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第一章 Before dawn―払暁―

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 少女は、自分の店のカウンターに突っ伏した姿勢のまま、うたた寝から醒めた。どうやら、退屈な昼過ぎの店番の最中に、うららかな陽気に誘われてしまったらしい。
「……夢……」
 度々見る、忌まわしい夢。何故かは分からないけれど、酷く哀しい夢。
「また同じ夢かい?」
 明るい昼下がりの、うららかな日光が差し込むカウンターの隅の、わずかな日陰から声がする。日陰の中に、金色こんじきに光る宝石が二つ。のそり、影の中で闇が蠢く。影よりなお暗い、それは漆黒の子猫。
 ざらり。子猫の舌が少女の涙を拭う。悲しみより苦い慙愧の味。くしゃり、少女は子猫の頭をやや乱暴になでる、無言で。
「……顔洗って、目、醒ましてくるわ」

 冷たい水で顔を洗い、リュールカは鏡を覗き込む。鏡の中に居るのは、齢十五にも達していないであろう童女の顔。前は眉の上で適当に、自分で洋裁ばさみで断ち切った散切り。耳の横あたりも適当に垂らして切った、よく言えば姫カット。後ろ髪は腰に届く程長いが、これも毛先を揃えているだけ。全体に清潔にしてはいるがオシャレとはほど遠いその黒髪は、左のこめかみの上あたりから耳の前に垂れる一房だけが金髪。細い黒縁の大きな眼鏡の奥の瞳は吸い込まれそうに漆黒、しかして背丈は低く、童顔とあいまってよくて十五、下手をするととおを一つ二つ越えた位の年格好にしか見えない。まるで自分の顔という実感がない、何度見ても何故か見慣れない顔。その自分の顔を見つめているうち、からんころん、店の扉がにぎやかに開く音を背中に聞く。
「リュールカー、お客様がいらしたよー」
 子猫が声を張り上げている。
「はあーい。今行きまーす」
 自分の顔を詮索するのは後回し。まずはお客様優先。無理やり気持ちを切り替えて、リュールカは振り向き、駆け出す。

「聞いて聞いてリュールカ!あたし、これから兵隊さんを案内するの!」
 店に戻るなりそう言われ、何が何だか理解出来なかったリュールカは、改めて聞き返さざるを得なかった。
「ええっと。誰が、誰を案内するって?」
「だからあ!」
 目の前の少女、ギーゼラが、く気持ちを抑えきれないようにぴょんぴょんとはねながら、繰り返した。
「森の奥の秘密の場所に、兵隊さんを案内するの!」
 秘密の場所というのがどこかはともかく、兵隊という不吉な言葉にリュールカが眉をひそめた、その時。
 からん、ころん。
 ドアベルの音と共に、軍服を着た壮年の男が店に入ってきた。

こんにちはグーテンターク、ちょっとものをたずね……おっと、これは可愛らしい店番だ」
 その軍人、壮年で、やや恰幅のいい体型の兵士は、気さくな様子で店番のリュールカに声をかけ、すぐにギーゼラにも気付く。
「おじさん、この子がリュールカよ」
 振り向いたギーゼラも、陽気にそう答える。
「なんと。このお嬢さんが。これは可愛らしい魔女さんだ」
 ヘルメットの鍔を親指で押し上げて、兵士は一癖ありそうな、だが人の良さそうな笑顔を見せた。
「ギーゼラ、ちょっと」
 兵士の言葉を聞いたリュールカは、それまで保っていた営業スマイルを引きつらせつつ、ギーゼラの袖を引く。
「え?なに?」
「いいから!ちょっと。すみませんお客様、ちょっと失礼します」
 そう言って、「魔女の家ヘキセン・ハウゼン」の女店主、リュールカ・ツマンスカヤは、店にしょっちゅう遊びに来る近所の子供の代表格であるギーゼラをバックヤードに連れ出した。

「駄目だって言ったでしょ!よその人にそういう事言っちゃ駄目って!」
 腰に手を当てて、店のバックヤードでリュールカは自分よりやや小さいギーゼラを叱りつけた。
「だって……」
 上目遣いに、ギーゼラはリュールカを見返す。
「この辺に、魔女とか妖精とか、そういう遺跡とか言い伝えとかないかって聞かれたから……」
「それで、なんて答えたの?」
「魔女のお店ならあるよ、秘密の場所も知ってるよ、って……」
 リュールカは、盛大にため息をついた。
 人の口に戸は立てられない。ましてや、口の軽い少女、子供とあっては。とはいえ……
「私のこと、なんて言ったの?」
 リュールカは、確認する。
「なんにも言ってないよ。魔女の家ヘキゼン・ハウゼンってお店があるよって、それだけ。だって、リュールカの事は村の秘密でしょ?」
 一応、そこのところはわかってはいるのか。少しだけ、リュールカは安心する。
 リュールカ・ツマンスカヤという小さな魔女がこの村に居ることは、村人なら誰でも知っているが、村の外には絶対言ってはならない禁忌であった。それは、今更魔女狩りだ何だを恐れたと言う事ではなく、幾度か重病人や事故その他から村人を救ってくれた恩人に対するお礼の意味が強かった。
 リュールカ自身、一体いつからこの村に居着いているのかよく覚えていない。ただ、この目の前に居る少女、今年で十才になるギーゼラの、その祖母であるヘルガがギーゼラと同じくらいの年格好だった頃の事を覚えているから、その程度の時間はここに居るのだろう。
「……わかりました。じゃあ、あの兵隊には、私のことは何も言ってないのね?」
「うん」
 大きく頷いて返事するギーゼラから店内の方に視線を戻して、リュールカはもう一度、ため息をついた。

