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第三章-月齢26.5-

第3章 第30話

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「……では、お二方はその『盗賊』を追って出発されたのですね?」
 キャンプの自分の執務机の中身をチェックしながら、ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉は留守番二等兵に確認する。
はいヤー少尉殿ヘル ウンターシュツルムフューラー
「行き先は『禁忌の場所』?」
はいヤー、地図で方位を確認して……」
「ダウンジングで?」
はいヤー
「フムン……」
 顎を撫でて、地図を見ながらペーター少尉はしばし考える。
「……どれくらい前ですか?」
「どれくらい、と、おっしゃいますと?」
「時間です、今からでも、急げば追いつけるかどうか……」
 地図を見ながら腕を組んで考え込むペーターに、留守番二等兵はおそるおそる答える。
「それは、難しいかと。お二人がキャンプを離れてから、かれこれもう三時間ほど経過しております」
「……何ですと?」
 留守番二等兵の言葉を理解出来ず、ペーターは顔を上げる。
「ですから、お二方は、えっと」
 腕時計を確認して、留守番二等兵は答える。
「九時前にはここを離れられました。そろそろ十二時になりますから……」
「……そんな馬鹿な」
 やや間の抜けた顔で留守番二等兵を見上げ、ペーターは確認する。
「何かの勘違いでは?」
「いえ、その時はフランツも居ました、ゲルハルトもヘルマンもヨーゼフも……皆で時計を見ましたので、間違いありません」
 留守番二等兵、イザークは、同じく留守番だった同僚と、昼食当番の三名の名前を挙げる。その四人は既に、発掘隊に届ける昼食を背負って発掘現場に向かっていて、キャンプには不在である。
「そうですか……いえ、疑うわけではないのですが」
 ペーターは、軽く留守番二等兵、イザークに詫びて、続ける。
ユモ・タンク嬢フラウ ユモ・タンクユキ・タキ嬢フラウ ユキ・タキがナルブ閣下の屋敷を立たれたのは、大体八時頃のはずですから……」
「……早すぎますね」
「そうなのです」
 イザーク二等兵の素朴な疑問に同意し、ペーター少尉は再度考え込み、すぐに決意する。
「イザーク君、すみませんが、私の分の昼食をすぐ用意してください。それから、リオネル君に言って、三日分の携行食その他の準備をお願いしてください。一人分……三日、でしたね?」
「え、あ、はい。三日です」
 ペーターが何を聞きたいか――ユモとユキが何と言ったか――をワンテンポ遅れて察したイザークが、慌てて返事する。
「結構。では、これから向こう三日の行動指示メモを残しますので、曹長に渡してください。それからイザーク君、君は昼食は済んでいますか?」
「はい、いえ、まだですが」
「では、君も私と一緒に済ませてください。その後、大変申し訳ないですが、メルキン君と交代する為、ナルブ閣下の屋敷に向かってください。予備の無線機があれば良かったのですが……話はついていますので、そのまま、明日、交代の誰かが向かうまでナルブ閣下のところに滞在し、昨夜の事、今朝の事、その他可能な限りの情報を入手してここに持ち帰ってください。メモを残しますが、以降、私が終了判断するまでこれを続けます」
「はい、了解です」
「では、昼食の用意とリオネル君への指示をお願いします、私は自分の用意をします」
了解ヤボール……しかし、よろしいのですか?」
「何がですか?」
「その……少尉殿は、あの少女達を追って、お一人で、『禁忌の場所』へ向かわれるおつもりかと」
 その言葉に含まれる意味を、イザーク二等兵が聞こうとしている内容を理解し、ペーター少尉は答える。
「……その通りです。しかし、必要な事だと判断しました」
「では、我々も……」
 イザーク二等兵の言葉を左手で遮って、ペーター少尉は言う。
「私は、ナルブ閣下に案内していただいて、一度、その『禁忌の場所』を見せて頂きました。立ち入りを遠慮して欲しいと言われていますが、禁じられているわけでもないし、罰則その他があるわけでもありません。ですが、とはいえやはり立ち入るのは最低限の人数で、事情を知る者が決意と覚悟の元であるべきです。階級や組織の規律で行為を強要するべきではない。それが、『異文化』、特に『死者』に対する敬意だと、私は思うのです。ここに来て、そう思うようになりました」
「少尉殿……」
「ないとは思っていますが、責任をとって私が罷免されたとしても、部隊の運用は、曹長以下の下士官で充分にまかなえます。万一、私が戻らなくても」
「少尉殿、それは」
「私としても、この任務に誇りと生きがいを感じていますが、それ以上に私には、あの二人の少女が気になるのです。『福音』と呼ぶのが正しいかどうかは定かではありませんが、何らかのキーマンである事は間違いない、そう思えてなりません。この任務に失敗しても、最終的にこうする事が党の、祖国の、ひいては世界の為になる。もちろん、私自身のためにも。そのように感じるのですよ」
「……少尉殿……」
 若いイザーク二等兵は、ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉の言葉に無条件に感動し、言葉を失っていた。

