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第四章-月齢27.5-
第4章 第64話
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その『控えの間』よりやや小さい『閲覧室』の片隅で、『光の王子』貴き宝珠は座っていた。
貴き宝珠は、ペーター少尉が入室するのを見て立ち上がり、笑顔で出迎える。
「改めまして、この『神秘の谷』の『聖なる都』へようこそ、ペーター・メークヴーディヒリーベさん。お名前、覚え間違えていませんでしょうか?」
貴き宝珠は自然な仕草で左手を伸ばし、ペーター少尉はその手を握り返す。
「ご丁寧にありがとうございます、間違いありません。覚えていただき光栄です。私は、貴方を何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「ご自由に呼んで戴いて結構です」
「では、『王子』とお呼びしても?」
「構いません、この都の者の多くもそう呼びます……ペーターさんとお呼びしてもよろしいか?」
王子は、ペーター少尉に客用の椅子にかけるよう促す。ペーター少尉は、勧められるままに用意された座席、この都では珍しい洋風の安楽椅子に腰を下ろし、王子の問いに頷いて答えた。
王子はそのペーター少尉の向かいの椅子、使い込まれてはいるが豪華さも威厳も失っていない刺繍のクッションと細工の施されたフレームを持つ安楽椅子に腰掛け、見るからにリラックスした姿勢をとる。
「ペーターさんはドイツのお方ですね?失礼ですが、あまり聞かない名字ではありませんか?」
「たまに言われます。私にとってはただの名字以外の何でもないのですが、どうやら先祖にmerkwürdigが居たのでしょう」
肩をすくめて言ったペーター少尉に、王子はくすくすと小さく笑って返す。
微笑みをたたえた表情を変えぬまま、王子は傍らのテーブルにかけられていた絹のカバーをめくる。
「……まずは、これをお返ししなければなりません」
カバーの下にあったものを見て、ペーター少尉は息を呑む。それは、テオドール・イリオンのインタビューをまとめた、ペーター少尉のキャンプの引き出しから奪取されたあの書簡だった。
「強奪するような事になってしまったこと、深くお詫びします。この『都』に関する事は全て、この私の責任に帰するのですから」
「いえ、そのような……」
座ったままとはいえ、深く頭を垂れた王子に、ペーター少尉は椅子から立ち上がり、その前に跪く。
「お顔をお上げください、王子。私は、書簡が手元に戻ればそれでよいのですから」
「寛大な心遣い、感謝します」
顔を上げた王子は、サイドテーブルから書簡を取ると、ペーター少尉に手渡す。
「確かに、お返しします。読ませてはいただきましたが、棄損はいたしていませんのでご安心ください」
「はい。それはもう、ありがとうございます」
無礼のないよう気を付けて受け取りつつ、ペーター少尉はもう一つの『強奪されたもの』について口に出すべきかどうか、逡巡する。
「……わかっています。もう一つ、『化石』の事ですね」
ペーター少尉の心を読んだかのごとく、王子が口にする。ペーター少尉は驚き、直後、しまった顔に出ていたか、と臍を噛む。
「大変申し訳ないのですが、そちらは今すぐお返しするわけにはいかないのです。あれは、そもそもこの土地のものですし、この都に一人、あれを持ち出すことに反対するものが居るのです」
「それは……」
件の化石、発掘物がこの土地のものと言われてしまえば、それはそうだ。ペーター少尉は、どう返答したものか、迷う。
「私は、あのようなものはお渡ししても構わないと思うのですが……その者はそれなりにこの都で発言権のある者で、お見苦しいお話で申し訳ありません」
「いえ、土地のものをみだりに持ち出してトラブルになる例は枚挙に暇がありません。心してはいましたが、むしろこちらの落ち度かと思います」
「そう言っていただけると、少し肩の荷が下ります。ペーターさんは、お優しくて聡明で、高貴な方でいらっしゃる。聞いていたとおりですね」
言って、くすくすと王子は微笑む。
「お褒めいただき光栄です、身に余ります」
「ご謙遜を」
言って、ふーっと息を軽く吐きながら、王子は椅子にもたれる。
「そのペーターさんがこのような辺鄙な土地に入らした理由、お聞きしてもよろしいか?」
話が本題に入った。ペーター少尉は、これは『靴下を引き上げて』かからないと、と胸の奥で思い直す。
