西王母の谷-金色にして漆黒の獣魔女、蝕甚を貫きて時空を渡る-Schlucht der Königinmutter des Westens

二式大型七面鳥

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第三章-月齢26.5-

第3章 第21話

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「誰かが、あたしの銃剣バヨネット抜こうとしてるのよ!」
 食堂を跳び出したユモは、廊下を駆け抜けて自分達にあてがわれた寝室に戻るなり、雪風に言う。
「え?え?」
 いきなりそう言われても、雪風は状況を把握出来ない。
「急いで用意して!行くわよ!」
 言いながら、ユモは雑嚢ブロートボイテルに身の回りのものを詰め込む。
「行くって、え?」
「鈍いわね!親衛隊エスエスのキャンプに決まってるでしょ!」
「私が思いますに、整理しますとですな」
 ユモの胸元で激しく揺れながら、ニーマントが話をまとめようとする。
「ユモさんは、くだん銃剣バヨネット弾薬盒パトローネンタッシェにかけたまじないが破られようとしているのを感じ取られた。緊急事態だと判断し、一刻も早くミスタ・メークヴーディヒリーベのキャンプに向かいたい、そう言う事でよろしいか?」
「その通り、よ」
 雑嚢ブロートボイテルを袈裟懸けに背負しょいながら、ユモが答える。
「だからユキ、あんたの分の雑嚢ブロートボイテルあたしが持つから、あんたは早く脱いで変身してあたし乗っけてちょうだい!」
 雑嚢ブロートボイテルを背負ったユモは、返す刀で何某なにがしか懐から出した紙切れに書き付けつつ、雪風に頼む、というより半ば命ずる。
「……いや状況わかったからいいけどさぁ」
 ブツブツ言いながら、雪風は服を脱ぎ始める。
「イマイチ釈然としないのよね……そもそも、いちいち脱ぐの何とかならないのかな……てか、アレ、まだ完成してないんだっけ?」
「持って来とけば良かったわね、あと一晩頑張れば完成してたかも」
「あたしが頼んどいて何だけどさ。アレが完成してりゃ楽だったのに……」
 ぶつくさ言いながら服を脱ぎ、脱ぐ端から思いのほかきっちり雪風は服を畳む。その畳んだ服を、畳む端からユモがもう一つの雑嚢ブロートボイテルに突っ込む。
「それはいいのですが。その格好で、この部屋から跳び出されるので?」
「大丈夫よ」
 雪風の服を詰め込んだ雑嚢ブロートボイテルをたすき掛けに背負しょい、雪風の――巨大な黒い狼の――背中に跨がりながら、ユモはニーマントの質問に答える。
「表側に跳び出したらそりゃ人目につくでしょうけど、裏側の廊下の窓からなら、すぐに裏山の茂みだわ」
 ニーマントの輝かないアンシャイニング・多面体トラペゾヘドロンのペンダントを胸元に仕舞いながら、ユモは雪風に聞く。
「それくらい、あんたなら朝飯前でしょ?」
「朝飯はさっき食ったところよ」
 狼の口から、やや不明瞭な雪風の声が答える。
「部屋から真っ直ぐ跳び出すから、廊下に人目が無いことだけ確認して」
「了解。ニーマント?」
「はい。今なら、廊下には誰も居ません」
「よおっしゃあ!」
 脱兎のごとく、雪風は駆け出す。開けたままの寝室の入り口と、その先の開け放たれた廊下の窓に向かって。
 ユモと雪風は気付くよしも無く、ニーマントですら、雪風が駆け出した時点ではそれは想定外だった。
 ナルブ邸の下女の一人が、厨房の裏窓から裏山側に顔を出した事に。

