4 / 5
04
しおりを挟む
車の中で、矢部氏は、今までの話を信じられないという顔で聞いていた。
「そ、それでは……」
「妹は、自分なりに一族の将来を考えていたのです。ですが、私には、もっと別の方法があると思えました。だから、麻那姫達と手を結んだのです」
矢部氏は、今すぐにでもここから逃げ出したくなった。目の前のこの女が事もあろうに夢魔の長だと?冗談じゃない!
「現世の魔物が相手なら、九頭竜を筆頭とする強者達で充分以上に斗えます。ですが、夢の中では、いかに彼らとて手が出せません。それで、私は人との間に子を成し、獏一族としたのです」
「……」
「あの娘、鰍は、その獏と蘭の相の子なのです。本来、犬神は純血主義で、混血は許されないのですが、蘭は例外的に混血を許された一族なのです。
と、いうのも、本来、呪的能力を持たない犬神一族が呪術者としての力を持つ同族を得るには、唯一、混血を許すしか方法はなかったのですから。
無論、それなりのペナルティは課されます。元来、子種のうすい犬神ですから、まず、必ず純血の蘭の血を残す事。混血児は子を成してはならない事。そして、蘭は女しか生まれない血である事。
ですから、今回のように一度に三人も娘が居るというのはごくまれなのです」
――それに……――
夢魅姫には、しかし、一つ解らない事があった。
――普通、長女が純血だったはず。なのに今回に限っては次女が純血で、三女が獏。二人も純血を残すはずがないとすると、長女は、一体……――
ちょうどその時だった。リンカーンの外で夢魅姫の従者が、ぴくりと動いた。
「……来ました」
「奴ね?」
「間違いありません」
「しばらく泳がせます」
言って、姫は矢部氏に向き直ると、
「お客さんがいらした様です」
「姉上!改心なさらぬと言うのなら、麻那姫ともども去ねるが良い!」
夢紡姫が叫ぶ。とたんに、巨大な、黒い影が麻那姫達をとり囲む。
「!……いやあ!」
目の前で、見る間に士官が、女房が白骨と化してゆく。鰍は、たまらず悲鳴を上げた。
そのとたんである。今まで、こちらに全く気付いていなかった夢紡姫が、魑魅魍魎が鰍の悲鳴に気付いた。
「おのれ!そこにも!」
姫が言うなり、何千という魍魎が鰍めがけて飛んだ。
「ひ!」
悲鳴を上げるひまもあらばこそ、体じゅう、ありとあらゆる所を魍魎共が囓り、えぐる。声も出ぬほどの激痛と、嫌悪感。鰍は、気が遠くなりかけた。
――目を開くのです、鰍――
三度、声がする。開こうにも、眼球はすでに喰いつくされている。
――大丈夫、それは全てまぼろしに過ぎません。それが、夢魔のやり方なのですから――
蛆のはいまわる鰍の脳に、かろうじてその声が届いた。が……
――とはいえ、いかんせん、未だ早すぎますよね……鰍……貴女に奴と今すぐ斗えというのは……仕方ありません……
「何故じゃ、小娘!何故、おぬしは死なぬのじゃ!」
確かに、殆ど白骨化し、その骨すらかじりつくそうとするこの期におよんで、死なないどころか、鰍の体は、今や加速度的に再生しつつあった。
――ふふっ、驚かれた様ですね。よけいな事とは思いましたが、少し、私が力を貸したのです――
「何?誰じゃ?今、なんと?」
――いつまでも、妹の姿をまねるのはおよしなさい。いくら妹の指図とはいえ、これ以上はお前の分を超えますよ――
「……貴様……そうか……我が姫の姉御前とは……貴様の事か!」
見る間に、夢紡姫の体は変化してゆく。どす黒い、見るもいやらしい沸きたつ固まりへと。
――鰍、目を開けなさい。鰍――
「貴様、だとするなら何故、夢の中に直接介入する?今まで、ただの一度として貴様が動いた事は……」
――ここは鰍の夢の中ではありませんし、私は鰍に月を見せただけです。さあ、鰍、目を開けて、あなたの御両親の敵をその目で見るのです――
「パパと……ママの……カタキ……?」
今や、ほぼ完全に、いや、完全以上に再生した鰍が、ゆっくりと目を開いた。いつのまにか、犬歯が発達している。
――そう。御両親の敵。今、ここで果てるか、奴と斗う力に目覚めるか、選ぶのはあなたですよ――
「あたし、……死ぬの?……」
――斗わなければ、ここで殺されます――
「あたし……パパとママのカタキ……とりたい……死にたくない……」
――ならば、目覚めるのです――
「鰍!どうしたの?鰍ぁ!」
巴と馨は、あせりまくっていた。さっきまで、泣きつかれて眠っていたはずの鰍が、何かうわごとを言ったと思ったら、急に苦しみもだえはじめたのだから。
