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第三章-月齢26.5-
第3章 第34話
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「ここは……一体……」
ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉は、目の前のあまりに異質で唐突な光景に、言葉を失っていた。
砂利と言うにはあまりに大きな、岩と石の間くらいの瓦礫が敷き詰められたガレ場を苦労して歩くこと2時間強。慣れているのか元々健脚なのか、さほどの苦もなく先を歩くドルマに遅れないよう必死で就いてきたペーター少尉の、精も根もそろそろ怪しくなってきた頃。その光景は、だしぬけに現れた。
上流側、ナムチャバルワ山に向かってわずかずつその幅を狭めてきたU字谷は、ここに来て急にその幅を広げ、目測でおよそ幅400mほどの、広大と言ってよい程の平場になっていた。もちろんその左右は切り立った崖で阻まれているから、恐らくは何らかの理由でここで氷河が停滞し、大きくその幅を広げつつ大地を穿ったのだろう、そんな事を、問われるまでもなくペーター少尉は独り言のように語った。
「学がおありですのね?」
振り向いてドルマは言う。
「地質調査に派遣されたのです、この程度は……おや?」
謙遜して返しつつ、ペーター少尉は、気付く。
谷が広がるその始まりの地点に、なにやら周囲とは馴染まない白い巨石が三つほどあることに。
そして、その先数百メートルほどの所に、これまた明らかに不自然な、明らかに人工的な、しかし用途のわからない建築物らしきものが複数あることに。
さらにその遙か彼方を臨めば、こちらと同じように、谷が再び狭まるその境界地点に、やはり周囲と馴染まない巨石が三つある事が、ペーター少尉の眼鏡越しの視力であってもかろうじて見て取れた。
「ここは……一体……」
ペーター少尉は、純粋な疑問と、内心から湧き上がってくる期待に挟まれて、そう呟く以外に無かった。
「『神秘の谷』、『我々』は、そう呼んでいます」
ペーター少尉の横に立ったドルマが、静かに言う。
「他の名で呼ぶ人も居ます。土地の者は『秘伝者の都』とも。……『西王母の谷』、ここを訪れたヤナクの人は、そう言っていました」
「西王母?」
「はい。正しくは、この谷と言うよりも、ある方を指してそう呼び、しかるにここは西王母のおわす谷である、そうおっしゃったのですけれど……ああ、あそこをご覧になれますでしょうか?」
ドルマは、谷の先、人工物のあるあたりを指し示す。
ペーター少尉が目をこらすと、そこには、なるほど、確かに人影のようなものが三つ、一つは微かに小さく、しかし歴然と赤く、その隣に輝くように白く、さらにその隣にはるかに大きく、見えていた。
「何と有り難い……『光の王子』と、その守護者である『赤の女王』が、御自らお出ましになられています」
「……西王母、というのは、中国の仙女、崑崙山に棲まう道教の高位の神だったと記憶しているのですが」
ドルマが指差した、『赤の女王』という人物に向けて再び歩き出しながら、ペーター少尉が言った。
「本当に、よく御存知ですね」
半歩ほど前を歩くドルマが、振り返ってペーター少尉の顔を見た。
「……ペーター様だけでなく、発掘隊の皆さんも博識でいらして……お国の文化なのでしょうか?とても、羨ましいです」
「今回の調査に当たっては、私も含めて部下の多くは先祖遺産・古代知識の歴史と研究協会の職員で、一部は武装親衛隊や国防軍から募っていますが、私は部下に、知識と意欲と、何より人間性に優れた者を厳選しました。その意味で、我が発掘隊は選ばれた者の集まりです」
そう言ってから、ペーター少尉は足を停め、微かに、寂しそうに微笑む。
「残念ながら、我がドイツにおいても、学のないものは多いのが現実です。それに、国の有り様にも違いがあるのですから、ドルマさんが気にされる事でもないと思います。少なくとも、ドルマさん、あなたは、非常に博識で、聡明でいらっしゃる」
