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第三章-月齢26.5-
第3章 第31話
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「……ぷはぁ」
雑嚢に付けていた水筒の水を飲み干す勢いで飲んで、ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉は大きく息を吐いた。
歩きづめでざっと二時間強。どちらかというとデスクワーク主体のペーター少尉には、この任務についてから鍛えられたとは言うものの、砂利道の強行軍は足腰にこたえる。
「さて、と……」
人心地ついたところで、ペーター少尉は周囲を見まわす。
ここは、「他国他宗教の者はみだりに立ち入るべからず」と言われた、鳥葬の場だ。
具体的にどこからがそのエリアなのか、明確な線引きはないものの、ペーター少尉は過去に一度、発掘正体が任務に就く際に、ナルブの案内でこの場所の入口には案内されている。
改めて見まわすそこは、幅にして100m程になるかというU字谷の、土砂で平坦に埋もれた底の部分であり、谷底にあったと思われる雪解け水の河は枯れてしまったのか、はたまた砂利がちの土砂の下を伏流しているのか、表面上は見当たらない。あるかないかのゆっくりとした斜面は遠くナムチャバルワ山の氷河の渓谷に端を発し、付近のその他の谷同様に、ヤルツァンポ河を擁する大渓谷に合流する。U字の底の部分が埋まっているだけで、両端の崖はそれでも高さは20mはあるだろうか。崖の上には灌木の茂みが見えるが、この底の部分には木は本当にまばらで、草でさえ申し訳程度にしか生えていない。
「……お二人が、まだここに居るとは思えませんね……」
人気も、それどころか生き物の気配すらしない荒れ地を見渡して、ペーター少尉は呟く。今から数時間前には、ここで実際に鳥葬が執り行われたのだが、その痕跡、凝った血の痕も腐肉の匂いも、乾燥した風と、薄くて澄んだ大気を貫く太陽光に『消毒』されて、そこにあったと知らなければ気付かぬほどに薄まってしまっている。
「……となると、お二人は印か何かを残す、とおっしゃっていたそうですが、さて……」
独り言を呟いて、もう一度、ペーター少尉は周囲を見渡す。どんなものかも分からない『印』を探すために。
「……この大岩が、主に解体に使われるのでしたか……」
テーブルトップ形状の、差し渡し2メートルを優に超える岩を見ながら呟いたペーター少尉は、それでもわずかに残る、染みついた血痕と匂いにやや顔をしかめつつ、その周りをぐるりと回る。
「生け贄の祭壇、というのは違いますが、やはり気持ちの良いものではありませんね……おや?」
大岩から少し離れた所に、小さな石積みがある事に気付いたペーター少尉は、不自然に思ってそこに近づく。
「……これは……?」
小さなケルンと、その周りの小石を見つめて、ペーター少尉はしばし考え込んだ。
――こつり。からり。
「……おや?」
微かな足音に気付いたペーター少尉は、小石から視線を上げて、今し方自分が来た、谷の下流方向を振り返る。
そこには、遙か彼方、小さな人影が、確かに近づいて来るのが見えていた。乾いた大気と強い日差しによる陽炎にゆらめくその人影に、ペーター少尉は見覚えがあった。
「ドルマさん、何故、あなたがここに?」
普通に声が通る程度にドルマが近づいてから、ペーター少尉はそう声をかけた。
「ナルブ様の依頼です。ペーター様の御様子を確認して欲しいと」
にこりと微笑んで、何事でもないように、ドルマは答える。
「ナルブ閣下の?では、閣下は邸宅に戻られたのですね?」
「はい……それが、何か?」
「いえ……」
ペーター少尉は、腕時計を確認して、言う。
「大したことでは……前から思っていたのですが、ドルマさんは、ずいぶんと健脚でいらっしゃると思いまして」
「あっ……いえ……」
虚を突かれ、ドルマはわずかに動揺を見せる。そのドルマに、ペーター少尉はたたみかける。
