西王母の谷-金色にして漆黒の獣魔女、蝕甚を貫きて時空を渡る-Schlucht der Königinmutter des Westens

二式大型七面鳥

文字の大きさ
上 下
40 / 115
第三章-月齢26.5-

第3章 第39話

しおりを挟む
「ミルゴン、って……」
 ケシュカルの視線を追ってオーガストと目が合った雪風が、呟く。
「私のこと、ですか?」
 オーガストが、彼にしては珍しいやや間の抜けた声で言って、自分を指差す。
「……オーガスト、ちょっとこっち来て」
 ユモが、オーガストの袖――白熊の着ぐるみの腕――を引いて、物陰に行こうとする。
「いや、しかし……」
「いいから!来なさい!」
 若干12歳のユモは、しかし明らかに三十過ぎ四十そこそこのオーガストに反論を許さない。
「えーっと……」
 連れて行かれた先、ケシュカルから見えない位置で何某か呪文を唱え始めたユモからケシュカルに視線を戻した雪風が、聞く。
「……ミルゴンって、何?」

「……ミルゴン……ミルゴンは……」
 きょとんとした、焦点の定まりきらない目のまま、ケシュカルはぽつりぽつりと話し出す。
「ミルゴンは、怖ろしい生き物。イエティとミルゴンとタクには気を付けろって、良く言われてた……ああ、そうだ、そうだった。俺、ミルゴンに捕まったんだ……」
 ほんの少しだけ、ケシュカルの目に生気が戻る。
「……俺、チェディのテントから逃げ出したんだ、兄さん達が近くまで追ってきてたのが分かったから。チェディから、兄さん達を遠ざけるために。そしたら、ばったり出っくわしたんだった、ミルゴンに。初めて見たけど、アレがミルゴンだって、すぐ分かった。熊みたいな毛皮を着て、二本足で歩いて、かぎ爪みたいな長い手で……」
 暗闇の中で、ケシュカルは自分を抱えて、震える。
「……俺、覚えてない。俺……何があったのか、あれから……ミルゴンに捕まって、それから……」
 ケシュカルは、頭をかかえる。
「……思い出せない……アレは、なんだったんだろう?黒くてドロドロの……桃色の、ぐるぐるの、とげとげの、かぎ爪の……」
 雪風は、『れえばていん』を納め、ケシュカルに近づく。
「……分からない……分からないけど、すごく、ものすごく、怖い……俺……」
 ケシュカルの呟きは、嗚咽に紛れてそれっきり言葉にならない。雪風は、そのケシュカルの背中を、優しく撫でる。
「大丈夫、今は、ここは大丈夫。もう、大丈夫」
 いつの間にか、『穢れ』は祓われていた。それは、その濃さ故に外からの『清め』を弾きかねない『穢れ』を、ユモのまじないを纏った雪風が、強引にその中心に殴り込んで切り払ったからに他ならない。
「痛くしてごめんね。もう大丈夫だから、落ち着いて。落ち着くまで、泣いて良いから」
 雪風の声に、ケシュカルは初めてその視線を上げ、雪風の顔を見る。
「何があったか知らないけど、全部吐き出して、泣いて、楽になって良いのよ?誰も、君を責めたりしないから」
「……」
 何かが溢れそうなケシュカルの目は、真っ直ぐに雪風の目を見つめている。
「我慢しなくて良いよ。誰も君を、恥ずかしいなんて言わない。あたしが、言わせないから」
 食いしばった歯の間から呻きを漏らしたケシュカルは、雪風のその言葉を聞いて、堰を切ったように泣き声を上げた。