ペーター少尉は、ドルマから視線を逸らし、ため息をつく。
「……私は、子供の頃、教師になりたいと思っていました。私の父は学者で、母はその助手、元は父の学生だったそうです。生まれながらにして本に囲まれていた私は、知りたい事は何でも、本を探すか、見つからなければ父母に聞けばたいていのことは知る事が出来た。恵まれていました。その知識を、皆に分け与えたい。皆が皆、知りたい事をぐんぐん吸収出来るなら、どんなに素晴らしいだろう。私の知識も、その助けになるなら、こんなに素晴らしい事はない。そう思っていました」
ペーター少尉は、ドルマに視線を戻す。ちょっとだけ、寂しそうな視線を。
「ところがある時、気付いたのです。どれだけ知識が目の前に積み上げてあっても、当の本人に知性がなければ、興味、あるいはやる気、向上心と言い換えてもいいでしょう、そういうものがなければ、何の役にも立たないのだ、と。教える側がどんなに頑張っても、受け手にその気がなければそれは全く意味を成さない……私が『アーリア人』という理想人種にこだわるのは、彼らは、そのような愚民ではないと信じたいからなのかも知れません」
ペーター少尉は、三度歩き出す。半歩遅れて、ドルマも続く。
「我が発掘隊は、その意味では優秀な人材に恵まれました。理想的な隊員を選出する事が出来た。そして」
振り向いて、ドルマの目を見つめて、ペーター少尉は続ける。
「ドルマさん、あなたも、得がたいほどの才女、才媛です。あなたには充分な知識と、それを支える知性がある。ナルブ閣下もそれを見込んであなたを重用されているのでしょう……正直申し上げて、あなたのような人材を、この地に埋もれさせるのは惜しい、そう思います」
言って、ペーター少尉は小さく微笑む。今度は、寂しそうではない。むしろ、はにかみが見える。
「有り難いお言葉ですわ。僻地の一介の女には、過ぎた言葉です……ですが」
ドルマの目元が、緩む。
「私も、もっと知りたい。この国の外、世界が、どうなっているのか」
「……一緒に、来ますか?」
立ち止まって、ペーター少尉は、聞く。
「あなたがそれを望み、ナルブ閣下のお許しがあれば、我が発掘隊の帰国の際に、ドルマさん、あなたに同行していただく口実はいくらでも作れます」
「……」
ドルマは、ペーター少尉の目を見つめたまま、言葉を返さない。ただ、胸の前で、硬く手を握ったまま。
「失礼なことを申し上げるのを許していただきたい。ですが、このチベットの地では、あなたのような女性が頭角を現すのは至難の業でしょう。私には、それが惜しいし、悔しくも思えます。これだけの才媛が、今のこの国の体制の中では、その持てる力を発揮出来ないだろう事が」
ペーター少尉は、ドルマに両手を差し出す。
「ベルリンには、チベット人協会も組織されています。ドルマさん、我々と……」
何を思ったのか、一度、ペーター少尉は言葉を切り、一瞬逸らした視線を再度ドルマの目に向けて、言い直す。
「……いえ、私とドイツに来ませんか?あなたは聡明で、そのうえ……」
ペーター少尉は、一度息を入れて、言い直す。心なしか、熱のこもった声で。
「……そのうえ、美しい。私は……私は、あなたをドイツに連れて帰りたい」
「私は……」
困ったような、寂しいような、複雑な表情で、ドルマは答えた。ペーター少尉の言葉に含まれる複数の意味に気付かない程、ドルマも、朴念仁ではない。
「……少し、考えさせてください。外の世界を見たいのは本当ですし、ナルブ様もきっとお許しいただけるでしょう。でも、それだけではない、私には……あるのです、色々と、しがらみが……」
「すみません、突然、出過ぎた事を言いました。もちろん、ゆっくり考えていただいて結構です」
優しく微笑んで、ペーター少尉は頷く。
「部隊が撤収するのは、まだ先の話です。あなたの意思を第一に、後悔のないよう、よく考えられるといい……さあ、行きましょう」
