上 下
60 / 108
第四章-月齢27.5-

第4章 第59話

しおりを挟む
「良い手際ですね……マーモットかな?」
「え?ああ、これ、これがマーモットだったのか。カピバラの仲間かと思った」
 あらかた解体の終わったマーモットの枝肉を一旦手近な木に吊してコーヒーを飲んでいた雪風は、少し離れた所にあるその毛皮と頭を見ながら、ペーター少尉の言葉に答えた。
「手際なんてよくないですよ、見よう見まねで。ただ、ここんとこ、こんなんばっかりなんで、慣れてきてはいますけどね」
 言って、ペーター少尉に褒められた雪風ははにかむ。数頭のマーモットを血抜きし解体した割には、付近には生臭さは殆ど漂っていない。乾燥した高地の大気がそうさせるのだろう、ペーター少尉はその理由を、そう考えた。もちろん、雪風が『獣の姿で』獲物を捕らえ、その場で即座に血抜きし、不要な内臓も捨てていた――肝臓などは『役得』としてその場で戴いた――事も大きな理由だなどとは、ペーター少尉が気付くはずも無い。
「あたしの田舎、今でも凄い山奥で。里帰りするとたまに熊とか鹿とか解体手伝わされるから……こんな所で役に立つとは思わなかったけど」
「熊や鹿、ですか?ユキ・タキ嬢フロイライン ユキ・タキのご親族は、狩人イェーガーなのですか?」
「狩人って程じゃないです、みんな普通の林業のかたわらに、趣味でやってるくらいです」
 言って、雪風は水筒のコップに注がれたコーヒーを飲み干す。
「……さて、続きやっちゃうか」
「何を、作るのですか?」
「とりあえず、夕飯用にスープを。まあ、具材も調味料も乏しいんですけど。それと、余った分は燻製にして、明日の朝食にでも回そうかなって」
「それは凄い」
「って言うほどのものじゃないですよ。あ、ペーター少尉殿も、夕飯、ご一緒しますよね?」
「私も?」
アレ・・、ダメでしょう?」
 雪風は直接言わなかったにもかかわらず、ペーター少尉はその言わんとするところを瞬時に理解し、胃がむかつくのを感じた。
「……ええ、よろしければ、ご一緒させていただきたいかと」
「じゃあ、三人前……あ、オーガストさん入れて四人前か。肉、残らないかな?」
 マーモットは大体体重が五キロ前後、可食部だけならその半分どころか、三分の一にも満たない。
「まあいいか」
 言いながら立ち上がった雪風は、どこから出したのか、手に持った大型ナイフ――ペーター少尉にはなじみのない『出刃包丁』に扮した『れえばていん』――で、マーモットの枝肉からすいすいと肉を剥がし始め、剥がしたそばからぶつ切りにして飯ごうコッヘルにぶち込む。
「……飯ごう、足りるかな?」
 本来は雪風とユモの二人分の飯ごう二個に肉を適量放り込み、しかしスープを作るにはちょっと鍋が足りないかもと思った雪風のつぶやきに、ペーター少尉が反応する。
「私のコッヘルも持って来ましょう、ちょっと待ってて下さい」
 言って、立ち上がって尻をはたいてから、ペーター少尉は小走りに崖下に向かった。
「あ、少尉殿ぉ!」
 その背中に、雪風は呼びかける。
「ついでに、お水、少し余計に汲んできてくれます?」