 ナルブ邸のある街とペーター・メークヴーディヒリーベ発掘隊の宿営地とは、直線距離にすれば8kmまで離れてはいない。これは、平地かつ海抜の低いところであれば、軍隊ならば2時間強で踏破出来る距離である。
 しかして実際には、ペーター少尉によればこの2点間の移動は通常4時間程度を要し、実際、昨日午前にユモと雪風がペーター少尉他と一緒に移動した際も、その程度の時間がかかっていた。これは、ここが標高3千メートルを越える高地であって酸素が薄い為、低地人は普段の半分程度の能力しか出せないだけでなく、直線では途中に二つほど峰を越える必要がある為、遠回りであってもこれを迂回した方が結果的に早くて楽であるという事情による。
 宿営地は、7700m級の標高を誇るナムチャバルワ山を東に臨む広い谷筋――地形的地質的に、氷河によるU字谷が氷河後退後、堆積物によってある程度埋まった比較的平坦な場所――にあり、ナルブ邸までは谷沿いにヤルツァンポ河まで一度下り、川沿いの道を通るのが最も安全かつ効率が良い。そもそも、この地域は『地球上で最も大規模で深い』ヤルツァンポ大渓谷の入り口、少し奥に入れば山は険しさを増し、谷は深く急峻になる。現地人はともかく、西洋人にとっては1990年代後半まで未踏の地でもあった。
 その大地を、ユモを背中に乗せた雪風は、風のように駆け抜ける。低木の繁る峰を、人間の徒歩ではとても踏破できないそれを軽々と駆け上がり、その向こうの谷を風より早く駆け下る。
 ユモは、こうして雪風の背中に跨がって荒野を駆けるのが好きだった。逞しい筋肉の躍動、荒々しい源始力マナの奔流を下半身に感じつつ風を切る。この、文字通りの疾走感は、おのれの肉体だけではもちろん、魔法を駆使して箒で空を飛んだとしても感じることの出来ない感覚だった。
「……あれ?」
 躍動する肉体と風を切る疾走感に半ば恍惚となっていた――物理的には二つの肉体だが、使い魔の契約フェアトラーク フォン フェアトラートのおかげで魔法的には一つと見なせる為、故意に二人が『離れよう』と思わない限り、何もしなくても振り落とされることはない――ユモは、怪訝そうな雪風の声で我に帰る。
「何?」
「この辺、見覚えない?」
 ほんの少し、走る速度を落とした雪風が、ユモに尋ねる。
「見覚え?……そういえば」
「多分、あたし達が『時空跳躍タイムリープ』して出てきたところ、だよね?」
「……だわね」
 ナルブ邸の裏、峰を二つほど越えた先の広めの谷間。比較的平坦で、しかし谷の底を流れる川筋は急峻な崖であるそこは、確かに、彼女たちがこの地、1936年6月のチベットに現れた、その場所であった。
「なんだ、ナルブさん家とキャンプの間だったんだ」
 言って、雪風は足を停める。ケシュカルが落っこちた崖は、多分、あれ。ほんの二日前の事なのに、既に懐かしいような気もする。
「……何故、ここだったのでしょう?」
 ユモの胸元で、ニーマントが呟いた。
「私は、不思議なのです。何故、私達はこの場所に、このタイミングで現れたのか」
「行き先決定したあんたが言う台詞じゃないわね」
 輝かないアンシャイニング・多面体トラペゾヘドロンを黒いワンピースの胸元から引き出しながら、ユモが答えた。
「何度も言いますが、確かに行き先を決定するのは私ですが、それもいくつかの候補から選ばされているだけで、私が場所と時間を指定しているわけではありません。そして、何より疑問なのは、どうして『日蝕』のその瞬間、その場所に出ないのか、という事です」
「それは、あたしも気になってた」
 雪風が、相槌を打つ。
「日蝕の起きる日時と場所、そこをめがけて私達が『時空跳躍タイムリープ』しているのは明らかです。しかし、必ず、私達はその時の数日前、時には一月近く前に出現する。場所も、どうやら曰くいわくある何かに近接した場所を選んで出現しているらしい……私はそこに、何らかの、あるいは誰かしらの意図を感じるのです」
「だとしても、よ」
 ユモが、雪風の背中から行く手を臨みながら、言う。
「誰かに乗せられてるとしても、よ。今はそれに乗ってやるしかない、そうでしょ?」
「まあ、その通りです」
「他にどうしょうもないもんね」
 ニーマントと雪風は、口々にユモの言葉に同意する。
「だったら、行くとこまで行くまでよ。きっとこの旅が終わる頃には、誰の差し金か分かってると思うわ。黒幕がいるとして、だけど」
「そうね。情報が乏しすぎるんだもの、考えても無駄ね」
「そういう事。さ、行きましょ」
「……本当に、あなた方は逞しいですなあ」
 再び走り出した雪風の背中で、再びユモの胸元に仕舞われながら、ニーマントは一言、呟いた。

 それより少し以前。
「……抜けませんね」
 その男は、ユモの銃剣バヨネットを納めたベルトから手を離して、ため息をついた。
「何かで固定されているようには見えないのですが……」
 別な男が、鞘に刺さった銃剣バヨネットを見ながら、言う。
 鞘に収まっているのは、モーゼルM1871ライフル、通称Gew71用の銃剣バヨネット。SG-71とも呼ばれるそれは初期型の、長く、装飾の少ないタイプだった。そして、この時代の銃剣バヨネットは、現代のようなベルトによる抜け止めは無く、鞘の中の板バネのテンションだけで保持されるのが普通である。
「……そもそも、抜けないようなイミテーションなのでは?」
 それほどまでに堅く、抜ける事を拒否する銃剣に、二人目の男はそう言って一人目の男を見上げる。
 それは、岩のような坊主であった。
 その坊主は、ベルトごと銃剣と、銃剣とともにベルトに付けられた弾薬盒パトローネンタッシェを持ち上げると、軽く振る。
 ほんの微かに、その弾薬盒パトローネンタッシェからは、水の音と、砂か何かが動く音がする。
「私もそれを疑いましたが、しかし、イミテーションであるなら、このように何か中身を持たせることはしないと思うのです。それに……」
 男は、もう一度ベルトを置いて、言葉を続ける。
「……このベルトからは、何かを感じるのです」
「何か、ですか?」
「はい」
 聞き返したもう一人の男の尋ねる視線に、頷いて坊主は答える。
「それが何かは定かではありません。しかし、感じるのです。我らの『聖母』のそれに似た、何かを」
 坊主は、そう言ってから視線を回して、傍らに呆として立つ三人目の男に、言う。
「よくこれを見つけましたね。そして、よくこれを持ち出しました。お手柄です」
 声をかけられた男は、しかし、それに答えるでもなく、ただひたすらに、生気なく立っていた。
 その男の姿は、ナチスドイツの一般親衛隊アルゲマイネ エスエス少尉ウンターシュツルムフューラー、ペーター・メークヴーディヒリーベに瓜二つであった。
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