ペーター少尉は、再び歩き出す。
「やんごとなきお方達を、あまりお待たせしては失礼に当たります……ですよね?」
「ええ、そうですね」
話の矛先が変わったことに明らかに安堵した表情で、ドルマは答えた。
「行きましょう」
谷が広さを変える地点の巨石には、チベットで使われる文字で『境界』と記されていた。ペーター少尉は、見上げるようなそれをしばし足を停めて興味深く観察し、また歩き出す、その先に向けて。
ドルマは、その半歩あとをついて行く、無言で。わずかに、視線を落として。
「あの大きな人影は、どうにもグース師で間違いないようですね。隣の『光の王子』と『赤の女王』ですか、どのような方なのですか?」
視線だけをドルマに投げて、歩きながら、ペーター少尉は聞く。
少しだけ口ごもってから、ドルマは答えた。
「……『光の王子』は、これから向かう『秘伝者の都』を統べるお方です。『赤の女王』は、その『光の王子』の後見人になります。私も、それ以上の事は存じ上げておりません。そもそも、私自身、都の住人でもなければ、入ったのはただの一度きりなのですから」
「つまり、ドルマさん、あなたは、あそこに居るグース師も、恐らくナルブ卿も、私が探し求める『シャンバラ』ではないかと思われる遺跡を、とうの昔に御存知だった、そういう事ですか」
「遺跡ではなく、現役の小都市ですが、はい、そういう事になります……申し訳ありません」
ドルマの声には、本当に謝罪する気持ちが載っていると、ペーター少尉には思えた。だから、
「いえ、ドルマさん、あなたが謝罪する事ではありますまい。部外者、特に私達のような異邦人にはおいそれと教える事の出来ない秘密があったとして、それは当たり前の事でもありましょう」
言って、ペーター少尉は半歩後を歩くドルマに振り向き、ウィンクする。
「それにしても、皆さん隠し事がお上手だ。すっかり、はめられていました」
言ったペーター少尉の笑顔には、わずかばかりの他意も感じられない。
そう感じて、ドルマは、ペーター少尉に微笑みを返した。
ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉は、目の前のあまりに異質で唐突な光景に、言葉を失っていた。
砂利と言うにはあまりに大きな、岩と石の間くらいの瓦礫が敷き詰められたガレ場を苦労して歩くこと2時間強。慣れているのか元々健脚なのか、さほどの苦もなく先を歩くドルマに遅れないよう必死で就いてきたペーター少尉の、精も根もそろそろ怪しくなってきた頃。その光景は、だしぬけに現れた。
上流側、ナムチャバルワ山に向かってわずかずつその幅を狭めてきたU字谷は、ここに来て急にその幅を広げ、目測でおよそ幅400mほどの、広大と言ってよい程の平場になっていた。もちろんその左右は切り立った崖で阻まれているから、恐らくは何らかの理由でここで氷河が停滞し、大きくその幅を広げつつ大地を穿ったのだろう、そんな事を、問われるまでもなくペーター少尉は独り言のように語った。
「学がおありですのね?」
振り向いてドルマは言う。
「地質調査に派遣されたのです、この程度は……おや?」
謙遜して返しつつ、ペーター少尉は、気付く。
谷が広がるその始まりの地点に、なにやら周囲とは馴染まない白い巨石が三つほどあることに。
そして、その先数百メートルほどの所に、これまた明らかに不自然な、明らかに人工的な、しかし用途のわからない建築物らしきものが複数あることに。
さらにその遙か彼方を臨めば、こちらと同じように、谷が再び狭まるその境界地点に、やはり周囲と馴染まない巨石が三つある事が、ペーター少尉の眼鏡越しの視力であってもかろうじて見て取れた。
「ここは……一体……」
ペーター少尉は、純粋な疑問と、内心から湧き上がってくる期待に挟まれて、そう呟く以外に無かった。
「『神秘の谷』、『我々』は、そう呼んでいます」
ペーター少尉の横に立ったドルマが、静かに言う。