「お国の指示により、チベットにあるとされる神秘についての先行調査をされている、政府の公式資料等からは、そのように読み取れますが、如何か?」
「それは、その通りです」
答えながら、ペーター少尉は、脇や背筋に汗をかくのを感じる。王子の言葉の意味はつまり、『都』はチベット政府と繋がりがある、相当なレベルの機密資料であっても閲覧可能な立場にある、そう言っているに等しい。
「公的には、高地民族であるチベット人の身体機能であったり、その文化的、社会的基盤となる土地や信仰、遺跡などの調査という事になっていたと覚えますが、チベットの神秘をお国は手に入れて、何とするのでしょう?」
ペーター少尉は、唇を舐める。いきなり、正念場だ。
「正直に申し上げます。党の目的は、『アーリア人仮説』の検証と、エネルギー源としての『ヴリル・パワー』です」
居住まいを正して、ペーター少尉は言う。
「欧州において、植民地も少なく、資源に乏しい我が国が今後繁栄する為の生命線として、党は資源の確保を重要視しています。石炭石油はもちろんですが、未だ正体不明、存在するかもわからないヴリル・パワーであっても、利用できるものなら藁にもすがりたい、それが党の包み隠さない本心です」
一気にまくしたて、大きく一呼吸入れてから、ペーター少尉は王子の目を見て言葉を続ける。
「党のアーリア人仮説に関するあれこれは、聡明なる光の王子におかれましては、ある程度はお聞き及びと思います。党は、理想人種と言って良いアーリア人という存在の末裔としてのゲルマン民族、優性種としてのゲルマン・アーリア人種というプロパガンダを用いて民衆を導いています。その延長線上にあるのがヴリル・パワーであり、夢の国シャンバラです。これらの理想を実現しゲルマン民族の威光を示す為、党の先鋭的な一部急進派は日夜努力しています。しかし」
ペーター少尉は、もう一度唇を舐める。
「私は、シャンバラが実在し、ヴリル・パワーが存在し、アーリア人なるものがかつて本当にいたのならば、ゲルマン民族に限らず、この地上の全ての人類がその理想人種、理想社会を目指すべきと考えます。そのような、人類史の至宝と言って良いものがあるのであれば、それはゲルマン民族だけで独占すべきではない。全ての人類がその恩恵にあずかるべきであり、そうしてこそ世界は本当の楽園になる、そう思うのです」
そこまで言って、ペーター少尉はちょっとだけ、皮肉気味の笑みを浮かべる。
「とはいえ、このような思想はまだ私個人のもの、党は国家としてのドイツを立て直し運営するので精いっぱい、今の世界情勢を鑑みるに、敵国になるかもしれない欧米各国をも利するような私の考え方は、党にとっては危険思想、反動分子ととらえられかねないものでもあります。大変に、口惜しいことです……が!」
ペーター少尉の目が、もう一度、王子の目を射抜く。
「今、私はこうして、その神秘の一端に触れんとしていると確信しています。であれば、その神秘の何たるかを是が非でも解き明かし、もしそれが党を利して世界に仇成すものであれば、いずれ充分に時が満ちるまでその真相をこの胸にのみ納めて世界の成熟を待つ。そのために、党には嘘はつかずとも全てをつまびらかにすることはしない、党に対する裏切りと言われようと、人類そのものを裏切らないためにはそうせざるを得ない、この地の何たるかに触れる可能性を見いだした今、私の取るべき道はこれしかない、そう決心しています。なんとなれば、その秘密を知るものが私一人であるならば、その秘密を護り通すのもまた私一人だけで良い。私が口をつぐめば、私の他に知るものは居ない。それが故に、私は部下を伴ってはこの地に来なかった……私の目的と党の目的に齟齬があるのは哀しいことですが、私には、こうすることが最善であると、そう思えるのです」
やや身を乗り出し、腰を浮かせて興奮気味に一気呵成にまくし立てたペーター少尉は、深く息を吸って椅子に深く腰掛け直すと、膝に肘をついて話を続ける。
「実の所、私は、この地下都市が『シャンバラ』、カルキ王が治め、カースト制を否定した伝説の王国であるとは、今は思っていません」
ペーター少尉は、先ほど手渡された書簡に目を落しながら、言う。
「ここに来るまでは、もしかしたらと思っていました。イリオンの言う『神秘の谷』、その地下都市こそ伝説のシャンバラ、あるいはその一部ないし入り口なのでは、と。しかし、ここは違います。規模もそうですが、伝説の仏教都市とは、浅学とは言え私の知る仏教的なそれとは、あまりにかけ離れている……ですが、シャンバラではないのかもしれませんが、それでもここは、私にとっては充分以上に魅力的にすぎる」