「……話はわかった。私が居ない間、よく対応してくれました」
 ナルブが鳥葬の地から邸宅に戻ったのは、昼を大きく廻った頃だった。
 地方為政官であるナルブは、多忙である。今も、帰宅するなり午前中の業務報告をそれぞれの部下から聞きつつ食事を摂り、それらが一段落したところで、食後の茶をドルマに注いでもらいながら朝の一件の報告を受けたところであった。
「ありがとうございます」
「しかし、それで一応の説明は付くわけだ。ユモ嬢とユキ嬢があのタイミングで鳥葬場に現れたのは、『悪霊』の仕業だと……おせっかいな悪霊も居たものだが……一体、どのような……」
「それなのですが……ナルブ様、聞いていただけますでしょうか」
 茶器を横に置いて、ドルマは、懐から折り畳んだ小さな紙包みを取り出し、開いて、ナルブの前に置いた。
「これは……犬の毛、かね?」
「幾人かにも聞いて回ったのですが、皆、そのような答えでした……これは、ユキさんの布団に付いていたものです」
 ドルマの答えを聞いて、ナルブは怪訝な顔をする。
「ツァムジューの話をまとめると、黒くて大きい四本足の獣の『悪霊』が、ユモさんを乗せて山の方に跳び出した、という事なのですが……不思議なのです。だとしたら、ユキさんは、どこに行ってしまったのか」
「鳥葬場に現れた時は、ユモ嬢とユキ嬢は一緒だったから、その『悪霊』に一緒に乗っていたのでは?」
 ナルブの問いに、ドルマは首を横に振る。
「ツァムジューは、ユモさんしか見ていないと。あの子は目はいいですし、嘘をつく理由も無いですから……そして、その黒い獣の毛です……ナルブ様、私が考えている事が、お分かりになりますでしょうか?」
「……一体、何を考えて……まさか?」
 何かに気付いたナルブに頷いて、ドルマは左腕の包帯を解き始める。
「そうであれば、昨夜の事も頷けます。いえ、むしろそうでなければ、納得のしようがありません」
 包帯の下から現れたドルマの左腕、打撃痕のまざまざと残るそれを見ながら、ナルブは言う。
「……師範ロードはこの事を、まだお気づきになってはいないはず。もしそれが本当であれば、みすみす『悪霊』を『神秘の谷』に引き入れてしまいかねない。ドルマ、御苦労だが、すぐに『神秘の谷』に向かってもらえないかね?」
「承知しました。ペーター様達の様子も、ついでに見て参りましょうか?」
「そうだな、出来るならそれも頼みたい。書簡その他が持ち出された事に気付いているなら、少尉殿が何もしないとは思えない。君の足なら、真っ直ぐ……そうか」
 何事か気付いて、ナルブは小さく頷く。
「道を通らず、真っ直ぐキャンプに向かって、折り返して鳥葬場に……」
「普通の人では、いくらそれが最短距離だとしても、道を通る方が結局早いはずです。獣道すらない山肌を上り下りするのですから」
 ドルマが、苦笑して答える。
「ですが、『獣の悪霊』なら、それくらいものの数ではないでしょうね。山の獣がそうであるように……では、すぐに仕度いたします」
 言って、ドルマは左腕の袖を戻す。打撃痕がするりと消え、そこには若い娘の綺麗な腕だけがちらりと見えた。
「ああ、ドルマ、一つ、言っておかないといけない事があるのだよ」
 きびすを返したドルマの背中に、ナルブが声をかける。
「書簡の内容についてだ。落ち着いて聞いて欲しい」
 一息、自分を落ち着かせてから、何の事かと小首を傾げたドルマに向かって、ナルブは言った。
「結論から言おう。書簡の内容は『神秘の谷』に関する事で、その情報はチェディからペーター少尉にもたらされたものと見て、まず間違いないだろう」
「……何ですって?」
 険しい声で、顔で、ドルマは聞き返した。
「書簡は、聞き取り調査のまとめ書きのようだった。時間が無かったのでざっと見ただけだが、個人名は記載されていなかったが、その内容と、友好的な現地情報提供者とされる男性と女性、これらは、私と君、そして私達がチェディと交わした会話の内容に他ならなかった」
「そんな……」
「チェディに、いや、テオドール・イリオン、それが本当の名前のようだが、彼に最初からその意図があったのか、ペーター少尉に、いやナチスドイツに強要されたのか、それはわからない。しかし、チェディはこれらのことを他者に漏らした、それは間違いない。こちらの用事が片付いたら、私も改めて『谷』に向かうつもりだが、少し時間がかかるでしょう。ドルマ、君は、先に『谷』に行って、モーセス師範ロードと共に書簡の内容を調査しておいて欲しい……君には、辛い仕事になってしまうが……」
「……いえ、大丈夫です」
 硬く食いしばった口元から大きくため息を吐き出すと、ドルマは、寂しげな笑顔をナルブに見せて、言った。
「こうなるかも知れない事は分かってました、あの人が去った時から……大丈夫です、ナルブ様。ドルマは、御恩には必ず報いますから」
「そんな事は気にしなくてよいのだよ、ドルマ」
 ナルブは、書斎の机をまわってドルマに近づくと、その肩に手を置いた。
「君は我々の同志、仲間になったのだ。ましてや君はもう私の家族だ。遠慮せず、辛ければ辛いと言ってくれてよいのだよ?」
 はっとして、ドルマはナルブの目を見た。
 しばし、ドルマはその目を見つめ、そして、言う。
「……はい、ありがとうございます……行って参ります」
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