西王母の谷-金色にして漆黒の獣魔女、蝕甚を貫きて時空を渡る-Schlucht der Königinmutter des Westens

二式大型七面鳥

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第四章-月齢27.5-

第4章 第52話

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「それ以降、事ある毎に拙僧は『赤の女王』を探しました。無論、布教活動の一環の範囲で、ですが。しかし、捜し物というのは探している時は出てこないものです。これと言った手がかりも得られぬまま、無為に拙僧は時間を浪費していました。いや、浪費しているように思っていたのです」
「そんなある日、拙僧は貧民窟スラムの片隅で葬式に出くわしました……ああ、もちろん、当時の拙僧のような、白人の、彼らにしてみれば異教徒の宣教師が貧民窟スラムをうろつくなど、相応の危険を覚悟しなければならないことであり、仲間の宣教師達はあまり近づきたがりませんでした。しかし、有り難い事に拙僧は、恵まれたこの体躯がありましたので、危ない目にあったことはありませんでした」
「その葬式は、葬式自体は別段これといって代わり映えのないものでした。ありふれた、貧民窟の日常、そう言ってすらよい光景でありました。ただ、一つだけ違っていたのは、拙僧のように遠巻きにその様子を眺める人々の中に、彼女がいたことでした」
「拙僧にはすぐに分かりました。深紅のサリーを纏い、顔にも垂らしたその布地から見え隠れする黒い肌の口元は妖艶に紅く、体つきは思いの外ふくよかでありながらも絶妙に男好きのする、一目見たら目を離せなくなる年増女。貧民窟には似つかわしくない、高価であろう、金糸の刺繍の入った絹のサリー。象牙と貴金属がふんだんに使われたアクセサリー。水タバコシーシャとシナモンと、それに蜂蜜のフレグランスの入り混じった、独特の甘い香り……拙僧以上に、貧民窟には似つかわしくないその出で立ちと、拙僧の知る誰よりも黒い肌。そして、拙僧の視線に気付き、こちらを向いて顔にかかるサリーを少しだけ上げた時に見えた、慈愛と、悦びに満ちたその目、その微かな微笑み。明らかにそれは、この貧民窟で生活する者では、いえ、なんとなればこのインド帝国ですら彼女の母国たり得ない、そのような雰囲気を纏っていました」
「そうです。彼女は、微笑んでいたのです。拙僧は、違和感を感じました。何故なら、この葬儀に対しては異教徒である拙僧であっても、厳粛に、十字こそ切りませんでしたが、死者を悼む気持ちになりこそすれ、笑顔になる要素など何一つないと思われたのですから。ですから、拙僧の視線に気付き、小首を傾げた彼女に、拙僧は聞いてしまったのです。聞かずにおれなかったのです」

