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それからも、私は坊ちゃんの世話係として、女中として働いた。坊ちゃんは成長するにつれ、学校が忙しくなるにつれ、「お参り」に行く回数は減ったが、それでも暇を見つけると泉に行き、そして私もそれについて行くのが常になった。
私は、正体がばれないよう、慎重にしてはいたが、一度だけ危なかった事があった。私が十二になった頃だったか、夏の暑い盛りに、暑さに我慢出来ず、沼で泳いでいた事があった。それまでも、沼で泳ぐ、本性に戻って泳ぐ事はたびたびあったが、この時は油断していた。岸に上がる寸前まで人に戻らず、水から出る寸前に人の姿に化身したのだが、まさか目の前に、釣り竿を持った坊ちゃんが居たとは思わなかった。ただ、坊ちゃんは、私が突然水から出てきた事より、私が裸である事の方が驚いたようで、しばらくぽかんとしていたと思うや真っ赤になって後ろを向き、飛ぶように屋敷に帰って行った。その頃の私は、女の姿で裸を見られる事の意味もよく分かっていなかったし、そもそも自分が、人の基準では器量好しではない事は分かっていたから、そちらはなんとも思っていなかったが、流石に正体を見られたかも知れない事は心配になった。だが、その後、坊ちゃんがそれらしいそぶりをする事はなかったので、いつかその事も気にしなくなった。ただ、それ以降、沼で泳ぐのは夜の間だけとし、岸から充分離れたところで人に化けてから水から出る事にした。
そんな事があってからだろうか、坊ちゃんは私を女として意識するようになったようではあった。だが、言ったとおり、私は人の基準では器量好しではない事は自覚があったので、そう坊ちゃんに言った事もある。
「そんな事はない、なずなは働き者で、何より愛嬌がある」
その時、坊ちゃんは後ろを向いて、つっけんどんに言ったのを、それを聞いて、私の口元が緩んだのを、頬が火照ったのを覚えている。あれは、坊ちゃんは照れていたのだと、今は分かる。そして、その時、何故自分の頬が火照ったのか、私には分からなかったが、今は分かる。
その頃の私は、坊ちゃんの信を得る事に必死だった。だから、坊ちゃんの為に働く事に、全く苦を感じなかった。私が仇を討つ為には、坊ちゃんの信を得ておかなければならない、だから、その為に働くのが苦にならないのだと、その時の私は思っていた。
そう、信じようとしていたのかも知れなかった。
やがて、坊ちゃんは東京の大学に進む事になった。大学で、寮に入るのだという。当たり前だが、私はついて行くわけには行かない。どうしたものか、仇を討つためにもここを離れる気はないが、坊ちゃんの側にいられないとなると、信を得るのも面倒になる。
そんな事を考えつつ、坊ちゃんの壮行会とやらの後片付けをしていた時のことだった。
「なずな、俺の頼みを聞いてくれないか」
突然、坊ちゃんがそう切り出してきた。
「はい、何なりと」
「……俺は、東京の大学に行く。四年で戻ってくるつもりだが、その間、お前は決して暇を取らないで、俺が帰るまでここに居てくれ」
「はい、それはもう」
もとよりそのつもりだ、仇を討つまでは。
「そして、その間、俺の代わりに、例の主のお参りをしてもらえないか?」
どきりとした。勿論、言われるまでもなくそうするつもりであったが。
「……はい、それこそ、お安い御用です」
「よかった、それが気がかりだったんだ。ありがとう……すまない、ほんとうにすまない」
坊ちゃんはその時、いささか酔っていらしたのだろう。テーブルを拭く私の肩に、坊ちゃんの両手が置かれたのを、そのまま、すまない、すまないと呟く坊ちゃんの腕が、私の肩を後ろから抱くのを、私はそのまま、無理に振りほどきはしなかった。
私は、正体がばれないよう、慎重にしてはいたが、一度だけ危なかった事があった。私が十二になった頃だったか、夏の暑い盛りに、暑さに我慢出来ず、沼で泳いでいた事があった。それまでも、沼で泳ぐ、本性に戻って泳ぐ事はたびたびあったが、この時は油断していた。岸に上がる寸前まで人に戻らず、水から出る寸前に人の姿に化身したのだが、まさか目の前に、釣り竿を持った坊ちゃんが居たとは思わなかった。ただ、坊ちゃんは、私が突然水から出てきた事より、私が裸である事の方が驚いたようで、しばらくぽかんとしていたと思うや真っ赤になって後ろを向き、飛ぶように屋敷に帰って行った。その頃の私は、女の姿で裸を見られる事の意味もよく分かっていなかったし、そもそも自分が、人の基準では器量好しではない事は分かっていたから、そちらはなんとも思っていなかったが、流石に正体を見られたかも知れない事は心配になった。だが、その後、坊ちゃんがそれらしいそぶりをする事はなかったので、いつかその事も気にしなくなった。ただ、それ以降、沼で泳ぐのは夜の間だけとし、岸から充分離れたところで人に化けてから水から出る事にした。
そんな事があってからだろうか、坊ちゃんは私を女として意識するようになったようではあった。だが、言ったとおり、私は人の基準では器量好しではない事は自覚があったので、そう坊ちゃんに言った事もある。
「そんな事はない、なずなは働き者で、何より愛嬌がある」
その時、坊ちゃんは後ろを向いて、つっけんどんに言ったのを、それを聞いて、私の口元が緩んだのを、頬が火照ったのを覚えている。あれは、坊ちゃんは照れていたのだと、今は分かる。そして、その時、何故自分の頬が火照ったのか、私には分からなかったが、今は分かる。
その頃の私は、坊ちゃんの信を得る事に必死だった。だから、坊ちゃんの為に働く事に、全く苦を感じなかった。私が仇を討つ為には、坊ちゃんの信を得ておかなければならない、だから、その為に働くのが苦にならないのだと、その時の私は思っていた。
そう、信じようとしていたのかも知れなかった。
やがて、坊ちゃんは東京の大学に進む事になった。大学で、寮に入るのだという。当たり前だが、私はついて行くわけには行かない。どうしたものか、仇を討つためにもここを離れる気はないが、坊ちゃんの側にいられないとなると、信を得るのも面倒になる。
そんな事を考えつつ、坊ちゃんの壮行会とやらの後片付けをしていた時のことだった。
「なずな、俺の頼みを聞いてくれないか」
突然、坊ちゃんがそう切り出してきた。
「はい、何なりと」
「……俺は、東京の大学に行く。四年で戻ってくるつもりだが、その間、お前は決して暇を取らないで、俺が帰るまでここに居てくれ」
「はい、それはもう」
もとよりそのつもりだ、仇を討つまでは。
「そして、その間、俺の代わりに、例の主のお参りをしてもらえないか?」
どきりとした。勿論、言われるまでもなくそうするつもりであったが。
「……はい、それこそ、お安い御用です」
「よかった、それが気がかりだったんだ。ありがとう……すまない、ほんとうにすまない」
坊ちゃんはその時、いささか酔っていらしたのだろう。テーブルを拭く私の肩に、坊ちゃんの両手が置かれたのを、そのまま、すまない、すまないと呟く坊ちゃんの腕が、私の肩を後ろから抱くのを、私はそのまま、無理に振りほどきはしなかった。
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