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第三章-月齢26.5-

第3章 第38話

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「……見えた」
 半獣半人の姿の雪風が、そう言って進行方向を指差した。
 ユモと雪風、オーガストの三人――と、ニーマント――が昼食後に行動を再開して二時間ほど後。雪風の鼻を頼りにケシュカルの追跡を再開した一行は、
 距離にして300mほど先、灌木が開けたそこには、質素な、一部の壁が崩れた小屋があった。
「……居るわね」
 荒い息を整えながら、ユモがそう言い、雪風が頷く。
「臭いは一直線にあそこに続いてるわ。それに……」
「……有り得ないくらい、けがれてるわね」
 人の姿に戻った雪風の台詞を引き取って、ユモが言う、厳しい顔つきで。
「穢れ、ですか?」
 二人の会話の意味を理解しきれず、オーガストが問い返す。
「そうよ。見えない?あそこらへんが」
 ユモは、オーガストに振り返らずに、小屋を指差して言う。
「得体の知れない黒い何かで覆われてる。これは……」
「……夕べの、アレ?」
「多分」
「……」
 今ひとつ『穢れ』が『見えていない』オーガストを置いてけぼりにして、『見える』ユモと雪風は話を進める。
「夕べ、ユモさんと雪風さんは、一時的にですが、正体不明の黒い霧状の雰囲気に取り囲まれました。今、同様の霧状物質がその小屋の周りに漂っている、そういう事です」
 ユモの胸元から、ニーマントがオーガストに説明する。
「……なるほど。それで、どうするのですか?あそこにその、ケシュカル少年ですか、居るとして」
 事態を察したオーガストが、ユモと雪風のどちらにともなく、聞く。
「決まってるわ」
 ユモが、オーガストに振り向いて言う。
「ね?」
「ん」
 以心伝心。ユモと雪風は視線を合わせ、互いにニヤリと口角を上げた。

 足音を忍ばせ、一行は小屋まで15m程までゆっくりと近づく。この距離からだと、薄い石板の屋根に土壁の質素な家屋は、ごく最近に何らかの破壊的な力によってその壁や扉を破壊されたことが分かる。
「ケシュカル君の臭いはする、間違いないわ。でも、それ以外の『穢れた』血肉の匂いもする」
 雪風が、下生えの灌木に身を隠すようにしながら、傍らのユモに声をかける。顔をしかめつつ、声をひそませて。
「間違いないわ、夕べのアレと同じ『穢れ』よ」
「マジか……じゃあ、あの山羊女も……気配も臭いもしないけど」
「山羊女?」
「夕べ、雪風さんが襲われた怪異のことです」
 ユモと雪風の会話について行けないオーガストの問いに、ニーマントが答える。
「なんでも、下半身が山羊の裸体の女性だったとか」
「それはまた……パーン、いやサチュロス?しかし、どちらも男だったはず」
「いずれにしても、まともじゃないって事だけは確かだわ。そして、そいつがケシュカルの失踪に一枚噛んでるって事もね」
 ユモが、苦々しげに言う。
「じゃあ、行きますか?」
 雪風が、ユモに目配せしつつ、言った。
「タイミング合わせるのよ、使い魔一号フェアトラート・アインス
 小屋を見据えたまま、ユモも返事を返す。
「おうよ、雪風姉さんにまっかせなさい」
 それに答えて、雪風は『白木の木刀れえばていん』を左手から抜く。
「……なんと……」
「あ、そか、オーガストさんに見せるの、初めてでしたっけ」
 息をのんだオーガストにそう言って、
「これがあたしの奥の手、『れえばていん』です」
 抜いた『れえばていん』を脇差しの長さに縮めつつ、てへっと雪風は相好を崩す。
「これは驚いた、これは、一体……」
 どう見ても物理的に実在する木剣にしか見えない『れえばていん』が、するすると長さを変えるのを見て、オーガストは目を丸くして驚嘆する。
「あたしもよく知らないんです」
 『れえばていん』をガンベルトの左腰に差しながら、雪風はオーガストに答える。
「生まれた時から一緒だから全然不思議と思ってなかったけど、考えてみりゃ不思議ですよね」
「そうね、研究対象として、月の魔女ユモ・タンカ・ツマンスカヤの探究心が騒ぐわ」
「魔女見習い、でしょ」
「うさい……行くわよ?」
「あいよ」
 雪風の返事を受けて、ユモは大きく息を吸い、銃剣バヨネットを抜き、弾薬盒パトローネンタッシェから水晶の粉末をひとつまみ取り出し、周囲に撒いて、
「……アテー マルクト……」
 この場の穢れを祓うための呪文を唱え始める。
 殷々いんいんと振動を始めるエーテルの影響か、オーガストは、見た。
 ユモを中心に、足下の大地に法円が、四方の空中に五芒星が淡く輝くのを。
「……オロ ウト スピリトゥム ウリエル オルディネ ミッタス……」
 ユモの周囲に、昨夜も召喚した天使ウリエルのシンボルシジルが具現化する。
「……気付いた!」
 小屋の中の気配を伺っていた雪風が呟き、ぞろり、と、その姿が人狼ひとおおかみのそれに成り、ユモと視線を合わせる。
 小さく頷いて、ユモは呪文の最終段を唱える。
「……偉大なる魔法使いマーリーンに連なる我、ユモは、今ここに精霊を使役し、我の思いを成し遂げんと欲す。精霊よ、遅れる事無く現れ出でて、この地に淀みし霧を晴らせ。遅れること無く現れ出でて我が半身たる聖なるけものに纏いつき、これなる霧の正体を現せ。アテー マルクト ヴェ・ゲブラー ヴェ・ゲドゥラー レ・オラーム・アーメン!」
 ユモの周囲四方で五芒星が輝き、水晶粉を核にそれを数倍する量の光の粒が緩く渦を巻く。
使い魔一号フェアトラート・アインス!」
 ユモが、銃剣バヨネットで雪風を、その先の小屋を示す。その動きに吊られるように光の渦はするりと延び、雪風にまとわりつく。それを見て、ユモが宣言する。
お行きロス!」
「がぁう!」
 ノリで答えて、光の渦を纏った雪風は疾走はしった。、小屋から周囲に立ちこめる黒いもやを切り裂いて。

