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第三章-月齢26.5-

第3章 第26話

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 その人足達は、粗末な木綿のガウンを着ていた。沈黙し、まるで活力というものを見せる事なく、しかし驚くほどの力をもってその荷物――遺体――を包み直し、担ぎ上げ、モーセスが頷くのを合図に来た道をとって返す。
 その様子を、ユモと雪風は冷めた目で見つめる。
「……何か?」
 モーセスは、その二人の視線に気付き、どちらにともなく問いかけた。
「あ、いえ」
 咄嗟に、雪風はモーセスに微笑みを返す。
「重そうなのに、無口だなって」
「彼らは、みだりに口をきく事を禁じられています」
 さも当然という口調で、モーセスが返す。
「『聖地』の約束事の一つです。本来、『聖地』にはそれに相応しい人物のみ招かれますが、そのための下働きは必要です」
「つまり、彼らは奴隷?」
 歩き去る人足達の後ろ姿からモーセスに視線を移し、ユモが聞く。
「あくまで下働きです。この国、いえ、この土地には、奴隷という制度はありません」
 モーセスの表情からは、微笑みは消えていない。
「さて、我々も『聖地』に向かいましょう」
「そうね……ユキ?」
「ん」
 しゃがみ込んで、何となく小石をいじっている雪風に声をかけてから、ユモもモーセスに続いて歩き出した。

「どこまで話しましたか……ああ、ドルマの事でした」
 歩きながら、モーセス・グースは語り始める。
「彼女がいかにしてナルブ卿の養女となったかの経緯は、御存知ですか?」
「婚姻関係の問題で家族から勘当された、って話は聞いたわ」
 歩き出して間のないユモが、まだ元気な声で返事をする。
「結構です。ナルブ閣下は聡明で、しかも情けの深い方です。えにしのあったドルマがそのような境遇に落ちた事を悲しまれ、一も二も無く養女として迎え入れました。ドルマは特殊な例ですが、先ほどの熊に襲われた家族の遺児のように、ナルブ閣下が子供を引き取る事はさほど珍しくはありません。多くの場合、糧を得る事が出来るようになるか、別な里親を世話するかして手放されますが、閣下はそのように情けの深い、大変お優しい為政者なのです」
 一息区切り、モーセスは続ける。
「ドルマは、たいそう聡明です。恐らくは、拙僧や、ナルブ閣下以上に。それこそが彼女にとっての不幸なのですが……ナルブ閣下や拙僧と懇意にしていた事もあり、ドルマは外の世界、つまるところあなた方の住まう世界ですが、それに興味を持ち、あこがれるようになりました。無理もありません、ドルマのような聡明で進歩的な考え方を持つ女性に、この土地は窮屈に過ぎます。もちろんそれも仕方のない事です」
 一度、空を仰いで、モーセスはため息をつく。
「このモーセス・グースも知っています。女性を家の中に留め置く、それは旧世界のやり方であって、進歩的な世界のする事ではない。昨日も申し上げましたが、このモーセス・グースはこの土地の者ではありません。いくつもの世界、いくつもの文化を渡り歩き、ここにたどり着いたのですが、だからこそ、わかる事があります……この土地において、子孫を増やし、種を維持するという意味で、妊娠出産子育てを担う女性を家庭に留め置くのは理にかなっています。生活を維持し、種を維持する、そのためには、特に女性は余計な事に興味を持たず、ひたすらに育児と家事に徹する方が良い」
 笑顔で、モーセスは後に続いて歩くユモと雪風に振り向く。
「昨今の欧米社会では否定される考え方です。しかし、その欧米ですら、ほんの少し前まではそう考えられていた」
「農村部では今もそんなものよ」
 若干息が上がってきたユモが、相槌を打つ。
 雪風は、あえて口をつぐむ。ユモですら実際にはここから20年強、自分に至っては100年近く後の社会常識で生きている。うかつな事を言うと、ボロを出しかねない。
「しかし、ドルマは外の世界はそうでない事を知ってしまった。しかも、遠い西欧ではなく、隣国インドですら、一部階級の女性は社会進出し始めている事を、身をもって知ってしまった。良かれと思ってナルブ閣下がインドを訪問される際に、ドルマを連れて行ったのです。もちろん、その当時はまだドルマは家族の元に居ましたから、家族の許しを得て、ですが」
 19世紀末から大英帝国の版図に組み込まれたインドでは、他の多くのアジアの国家に比べれば、西欧文化は非常に速く、また深く影響していた。
「地方為政官のお墨付きでそのような体験をすることで、後々の輿入れに有利になると家族も踏んでいたのでしょう。ドルマの世界が広がったのは確かですが、しかし、同時にこの地で出来る事の限界も理解出来てしまった。それが、ドルマの不幸なのでしょう。男なら、ナルブ閣下に付き従って為政官を目指すことも出来たでしょうし、拙僧の力添えで高僧を目指すことも出来たでしょうが……」
「世界中が一様に同じ文化レベルなら諦めもついたでしょうけど、今は国によってレベル差が激しい時代だから……」
 雪風は、教科書その他で知っている知識を動員して考える。今の・・日本は昭和の初期、まだまだ女性の社会進出はおぼつかない時代。日本で最初に女性が選挙権を得たのは、終戦後の事だ。
「……知らなきゃ良かった、って事もある、って事か……」
「まさに、その通りなのでしょう。拙僧も、ドルマから直接聞いたわけではありませんが、拙僧ならきっとそう思うと思うのです。ですが、ドルマは同時に、非常に自制心の強い女性でもあります。そのような不平不満をこぼすのは、拙僧は見たことがありませんでした」
「って事は、あんたは、それを見た、って事?」
 ユモが、少々荒めの息づかいで聞く。
 モーセスの答えは、一拍遅れた。
「ごく最近の事です。チェディという男に出会って以来、ひどく悩んでいるようでした」
 ああ、と、ユモと雪風は思い出す。昨夜、床につく前、そんな話をドルマとしたっけ、と。
「それがきっかけで、家から勘当され、表面上は取り繕っていますが、ドルマは内心ひどく傷ついているはずです……このような立場で言えた義理ではありませんが、どうか、お二人には、ここに居る間だけでも、ドルマの話し相手になってやっていただきたいと、拙僧は願う次第です。やはり年頃の女性のことは拙僧にはわかりかねますので……」
「……ドルマさんにその気があるなら、あたしは構わないんですけど、ねぇ?……」
「……そうね、あたしも別に……」
 雪風はモーセスの懇願にそう答えてからユモに問いかけ、ユモもおおむね肯定の意を返す。
「……なんだけど。であれば、なおのこと、教えて頂戴」
 ユモは、モーセスに重ねて問う。
「なんで、いろんなものを盗み出したのよ?」