「他の名で呼ぶ人も居ます。土地の者は『秘伝者の都』とも。……『西王母の谷』、ここを訪れたヤナクの人は、そう言っていました」
「西王母?」
「はい。正しくは、この谷と言うよりも、ある方を指してそう呼び、しかるにここは西王母のおわす谷である、そうおっしゃったのですけれど……ああ、あそこをご覧になれますでしょうか?」
ドルマは、谷の先、人工物のあるあたりを指し示す。
ペーター少尉が目をこらすと、そこには、なるほど、確かに人影のようなものが三つ、一つは微かに小さく、しかし歴然と赤く、その隣に輝くように白く、さらにその隣にはるかに大きく、見えていた。
「何と有り難い……『光の王子』と、その守護者である『赤の女王』が、御自らお出ましになられています」
「……西王母、というのは、中国の仙女、崑崙山に棲まう道教の高位の神だったと記憶しているのですが」
ドルマが指差した、『赤の女王』という人物に向けて再び歩き出しながら、ペーター少尉が言った。
「本当に、よく御存知ですね」
半歩ほど前を歩くドルマが、振り返ってペーター少尉の顔を見た。
「……ペーター様だけでなく、発掘隊の皆さんも博識でいらして……お国の文化なのでしょうか?とても、羨ましいです」
「今回の調査に当たっては、私も含めて部下の多くは先祖遺産・古代知識の歴史と研究協会の職員で、一部は武装親衛隊や国防軍から募っていますが、私は部下に、知識と意欲と、何より人間性に優れた者を厳選しました。その意味で、我が発掘隊は選ばれた者の集まりです」
そう言ってから、ペーター少尉は足を停め、微かに、寂しそうに微笑む。
「残念ながら、我がドイツにおいても、学のないものは多いのが現実です。それに、国の有り様にも違いがあるのですから、ドルマさんが気にされる事でもないと思います。少なくとも、ドルマさん、あなたは、非常に博識で、聡明でいらっしゃる」
ペーター少尉は、ドルマから視線を逸らし、ため息をつく。
「……私は、子供の頃、教師になりたいと思っていました。私の父は学者で、母はその助手、元は父の学生だったそうです。生まれながらにして本に囲まれていた私は、知りたい事は何でも、本を探すか、見つからなければ父母に聞けばたいていのことは知る事が出来た。恵まれていました。その知識を、皆に分け与えたい。皆が皆、知りたい事をぐんぐん吸収出来るなら、どんなに素晴らしいだろう。私の知識も、その助けになるなら、こんなに素晴らしい事はない。そう思っていました」
ペーター少尉は、ドルマに視線を戻す。ちょっとだけ、寂しそうな視線を。
「ところがある時、気付いたのです。どれだけ知識が目の前に積み上げてあっても、当の本人に知性がなければ、興味、あるいはやる気、向上心と言い換えてもいいでしょう、そういうものがなければ、何の役にも立たないのだ、と。教える側がどんなに頑張っても、受け手にその気がなければそれは全く意味を成さない……私が『アーリア人』という理想人種にこだわるのは、彼らは、そのような愚民ではないと信じたいからなのかも知れません」
ペーター少尉は、三度歩き出す。半歩遅れて、ドルマも続く。
「我が発掘隊は、その意味では優秀な人材に恵まれました。理想的な隊員を選出する事が出来た。そして」
振り向いて、ドルマの目を見つめて、ペーター少尉は続ける。
「ドルマさん、あなたも、得がたいほどの才女、才媛です。あなたには充分な知識と、それを支える知性がある。ナルブ閣下もそれを見込んであなたを重用されているのでしょう……正直申し上げて、あなたのような人材を、この地に埋もれさせるのは惜しい、そう思います」
言って、ペーター少尉は小さく微笑む。今度は、寂しそうではない。むしろ、はにかみが見える。
「有り難いお言葉ですわ。僻地の一介の女には、過ぎた言葉です……ですが」
ドルマの目元が、緩む。
「私も、もっと知りたい。この国の外、世界が、どうなっているのか」
「……一緒に、来ますか?」
立ち止まって、ペーター少尉は、聞く。