「お待たせしました、どんなものがご入り用ですか?」
 改めて営業スマイルを作り直して、店内に続くドアを開けたリュールカは、棚に陳列しているハーブをしげしげと見ていた兵士に声をかけた。
「ああ、すまないねお嬢ちゃん。ここは魔女のお店って聞いたんだが、お嬢ちゃんがその魔女でいいのかい?」
「はい、占いから薬の調合まで、何でもしますよ?」
 カウンターの後ろに戻りつつ、リュールカは営業スマイルのまま質問に答えた。
「それじゃあ、腰痛に効く薬はないかな?あと、胸焼け胃もたれに効く薬もあると有り難いんだが。何しろこの歳で再招集されてね。長旅で腰は痛むわ、軍の飯も年寄りにはこたえてね」
「まあ、それはご苦労さまです。塗り薬と飲み薬を御用意いたしましょう、少々お待ち下さいな」
「いやあ、有り難い。待たせてもらうよ」
 そう言って、兵士は店の隅のスツールに腰を下ろし、ヘルメットを脱いで小さなテーブルに置いた。露わになったその顔、その頭は、なるほど、年寄りと自重する程度には皺が深く、髪も薄い。
「ブリュンヒルト、ヴィルベルヴィント、手伝って頂戴」
「はい御主人様マイスター
 呼ばれて、リュールカよりいくらか年格好も上だろう男女、典型的なオーバーオールの作業服を着た青年男女が店の奥から飛んできた。あれとこれとそれ、とリュールカに指示された薬草の瓶を取り出そうと棚に駆け寄り、男が梯子を支え、女が梯子に登って瓶に手を伸ばす。
 その間に、リュールカは窓越しに店の外をちらりと見る。そこには、軍のサイドカーが駐まっていて、運転手であろう兵士が無線機を置いて丁度こちらに、店に向かって歩いてくるところだった。
 からん、ころん。
 再び、ドアベルが鳴り、薬を注文した兵とは違い、かなり若い二人目の兵士、眼鏡をかけた、いかにも新米の兵士が店に入ってきた。
「分隊長、クランプ分隊から連絡です。特務少尉のお眼鏡にかないそうな宿の確保は困難、ジンネマン分隊に託す、との事です」
「まったく、クランプの奴……仕方ない、とりあえずこの村で、特務少尉殿のお気に召すようなところを探してみるとするか」
「は!」
「お忙しそうですね?」
 しゃっちょこばって立っている若い兵士を見ながら、乳鉢で薬の原料をすりつぶして混ぜていたリュールカが古参の方の兵士に聞いた。
「ああ。まったく、今度の上官がどうにもこうにも野営がお嫌らしくてね……よく知らないんだが、元々軍人じゃない調査機関の研究者だって事なんだが、その発掘調査とやらに借り出されてね。まあ、手当も付くし、小遣い稼ぎくらいにはなればってことなんだが」
「大変ですのね」
「まあ、どこぞの調査機関の道楽に付き合って給料もらえるなら、悪い話じゃないさ」
 二人の会話をよそにリュールカの手元を興味深げに見ているギーゼラを見ながら、その兵士は言い、そして聞いた。
「ところで、このあたりに何か不思議な伝承とか、ないかね?」
「不思議な伝承、ですか?」
「具体的にどう、と聞かれても説明出来ないんだが。まあ、魔女と名乗るお嬢さんが店を切り盛りしているってのも、十分不思議ではあるが」
 そう言って、その兵士は破顔する。
「そういうことではなく、かつて何か怪物の類いがいたとか、退治されて埋められているとか、どうやらうちの少尉さんはそういうものを探しているんだ。いやまあ、本物の魔女がそこらに居るってんなら、それでも良いんだがね。なあ?」
「は、はい」
 急に話を振られた若い兵士は、しゃっちょこばったまま緊張の感じられる返事を返した。という事は、この壮年の兵士は、私が魔女だって事は信じているわけではない、という事か。リュールカは、胸算用する。
「こちらに来られたのは、何かそういう当てがあって?」
 調合した薬を横に居る女、どうやら助手らしいその女性に渡して、リュールカが聞く。
「そうらしい、新米少尉さんによるとな。俺達はおおざっぱな目的だけしか聞いてないが、要するに、ずいぶん昔、ここいらに隕石だか何だかが落ちたらしい。それが、どうやらただの隕石ではなかった、って記録があるらしいんだ」
「まあ……はい、お薬です。軟膏は痛む時に塗って下さい。胃腸薬の飲み薬は一回一袋、十回分あります」
 丁寧に小分けに包んだ粉薬をさらに紙で包んで、その助手の赤毛の女性はジンネマンに差し出した。
「や、どうも。効目は魔女のお墨付き、って事かな?」
 見た目の割に少年のような悪戯っぽい目つきで、その壮年の兵士はリュールカに聞いた。
「勿論。効目がなければお代はお返しします」
「いくらだい?」
「五十ペニヒで」
「なるほど、そりゃ効目がありそうだ」
 五十ペニヒ出せば、町でジャガイモが一袋、五キロ程度買える。こんな田舎の村の、うさんくさい店の出す薬に払う金額としては破格とも言える。
「さて、それじゃあ昼飯の後に早速試させてもらうか、そっちのお嬢ちゃん、それじゃあ昼飯の後に案内、よろしくお願いするよ」
 そう言って、その兵士は代金をテーブルに置くと、薬を包んだ紙包みをブリュンヒルトと呼ばれた女助手から受け取り、店を出て行こうとして、
「ああ、そうだ、ついでに教えてくれないか?この村で一番の宿と食堂って、どこかね?」
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