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第七章:決戦は土曜0時

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「それじゃあ、すまないが頼む」
 酒井は、自分が監禁されていた「(有)グリーンリサイクル興業」から今居る「(株)グリーン興業金沢営業所」に連れてこられた熊川警部補に言って、キザシに乗り込もうとする。
 結局のところ、「リサイクル興業」の方は、一緒に行ったまどかが術を補強する事で「まあとりあえず昼過ぎまではもつでしょ」という事になった。これから日が出れば、門扉が吹き飛んでいるリサイクル倉庫は人目を引くかも知れないが、有り難い事に今日は土曜日、皆無ではないだろうが人通りも少なかろうし、ぱっと見別に何事もなく――門扉の残骸を除いて――見えるように片付けてはあるから、八課の応援が来るまではわざわざ「人払いの結界」をこじ開けてまで入ってくるような剛の者はいなかろうし、第一、「そこまでするようなヤツが来たら、お巡りさんの二、三人居たって意味ないわよ」という円の一言でケリがついた。もちろん、当初からここを目的に来る警察関係者は、その目的が善意である以上、結界に弾かれる事はない。
「分かりました、早出で来る事になったらしいので、八時前には応援到着すると思います」
 八課の居残り担当と連絡を取った熊川が、酒井と蒲田に申し送る。「グリーン興業」の分の令状を――後出しで――用意したり、護送車やらを手配したりもあるにしては素早い対応だと、酒井は思う。
「よろしく頼む」
 所轄を割るので神奈川県警にも話し通す必要があるが、そのあたりもなし崩しに現場に、八課に任してしまおう。酒井は、手柄を譲るのだからそれくらい良いだろうと思いながら、キザシの助手席ドアを開ける。開けようとして、円に肩を叩かれる。
「酒井君は、こっち」
「え?」
 ちょっと隙を突かれた酒井が振り返ると、右後席に乗り込もうとしていた、ちょっと困ったような顔の五月と目が合う。
「あなたが隣に座ってあげなさい、五月ちゃん、あたし苦手みたいだから。残念だけど」
 わざとそう言って、円は五月を見て、ちょっと意地悪く笑う。
「いえ、そんな事は……」
「いいのよ。初対面が最悪だったんだもの。むしろ、かじかとは上手くやってるみたいでおねーさん嬉しいのよ」
 ああ、意地でも自称「お姉さん」なのか。酒井は頭の片隅でそんな余計なところにひっかかる。すると。
「というわけで、酒井君はこっち」
 首根っこを摘ままれて、酒井は無理矢理左後席前に移動させられる。
「……じゃあ、まあ、はい」

「じゃあね、岩崎によろしく言っといて」
 大黒パーキングエリアでキザシの助手席から降りながら、円は蒲田に言う。
「はい、酒井さん……」
 声をかけようとしてミラー越しに後席を見た蒲田は、そこで言葉を途切る。
「……寝かしといてあげなさい」
 蒲田が初めて見る、優しい微笑みで、円が言う。
「……はい」
 酒井の肩に寄りかかって寝入っている五月、その五月を支えるようにわずかに右に重心が寄っている酒井を見ながら、蒲田も返事を返した。

「お待たせ。ごめんね。思ったよりかかっちゃった」
 自分の車、メルセデスベンツ190E2.3-16の右前席、運転席ドアを開けながら、円が運転席に座る槇屋降杏まきやふり あんに声をかける。
「お疲れ様です。上手くいきました?」
 シートバックを起こしながら、槇屋降が答え、運転席から降りる。
「まあ上手く行った方よね。オマケもあったし」
「オマケ?」
 運転席に滑り込みながら答える円に、助手席側に回りながら槇屋降が聞き返す。
「そう……んー、シート暖まってて助かるわぁ」
 嬉しそうに言う円に、助手席に座った槇屋降が、ふふっ、と笑う。
「……百年前の事件の裏、今頃取れるかも」
 ぽそっと、真顔に戻った円が呟く。
「百年前……円さんがドイツに居た頃?」
「そのちょっと前ね、満州に居た頃……小腹空いたわね、なんか食べて帰ろうか?」
「簡単でよければ、何か作りましょうか?うち、寄って頂けるなら……」
「あら、いいわね、じゃあ、そうさせてもらおうかしら。ね、お酒ある?」
「安物のワインなら。お口に合うかしら?」
「杏の舌は信用してるわよ。ちょっとお祝いしたい気分なの」
 円は笑顔で言うと、シートポジションを調整し、エンジンを始動した。