「あなたがそれを望み、ナルブ閣下のお許しがあれば、我が発掘隊の帰国の際に、ドルマさん、あなたに同行していただく口実はいくらでも作れます」
「……」
ドルマは、ペーター少尉の目を見つめたまま、言葉を返さない。ただ、胸の前で、硬く手を握ったまま。
「失礼なことを申し上げるのを許していただきたい。ですが、このチベットの地では、あなたのような女性が頭角を現すのは至難の業でしょう。私には、それが惜しいし、悔しくも思えます。これだけの才媛が、今のこの国の体制の中では、その持てる力を発揮出来ないだろう事が」
ペーター少尉は、ドルマに両手を差し出す。
「ベルリンには、チベット人協会も組織されています。ドルマさん、我々と……」
何を思ったのか、一度、ペーター少尉は言葉を切り、一瞬逸らした視線を再度ドルマの目に向けて、言い直す。
「……いえ、私とドイツに来ませんか?あなたは聡明で、そのうえ……」
ペーター少尉は、一度息を入れて、言い直す。心なしか、熱のこもった声で。
「……そのうえ、美しい。私は……私は、あなたをドイツに連れて帰りたい」
「私は……」
困ったような、寂しいような、複雑な表情で、ドルマは答えた。ペーター少尉の言葉に含まれる複数の意味に気付かない程、ドルマも、朴念仁ではない。
「……少し、考えさせてください。外の世界を見たいのは本当ですし、ナルブ様もきっとお許しいただけるでしょう。でも、それだけではない、私には……あるのです、色々と、しがらみが……」
「すみません、突然、出過ぎた事を言いました。もちろん、ゆっくり考えていただいて結構です」
優しく微笑んで、ペーター少尉は頷く。
「部隊が撤収するのは、まだ先の話です。あなたの意思を第一に、後悔のないよう、よく考えられるといい……さあ、行きましょう」
ペーター少尉は、再び歩き出す。
「やんごとなきお方達を、あまりお待たせしては失礼に当たります……ですよね?」
「ええ、そうですね」
話の矛先が変わったことに明らかに安堵した表情で、ドルマは答えた。
「行きましょう」
谷が広さを変える地点の巨石には、チベットで使われる文字で『境界』と記されていた。ペーター少尉は、見上げるようなそれをしばし足を停めて興味深く観察し、また歩き出す、その先に向けて。
ドルマは、その半歩あとをついて行く、無言で。わずかに、視線を落として。
「あの大きな人影は、どうにもグース師で間違いないようですね。隣の『光の王子』と『赤の女王』ですか、どのような方なのですか?」
視線だけをドルマに投げて、歩きながら、ペーター少尉は聞く。
少しだけ口ごもってから、ドルマは答えた。
「……『光の王子』は、これから向かう『秘伝者の都』を統べるお方です。『赤の女王』は、その『光の王子』の後見人になります。私も、それ以上の事は存じ上げておりません。そもそも、私自身、都の住人でもなければ、入ったのはただの一度きりなのですから」
「つまり、ドルマさん、あなたは、あそこに居るグース師も、恐らくナルブ卿も、私が探し求める『シャンバラ』ではないかと思われる遺跡を、とうの昔に御存知だった、そういう事ですか」
「遺跡ではなく、現役の小都市ですが、はい、そういう事になります……申し訳ありません」
ドルマの声には、本当に謝罪する気持ちが載っていると、ペーター少尉には思えた。だから、
「いえ、ドルマさん、あなたが謝罪する事ではありますまい。部外者、特に私達のような異邦人にはおいそれと教える事の出来ない秘密があったとして、それは当たり前の事でもありましょう」
言って、ペーター少尉は半歩後を歩くドルマに振り向き、ウィンクする。
「それにしても、皆さん隠し事がお上手だ。すっかり、はめられていました」
言ったペーター少尉の笑顔には、わずかばかりの他意も感じられない。
そう感じて、ドルマは、ペーター少尉に微笑みを返した。
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