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第二章-月齢25.5-
第2章 第14話
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「こちらのお部屋です、どうぞお入り下さい」
ドルマに促されて、ユモと雪風はその部屋に入った。
「……いい部屋ね、客間?」
三歩ほど入ったところでぐるりと部屋を見まわして、ユモはそう言ってから、入り口に立つドルマに振り向く。
「ここはナルブ様の公邸ですので、お客様がお泊まりになる事もしょっちゅうです。このお部屋は、御家族様か、複数人のグループでお使いいただく用のものです」
「洗面台とトイレもあるんですね、ちょっとしたホテルみたい」
素早く部屋の奥を確認した雪風も、キョロキョロしながら戻って来て、言う。
「こんなお部屋に泊まらせてもらって、いいんですか?」
「どうぞ、遠慮なく」
笑顔で、ドルマは答える。
「ゆっくりなさって下さい……何か持って来させましょう。よろしければ、私、お二人ともう少しお話ししたいのですが」
「……まあ、断る理由は無いわね」
「いいんですか?お仕事とか……」
一応、空気を読んだ雪風に、入り口の際にいる下女に何某か持ってくるよう言いつけてから、ドルマ小首を傾げて言う。
「私の仕事は、あってないようなものですから……私は、正規のナルブ様の部下ではないんです、ペーター様からお聞きになっているかも知れませんが」
「ナルブさんの養女だって聞きました」
ドルマの告白に、雪風が聞いていることだけを答える。それ以上、深入りした質問をして良いのかどうか迷いつつ。
「……ちょっとごたごたがありまして、家族から愛想尽かされてしまいまして。行くあても住むところも無くしてしまった私を、旧知であったナルブ様が引き取って下さったんです。ですから、私はナルブ様のお手伝いをして、少しでも御恩に報いようと」
「ふうん……」
寝床の硬さを確かめていたユモが、振り向いて言う。
「あなた、良いとこのお嬢様に見えるけど。よっぽどの事をしでかしたのね?」
「そうですね、家族は裕福でしたし、だからこそ私の行いが許せなかったのでしょう……私は、決められていた結婚を反故にしたんです」
「んまっ!」
「マジか……」
ユモは身を乗り出し、雪風が、ちょっと退く。
「……政略結婚だったの?」
「政略というより、名誉的なものでしょうか」
遠慮の無いユモの質問に、苦笑してドルマは答える。
「親の決めた相手と結婚するのだろうという事は、そうなるだろうとは思っていました。あなた方のお国は違うのでしょうけれど、この国では、特に女はそういうものです。ただ、余りにも話が急で、しかも相手が私の倍も年上の方で……」
「まあ……」
興味津々である事を隠そうともせず、ユモは胡坐を掻いていた寝床から部屋の真ん中の座布団に移動する、四つん這いで。そこには、既に雪風とドルマが座っていた。
「……お話しが急だったのは、私が少々不祥事をしでかしたからなので、そこは仕方なかったのかも知れないのですが……不貞の噂が上がった娘を持った親としては、有力者に嫁がせることでその噂を否定するのが一番の早道だったと、理屈はわかるのですが……」
「あの、不貞って、どういう……」
不貞の意味が今ひとつ理解出来ていない雪風が、おそるおそる聞く。
「嫁入り前の娘が、行きずりの人と、夜を共にしたと、そう思われていたという事です」
ドルマが、情けなさそうに微笑みつつ、答える。
「それって……ああ」
「スキャンダラスだけど、でも、言っちゃなんだけど、一般論として農村部の貞操観念なんて、そんなに厳しくないんじゃない?」
21世紀前半の先進国の常識でものを考えてしまう雪風は、20世紀半ばの農村部の習慣を知るユモのツッコミにちょっと驚く。
「そういうものなの?」
「年頃の村の娘達がそんな話してたって、ブリュンヒルトが言ってたわ。ブリュンヒルトも良くわかってないみたいだったけど」
ブリュンヒルトというのが、ユモの母が作った、女性型人工人格を持ち普段は人型をしている卓上箒である事は、雪風は聞いたことがあった。その人工人格は、ユモの住むメーリング村の娘達の最頻値――平均値ではない――を参考として組み上げられている事も。
「本当の農家ならそうなのかも知れませんが、幸か不幸か私の実家はそれなりに裕福な庄屋なのです。それに、少なくとも、見ず知らずの男性と私が夜な夜な会っていた事自体は事実でしたから」