「失礼します……ペーター様は……いらっしゃらないようですね」
 ノックし、ユモと雪風の個室の入室許可を伺った後に扉の向こうから顔を出したドルマは、その室内を一瞥して、やや残念そうにそう言った。
「こっちには来てないわよ。図書室に居るんじゃなかったっけ?」
 何やら手を動かし、視線も手元に落したままのユモが、振り向きもせずにドルマに答える。
「退出されたと、モーセス師範ロードにうかがいました……こちらに寄られたわけではないのですね」
「来てないわね」
 自分の服、黒いワンピースの裏地、将来を見越して余裕を持たせてあるそれの一部を細長く、注意深く銃剣バヨネットで――洋裁ハサミなど、ここにはあるはずがない――切り出しながら、ユモはつっけんどんに答える。
 答えて、一息ため息をつくと、なんとなく、銃剣バヨネットから離した右手でワンピースの胸元奥のペンダントをいじる。
「……来てないけど、ちょっと前、コッヘルとか抱えて部屋から出てきたから、外でコーヒーでも飲んでるんじゃないかしら?」
 ユモは、顔をドルマに向け、ニヤリと笑う。
「火、熾すのに手間取ってるのかも。今行けばお呼ばれ出来るかもよ?」
「え……あ、はい、そうですね、私、外を見てきます」
 虚を突かれた表情だったドルマは、じわじわとユモの言わんとする事が理解出来たのだろう、踵を返すとぱたぱたと小走りに部屋を出て行く。
「……お優しい事ですね」
「そりゃね。恋する女は応援してあげたいじゃない?」
 胸元から軽い皮肉を飛ばしたニーマントに、ユモも返す。
「恋する女、ですか」
「そうよぉ。『魔女の館ヘキセンハウゼン』の魔女見習いとして幾多の恋バナを聞いてきた、このユモ・タンカ・ツマンスカヤ様の目に狂いはないわ」
 ユモの母、魔女リュールカ・ツマンスカヤが切り盛りする『魔女の館ヘキセンハウゼン』は、地元メーリング村ではよろず相談所兼占いの館としての営業も行っている。
「あんたが『ミスタ・メークヴーディヒリーベは何かしら部屋から持ち出して外に向かったようです』なんて『耳打ち』するから。あの少尉さんが外で出来る事って言ったら、コーヒー淹れるくらいしかなさそうだもの」
 言って、ユモは、ぽつりと付け足す。
「……ユキと鉢合わせなけりゃ良いけど」
「鉢合わせると、まずいですか?」
「どうかしらね……」
 ニーマントの素直な疑問に、ユモは頬杖をついて考える。
「ユキの事だから、滅多なことはないと思うけど……こっちが知ってることを、今はまだ知られたくない感じよね」
「なるほど……とはいえ、ミスタ・メークヴーディヒリーベが外で火を焚くのに悪戦苦闘したとしたら、遅かれ早かれユキカゼさんに見つかって、きっと手助けされてしまうでしょうね」
「で、そこにドルマさんが出っくわす、と」
「ミスタ・メークヴーディヒリーベが居るのなら、互いにボロを出すような事は控えると思いますが?」
「それもそうか」
「ご心配なら、こちらから念話で聞いてみては?」
「それこそ、目の前で不自然なことさせちゃうかもじゃなくて?いいわ、信用してしばらくほっときましょ」

「ペーター様、ここにいらっしゃいましたか……何を、していらっしゃるのですか?」
 不意にラモチュンに声をかけられて、水音でラモチュンの接近に気付いていなかったペーター・メークヴーディヒリーベ少尉はちょっとドキリとして顔を上げた。
「あ、これはラモチュンさん。いえ、水を汲んでいるだけですが……いけなかったですか?」
「そういうわけではありませんが。水を汲むだけなら……汲んだ水を、どうされるのかと思いまして」
「……コーヒーを淹れようと思いまして」
 ラモチュンの質問に、ちょっと考えてペーター少尉は答えた。マーモットの肉を煮るため、というのはここでは言うべきではない。
「そうですか……お話ししたと思いますが」
「部屋の中ではやりませんよ」
 ラモチュンの先を制して、ペーター少尉が答える。
「火は外で焚きます」
「結構です。本当は、嗜好品の類いはこの都にいる間は控えていただきたいところですが、ペーター様は経緯が経緯ですので。この都に、貴き宝珠マニ・リンポチェへの謁見を求めて来る他の方々と扱いが違うのも道理、許されるでしょう」
「それは、有り難い事です」
 ペーター少尉は、本心からそう礼を言う。この都では、コーヒー紅茶の類いは元より、バター茶プージャすら見かけたことがない。
 水筒の蓋を閉めながら、ペーター少尉は立ち上がる。
「では、私はこれで」
貴き宝珠マニ・リンポチェが、お会いになるそうです」
「……なんと?」
 顔を合わせず、呟くように言ったラモチュンのその一言を、すれ違いざまに聞いたペーター少尉は一瞬内容を理解出来ず、一拍置いてからようやっと聞き返した。
貴き宝珠マニ・リンポチェに、拝謁賜れるのですか?」
「はい」
 驚きと期待と、本人も意識出来ていないわずかな不安がないまぜになった表情で聞き返したペーター少尉に、ラモチュンは細い目をさらに細めて微笑み、頷く。
「それは……ええ、有り難い、光栄です。そうだ、他のみんなにも伝えなければ……」
「申し訳ありませんが、他言無用にお願いします」
 早速、ユモと雪風、オーガストの居室に向かって走り出しそうなペーター少尉の機先を制して、ラモチュンは忠告する。
「謁見のゆるしが出ているのは、ペーター様、あなたお一人です。他の方は、そもそも謁見の申し出をされていません」
「ああ……」
 確かに、そうだ。ペーター少尉自身は、奪われた書簡の件、発掘物の件もあって謁見を申し出ているが、ユモと雪風、オーガストは目的の違いからか、貴き宝珠マニ・リンポチェへの謁見は、少なくともペーター少尉の知る限り、要求していない。
「……わかりました。この事は、他言無用。了解しました」
「結構です。お手間をお掛けしますが、よろしくお願いいたします。お時間については、まだ微調整しておりますので、後ほど改めてお迎えに上がります……ああ、他言無用は、お連れの方々だけではなく、この都の全ての者に対してですので、よろしくご承知おきください」
「都の他の方にも、ですか?それでは……」
「はい」
 ラモチェンは、にこりと頷いて、答える。
「モーセス師範ロードや、ドルマにも、です」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