「一言では、答えかねます」
 立ち止まり、振り返って、モーセス・グースは答えた。
「それぞれ、理由が違うのです」
 いつの間にか、ひたすらに無言で歩き続ける人足達とは、それなりに距離が離れてしまっていた。一度その人足達を振り向いて確認してから、モーセスは続ける。
「まず、ユモ嬢の剣を持ち出した事については、これは本来予定にはなかった事でした」
「予定に、ない?」
「って事は、他の物は最初からそのつもりだった、って事?」
「その通りです」
 ユモと雪風に問われたモーセスは、一言明確に答えると、再び歩き出す。
「我々にとって、ペーター少尉殿が『化石』と呼ぶ遺物は、是が非でも持ち帰らなければならない物でした。そして、彼の書簡もまた、需要な情報源です。どちらかと言えば、危険性という意味では、書簡の方が重要と言えるでしょう」
「……あのさ」
 道なき道を苦労して歩きつつ、ユモが話を遮った。
「包み隠さず教えろって言ったのは確かにあたしだけど。包み隠さなすぎじゃない?」
 もう一度立ち止まり、モーセスはユモに振り返る。地形の関係もあり、顎の出始めたユモは、そのモーセスを高く見上げる形になる。
「その通りです。この件に関しては、拙僧はあなた方に隠し事をするつもりはありません。何故なら」
 邪気のない笑顔で、モーセスは言い切った。
「あなた方は、我々にとって、大変有益な方になるであろう、そう予感するからです」
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