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第八章:そして日常へ

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「……源三郎さん、夕べは本当にありがとうございました」
 大慌てでとにかく寝間着代わりのスウェットを着込んだ酒井に、温めたチキン南蛮弁当を中心にナメコと豆腐の味噌汁及び残り半丁の豆腐の冷や奴、ほうれん草のお浸し、さらにはほうれん草とベーコンの炒め物を食卓に並べた五月は、居住まいを正すと改まって酒井に礼を述べた。
「いやそんな、急に何を改まって。大体、五月さんを救出したのは俺じゃなくて北条君なんだから、むしろ彼にお礼を言った方が」
 割り箸を割りながら、酒井は答える。
 ……まあ、実際そうなんだけどね。五月も、心の中で同意する。事務所跡に飛び込んできたのが源三郎さんで、パンチ一発で張果ちょうかをのして私を助け出して、なんてのなら感動的だったんだけど。実際に飛び込んできたのは柾木君だし、その柾木君も速攻で張果に殴り倒されたし。五月は、昨夜の出来事を反芻する。でも、その後の柾木君の機転というか行動そのものは、五月から見ても賞賛に値する。あの状況であの行動が取れる北条柾木という男子、最初に会った時の印象と比べると、ずいぶん肝も据わってるし回転も速い。玲子さんが惚れ込むのも、無理ないかも……
「……そうですね。柾木君にも、お礼しとかないと。夢の中でも、助けられたし……」
「そうだ、それ。夢の中って、一体何がどうなってたんだ?」
 いただきますをしてから箸を味噌汁で濡らした酒井が、弁当の白米に箸を立てながら聞く。五月は、あの小部屋には入らなかった酒井に、そこで何があったかを説明する。
「……夢魔?……あ、そうか」
 酒井は、以前、ノーザンハイランダー号の船橋でまどかが言っていた事を思い出す。仲間から距離を置かれる、混血。
「……あれは、そういう意味だったのか……」
 箸を止めて、酒井は呟く。五月も、頷いて、
「私も、人狼の混血なんて聞いた事なかったです。いえ、人狼と人との間の混血ってだけなら、聞いた事ないわけでもないですけど、それが妖術を操る混血の人狼となると」
 狐や狸、化け猫の類いならままある事ですけどね。そう言って五月は苦笑する。ままある事なんだ。酒井は呟いて、改めてほうれん草ベーコン炒めをつまむ。温かくて、普通に旨い。五月は、料理が上手いと言うより手慣れている。その事自体は最初に五月をかくまった時から酒井は気付いていたが、最近は味付けを、濃いめを好む酒井の舌に寄せてきている。
 その事を、素直に旨いと言ってから五月に伝えると、
「私、母子家庭だったんで。母は家を空けがちでしたから、家事、特に料理は子供の頃から私の担当でしたから」
 軽く苦笑しつつ、五月が答える。
「え、ああごめん、俺、変な事聞いたか」
「いえ、いいんです。別に事実ですし。そのおかげで源三郎さんが美味しいって言ってくれるなら」
「いや、うん、旨い。それに、俺が風呂浴びてる間にこれだけ作っちまうんだから、やっぱり手際がいいんだな」
「簡単なものばっかりですよ、むしろごめんなさいです」
 この半年ほどの間、酒井は五月の手料理を食べる機会はそれなりにあった。だが、考えてみればたいがい事前に約束しておいて、出来上がりを見計らって五月の部屋に行く事が多く、五月もそれなりに気合いの入った料理を作っていたので、酒井は五月の料理はむしろその手際に神髄がある事に気付いていなかった。
「いや俺、ハイカラなのよりこういうのの方が好きだな」
「ハイカラって」
 その言葉のチョイスに、五月は笑う。