「あらぁ……」
「え?それって……」
「私自身の名誉のために言っておきますが」
ちょうど、バター茶のポットと茶菓子のバスケットを持って入って来た下女にも聞かせるように、ドルマは胸を張って言う。
「やましい事はありませんでした。あの方、チェディと出会ったのはここから少し離れた所の寺院の祭りに家族と訪れた時の事でしたが、その村からの帰り道が同じ方向だったので、三日ほど、夜になってから会ってお話をしていました。もちろん、家族には内緒でしたし、護衛の者にも見て見ぬふりをするよう心付けを渡しておりました」
――つまり、家族旅行に護衛を雇える程度の身分だった、って事ね――
雪風は、ドルマが、彼女が言うよりも裕福な家の出なのだろうと見当を付け直す。
――不寝番に心付けを渡す程度には、後ろめたい自覚があったって事よね――
ユモも、雪風とは違う視点、ブリュンヒルトにも負けず劣らずのゴシップ好きの一面からドルマの『女』としての一面を考察する。
「あの方、チェディは、なんと言いますか、不思議な方でした。ナルブ様よりお若いのに、ナルブ様のような博識と思慮の深さをお持ちで、しかも、その視点が非常に奇抜で、私が思ってもみなかったような切り口から物事を見ていらっしゃいました……まるで……」
言いながら、ドルマは、はっとしてユモと雪風を見る。
「……まるで、あなた方お二人のように」
「……どうして気が付かなかったのかしら……チェディに会ってから、チェディの影響で、私はこんなにも変わってしまったというのに……」
ドルマは、宙を仰ぐようにして独りごちる。茶菓子を摘まみながらバター茶を啜っていたユモと雪風は、その様子に半ばあっけにとられて黙って見守っている。
ドルマやナルブ、何よりモーセスをみれば明らかなように、チベットは宗教、チベット密教が国の根幹に深く根付いている。自然に、民の考え方も行動の規範もそれに基づいたものになる。しかし、ドルマは、短い間ではあるが今までの会話などから、ユモと雪風がその自分達の常識と違う視点、違う考え方、違う常識で物事を見ている事に気付いていた。そして。
「……あの方が、チェディが外国の方だったのなら、辻褄が合うのだわ……」
「え?待って、その男は、外国人だったの?」
身を乗り出して、ユモが喰いつく。
「今思うと、そうだったかも知れません。言葉が変でしたし、顔つきも……その時はラドゥキだと思ったのです。私は、ナルブ様に連れられてインドへは行った事があるのですが、そこの人たちと顔つきが似ている気がしたものですから」
ラドゥキとは、インド北部カシミール州のラダック地方及びそこに住む人々を指す言葉だが、ユモも雪風もその知識は無いので、『言葉通じせしむ呪い』によって言語のままで理解する。つまり、そう言う呼び方の民族あるいは部族があるのだ、と。
「……ナルブ様は、御存知だったのかしら……」
「つまり、その外国人との交際を疑われて、噂が立って、払拭のために有力者にあてがわれそうになった、って事?」
考え込んでしまうドルマに、ユモは重ねて聞いた。
「好きでもない、倍も年上の相手に?」
「……ありていに言えば、それで大体間違いないです」
ため息をついてから、ドルマは答える。
「チェディに会った事があるのは、私とナルブ様だけのはずですが、噂は尾ひれが付くものです。行きずりの馬の骨と情を交わしたなど良い方で、流れ者の筋者の情婦だとか、挙げ句には悪霊にそそのかされて呪われたとか……その時の私は、そんな身の回りの人たちの態度の変わりようにびっくりしましたし、非常に傷つきました。私は、そんな周囲に絶望して、捨て鉢になって、家族の持って来た縁談も、家の体面のためとしか思えず、つい過ぎた口をきいてしまい……」
いつの間にか口調に熱のこもっていたドルマは、ハッとして、言葉を止めた。
「すみません、こんなつまらない話を……どうして私……」
「ショックだったんですね」
雪風が、ドルマのうろたえぶりを気にせず、言葉をかける。
「ドルマさんって、やっぱ、見た目通りの箱入り娘だったんですね。でも、見た目クールっぽいのに実はすごく情熱的で、だから……その人の事、好きだったんでしょ?」
「え……?」
隙を突かれように、ドルマの動きが停まる。
「そういう話よね。なんだ、あたし、ドルマさんってもってお堅いんだと思ってた。情熱的なんじゃない」