「……大丈夫?」
 ひょいと、ユモが再び玄関から顔を出した。
「ん」
 床にうずくまって泣きじゃくるケシュカルの背中を撫でながら、雪風はユモに振り向いて、小さく頷く。
「……カーテン、開けるね」
 言って、ユモは、それでも用心しながら小屋の中に入り、玄関側以外の窓のカーテンを開ける。
「これは……」
「うわ」
 ユモに遅れて部屋を覗き込んだオーガストと、カーテンを開けてから振り向いて小屋の中を見まわしたユモが、一言驚嘆して言葉を失う。
 一言で言って、惨状。恐らくは質素で粗末な暮らしをしていたのであろうこの小屋の持ち主一家の、その生活の痕跡は、そのほとんどが砕け、ひしゃげ、破壊された状態で部屋の隅に片付けられ、ここで何があったかを示すように、それでも一応は掃除されたらしい床には、ありありとまだ生々しく、悲惨な事件の痕跡が残っていた。
「何があったかは知りませんが」
 ニーマントの声が、雪風とユモの耳に囁く。恐らくは、オーガストにも。
「『穢れ』の放射閃オドはもう残っていません。ユモさんのまじない以前に、最低限は地元の僧侶が清めをした形跡もあります」
「そうね、見た目は酷いけど、見た目ほど酷くはない、って事ね。あたしも、そう思うわ」
 ユモは、腰に手を当て、フンスと大きく鼻息をついてから答える。
「そもそもこれ、今々いまいまの仕業じゃないわね?」
「だと思う、三日くらい、かしらね」
 明るくなった室内を見まわして、すんすんと臭いを嗅いで、雪風も言う。
「その少年が、お探しのケシュカル少年ですか?」
 オーガストが、遠慮気味にユモと雪風に尋ねる。
「そうです、け、ど?オーガストさん、その格好は?」
「あたしがまじないかけたのよ」
 雪風の疑問に、ユモが何でもないことのように答える。
「機能性能はともかく、あの見た目じゃ色々問題じゃない?」
「そりゃそうだけど。へぇ~……」
 まじまじと、雪風はオーガストの外套・・を見る。さっきまで白熊の着ぐるみだったその姿は、今は米陸軍の正式オーバーコートをきっちり着た将校そのものにしか見えない。
「……そういう事か……」
「流石ね、あんたは見破れるか」
「知ってて、その気になれば、ね」
――視覚と認識、両方をごまかす術か――
 雪風は、軽く舌を巻く。狐狸こりの類いの知り合いには事欠かないから、この手の『化かす』術には心当たりがある。
「どうも、自分ではどう見えているのか今ひとつよく分からないのですが」
「カッコイイですよ、オーガストさん。初めて会った時も、そんな格好でしたっけ」
 北米の五大湖周辺で共に数日を過ごした際、毛皮の防寒着の下は、今のようなきちんとした軍装を常にオーガストは着込んできたことを、雪風は思い出した。
「オーガストの意思を反映して、外見をごまかすまじないをかけたの。恒久永続、破られるまで持続するし、触られようが何されようが、ちょっとそっとじゃ破られない自信はあるわよ」
――でしょうね、これ、臭いまでごまかしてるもの――
 元の状態を知っているから、その気になれば『着ぐるみ状態』のオーガストとして認識出来るが、相当強く意識しない限り、自慢の鼻を含めた五感の全てをごまかしに来るユモの魔法に、改めて雪風は感心する。
 魔法であろうが妖術であろうが、この手の『化かす』術は、五感のレベルでごまかす術と、脳の認識段階でごまかす術の二系統に大きく分かれるのだと、雪風は知り合いの大妖怪連中から聞いていた。若い連中は未熟な上に手を抜くから、視覚だけごまかして手に取った瞬間にばれるとか、そんなのばかりだ、とも。
 それに対し、ユモの魔法は、五感の全てを擬装し――要するに末端のセンサーを騙している――た上に、ご丁寧に脳の認識も――センサーから上がってきた信号の中枢処理段階でも――擬装をかけている。まさに、百戦錬磨の大妖怪がするレベルの事を、よわい12歳の少女が呪文1発でやってしまっている。雪風は、自分の知り合いでも同じ事が出来るのが果たして何人居るか、それを考えて、ユモを空恐ろしく感じると共に、そのユモを自分の『半身』と呼べることを、誇らしくも思った。
「それに、オーガストのイメージ次第で外見を変えられるし。我ながら傑作、上々の出来だわ」
「とはいえ、どうしたものだか……」
「姿見でも見ながら、練習して頂戴」
 今ひとつ戸惑っているオーガストに、ユモは言い切る。
「鏡に映った自分自身を誤魔化せる位まで行けば、本当の意味で使いこなせたって言えるわ。せいぜいセルフファッションショーでもして練習して頂戴」
 言い方はキツいが、微笑み混じりのユモの言葉は自分の術に対する自信と、オーガストなら使いこなせるだろうという信頼に満ちている。
「精進しましょう」
 ユモの言外の意図を読み取ったのだろうオーガストは、頷いて答え、そして、
「それで、ケシュカル少年は、大丈夫なのですか?」
「多分。でも、もうちょっと、待ってあげましょ?」
 嗚咽を漏らすケシュカルを見下ろしつつ言ったオーガストに、雪風は優しくケシュカルの背を撫でつつ、答えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。

アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。 両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。 両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。 テッドには、妹が3人いる。 両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。 このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。 そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。 その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。 両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。 両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…   両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが… 母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。 今日も依頼をこなして、家に帰るんだ! この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。 お楽しみくださいね! HOTランキング20位になりました。 皆さん、有り難う御座います。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

どうぞお好きに

音無砂月
ファンタジー
公爵家に生まれたスカーレット・ミレイユ。 王命で第二王子であるセルフと婚約することになったけれど彼が商家の娘であるシャーベットを囲っているのはとても有名な話だった。そのせいか、なかなか婚約話が進まず、あまり野心のない公爵家にまで縁談話が来てしまった。

【完結】結婚前から愛人を囲う男の種などいりません!

つくも茄子
ファンタジー
伯爵令嬢のフアナは、結婚式の一ヶ月前に婚約者の恋人から「私達愛し合っているから婚約を破棄しろ」と怒鳴り込まれた。この赤毛の女性は誰?え?婚約者のジョアンの恋人?初耳です。ジョアンとは従兄妹同士の幼馴染。ジョアンの父親である侯爵はフアナの伯父でもあった。怒り心頭の伯父。されどフアナは夫に愛人がいても一向に構わない。というよりも、結婚一ヶ月前に破棄など常識に考えて無理である。無事に結婚は済ませたものの、夫は新妻を蔑ろにする。何か勘違いしているようですが、伯爵家の世継ぎは私から生まれた子供がなるんですよ?父親?別に書類上の夫である必要はありません。そんな、フアナに最高の「種」がやってきた。 他サイトにも公開中。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

処理中です...