「じゃあ、危険性はなかったって事?」
 ジョッキのビールを一気に半分ほど空けてから、かおるは鰍に聞いた。
 横浜、イセザキモール。深夜営業もしている焼き肉店で食べ放題DXコースに飲み放題までつけた三姉妹は、店員が目を剥く勢いで肉と海鮮を平らげていた。
「そりゃそーよ、アタシとばーちゃんが居てそんな不手際するわけないでしょ。大体、記憶はその人のものだし、そー簡単には混ざりゃあしないわよ」
 鰍が、ホタテ磯バターと味噌トントロをビールで流し込みつつ、答える。
「じゃあ、カマかけたって事か……」
 山盛り頼まれた肉と海鮮をガンガン焼きながら、下戸なので一人だけ飲み放題をつけていない信仁が聞く。
「そゆこと。もう、ばーちゃんいきなりアタシにぶん投げるんだもん。どう誤魔化すか焦ったわよ」
「まあ、玲子さん鰍ちゃんに懐いてるっぽいから。その方が良いって円さんの咄嗟の判断だろうけど、て、あ」
 大量の食材が、焼ける端から強奪される絶望的な局面にあって、陥落から信仁が死守していたタン塩と牛ミノが、しゃべっている間に馨と鰍に撃破される。何か言おうと思っても、美味しそうに笑顔で頬張る義妹――になる予定――達の顔を見ると何も言えない。諦めて新しい食材を焼き網に並べ始める信仁を横目で見ながら、ともえは、
「……ばあちゃんの捜し物も、見つかるかもって事か……」
 言って、ジョッキをあおる。

 ……どうしてこうなった……
 北条柾木は、自分のワンルームマンションより広い寝室の中、真新しい寝間着に包まれ、ふかふかのベッドの上で、盛大に戸惑っていた。
 キングサイズのベッドが二つ置かれた客間は、下手なホテルのツインルームよりよほど豪華な作りになっている。そもそもが本来は3LDK三世帯分の空間をぶち抜いてペントハウス化している西条家は、元々の配管を利用して二間ある客間にも独立したバスルームが設置されている。
「旦那様のお仕事の関係で、取引先のお客様をお泊めする事もよくございますから」
 柾木を部屋に案内した、玲子が舞耶まいやと呼ぶ妙齢のメイドは、柾木に着替えを用意しながらそう説明した。確かに、西条精機の社長宅ともなれば、そういう事もあるのだろう。
 テーブルの上には、柾木がシャワーを浴びている間に用意されたらしい軽食、サンドイッチとポットに入ったコンソメスープが置いてある。勝手にやれという事なのだろうか、どうしたものか柾木はしばし判断に迷い、しかし確かに小腹は空いているのでありがたく戴こうと思った矢先、誰かがドアをノックした。
「……はい?」
 てっきり、さっきのメイドさんが頃合いを見計らって来たのだと思っていた柾木は、入って来たのが部屋着の玲子だったのでちょっと驚く。
「玲子さん?どうして……」
 見慣れたゴスロリではなく質素なワンピースの部屋着。部屋着だからこそ膝下も二の腕も露出しているその格好は、普段の一分の隙もなく肌をガードしている玲子を見慣れている柾木にはとても新鮮だ。ましてや、玲子も風呂上がりなのだろう、いつものコロンとは違うシャボンの香りが柾木の鼻腔をくすぐる。
「ここはわたくしの家ですのよ?」
 そう言って、ベールも何もなしの素顔で柾木に微笑みつつ、玲子は柾木のベッドに腰掛ける。
「お食事、よろしければ召し上がって下さいまし。シンプルですけど美味しゅうございましてよ?」
 それじゃあ遠慮なく、呟いて柾木はベッドを降り、テーブルの軽食のラップをはがす。卵とキュウリのサンドイッチは、なるほど、確かに美味しい。さては玲子は先につまんでいたのか。
「舞耶はお料理が大変上手で、私も今、一生懸命教わっておりますの」
 玲子は、ポットのスープをカップに注ぐ柾木にそう告げる。なるほど。柾木は、この半年で急速に上達する玲子の料理の腕前の秘密はそれか、と納得する。
「お客様には本当はサーブするものですけれど、柾木様はきっと恐縮されてしまうと思い、この様にさせていただきました。お節介でしたでしょうか?」
「いえ、正直、この方が気が楽です。ありがとうございます」
 コンソメをすすりながら、柾木が答える。おっと、こういうのはすすってはダメなんだっけ。
「……お父様がいらっしゃれば、ご紹介したかったのですけれど。お帰りは明日の夕方だそうなので……」
 それはよかった。柾木は玲子にバレないように、心の中で胸をなで下ろす。もう既に取り返しのつかないところまで来ちまってる気配は濃厚だけれど、いくら何でもそりゃまだご遠慮願いたい。
「明日、朝食が済みましたら、一緒にエータを緒方さんにお返ししに参りましょう。よろしゅうございまして?」
「はい、お願いします……あの、何か?」
 色々緒方さんには報告しておかなければならない。サンドイッチを片付け、コンソメも二杯目を飲みつつ柾木は同意する。同意して、ふと、玲子が何か言いたそうで、言い出せなくている事に気付く。
 自覚は全くないが、それに気付く程度には、柾木は玲子の言葉尻や表情に敏感になっていた。
「……あの、柾木様、その……お願いがございますの」
 来た、何か来た。柾木は、顔に出ないように気をつけながら、心の中で身構える。
「……何でしょう?」
 意を決したように、それでもやや恥ずかしそうに、玲子は風呂上がりで少し上気した頬をさらに少し紅くしつつ、言う。
「……柾木様、お約束して下さいまし。その……私の前で、他の女性と、その、キス、とか、二度としないと……」
「ああ……」
 あの事か。まだ引き摺ってたか。あれは成り行きだったし、柾木は、自分自身はすっかり忘れていた事を思い出す。
「……私、思い知りました。私はなんて嫉妬深いんだって、心が狭いって。分かっております。あの場は、莉莉リリを諫めるためにはああするのが一番だったという事は分かっておりますけれど。でも、その、私は……心が狭いのです」
 言って、恥ずかしそうに、幾分悔しそうに顔を少し背ける玲子を見て、柾木は、ああ、女の子ってそういうものなんだなと、改めて理解を深める。
「……約束します、玲子さん」
 ホントに良いのか?自分?柾木は、内心で自問自答しつつ、玲子にはそう言い切る。今までの経緯から考えるに、今後似たような事態が起こらないとは言い切れない。それに、万が一自分の身に何かあった時、鰍さんならともかく、五月さんの「治療」だと……柾木は、過去の経験を思い出す。
 だが、それでも柾木はこの場は言い切る事を選ぶ。それは、恋愛経験とかではなく、社員研修で、同期の理工系出身者がなにもかもありのままに包み隠さず意見を言って、場の空気を微妙にする事が多々あった経験によるものだった。
 嘘はついていない。言う必要のない不安要素は言わなかっただけだ。今後、そのような事が起きなければ良いだけだ……営業職として、柾木は、嘘をつかない範囲で場の空気を壊さない事は肝に銘じていた。
「本当でございますの?」
「本当です。約束します……指切り、します?」
 柾木は、そう言って小指を出す。玲子は、ちょっと目を見開き、すぐに目を細めて、嬉しそうに小指を絡めた。