とある元令嬢の選択

こうじ
ファンタジー
アメリアは1年前まで公爵令嬢であり王太子の婚約者だった。しかし、ある日を境に一変した。今の彼女は小さな村で暮らすただの平民だ。そして、それは彼女が自ら下した選択であり結果だった。彼女は言う『今が1番幸せ』だ、と。何故貴族としての幸せよりも平民としての暮らしを決断したのか。そこには彼女しかわからない悩みがあった……。

隠された第四皇女

山田ランチ
ファンタジー
 ギルベアト帝国。  帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。  皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。 ヒュー娼館の人々 ウィノラ(娼館で育った第四皇女) アデリータ(女将、ウィノラの育ての親) マイノ(アデリータの弟で護衛長) ディアンヌ、ロラ(娼婦) デルマ、イリーゼ(高級娼婦) 皇宮の人々 ライナー・フックス(公爵家嫡男) バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人) ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝) ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長) リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属) オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟) エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟) セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃) ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡) 幻の皇女(第四皇女、死産?) アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補) ロタリオ(ライナーの従者) ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長) レナード・ハーン(子爵令息) リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女) ローザ(リナの侍女、魔女) ※フェッチ   力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。  ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。

女性として見れない私は、もう不要な様です〜俺の事は忘れて幸せになって欲しい。と言われたのでそうする事にした結果〜

流雲青人
恋愛
子爵令嬢のプレセアは目の前に広がる光景に静かに涙を零した。 偶然にも居合わせてしまったのだ。 学園の裏庭で、婚約者がプレセアの友人へと告白している場面に。 そして後日、婚約者に呼び出され告げられた。 「君を女性として見ることが出来ない」 幼馴染であり、共に過ごして来た時間はとても長い。 その中でどうやら彼はプレセアを友人以上として見れなくなってしまったらしい。 「俺の事は忘れて幸せになって欲しい。君は幸せになるべき人だから」 大切な二人だからこそ、清く身を引いて、大好きな人と友人の恋を応援したい。 そう思っている筈なのに、恋心がその気持ちを邪魔してきて...。 ※ ゆるふわ設定です。 完結しました。

投擲魔導士 ~杖より投げる方が強い~

カタナヅキ
ファンタジー
魔物に襲われた時に助けてくれた祖父に憧れ、魔術師になろうと決意した主人公の「レノ」祖父は自分の孫には魔術師になってほしくないために反対したが、彼の熱意に負けて魔法の技術を授ける。しかし、魔術師になれたのにレノは自分の杖をもっていなかった。そこで彼は自分が得意とする「投石」の技術を生かして魔法を投げる。 「あれ?投げる方が杖で撃つよりも早いし、威力も大きい気がする」 魔法学園に入学した後も主人公は魔法を投げ続け、いつしか彼は「投擲魔術師」という渾名を名付けられた――

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

処理中です...