顔を上げたペーター少尉は、真顔で貴き宝珠に向き直る。
「……ここのエナジーは、一体、何ですか?」
貴き宝珠は、ペーター少尉が入室するのを見て立ち上がり、笑顔で出迎える。
「改めまして、この『神秘の谷』の『聖なる都』へようこそ、ペーター・メークヴーディヒリーベさん。お名前、覚え間違えていませんでしょうか?」
貴き宝珠は自然な仕草で左手を伸ばし、ペーター少尉はその手を握り返す。
「ご丁寧にありがとうございます、間違いありません。覚えていただき光栄です。私は、貴方を何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「ご自由に呼んで戴いて結構です」
「では、『王子』とお呼びしても?」
「構いません、この都の者の多くもそう呼びます……ペーターさんとお呼びしてもよろしいか?」
王子は、ペーター少尉に客用の椅子にかけるよう促す。ペーター少尉は、勧められるままに用意された座席、この都では珍しい洋風の安楽椅子に腰を下ろし、王子の問いに頷いて答えた。
王子はそのペーター少尉の向かいの椅子、使い込まれてはいるが豪華さも威厳も失っていない刺繍のクッションと細工の施されたフレームを持つ安楽椅子に腰掛け、見るからにリラックスした姿勢をとる。
「ペーターさんはドイツのお方ですね?失礼ですが、あまり聞かない名字ではありませんか?」
「たまに言われます。私にとってはただの名字以外の何でもないのですが、どうやら先祖にmerkwürdigが居たのでしょう」
肩をすくめて言ったペーター少尉に、王子はくすくすと小さく笑って返す。
微笑みをたたえた表情を変えぬまま、王子は傍らのテーブルにかけられていた絹のカバーをめくる。
「……まずは、これをお返ししなければなりません」
カバーの下にあったものを見て、ペーター少尉は息を呑む。それは、テオドール・イリオンのインタビューをまとめた、ペーター少尉のキャンプの引き出しから奪取されたあの書簡だった。
「強奪するような事になってしまったこと、深くお詫びします。この『都』に関する事は全て、この私の責任に帰するのですから」
「いえ、そのような……」
座ったままとはいえ、深く頭を垂れた王子に、ペーター少尉は椅子から立ち上がり、その前に跪く。
「お顔をお上げください、王子。私は、書簡が手元に戻ればそれでよいのですから」
「寛大な心遣い、感謝します」
顔を上げた王子は、サイドテーブルから書簡を取ると、ペーター少尉に手渡す。
「確かに、お返しします。読ませてはいただきましたが、棄損はいたしていませんのでご安心ください」
「はい。それはもう、ありがとうございます」
無礼のないよう気を付けて受け取りつつ、ペーター少尉はもう一つの『強奪されたもの』について口に出すべきかどうか、逡巡する。
「……わかっています。もう一つ、『化石』の事ですね」
ペーター少尉の心を読んだかのごとく、王子が口にする。ペーター少尉は驚き、直後、しまった顔に出ていたか、と臍を噛む。
「大変申し訳ないのですが、そちらは今すぐお返しするわけにはいかないのです。あれは、そもそもこの土地のものですし、この都に一人、あれを持ち出すことに反対するものが居るのです」
「それは……」
件の化石、発掘物がこの土地のものと言われてしまえば、それはそうだ。ペーター少尉は、どう返答したものか、迷う。
「私は、あのようなものはお渡ししても構わないと思うのですが……その者はそれなりにこの都で発言権のある者で、お見苦しいお話で申し訳ありません」
「いえ、土地のものをみだりに持ち出してトラブルになる例は枚挙に暇がありません。心してはいましたが、むしろこちらの落ち度かと思います」
「そう言っていただけると、少し肩の荷が下ります。ペーターさんは、お優しくて聡明で、高貴な方でいらっしゃる。聞いていたとおりですね」
言って、くすくすと王子は微笑む。
「お褒めいただき光栄です、身に余ります」
「ご謙遜を」
言って、ふーっと息を軽く吐きながら、王子は椅子にもたれる。
「そのペーターさんがこのような辺鄙な土地に入らした理由、お聞きしてもよろしいか?」
話が本題に入った。ペーター少尉は、これは『靴下を引き上げて』かからないと、と胸の奥で思い直す。
「お国の指示により、チベットにあるとされる神秘についての先行調査をされている、政府の公式資料等からは、そのように読み取れますが、如何か?」
「それは、その通りです」