ユモが、ローティーンの小娘が、仮にも二十歳を過ぎているだろう大人の女に指摘する。
「そう……なんですか?」
「そうよ、自信持ちなさいよ、あなたは、女としては正しいと思うわ」
「……ガキのあんたが何わかった風な事言ってるのよ」
「っさいわね、ブリュンヒルトと一緒に村の女の子の話はごまんと聞いてきたわ、『魔女の家』はよろずもめ事相談所でもあるんだから」
文字通りの意味で『魔女の家』であるユモの実家は、古物や薬の販売はもちろん、『害のない範囲での』占い呪いも行う為、恋愛相談を始めとした下世話な依頼も後を絶たない。
雪風に混ぜっ返されたユモの切り返しを聞いたドルマは、寂しげな微笑みを浮かべる。
「……あなた方が羨ましいわ。いえ、あなた方の文化背景が、なのかしら。私は、そういう事を考えてはいけない世界で生きて来ていたみたい。そういう考え方の出来る外の世界が羨ましい……あなた方も仲が良くて、本当に羨ましいわ……お二人は、年齢も国籍も違うのに」
「あら、年齢とか国籍とか、別にそんなの、仲良くなるのになんの関係もないわよ、ね?」
「そうね、あんたとはウマが合う、それだけだわね」
胡坐をかいてさえ少し高い雪風の目線を見上げて問うたユモに、ニヤリと歯を見せて雪風が答える。さすがに、この場で使い魔の契約をぶっちゃけるような事は、二人とも控えている。
「そうなのだとしたら、やっぱり私は、そう育ったあなた方が、羨ましい。私は、そのようには育ててもらえなかった……」
「じゃあ、今からそうなれば?」
「え?」
呟くように弱音を、本音を吐いたドルマは、あっさりとそれを覆すユモの発言にまたしても虚を突かれる。
「ドルマさんって、いくつなんです?諦めるにはまだ若すぎると思うんですけど」
雪風が、そこに追い打ちをかけた。
「ヒトって、死ぬまで成長するんだって、言ったのはアインシュタインだっけ?」
残念ながら、それは精神科医エリザベス・キューブラー・ロスの言葉である。
あえてアインシュタインの言葉から似た意味を選ぶのであれば、『大切なのは、自問自答し続けることである』だろうか。
「……成長、できるのでしょうか……」
ドルマは、自分の両手のひらを見つめて、呟く。
「私のような者に、成長なんて……」
ユモは、見た。ドルマの両手のひらに、見た事のない黒い放射閃が纏いついているのを。
ユモは、しかし、それはドルマの不安を示すものだと思って、あまり気に留めなかった。
ドルマに促されて、ユモと雪風はその部屋に入った。
「……いい部屋ね、客間?」
三歩ほど入ったところでぐるりと部屋を見まわして、ユモはそう言ってから、入り口に立つドルマに振り向く。
「ここはナルブ様の公邸ですので、お客様がお泊まりになる事もしょっちゅうです。このお部屋は、御家族様か、複数人のグループでお使いいただく用のものです」
「洗面台とトイレもあるんですね、ちょっとしたホテルみたい」
素早く部屋の奥を確認した雪風も、キョロキョロしながら戻って来て、言う。
「こんなお部屋に泊まらせてもらって、いいんですか?」
「どうぞ、遠慮なく」
笑顔で、ドルマは答える。
「ゆっくりなさって下さい……何か持って来させましょう。よろしければ、私、お二人ともう少しお話ししたいのですが」
「……まあ、断る理由は無いわね」
「いいんですか?お仕事とか……」
一応、空気を読んだ雪風に、入り口の際にいる下女に何某か持ってくるよう言いつけてから、ドルマ小首を傾げて言う。
「私の仕事は、あってないようなものですから……私は、正規のナルブ様の部下ではないんです、ペーター様からお聞きになっているかも知れませんが」
「ナルブさんの養女だって聞きました」
ドルマの告白に、雪風が聞いていることだけを答える。それ以上、深入りした質問をして良いのかどうか迷いつつ。
「……ちょっとごたごたがありまして、家族から愛想尽かされてしまいまして。行くあても住むところも無くしてしまった私を、旧知であったナルブ様が引き取って下さったんです。ですから、私はナルブ様のお手伝いをして、少しでも御恩に報いようと」
「ふうん……」
寝床の硬さを確かめていたユモが、振り向いて言う。
「あなた、良いとこのお嬢様に見えるけど。よっぽどの事をしでかしたのね?」
「そうですね、家族は裕福でしたし、だからこそ私の行いが許せなかったのでしょう……私は、決められていた結婚を反故にしたんです」
「んまっ!」
「マジか……」
ユモは身を乗り出し、雪風が、ちょっと退く。