「どうしよう、お姉ちゃん?」
「どうしようって……どうしよう?」
十二才と十一才の少女に、いきなり対応しろと言う方が無茶である。
と、急に鰍が静かになった。ゆっくり、まぶたが開く。
「鰍あ!」
「よかった……大丈夫?何ともない?」
「お姉ちゃん達……あたし……」
何となく、呆けた顔のまま、二人の姉の顔を見ていた鰍だったが、はっと、我にかえると、
「お姉ちゃん!あたし、戦わなきゃ!」
「へ?」
「た、たかう?」
思わず、顔を見あわせた二人は、
「……馨、氷まくら」
「うん」
「ちがうー!」
おかっぱ頭をふりみだして、鰍は何とか見てきた事を説明しようとした。その時……
「はあっ!」
鰍の、体の奥が、火がついたように熱くなった。えもいわれぬ快感が走る。思わず閉じたまぶたの裏に、月が見えた。
「どうしたの鰍!」
「おなか痛いの?大丈夫?」
――心配ありません――
「え?」
頭の中に響いた声に、巴と馨は同時に答えた。
「誰?」
――鰍は大丈夫。彼女の封印を解いているだけです――
「誰なの?」
「鰍を、どうしようってのよォ!」
――窓の外を御覧なさい――
言われざまに、馨は窓の外を見た。そして、外の、雨の中にたたずむ女を見て、馨は全てを理解した。
「くあっ!」
「馨?」
外を見た途端その場にうずくまった馨に気付いて、巴は声をあげた。
思わずかけ寄って、馨を抱きおこす。
「え?」
馨の長い黒髪が、根元からだんだん栗色になってゆく。
「うそ……なんで……?」
「そ、それでは……」
「妹は、自分なりに一族の将来を考えていたのです。ですが、私には、もっと別の方法があると思えました。だから、麻那姫達と手を結んだのです」
矢部氏は、今すぐにでもここから逃げ出したくなった。目の前のこの女が事もあろうに夢魔の長だと?冗談じゃない!
「現世の魔物が相手なら、九頭竜を筆頭とする強者達で充分以上に斗えます。ですが、夢の中では、いかに彼らとて手が出せません。それで、私は人との間に子を成し、獏一族としたのです」
「……」
「あの娘、鰍は、その獏と蘭の相の子なのです。本来、犬神は純血主義で、混血は許されないのですが、蘭は例外的に混血を許された一族なのです。
と、いうのも、本来、呪的能力を持たない犬神一族が呪術者としての力を持つ同族を得るには、唯一、混血を許すしか方法はなかったのですから。
無論、それなりのペナルティは課されます。元来、子種のうすい犬神ですから、まず、必ず純血の蘭の血を残す事。混血児は子を成してはならない事。そして、蘭は女しか生まれない血である事。
ですから、今回のように一度に三人も娘が居るというのはごくまれなのです」
――それに……――
夢魅姫には、しかし、一つ解らない事があった。
――普通、長女が純血だったはず。なのに今回に限っては次女が純血で、三女が獏。二人も純血を残すはずがないとすると、長女は、一体……――
ちょうどその時だった。リンカーンの外で夢魅姫の従者が、ぴくりと動いた。
「……来ました」
「奴ね?」
「間違いありません」
「しばらく泳がせます」
言って、姫は矢部氏に向き直ると、
「お客さんがいらした様です」
「姉上!改心なさらぬと言うのなら、麻那姫ともども去ねるが良い!」
夢紡姫が叫ぶ。とたんに、巨大な、黒い影が麻那姫達をとり囲む。
「!……いやあ!」
目の前で、見る間に士官が、女房が白骨と化してゆく。鰍は、たまらず悲鳴を上げた。
そのとたんである。今まで、こちらに全く気付いていなかった夢紡姫が、魑魅魍魎が鰍の悲鳴に気付いた。
「おのれ!そこにも!」
姫が言うなり、何千という魍魎が鰍めがけて飛んだ。
「ひ!」
悲鳴を上げるひまもあらばこそ、体じゅう、ありとあらゆる所を魍魎共が囓り、えぐる。声も出ぬほどの激痛と、嫌悪感。鰍は、気が遠くなりかけた。
――目を開くのです、鰍――
三度、声がする。開こうにも、眼球はすでに喰いつくされている。
――大丈夫、それは全てまぼろしに過ぎません。それが、夢魔のやり方なのですから――
蛆のはいまわる鰍の脳に、かろうじてその声が届いた。が……
――とはいえ、いかんせん、未だ早すぎますよね……鰍……貴女に奴と今すぐ斗えというのは……仕方ありません……
「何故じゃ、小娘!何故、おぬしは死なぬのじゃ!」
確かに、殆ど白骨化し、その骨すらかじりつくそうとするこの期におよんで、死なないどころか、鰍の体は、今や加速度的に再生しつつあった。
