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第八章:そして日常へ

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 応対に出た菊子に続いて、応接間から玄関に通じるドアを開けてその女性が入って来た時、柾木は、玲子がはっと息を呑む音をはっきりと聞いた。
「ごめんねぇお銀さん環さん、ばーちゃんのムチャ振りで」
「ええねん、円おばちゃんにはようさん世話なっとるさかい」
「そうどす、円はんのお願いやったら、お安い御用どすえ」
 入ってくるなり声をかけた鰍に、きつね色の髪をした女性と、その後ろの、つば広の帽子を目深に被った女性が関西弁で答える。答えて、帽子を、脱ぐ。
 柾木には、分かっていた。玲子が何故、これほど驚いているのか。誰でも分かる、彼女の帽子は日よけに過ぎず、その髪も肌も、隠そうという意図は無かったのだから。
 その女性は、脱いだ帽子を胸元にあて、
「はじめまして、八重垣環やえがき たまきいいます、あんじょうよろしゅう」
 言って、わずかに首を傾げ、紅い瞳を細めて微笑む。玲子と同じ白銀の髪が、さらりと流れた。

 その名前を聞いて、玲子が再度、息を呑む。
「……もしかして、失礼ですが、八重垣商事の?」
 立ち上がって、玲子は聞く。
「はい。八重垣商事は、お父はんの会社どす」
「まあ……ベールを付けたままのご無礼をお許し下さいまし、わたくし西条玲子さいじょう れいこでございます」
 軽く膝を折って、玲子は挨拶する。
 あの、えっと、どういう事?柾木が聞こうかどうしようか迷った矢先、聞かれる前に、玲子が言う。
「八重垣商事は、西条精機の取引先であり、株主でもあります。御令嬢がいらっしゃるとは伺っておりましたが……」
「ベール、よろしかったらとってもよろしおすえ?うちなら大丈夫ですさかい」
 真っ直ぐに玲子の目を見て言う環の言葉に、玲子は三度みたび、息を呑んだ。

「改めまして、こちらは昴銀子すばる ぎんこさん、八重垣環さん。で、こっちが西条玲子さんに北条柾木ほうじょう まさきさん。ちなみに、お銀さんと環さんはかおるお姉と高校から一緒なの」
 かじかの紹介に一同は、ども、とかよろしゅう、とか言い合う。緒方は地下実験室に戻り、菊子は新しいお茶を入れに台所に、時田と袴田もそれを手伝いに行っている。柾木は、今まで近くにいた事のないタイプの女性二人を前に、少し心拍が上がるのを感じる。魅力的な女性、と言う意味では、人狼の姉妹も十分魅力的だし、菊子など綺麗さ加減ではずば抜けている。が、クセというか野性味が強く滲み出す人狼姉妹や、綺麗すぎてまるで人形のような――実際オートマータなのだが――菊子に比べると、目の前の二人、百八十センチを超えているのではないかという長身をカシミアのセーターとデニムのミニスカートに押し込んだ昴銀子というきつね色の髪の女性と、玲子と同じ白銀の髪を腰まで伸ばし、同じくセーターにデニムのロングスカートというラフな格好のはずなのに強烈なお嬢様感を放っている八重垣環という女性は、別の種類の、人を、特に男を引きつける何かを放っているように思えて仕方がない。
「お茶が入りましたー。お茶菓子も、お口に合うと良いのですけど」
 菊子が、トレーに茶器を載せて戻ってきた。時田と袴田が手際よく茶と茶菓子を配る。
「ではおひいさま、御用があればお呼び下さい」
「それでは、ごゆっくりー」
 さっさと用を済ますと、心得たかのように時田も袴田も、菊子まで下がってしまう。込み入った話になると読んで、気を利かせてくれたのだと柾木は思う。そんじゃ遠慮なく、そう言って銀子はダージリンに角砂糖を三つほどぶち込み、お銀ちゃんはほんまお子様舌やなあ、と環が笑う。それを見た柾木は、ああ、これ、ペアルックなんだ、と、やっと気付く。