 小屋は、こちらから見て正面中央やや右寄りに玄関、左側の半分くらいの位置に窓がある。横幅は10mまではない、いいところ8mほど、奥行きは分からない。屋根の中央と左端に煙突らしき突起があり、小屋の左側には一回り小さい物置小屋らしきものが作り付けられている。
 その玄関は、扉はそこになく、破壊された木片がそこここに散らばっている。窓も同様、割れた硝子と破壊された木枠が、家の外に向かって開きっぱなしになっている。
 風よりはやく玄関に駆け寄りつつ、雪風は玄関外に散らばった木片、扉の鏡板だったとおぼしき大きめの木片を拾い上げ、玄関に肉迫する。
 玄関に飛び込むまさにその一瞬前に、雪風は鏡板を胸の高さに持ち上げ、盾のように構えたかと思うとそのまま前に放り出す。同時に、自分は右足で大きく大地を蹴って横っ飛びし、間髪を入れずに体をひねって背中から破れかけの窓をぶち破る。
 瞬きするほどの一瞬の雪風の身のこなしの中、オーガストは見た。雪風が戸口に放り投げて残した鏡板の破片が、得体の知れない何かに貫かれたのを。ほんの一瞬、小屋の外の日の光に照らされた、ただひたすらにくらく黒いそれは、細い槍のようであり、絡みあったツタの束のようであり、そしてまた、ありえない程に長く引き延ばされた人の腕のようでもあった。そのツタの束が、扉だった板きれを貫いた槍が、板きれの向こうに居るはずだった何者かを掴もうとし、そのかいなが、掌が空振りするのを、オーガストは見た。
「……今のは……」
「ホント、こういう時だけは、ユキの勘は凄いわよね」
 腰に手を当てて、言葉の割に満足そうにユモが批評する。
「さて、あたし達も行きましょ?」
 小屋の中で、何か重くて適度な硬さと柔らかさを併せ持つ物が盛大に倒れる音を聞きながら、ユモはオーガストにそう告げた。

――本当なら、こんな強引なエントリーは御法度だけどね――
 背中で窓を突き破り、小屋の床に着地するまでの刹那に、雪風はそんな事を思う。
――ママはともかく、パパは絶対いい顔しないだろうな――
 空中で体をひねり、雪風は綺麗に両足で床に着地する。腰を落とした体を、膝丈のスカートが一拍遅れて追う。
 そのスカートがきちんと納まるより早く、雪風は部屋の奥、何者かがうずくまるその場所へ真一文字に跳ぶ。
――本当なら、正体の見極めのつかない相手なら牽制射撃して出方を見るのが正解なんだろう、け、ど!――
「せりゃあ!」
 腰に手挟んだ『れえばていん』を抜きざま、雪風はその何者か、『穢れ』の中心の、玄関に伸ばし、引き戻しつつある何か・・を打ち据える。
「っあ!」
 聞き覚えのある声色の悲鳴。伸びた腕・・・・を上からしたたかに打ち付けられた反動で前につんのめるその何者かの首筋を、雪風は返す刀で後ろから押さえ、床に伸す。
「ぐぅっ!」
 念のために『れえばていん』に載せた雪風の『念』に、全身を痺れさせたケシュカルは再度悲鳴を漏らす。
「ケシュカル君だよね!手荒なことしてゴメン!」
 即座に三歩ほど身を引き、中段に『れえばていん』を構え直した雪風が声をかける。
「正気を保ててるなら、ゆっくり起きて」
 あくまで目を離さず油断をせず、すり足で玄関側に移動しながら、雪風はしかし精一杯の優しい声でケシュカルに語りかける。
「う……」
 入口側以外の窓にカーテンが引かれているせいか、屋外に慣れた目には暗闇に等しいような小屋の中で、ケシュカルが身じろぎする気配がする。
「どう?様子は?」
 ひょいと、玄関からユモが顔を覗かせた。咄嗟にケシュカルとユモの射線を塞ぐように立って、雪風が答える。一言だけ。
「まだ!」
 言って、もう一度ケシュカルを見据えた雪風――人の目には暗がりであろうと、雪風の目にはこのくらいは白昼同然――は、そこに居るのが自分の知る元通りのケシュカルである事に気付き、全身の緊張を解く。
「まだ?」
「うんにゃ、もう大丈夫、みたい」
 それでも人の姿に戻り、構え直した『れえばていん』を下段にしたままの雪風は、ユモの最前の質問の答えを訂正する。訂正して、ケシュカルの視線が自分も、ユモも見ていないことに気付き、その視線を追う。
「……ミルゴン?」
 今日トンとした目のケシュカルが、ぼそりと呟く。ケシュカルが見ていたのは、ユモのさらに後ろから顔を出していた、オーガスト・モーリー米陸軍中佐の、ご丁寧に頭までかぶった白熊の着ぐるみだった。
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