「……何故、私がここに居ると?」
「それは……」
ドルマは、言葉に詰まる。まっとうに接触してしまったのは、軽率に過ぎた。せめてナルブ様の事はぼかすべきだった、と臍を噛みながら。
「キャンプで私の動向を尋ねられたのでしょうか?にしては時間がかかっていないと思いまして。何か、秘密の近道でもあるのでしょうか?」
「……ええ、まあ」
ドルマは、曖昧に頷く。誤魔化せたとは思っていない。
「それでは、私がキャンプから盗み出された遺物とユモ・タンク嬢とユキ・タキ嬢を追ってここまで来たことは御存知、という事ですね?」
ペーター少尉が、確認する。ドルマには、その眼鏡の奥の灰色の瞳が何を考えているか、読めるようで、読み切れない。
「……何か収穫はございまして?」
思い切って、ドルマは尋ねる。尋ねて、
「情報が不足でしたら、一度ナルブ様の所に戻られても……」
先手を打って、流れを引き寄せようとする。
しかし。
「いえ、それには及ばないようです。ここで何があったのかはわからないのですが……」
ペーター少尉は、テーブルトップの大岩の傍にある小さなケルンを見つつ、しゃがみ込む。
「……ご覧になれますか?」
ペーター少尉に促され、ドルマも腰をかがめてケルンを見る。
「この石積みが、何か?」
ドルマには、その意味がよくわからない。
「ああ、このケルンは目印に過ぎないようです。本題は、こちら」
ペーター少尉が、ケルンの横の小石を示す。目をこらすドルマが見たのは、言われなければ気付かない程に周りに溶け込んだ、二列の小石。
「……これが?」
「非常にわかりづらいですが。この小石が『トン』、こちらが『ツー』を意味するのでしょう」
小石を指差して、ペーター少尉が説明する。似たような大きさの小石の羅列だが、よくよく見ると、小石同士の間隔が、小石一個分か、二個分か、六個分で分かれている、ように見える。意味が取れず小首を傾げたドルマに、ペーター少尉は説明する。
「……小石一つが単音、小石と間隔あわせて間隔三つ分が長音、小石七つ分の間隔は単語の区切り……モールスです」
はっと、ドルマは目を剥く。
「気付くまで、私も少々時間がかかりました」
そのドルマに振り向いて、ペーター少尉は微笑む。
「……それで、何と書いてあるのですか?」
胸の内に重く不快なものを感じつつ、ドルマはペーター少尉に尋ねる。その不安が顔に出ていることに、しかしドルマは気付いていない。
ペーター少尉は、適当な小石を手に取ると、モールスに沿ってアルファベットを土に刻む。
「……G・O E・S・E」
それを読み取ったドルマが、声に出す。
「G・Oは英語のGOでしょうか?だとしても、次のE・S・Eがわかりません。そんな単語は……」
「東南東、です。恐らくですが、間違いないと思えます」
振り向いてドルマに言って、ペーター少尉は立ち上がる。
「ここから東南東というと……」
多少わざとらしく、ペーター少尉は懐からコンパスを取り出し、方位を確認する。
「……おおむね、この谷に沿って上流方向、という事になります」
ぱたりとコンパスを閉じて、ペーター少尉はドルマに聞く。
「この上流に、何かあるのですか?」
ドルマは、答えに窮する。瞬きする間、考えて、答える。
「……そちらに、向かわれるおつもりですか?」
「もちろん」
ペーター少尉は、即答する。
「これは明らかなメッセージですし、失われた遺物を奪還するのは、私の任務に対する使命でもあります。なにより、私は、『福音の少女達』が示した道ならば、是非とも辿りたい」
ペーター少尉の真摯な眼差しを、ドルマは真正面から受け止め、受け止めきれずにわずかに目を逸らす。
「……わかりました。私も、同行しても?」
「構いませんが」
ペーター少尉は、片眉を上げて少しだけいぶかしがる。
「最悪、野宿する羽目になるかもと覚悟しているところなのですが?」
「多分、そうはならないと思います……まいりましょう」
ドルマは、それだけ言って、先に歩き出す。