「……で、その夢の中で、全部ケリはついたって事?」
 食後の緑茶をすすりながら、酒井が聞いた。
「多分。茉茉モモ莉莉リリも、多分、もう原型を留めてないと思います」
 五月は、自分が莉莉の骸にかけた外套が平らになるさまを思い出し、語る。さすがに、その後でその外套をめくる勇気は五月にはなかった。
「そうか……」
 酒井には、夢の改変とか、その全ては理解出来ていない。ただ、この世に何らかの未練を持ち、安らぐ事なく留まり続けた魂が解き放たれた、それだけは理解出来た。
「……なら、よかった」
 酒井は、湯飲みに目を落として呟く。五月も、その酒井を見て、頷いた。
「……それで、源三郎さんの方のお仕事は、終わったんですか?」
「ん、ああ、とりあえず現場仕事は、な」
 話の矛先を変えた五月に、酒井が答える。
「今頃八課は大騒ぎしてるだろうけど、ま、そっちはそっちでやってもらうさ」
 捕り物そのものはこっちでやった、本来分調班はそういう事はしないのだが。なので、全権を八課に移管の上、野槌会のづちかい等の反社組織関係の情報は八課から本庁や神奈川県警に公開し、ただ張果を筆頭に道士の取り調べは同席し、情報は共有する、そういう約束になっていた。その事を簡単に酒井は五月に説明し、とはいえ、第一の現場である「有限会社グリーンリサイクル興業」はまだしも、第二の現場の「株式会社グリーン興業金沢営業所」の方は部品バラ撒いたキョンシーの残骸がとっちらかっているわ、冷凍倉庫の中は牛の冷凍枝肉にまぎれて数十体の冷凍遺体が保管されているわ、夜が明けてから八課の判断で動員された神奈川県警の鑑識その他の手を借りても片付けだけで日暮れ近くまでかかり、先ほどやっと合同庁舎に車を返却して帰ってきたところなのだと付け加える。
「蒲田君も電車で帰ったはずだけど、電車寝過ごしてないといいけどな。徹夜明けで力仕事で、朝も昼もろくに喰ってる暇もなかったし」
「あら……蒲田さん、一人暮らしでしたよね?」
「八王子の方だっけな、ボロアパートだなんて言ってたけど」
「いい人いないのかしら?」
「さてなぁ……」
 五月が酒井になびいた事で、蒲田に軽く恨まれている事は酒井は口に出せない。
「源三郎さんも、ご飯足りました?」
「ああ、有り難い事におかずが充実したから。それに、悪いけどさすがに今日は早く寝たいから、これくらいにしておかないと」
「ああ……」
 そりゃそうよね……ちょっと残念だけど。自分もさっきまで寝入っていた事を思い出し、徹夜明けの酒井ならそりゃ早く寝たいだろうと思って納得する。
「……じゃあ、もう休みます?」
「いや、もう少しは付き合うよ、そのつもりで来たんだろ?」
「ええ、まあ……じゃあ、一杯だけ、付き合ってもらえます?」
「多分、呑んだらすぐ寝ちまうだろうけどな」

 それから、酒井と五月は、五月が囚われている間の互いの状況を情報交換しつつ、酒井はカップ酒を、五月はストロング系チューハイの500ml缶を一本空けた。五月の起きてからの摂取アルコール量は通算で日本酒三合に匹敵するが、ほんのり頬を赤らめるだけで殆ど酔った様子がない。むしろ疲れのせいか、酒井の方がいい感じに、言動がおかしくなる程ではないが回ってきている事を自覚する。
 張果その他に関する情報は、重要な内容が含まれるので後日改めてきちんと聴取する事を約束し、五月は酒井におやすみなさいを言って部屋を出ようとして、そうだ、と玄関で見送る酒井に振り向く。
「明日、よかったら午後、付き合ってもらえませんか?隼子じゅんこママにも挨拶に行きたいんで」
「隼子ママ?」
 聞き覚えのない名前に、酒井は聞き返す。
本所隼子ほんじょ じゅんこさんです、私の捜索願が出てるんですよね?取り下げてもらっておかないと」
「ああ……そうだな、俺からもお礼を言っておきたいし、いいよ、行きがけに何か土産買っていこう、見繕ってくれるか?」
「はい、じゃあ、どっかで一緒にお昼してから行きます?」
「いいよ、じゃあ、明日昼前に、十一時頃?」
「そうですね。その頃に。じゃあ、おやすみなさい」
「ああ、お休み」
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