「……政略結婚だったの?」
「政略というより、名誉的なものでしょうか」
遠慮の無いユモの質問に、苦笑してドルマは答える。
「親の決めた相手と結婚するのだろうという事は、そうなるだろうとは思っていました。あなた方のお国は違うのでしょうけれど、この国では、特に女はそういうものです。ただ、余りにも話が急で、しかも相手が私の倍も年上の方で……」
「まあ……」
興味津々である事を隠そうともせず、ユモは胡坐を掻いていた寝床から部屋の真ん中の座布団に移動する、四つん這いで。そこには、既に雪風とドルマが座っていた。
「……お話しが急だったのは、私が少々不祥事をしでかしたからなので、そこは仕方なかったのかも知れないのですが……不貞の噂が上がった娘を持った親としては、有力者に嫁がせることでその噂を否定するのが一番の早道だったと、理屈はわかるのですが……」
「あの、不貞って、どういう……」
不貞の意味が今ひとつ理解出来ていない雪風が、おそるおそる聞く。
「嫁入り前の娘が、行きずりの人と、夜を共にしたと、そう思われていたという事です」
ドルマが、情けなさそうに微笑みつつ、答える。
「それって……ああ」
「スキャンダラスだけど、でも、言っちゃなんだけど、一般論として農村部の貞操観念なんて、そんなに厳しくないんじゃない?」
21世紀前半の先進国の常識でものを考えてしまう雪風は、20世紀半ばの農村部の習慣を知るユモのツッコミにちょっと驚く。
「そういうものなの?」
「年頃の村の娘達がそんな話してたって、ブリュンヒルトが言ってたわ。ブリュンヒルトも良くわかってないみたいだったけど」
ブリュンヒルトというのが、ユモの母が作った、女性型人工人格を持ち普段は人型をしている卓上箒である事は、雪風は聞いたことがあった。その人工人格は、ユモの住むメーリング村の娘達の最頻値――平均値ではない――を参考として組み上げられている事も。
「本当の農家ならそうなのかも知れませんが、幸か不幸か私の実家はそれなりに裕福な庄屋なのです。それに、少なくとも、見ず知らずの男性と私が夜な夜な会っていた事自体は事実でしたから」
「あらぁ……」
「え?それって……」
「私自身の名誉のために言っておきますが」
ちょうど、バター茶のポットと茶菓子のバスケットを持って入って来た下女にも聞かせるように、ドルマは胸を張って言う。
「やましい事はありませんでした。あの方、チェディと出会ったのはここから少し離れた所の寺院の祭りに家族と訪れた時の事でしたが、その村からの帰り道が同じ方向だったので、三日ほど、夜になってから会ってお話をしていました。もちろん、家族には内緒でしたし、護衛の者にも見て見ぬふりをするよう心付けを渡しておりました」
――つまり、家族旅行に護衛を雇える程度の身分だった、って事ね――
雪風は、ドルマが、彼女が言うよりも裕福な家の出なのだろうと見当を付け直す。
――不寝番に心付けを渡す程度には、後ろめたい自覚があったって事よね――
ユモも、雪風とは違う視点、ブリュンヒルトにも負けず劣らずのゴシップ好きの一面からドルマの『女』としての一面を考察する。
「あの方、チェディは、なんと言いますか、不思議な方でした。ナルブ様よりお若いのに、ナルブ様のような博識と思慮の深さをお持ちで、しかも、その視点が非常に奇抜で、私が思ってもみなかったような切り口から物事を見ていらっしゃいました……まるで……」
言いながら、ドルマは、はっとしてユモと雪風を見る。
「……まるで、あなた方お二人のように」
「……どうして気が付かなかったのかしら……チェディに会ってから、チェディの影響で、私はこんなにも変わってしまったというのに……」
ドルマは、宙を仰ぐようにして独りごちる。茶菓子を摘まみながらバター茶を啜っていたユモと雪風は、その様子に半ばあっけにとられて黙って見守っている。
ドルマやナルブ、何よりモーセスをみれば明らかなように、チベットは宗教、チベット密教が国の根幹に深く根付いている。自然に、民の考え方も行動の規範もそれに基づいたものになる。しかし、ドルマは、短い間ではあるが今までの会話などから、ユモと雪風がその自分達の常識と違う視点、違う考え方、違う常識で物事を見ている事に気付いていた。そして。
「……あの方が、チェディが外国の方だったのなら、辻褄が合うのだわ……」
「え?待って、その男は、外国人だったの?」
身を乗り出して、ユモが喰いつく。