彼女は、何かを知っている。しかし、それを話すつもりはない。その事を確信し、ペーター少尉はドルマの後を追って歩き出す。
雑嚢に付けていた水筒の水を飲み干す勢いで飲んで、ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉は大きく息を吐いた。
歩きづめでざっと二時間強。どちらかというとデスクワーク主体のペーター少尉には、この任務についてから鍛えられたとは言うものの、砂利道の強行軍は足腰にこたえる。
「さて、と……」
人心地ついたところで、ペーター少尉は周囲を見まわす。
ここは、「他国他宗教の者はみだりに立ち入るべからず」と言われた、鳥葬の場だ。
具体的にどこからがそのエリアなのか、明確な線引きはないものの、ペーター少尉は過去に一度、発掘正体が任務に就く際に、ナルブの案内でこの場所の入口には案内されている。
改めて見まわすそこは、幅にして100m程になるかというU字谷の、土砂で平坦に埋もれた底の部分であり、谷底にあったと思われる雪解け水の河は枯れてしまったのか、はたまた砂利がちの土砂の下を伏流しているのか、表面上は見当たらない。あるかないかのゆっくりとした斜面は遠くナムチャバルワ山の氷河の渓谷に端を発し、付近のその他の谷同様に、ヤルツァンポ河を擁する大渓谷に合流する。U字の底の部分が埋まっているだけで、両端の崖はそれでも高さは20mはあるだろうか。崖の上には灌木の茂みが見えるが、この底の部分には木は本当にまばらで、草でさえ申し訳程度にしか生えていない。
「……お二人が、まだここに居るとは思えませんね……」
人気も、それどころか生き物の気配すらしない荒れ地を見渡して、ペーター少尉は呟く。今から数時間前には、ここで実際に鳥葬が執り行われたのだが、その痕跡、凝った血の痕も腐肉の匂いも、乾燥した風と、薄くて澄んだ大気を貫く太陽光に『消毒』されて、そこにあったと知らなければ気付かぬほどに薄まってしまっている。
「……となると、お二人は印か何かを残す、とおっしゃっていたそうですが、さて……」
独り言を呟いて、もう一度、ペーター少尉は周囲を見渡す。どんなものかも分からない『印』を探すために。
「……この大岩が、主に解体に使われるのでしたか……」
テーブルトップ形状の、差し渡し2メートルを優に超える岩を見ながら呟いたペーター少尉は、それでもわずかに残る、染みついた血痕と匂いにやや顔をしかめつつ、その周りをぐるりと回る。
「生け贄の祭壇、というのは違いますが、やはり気持ちの良いものではありませんね……おや?」
大岩から少し離れた所に、小さな石積みがある事に気付いたペーター少尉は、不自然に思ってそこに近づく。
「……これは……?」
小さなケルンと、その周りの小石を見つめて、ペーター少尉はしばし考え込んだ。
――こつり。からり。
「……おや?」
微かな足音に気付いたペーター少尉は、小石から視線を上げて、今し方自分が来た、谷の下流方向を振り返る。
そこには、遙か彼方、小さな人影が、確かに近づいて来るのが見えていた。乾いた大気と強い日差しによる陽炎にゆらめくその人影に、ペーター少尉は見覚えがあった。
「ドルマさん、何故、あなたがここに?」
普通に声が通る程度にドルマが近づいてから、ペーター少尉はそう声をかけた。
「ナルブ様の依頼です。ペーター様の御様子を確認して欲しいと」
にこりと微笑んで、何事でもないように、ドルマは答える。
「ナルブ閣下の?では、閣下は邸宅に戻られたのですね?」
「はい……それが、何か?」
「いえ……」
ペーター少尉は、腕時計を確認して、言う。
「大したことでは……前から思っていたのですが、ドルマさんは、ずいぶんと健脚でいらっしゃると思いまして」
「あっ……いえ……」
虚を突かれ、ドルマはわずかに動揺を見せる。そのドルマに、ペーター少尉はたたみかける。
「……何故、私がここに居ると?」
「それは……」
ドルマは、言葉に詰まる。まっとうに接触してしまったのは、軽率に過ぎた。せめてナルブ様の事はぼかすべきだった、と臍を噛みながら。
