても相当に高位の誰かってことは間違いないわよね」
「ミスタ・グースに聞いてみるのが、早そうですかな?」
 オーガストが、提案する。
「でありましたら、私がお引き受けする方が良いような気がしますが?」
「……そうね、その方が自然かもだわね」
 オーガストの問いかけに、顎に手をあてて少し考え込んでから、ユモが答える。
「あたしとユキは、ケシュカルの様子を確認するわ……なんか、胸騒ぎがしてきたもの」
「キナ臭くなってきた、かな?」
 ユモの胸騒ぎを感じ取ったのか、呟いた雪風に、ユモが答えた。
「かも、ね」
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