「今思うと、そうだったかも知れません。言葉が変でしたし、顔つきも……その時はラドゥキだと思ったのです。私は、ナルブ様に連れられてインドへは行った事があるのですが、そこの人たちと顔つきが似ている気がしたものですから」
ラドゥキとは、インド北部カシミール州のラダック地方及びそこに住む人々を指す言葉だが、ユモも雪風もその知識は無いので、『言葉通じせしむ呪い』によって言語のままで理解する。つまり、そう言う呼び方の民族あるいは部族があるのだ、と。
「……ナルブ様は、御存知だったのかしら……」
「つまり、その外国人との交際を疑われて、噂が立って、払拭のために有力者にあてがわれそうになった、って事?」
考え込んでしまうドルマに、ユモは重ねて聞いた。
「好きでもない、倍も年上の相手に?」
「……ありていに言えば、それで大体間違いないです」
ため息をついてから、ドルマは答える。
「チェディに会った事があるのは、私とナルブ様だけのはずですが、噂は尾ひれが付くものです。行きずりの馬の骨と情を交わしたなど良い方で、流れ者の筋者の情婦だとか、挙げ句には悪霊にそそのかされて呪われたとか……その時の私は、そんな身の回りの人たちの態度の変わりようにびっくりしましたし、非常に傷つきました。私は、そんな周囲に絶望して、捨て鉢になって、家族の持って来た縁談も、家の体面のためとしか思えず、つい過ぎた口をきいてしまい……」
いつの間にか口調に熱のこもっていたドルマは、ハッとして、言葉を止めた。
「すみません、こんなつまらない話を……どうして私……」
「ショックだったんですね」
雪風が、ドルマのうろたえぶりを気にせず、言葉をかける。
「ドルマさんって、やっぱ、見た目通りの箱入り娘だったんですね。でも、見た目クールっぽいのに実はすごく情熱的で、だから……その人の事、好きだったんでしょ?」
「え……?」
隙を突かれように、ドルマの動きが停まる。
「そういう話よね。なんだ、あたし、ドルマさんってもってお堅いんだと思ってた。情熱的なんじゃない」
ユモが、ローティーンの小娘が、仮にも二十歳を過ぎているだろう大人の女に指摘する。
「そう……なんですか?」
「そうよ、自信持ちなさいよ、あなたは、女としては正しいと思うわ」
「……ガキのあんたが何わかった風な事言ってるのよ」
「っさいわね、ブリュンヒルトと一緒に村の女の子の話はごまんと聞いてきたわ、『魔女の家』はよろずもめ事相談所でもあるんだから」
文字通りの意味で『魔女の家』であるユモの実家は、古物や薬の販売はもちろん、『害のない範囲での』占い呪いも行う為、恋愛相談を始めとした下世話な依頼も後を絶たない。
雪風に混ぜっ返されたユモの切り返しを聞いたドルマは、寂しげな微笑みを浮かべる。
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「あら、年齢とか国籍とか、別にそんなの、仲良くなるのになんの関係もないわよ、ね?」
「そうね、あんたとはウマが合う、それだけだわね」
胡坐をかいてさえ少し高い雪風の目線を見上げて問うたユモに、ニヤリと歯を見せて雪風が答える。さすがに、この場で使い魔の契約をぶっちゃけるような事は、二人とも控えている。
「そうなのだとしたら、やっぱり私は、そう育ったあなた方が、羨ましい。私は、そのようには育ててもらえなかった……」
「じゃあ、今からそうなれば?」
「え?」
呟くように弱音を、本音を吐いたドルマは、あっさりとそれを覆すユモの発言にまたしても虚を突かれる。
「ドルマさんって、いくつなんです?諦めるにはまだ若すぎると思うんですけど」
雪風が、そこに追い打ちをかけた。
「ヒトって、死ぬまで成長するんだって、言ったのはアインシュタインだっけ?」
残念ながら、それは精神科医エリザベス・キューブラー・ロスの言葉である。
あえてアインシュタインの言葉から似た意味を選ぶのであれば、『大切なのは、自問自答し続けることである』だろうか。
「……成長、できるのでしょうか……」
ドルマは、自分の両手のひらを見つめて、呟く。
「私のような者に、成長なんて……」
ユモは、見た。ドルマの両手のひらに、見た事のない黒い放射閃が纏いついているのを。
ユモは、しかし、それはドルマの不安を示すものだと思って、あまり気に留めなかった。
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