「どうですかな?北条様の第一印象は?」
 洗濯の終わった柾木の汚れ物を乾燥機に入れていた濾斗舞耶ろーと まいやに、今日の仕事はほぼ終了し、自室に下がる直前だった時田が声をかける。
「……とりあえずは普通の若者ですね。それ以上は、何とも」
 濾斗は、乾燥機を始動させ、時田に振り向く。
「ビル、あなたがそこまで入れ込むのだから、さぞかし凄い若者なのでしょう?」
「さて……アル、君はどう思っているかね?」
 ファーストネームのアロイシャスの短縮愛称で呼ばれた袴田は、洗濯室のドアに寄りかかったまま、
「俺の答えは、「はいイエスお姫さまミ ライディ」、それだけさ」
 本来の母国語の訛り混じりで、答える。
 フンと鼻息一つ鳴らして、腰に手を当てたマイヤ・ロートが言う。
「まったく、あんた達……」
 舞耶の言葉を、袴田の手振りが制し、同時に袴田は姿勢を正す。
「どうかしまして?」
 廊下の先から、玲子の声がし、すぐにその白い顔が開け放しの洗濯室のドアから覗く。
「いえ、私と袴田はもう下がるところで、濾斗にその旨伝えておりました」
「そう。今日は本当にお疲れ様でした。明日も緒方さんにエータをお返しに行きますので、その旨よろしくお願いします」
 後ろ手にもっていたベールを付けながら言った玲子に、時田と袴田は頭を下げ、
「は。では、失礼致します」
 階下の自室に下がる。
「舞耶も、遅くまでありがとうございます。私ももう休みます、明日もよろしくお願いします」
「はい。お休みなさいませ」
 言って、心なしか足取りが嬉しそうな玲子を見送った舞耶は、ある事に気付いた。
「……そういう事……」
 自分たちに会うまで、玲子がベールを付けていなかった。その事実に、舞耶は少し驚き、柾木の評価項目を一つ付け足した。
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