「……率爾そつじながら、不躾ぶしつけを承知でお尋ねします。何故、貴方はあの葬儀を見て、そのように微笑んでいらっしゃるのですか?」
 拙僧は、ヒンドゥの言葉でそう聞きました。
「あら、お気に触ったのかしら?」
 しかし、彼女の返事は、英語で帰ってきました。その事自体は、英語である事自体は、さほど驚きはしませんでした。インド帝国は、大英帝国の領土でもあるのですから。しかし、その美しい、完璧な英国英語クイーンズイングリッシュには、少々驚くとともに、その耳触りの良い言葉の響きに、はっきりと拙僧は魅了されてしまいました。
「いいえ、そうではありません。そうではありませんが……気になったのです」
 拙僧は、彼女の視線に気圧されつつも、重ねて聞きました。
「何故、嬉しそうなのですか?」
 しばし、彼女はじっと拙僧の目を見つめ、そして、その視線を葬儀の人混みに向けました。
「あそこで行われているのは、何かしら?」
「……葬儀、葬式ではありませんか?」
 拙僧は、もしかしたら違うのかも?と、不安を感じながら、答えました。
「そう。お葬式……すばらしいことではなくて?」
 こちらに振り向いた彼女に何と答えるべきか、拙僧は言葉を選ぶことが出来ず、ただ吸い込まれそうに黒い彼女の瞳を見ておりました。
「あの人だかりの中心には、自分の死、生命現象の終了をもって、周りにこれだけの影響を与えているものが存在する。そして、その周囲には、悲しみ、哀れみ、そういった感情に心を震わせる、感情をたかぶらせるもの達がいる……自分の死をもって、これだけの数の感情を昂ぶらせる、素晴らしい事だとは思わなくて?」
「それは……」
 先ほどとは違う意味で言葉を失い、拙僧は返事に詰まりました。その拙僧に、彼女はたたみかけました。
「役者は演技で、音楽家は楽器で、あなた達宗教家は説法で人の心を昂ぶらせるのでしょう?けれど、あのような」
 もう一度、彼女は視線を葬儀の中心に戻しました。
「何も持たない、こんな貧民窟に住むしかない者に、周りの感情をここまで昂ぶらせるような機会が、果たして今まであったかしら?あるいは、そんな手腕を持っていたかしら?」
 言葉を切って、彼女は拙僧の目を覗き込むのです。拙僧は、こう答えるしかありませんでした。
「……そのような機会は、きっと、なかったでしょう。そして、そのような手腕もなかったことでしょう」
「でしょう?そうでしょう?」
 嬉しそうに、彼女の声も昂ぶりました。
「これは、素晴らしい事ではなくて?己の死をもって、周囲にこれだけの影響を与えるなんて。己の生命現象の終焉のその瞬間をもって、己の生きた時間の全てをこの瞬間に注ぎ込み、これだけの情動をかき乱せるなんて。ああ、なんて素晴らしい。人という生き物は、なんと素晴らしくて、興味深くて、愛らしいのかしら……貴方は、そうは思わなくて?」
 今にして思えば、彼女のその物言いは、まるで自分は人では無いかのようでしたが、その時の拙僧には、そんな事を思う余裕はありませんでした。
 何故なら、今まで思った事もない価値観、物の見方に、心を鷲掴みにされていたからです。その時までの拙僧にとって、人の死とは、葬儀とは、厳粛にして悼み哀しむべき物であって、素晴らしいものという価値観は存在しなかったのですから。
 どれくらい拙僧はその思いに捕らわれていたのか、気が付くと、その女性は拙僧の視界から消えておりました。拙僧の脳裏に、忘れ得ない衝撃と、水タバコシーシャと蜂蜜の甘く濃厚な香りを残して。

 その日以降、拙僧は、時折ですが、彼女の視線を感じるようになりました。それは、辻説法の合間であったり、教会でのミサの最中であったり、色々ではありましたが、不思議と、視線の出所を探してもその姿を見つける事は出来ませんでした。
 そうかと思えば、街角で、食事処で、あるいは極まれに訪れる酒場で、赤い服を着た黒い肌の女性を見かけることが何度か重なりました。偶然と言えばそれまでですし、その方と目を合わせることもほとんどありませんでしたし、何しろ、見かける度に、共通するのは赤い服と黒い肌だけで、服の形も、体つきも、その度に違うのです。
 しかしながら、私の知るどのインド人よりも黒いその肌と、遠く離れていても微かに香る水タバコシーシャと蜂蜜の香りは、常に拙僧に、あの貧民窟スラムの葬儀でであった女性を思い出させたのです。

 拙僧は、漠然とした不安を感じていました。そのつもりはなかったのですが、傍目には、布教に身が入っていないようにも見えたのでしょう。司祭にも、何か悩み事でもあるのかと心配されました。後で知ったのですが、この時期、拙僧以外の仲間達も、司祭を含めほとんどの者が一度は彼女とまみえていたようでした。場所も、状況も様々でしたが、常識の外からの何かを見せつけられる、そういう内容の遭遇である事は共通していました。そして、殆どの者は、その事自体を笑い飛ばしていた事も。
 拙僧も、そうしようと努めました。司祭にも、洗いざらいお話した後、そのような異教徒の世迷い言に気を許してはならないと、厳しくお叱りを受けました。仲間に話しても、皆笑って、あるいは真顔で、それこそは悪魔の誘惑だ、ゆめゆめ心を許してはならないと言ってのけたものです。
 拙僧も、頭ではそう思おうと努めました。しかし、これも後で知ったことですが、最初の出会い以降に彼女らしき影が見えるのは、拙僧の他には居なかったのです。

 そして、遂に拙僧は、拙僧の人生を変えることになるその日を迎えるのです。あの、懺悔室で取り交わした短い、しかし、今でも確かな答えの出ない問答を。
 それこそが、今の拙僧、主イエス・キリストへの崇拝もありつつチベット密教に帰依し、さらには『外なる神々アウター・ゴッズ』についても学び続ける、モーセス・グースという人間の転機であったのです。

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お目汚しですが、『赤の女王』はこんなイメージ、という落書きを付けます。
髪も肌も漆黒、この時点で舞台がインドなのでサリーを着ていますが、インド人というわけではありません。
※モーセス・グースは……絵に起こさなくてもイメージ伝わりますよね?

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