「キャンプで私の動向を尋ねられたのでしょうか?にしては時間がかかっていないと思いまして。何か、秘密の近道でもあるのでしょうか?」
「……ええ、まあ」
ドルマは、曖昧に頷く。誤魔化せたとは思っていない。
「それでは、私がキャンプから盗み出された遺物とユモ・タンク嬢とユキ・タキ嬢を追ってここまで来たことは御存知、という事ですね?」
ペーター少尉が、確認する。ドルマには、その眼鏡の奥の灰色の瞳が何を考えているか、読めるようで、読み切れない。
「……何か収穫はございまして?」
思い切って、ドルマは尋ねる。尋ねて、
「情報が不足でしたら、一度ナルブ様の所に戻られても……」
先手を打って、流れを引き寄せようとする。
しかし。
「いえ、それには及ばないようです。ここで何があったのかはわからないのですが……」
ペーター少尉は、テーブルトップの大岩の傍にある小さなケルンを見つつ、しゃがみ込む。
「……ご覧になれますか?」
ペーター少尉に促され、ドルマも腰をかがめてケルンを見る。
「この石積みが、何か?」
ドルマには、その意味がよくわからない。
「ああ、このケルンは目印に過ぎないようです。本題は、こちら」
ペーター少尉が、ケルンの横の小石を示す。目をこらすドルマが見たのは、言われなければ気付かない程に周りに溶け込んだ、二列の小石。
「……これが?」
「非常にわかりづらいですが。この小石が『トン』、こちらが『ツー』を意味するのでしょう」
小石を指差して、ペーター少尉が説明する。似たような大きさの小石の羅列だが、よくよく見ると、小石同士の間隔が、小石一個分か、二個分か、六個分で分かれている、ように見える。意味が取れず小首を傾げたドルマに、ペーター少尉は説明する。
「……小石一つが単音、小石と間隔あわせて間隔三つ分が長音、小石七つ分の間隔は単語の区切り……モールスです」
はっと、ドルマは目を剥く。
「気付くまで、私も少々時間がかかりました」
そのドルマに振り向いて、ペーター少尉は微笑む。
「……それで、何と書いてあるのですか?」
胸の内に重く不快なものを感じつつ、ドルマはペーター少尉に尋ねる。その不安が顔に出ていることに、しかしドルマは気付いていない。
ペーター少尉は、適当な小石を手に取ると、モールスに沿ってアルファベットを土に刻む。
「……G・O E・S・E」
それを読み取ったドルマが、声に出す。
「G・Oは英語のGOでしょうか?だとしても、次のE・S・Eがわかりません。そんな単語は……」
「東南東、です。恐らくですが、間違いないと思えます」
振り向いてドルマに言って、ペーター少尉は立ち上がる。
「ここから東南東というと……」
多少わざとらしく、ペーター少尉は懐からコンパスを取り出し、方位を確認する。
「……おおむね、この谷に沿って上流方向、という事になります」
ぱたりとコンパスを閉じて、ペーター少尉はドルマに聞く。
「この上流に、何かあるのですか?」
ドルマは、答えに窮する。瞬きする間、考えて、答える。
「……そちらに、向かわれるおつもりですか?」
「もちろん」
ペーター少尉は、即答する。
「これは明らかなメッセージですし、失われた遺物を奪還するのは、私の任務に対する使命でもあります。なにより、私は、『福音の少女達』が示した道ならば、是非とも辿りたい」
ペーター少尉の真摯な眼差しを、ドルマは真正面から受け止め、受け止めきれずにわずかに目を逸らす。
「……わかりました。私も、同行しても?」
「構いませんが」
ペーター少尉は、片眉を上げて少しだけいぶかしがる。
「最悪、野宿する羽目になるかもと覚悟しているところなのですが?」
「多分、そうはならないと思います……まいりましょう」
ドルマは、それだけ言って、先に歩き出す。
彼女は、何かを知っている。しかし、それを話すつもりはない。その事を確信し、ペーター少尉はドルマの後を追って歩き出す。
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