 するり。時田達が居なくなってから、玲子はベールの付いたボンネットを脱いだ。脱いで、一時いっとき俯けた視線を、環に向け、上げる。同じ白銀の髪、同じ白い肌、そして紅い目。だが、環の目は濃いルビーのように虹彩が紅く、玲子の目は強膜が紅く、瞳は黒曜石のように黒い。
「……西条はん、うちとお銀ちゃん、どない見えてはります?」
「……言っても、よろしゅうございまして?」
 玲子は、確認する。柾木は、一瞬、意味が分からなかったが、環が頷いたのを見て、鰍と銀子が面白そうにそのやりとりを見ているのに気付いて。すぐに理解する。
 玲子さんには、俺に見えていないものが、見えている。いやむしろ、この環という人は、隣の銀子という人も、それをあえて見せようとしている?
「……蛇と、狐……いえ、八重垣さん、あなたは……白い蛇?」
「おっ」
「ね?」
 銀子が軽く驚嘆し、鰍がどうだ?と軽くドヤ顔をする。
「そこまで見えたはるて、えらいもんどすなあ」
 嬉しそうに、環が微笑んで、言う。
「うちの事は、環でよろしおすえ……誰の力も借りんと、ようそこまで。苦労さらはりましたやろ?」
「……共の者には、ずいぶんと世話をかけました……あの」
 何かを訴えようとする玲子を制し、環は、
「うちと西条はんは、同しやおへん。けど、お力にはなれます。その目、使い方覚えはったら、きっと抑える事も出来るようにならはります」
 言われて、声にならない声で返事しながら玲子は柾木に振り返る。嬉しさに溢れる、満面の笑みで。よかったですね、そう言おうとした柾木だったが、真正面から玲子の素顔を、幼い少女のようにほころぶ笑顔を見て、言葉が詰まってしまった。

「ほな、早速練習してみよか?」
 銀子は、そう言うとハンドバッグから何かを取り出す。
「アレやるの?」
 何をするのか分かっているらしい鰍が、確認する。
「もっちろん。こういうんは、遊びながら覚えるんが一番やん」
 言いながら銀子が取り出したのは、ごく普通のトランプだった。それを、慣れた手つきで銀子はちゃっちゃとシャッフルし始める。
「西条はんが見たとおり、うちは蛇、お銀ちゃんは狐どす。そやから、今から一緒に「ババ抜き」してもろて、うちらが化かすんを見破っておくれやす」
 そういう事か。柾木は理解した。と同時に、それをごく自然に、当たり前の事のように受け入れている自分に、心の中で、ちょっと笑った。
「気をつけなさいよぉ、この人達、そのうちお金かけようって言い出すから」
「何ゆうてんねんな、お金かけへんかったら誰も真剣にやれへんやん」
 しゃぱぱぱぱーっとトランプをリフルシャッフルしながら、銀子は鰍の忠告に反論する。
「だったら麻雀にしようよ、アタシ、トランプ苦手だもん」
「せやかてここ、雀卓ないやん」
 何の事はない、鰍は自分が負けやすいカードゲームを回避したいだけらしい。後日柾木が鰍に聞いたところによると、種族の特性として日常的に人を化かす術を使える者達に対し、夢魔の力は基本的には夢の中限定、鰍の場合魔法もあるが、術の発動に時間がかかる上に術を使っている事がモロバレになるし、第一私利私欲のために奉仕の御業のカバラの秘術を使うのは御法度であるという。為に、積込みその他の技で勝負出来る麻雀の方が分がいいのだとか。妖術にテクニックで対抗すると言えば聞こえはいいが、要するに双方ともイカサマする気満々という事である。
 その流れるような掛け合いを聞いていた柾木は、ふとある事に気付き、聞いた。
「あの、俺も、やるんですか?」
 その瞬間、全員の目が、四人分八つの目が柾木に集中する。
「柾木様は、私と一緒に「見破る」側でございましょう?頑張って下さいまし、期待しておりましてよ?」
 身を乗り出す勢いで何事か環と話していた玲子が、振り向いてさも当たり前のように言い切る。
「そうね、北条さんの不感症体質がどこまでこの二人に通じるか、結構興味あるわね」
「せやで、円おばちゃんから話聞いて、うち、もお試してみとおてたまらんねんで」
「うちからも、あんじょうよろしゅう、おたの申しますえ」
「……はい」
 蛇と狐と狼、ついでに女神に睨まれては、蛙ならぬ身の柾木には、もはやどうする事も出来なかった。
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