答えながら、ペーター少尉は、脇や背筋に汗をかくのを感じる。王子の言葉の意味はつまり、『都』はチベット政府と繋がりがある、相当なレベルの機密資料であっても閲覧可能な立場にある、そう言っているに等しい。
「公的には、高地民族であるチベット人の身体機能であったり、その文化的、社会的基盤となる土地や信仰、遺跡などの調査という事になっていたと覚えますが、チベットの神秘をお国は手に入れて、何とするのでしょう?」
ペーター少尉は、唇を舐める。いきなり、正念場だ。
「正直に申し上げます。党の目的は、『アーリア人仮説』の検証と、エネルギー源としての『ヴリル・パワー』です」
居住まいを正して、ペーター少尉は言う。
「欧州において、植民地も少なく、資源に乏しい我が国が今後繁栄する為の生命線として、党は資源の確保を重要視しています。石炭石油はもちろんですが、未だ正体不明、存在するかもわからないヴリル・パワーであっても、利用できるものなら藁にもすがりたい、それが党の包み隠さない本心です」
一気にまくしたて、大きく一呼吸入れてから、ペーター少尉は王子の目を見て言葉を続ける。
「党のアーリア人仮説に関するあれこれは、聡明なる光の王子におかれましては、ある程度はお聞き及びと思います。党は、理想人種と言って良いアーリア人という存在の末裔としてのゲルマン民族、優性種としてのゲルマン・アーリア人種というプロパガンダを用いて民衆を導いています。その延長線上にあるのがヴリル・パワーであり、夢の国シャンバラです。これらの理想を実現しゲルマン民族の威光を示す為、党の先鋭的な一部急進派は日夜努力しています。しかし」
ペーター少尉は、もう一度唇を舐める。
「私は、シャンバラが実在し、ヴリル・パワーが存在し、アーリア人なるものがかつて本当にいたのならば、ゲルマン民族に限らず、この地上の全ての人類がその理想人種、理想社会を目指すべきと考えます。そのような、人類史の至宝と言って良いものがあるのであれば、それはゲルマン民族だけで独占すべきではない。全ての人類がその恩恵にあずかるべきであり、そうしてこそ世界は本当の楽園になる、そう思うのです」
そこまで言って、ペーター少尉はちょっとだけ、皮肉気味の笑みを浮かべる。
「とはいえ、このような思想はまだ私個人のもの、党は国家としてのドイツを立て直し運営するので精いっぱい、今の世界情勢を鑑みるに、敵国になるかもしれない欧米各国をも利するような私の考え方は、党にとっては危険思想、反動分子ととらえられかねないものでもあります。大変に、口惜しいことです……が!」
ペーター少尉の目が、もう一度、王子の目を射抜く。
「今、私はこうして、その神秘の一端に触れんとしていると確信しています。であれば、その神秘の何たるかを是が非でも解き明かし、もしそれが党を利して世界に仇成すものであれば、いずれ充分に時が満ちるまでその真相をこの胸にのみ納めて世界の成熟を待つ。そのために、党には嘘はつかずとも全てをつまびらかにすることはしない、党に対する裏切りと言われようと、人類そのものを裏切らないためにはそうせざるを得ない、この地の何たるかに触れる可能性を見いだした今、私の取るべき道はこれしかない、そう決心しています。なんとなれば、その秘密を知るものが私一人であるならば、その秘密を護り通すのもまた私一人だけで良い。私が口をつぐめば、私の他に知るものは居ない。それが故に、私は部下を伴ってはこの地に来なかった……私の目的と党の目的に齟齬があるのは哀しいことですが、私には、こうすることが最善であると、そう思えるのです」
やや身を乗り出し、腰を浮かせて興奮気味に一気呵成にまくし立てたペーター少尉は、深く息を吸って椅子に深く腰掛け直すと、膝に肘をついて話を続ける。
「実の所、私は、この地下都市が『シャンバラ』、カルキ王が治め、カースト制を否定した伝説の王国であるとは、今は思っていません」
ペーター少尉は、先ほど手渡された書簡に目を落しながら、言う。
「ここに来るまでは、もしかしたらと思っていました。イリオンの言う『神秘の谷』、その地下都市こそ伝説のシャンバラ、あるいはその一部ないし入り口なのでは、と。しかし、ここは違います。規模もそうですが、伝説の仏教都市とは、浅学とは言え私の知る仏教的なそれとは、あまりにかけ離れている……ですが、シャンバラではないのかもしれませんが、それでもここは、私にとっては充分以上に魅力的にすぎる」
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