――ふふっ、驚かれた様ですね。よけいな事とは思いましたが、少し、私が力を貸したのです――
「何?誰じゃ?今、なんと?」
――いつまでも、妹の姿をまねるのはおよしなさい。いくら妹の指図とはいえ、これ以上はお前の分を超えますよ――
「……貴様……そうか……我が姫の姉御前とは……貴様の事か!」
見る間に、夢紡姫の体は変化してゆく。どす黒い、見るもいやらしい沸きたつ固まりへと。
――鰍、目を開けなさい。鰍――
「貴様、だとするなら何故、夢の中に直接介入する?今まで、ただの一度として貴様が動いた事は……」
――ここは鰍の夢の中ではありませんし、私は鰍に月を見せただけです。さあ、鰍、目を開けて、あなたの御両親の敵をその目で見るのです――
「パパと……ママの……カタキ……?」
今や、ほぼ完全に、いや、完全以上に再生した鰍が、ゆっくりと目を開いた。いつのまにか、犬歯が発達している。
――そう。御両親の敵。今、ここで果てるか、奴と斗う力に目覚めるか、選ぶのはあなたですよ――
「あたし、……死ぬの?……」
――斗わなければ、ここで殺されます――
「あたし……パパとママのカタキ……とりたい……死にたくない……」
――ならば、目覚めるのです――
「鰍!どうしたの?鰍ぁ!」
巴と馨は、あせりまくっていた。さっきまで、泣きつかれて眠っていたはずの鰍が、何かうわごとを言ったと思ったら、急に苦しみもだえはじめたのだから。
「どうしよう、お姉ちゃん?」
「どうしようって……どうしよう?」
十二才と十一才の少女に、いきなり対応しろと言う方が無茶である。
と、急に鰍が静かになった。ゆっくり、まぶたが開く。
「鰍あ!」
「よかった……大丈夫?何ともない?」
「お姉ちゃん達……あたし……」
何となく、呆けた顔のまま、二人の姉の顔を見ていた鰍だったが、はっと、我にかえると、
「お姉ちゃん!あたし、戦わなきゃ!」
「へ?」
「た、たかう?」
思わず、顔を見あわせた二人は、
「……馨、氷まくら」
「うん」
「ちがうー!」
おかっぱ頭をふりみだして、鰍は何とか見てきた事を説明しようとした。その時……
「はあっ!」
鰍の、体の奥が、火がついたように熱くなった。えもいわれぬ快感が走る。思わず閉じたまぶたの裏に、月が見えた。
「どうしたの鰍!」
「おなか痛いの?大丈夫?」
――心配ありません――
「え?」
頭の中に響いた声に、巴と馨は同時に答えた。
「誰?」
――鰍は大丈夫。彼女の封印を解いているだけです――
「誰なの?」
「鰍を、どうしようってのよォ!」
――窓の外を御覧なさい――
言われざまに、馨は窓の外を見た。そして、外の、雨の中にたたずむ女を見て、馨は全てを理解した。
「くあっ!」
「馨?」
外を見た途端その場にうずくまった馨に気付いて、巴は声をあげた。
思わずかけ寄って、馨を抱きおこす。
「え?」
馨の長い黒髪が、根元からだんだん栗色になってゆく。
「うそ……なんで……?」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

ー「協会」事件簿 その1ー 「親の仇は旦那様」
二式大型七面鳥
ファンタジー
※先日の初投稿の「渡る世間は~」の初期プロットで、登場人物が自分が所属する組織を説明するために例え話をするシーンがありまして、そこで使う予定だった「つぶやき」を元にした書き起こしです。
※結局プロット練り直しでそのシーンごと無くなったのですが、ネタとしては面白そうだったので短編に書き起こしてます。
※内容は基本的には妖怪退治ものですが、書いている方として、どちらかというと恋愛もの的なノリで書いてます。
※実は、書きたかった部分は、11.~15.だったりします。もしよろしければ、ここだけ読んでいただいても結構です。
※アルファポリスとカクヨムに重複投稿してます。

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。

人狼ちゃんのあべこべ転移奇譚
後ろ向きミーさん
ファンタジー
独りぼっちのかわいい人狼ちゃんが転移したのは、獣人・精霊・魔法ありのファンタジーな異世界。
なのに、ここにも人狼がいないって、どーしてなの?
龍人に拾われた、かわいい人狼ちゃんが、過保護に過保護に構われながら、無自覚無双していく。


婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる