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第七章:決戦は土曜0時
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「どうした姉貴!息あがってんぜ!」
その栗色の疾風は、巴に向けて伸びる長剣をトンファーで跳ね上げながら、軽口をきく。
「馨!」
巴は、それが自分の妹だと認めると同時に、自分に向けて殭屍の列の隙間から長剣を突いた「動きの良い」殭屍に向けて、木刀を突き返す。衝撃波のアオリをうけて二体の殭屍が突き飛ばされ、たたらを踏むが、当の「動きの良い」殭屍は間一髪で飛びすさる。
その殭屍を追って、馨が跳ぶ。「動きの良い」殭屍は二歩引いた位置から前に踏み込み直し、飛び込んでくる馨に向かって長剣を突く。それは少林紅拳のそれ、目にも留まらぬ突きであった。
それを、馨は、太極拳で言う攬扎衣に近い動きで剣を弾き、膝を入れ、上体を抑える。殭屍のそれを越える速さで行われたその動きは、突き出した殭屍の肘と膝を砕き、地面に倒す代わりに背骨をへし折る。
巴が立ちはだかる殭屍を倒した時、その向こうの馨、やや伸びた爪、尖った耳、肥大した犬歯を覗かせる口元で微笑む人狼の背後で、背骨を折られた「動きの良い」殭屍だったものが、崩れ落ちた。
何があったものか、葉法善の絶叫が響いた。
「表は!」
馨に並んで、木刀を中段に構え直した巴が、一言聞く。
「鰍とばあちゃんに任してきた!」
馨が返す。その一言で、何が終わって、何が進行中だか巴は把握する。
「それよりも……」
鼻をひくつかせながら、馨が言う。
「ああ、分かってる、信仁!」
短い双刀を振るう殭屍に対し、重くて長いスパスを左手だけで振り回す分どうしても分が悪い信仁が、巴に呼びかけられてちらりと視線を送る。
「コンテナの奥!行って!」
それだけで、伝わる。信仁は、まるで目の前の殭屍を無視するかのように、視線を巴に指示された倉庫奥のコンテナに向け、当然のように出来た隙に、「動きのいい」殭屍の胡蝶刀が弧を描いて襲う。
そこに、声に続くように巴の放った衝撃波が追いつき、殭屍を背後から突き飛ばす。タイミングを計って振り向いた信仁は、姿勢を崩した殭屍の胸に左手だけで振り上げたスパスを押しつけ、引き金を引く。
「さあて……」
胸郭に大穴を開けてのけぞる殭屍の向こうの、ほんの一瞬だけ手を上げて走り出す信仁を見送り、馨が、酒井を攻める葉法善だった人虎に向き直る。
「ちょっと本気、出しちゃうわよお」
これ見よがしに舌なめずりして、言う。
「ったく、遊びじゃないのよ」
巴が、わざとらしい妹をたしなめる。だが、その顔も、楽しそうではあった。
目の隅に見えた、それが何かを確かめることは後回しにして、酒井は、葉法善に出来た隙を攻める。
「うらぁ!」
最小のモーションで、最大の力と体重を乗せて、酒井の意図に葉法善が気付くより速く、酒井は両手で持っていた丸太を垂直に立て、葉法善の、ほつれて指がはみ出している革靴の、右足の小指をめがけて振り下ろした。
一瞬の静寂の後、この世のモノとも思えない葉法善の絶叫が、倉庫の壁を揺らした。
――ああもう、畜生、これしかないか――
柾木は、なるべくならやりたくないその方法を考えつつ、五月に確認する。
「アイツにくっつければ良いんですね?」
「ええ……でも、私、今こんな状態だし……」
蒲田の肩を借りながら、五月が答える。
「呪文?お札?は使えます?」
「それは多分、大丈夫。足は萎えてるけど、法力はまだ大丈夫よ」
重ねて確認した柾木に、五月も再度答え、
「……何か、いい手があるの?」
「いい手かどうか……でもこれしか思いつかなくて、失礼します」
いぶかしげな表情の五月にそれ以上説明せず、柾木は、やや強引に五月をかかえ、いわゆる「お姫様抱っこ」の体制になる。
「え、ちょ、柾木君!」
「俺が五月さんかかえて行きます」
言うが早いか、柾木は五月をかかえたまま、ちょっと苦労して体を斜めにしてドアを出る。
この体は、柾木の指示に素直に、即座に反応する。その力、リミッター有りでも最大でざっと五人力。この半年ほどの経験でその事を熟知している柾木は、外廊下で軽く屈伸して足腰の様子を確認する。
「柾木様!」
背後から、玲子の声がする。心配そうでもあり、何かを戒めるような、引き留めるような声。
「大丈夫、やる事やったらとっとと逃げます。この体、結構すごいんですよ?」
「そうではなく!」
その時、階下の戦闘騒音を割って、葉法善の絶叫が響く。
「うわ……」
「えー……」
思わず下をのぞき込んだ柾木と五月が感嘆し、遅れて出てきて下を見た蒲田が、感想を述べる。
「……酒井さん、えげつない事しますね、はい……あ」
そして、さらに遅れて出てきた玲子も見ている前で、酒井は丸太を構え直すと、涙目で右足を押さえてけんけんしている葉法善の左の向こうずねに向けて、丸太をフルスイングで振り抜く。
「うっわー……」
「あ痛ぁ……」
「ああ……」
「ひぃ……」
「……てか、今がチャンスか!」
怒り狂ったらしい葉法善が、むちゃくちゃに酒井を攻めだしたのを見て、我に返った柾木が決心する。
「行きます!」
柾木は、腰をかがめ、膝に力を込める。
「お願い!」
五月も、柾木の首にしがみつきながら、その目は酒井を追っている。
玲子は、柾木の名を呼びたい衝動を必死に堪える。色々な思いが心をかき乱しているが、今は自分の感情を優先すべき時ではない、それくらいは分かるから、必死に自制する。けれど、柾木があえて危険に飛び込もうとするのが、辛い。柾木は、下に居る人たちと違って、戦いをする人ではない。それなのに。
そして。そうするのが一番だと、頭では理解していても。こんな時にと思いつつも。それが、信頼する青葉五月であっても。
玲子は、柾木が、自分以外の女性を抱っこしているのを見るのが、辛かった。
柾木は軽く跳躍して、一旦外廊下の手すりの上に乗る。そして、そのまま体を前に倒し、水平よりほんのわずか上を向いた姿勢まで体が倒れたところで、手すりを蹴って飛び出す。
ほんの一瞬の滞空時間だが、空中からは階下の様子がよく見える。葉法善は、酒井に怒りが集中しているのだろう、全くこちらに気付いている様子はない。その葉法善の左右から回り込むように、巴と馨が走り込んでいる。信仁の姿は見えないが、倒れているわけでもないので無事ではあるのだろう。そして何故か、まだ残っている十体に満たない殭屍が、倉庫奥に向かって移動している。
一秒弱かけて垂直方向には約三メートル程落下、水平方向には約十メートル程移動して、五月をかかえた柾木は、葉法善の背後に着地する。
……最初から一発でアタック出来ればかっこよかったんだろうけどね……
柾木は、着地の瞬間にそう思う。ごく短時間とは言え、飛んでいる間に葉法善がどう動くか分からない。もしかしたらモロにこっちを向いている可能性だってあった。背後を取れたのは僥倖だったと言えるのだろう。
裸足の足がコンクリの床を滑走し、咄嗟に柾木はエータの痛覚を遮断する。おかげで滑走音以外の騒音、特に声をあげずにすんだ柾木は、膝で吸収した衝撃を使って、今度こそ葉法善めがけて跳ぶ。
「玉帝の勅により符に命ずる!剛善く柔を断ち、故に金は木に打ち克つ!」
五月が、呪文を唱え、符籙に法力をこめる。決して大きな声ではないが、霊的不感症の柾木であっても、凜と響くその声には感銘を覚える。
その声に、びくりと肩を動かし、葉法善が振り向こうと動く。だが、それより早く、少しでも速く接触出来るように、柾木は五月を差し出すようにかかげ、葉法善の背中に突っ込む。
「金克木!」
五月の声が響く。瞬間、「目の良い者」であれば、鋭い閃光が走ったのが見えただろう。五月は、符籙を葉法善の背中、ちょうど肩甲骨の間あたりに叩きつけた。叩きつけた勢いで、五月は回転しつつ宙を舞う。それを追って、葉法善の後頭部に激突した柾木が、三次元的なスピンをしながら五月と違う軌道で弾け飛ぶ。
葉法善が、呻く。呻き、叫び、膝をつく。なにがどうしたものか、葉法善の姿が瞬時に人のそれに戻る。そこを、左右から回り込んだ巴と馨が襲う。
「せーのぉ!」
声を合せ、ダッシュの勢いを乗せた木刀とトンファーの突きが振り向いた葉法善の腹に深く入る。白い念の載った木刀とトンファーの突きは、人の姿であっても体重が百キロを優に超えそうな葉法善の巨体を吹き飛ばし、五メートルほど離れたシャッターに激突させる。勢いでシャッターが歪み、ガイドレールから外れる。
何が、起こった?葉法善は、衝撃で鈍る頭で考える。……符だ。木気を禁じられた。だから、虎の姿で居られない。
虎は、十二支においては木気に属する。これを封じられては、その属性を力の源とするものは、まともに動くこともかなわなくなる。
葉法善は、懐に手を突っ込んで、数枚の符を引きずり出す。この状況を打開するには、これしかない。
「精勝懸!故火勝金!火克金!」
呪文を怒鳴り、符を自分の背中に叩きつける。
「ギャ!」
叩きつけた符が葉法善の背中で燃え上がり、五月の叩きつけた符ごと消滅した。
「もういっちょ!」
再度声がハモり、再度木刀とトンファーが葉法善を突いた。
「え、な、五月さ、うわ!」
でたらめに殴りかかる葉法善の爪から必死のガードを固めていた酒井は、急に爪が来なくなったと思ってわずかに顔を上げたら、くるくると空中で回転しつつ誰かが落ちてくるのを見て、それが青葉五月である事にすぐに気付いて、慌てて丸太を放り出して五月をキャッチする。
「だ、大丈夫か?おい?」
腕の中で目を閉じている五月に、酒井は混乱しつつ声をかける。一体何がどうした?
「んなあっ!」
少し離れた所で、変な声と共に柾木が軟着陸というか落着し、そのまま少し転がって動かなくなる。
「……源三郎さん……」
柾木達には口では大丈夫と言いつつ、その実、なけなしの法力を放出した五月は、自分の目の前に酒井の顔があるのを薄目を開けて確かめると、微笑みつつ再び目を閉じた。
「……おい!」
思わず荒っぽく揺すりそうになり、ギリギリで思いとどまった酒井は右手を離して五月の首に当て、脈はあるのを確認して少しほっとし、息を吐いた。
シャッターを突き破って、二匹の人狼の全力の突きを喰らった葉法善が倉庫の外に転げ出る。混乱する頭で、葉法善は考える。何故、オレはこんな奴らにやられている?こいつらは……狼?オレが、狼ごときに?……ふざけるな、そんな事、許せない。
首をまわすと、前と後ろに狼が二匹ずつ。前に居るのがこっちに向かってくる。後ろは、動かない。
葉法善は、立ち上がり、吠える。オレは何をしている?何故人の姿などしている?狼に倒されるなど、屈辱だ。混乱する記憶の中で、葉法善は、思う。
こいつら、皆殺しにする。
「何ぃ?」
「うそぉ!」
葉法善を追って、破れたシャッターをくぐった巴と馨が、思わず立ち止まる。
彼女たちの視線の先に居たのは、額に曲がった角を生やし、背中には鳥の羽のようなものを生やした、虎に似た何かだった。
その栗色の疾風は、巴に向けて伸びる長剣をトンファーで跳ね上げながら、軽口をきく。
「馨!」
巴は、それが自分の妹だと認めると同時に、自分に向けて殭屍の列の隙間から長剣を突いた「動きの良い」殭屍に向けて、木刀を突き返す。衝撃波のアオリをうけて二体の殭屍が突き飛ばされ、たたらを踏むが、当の「動きの良い」殭屍は間一髪で飛びすさる。
その殭屍を追って、馨が跳ぶ。「動きの良い」殭屍は二歩引いた位置から前に踏み込み直し、飛び込んでくる馨に向かって長剣を突く。それは少林紅拳のそれ、目にも留まらぬ突きであった。
それを、馨は、太極拳で言う攬扎衣に近い動きで剣を弾き、膝を入れ、上体を抑える。殭屍のそれを越える速さで行われたその動きは、突き出した殭屍の肘と膝を砕き、地面に倒す代わりに背骨をへし折る。
巴が立ちはだかる殭屍を倒した時、その向こうの馨、やや伸びた爪、尖った耳、肥大した犬歯を覗かせる口元で微笑む人狼の背後で、背骨を折られた「動きの良い」殭屍だったものが、崩れ落ちた。
何があったものか、葉法善の絶叫が響いた。
「表は!」
馨に並んで、木刀を中段に構え直した巴が、一言聞く。
「鰍とばあちゃんに任してきた!」
馨が返す。その一言で、何が終わって、何が進行中だか巴は把握する。
「それよりも……」
鼻をひくつかせながら、馨が言う。
「ああ、分かってる、信仁!」
短い双刀を振るう殭屍に対し、重くて長いスパスを左手だけで振り回す分どうしても分が悪い信仁が、巴に呼びかけられてちらりと視線を送る。
「コンテナの奥!行って!」
それだけで、伝わる。信仁は、まるで目の前の殭屍を無視するかのように、視線を巴に指示された倉庫奥のコンテナに向け、当然のように出来た隙に、「動きのいい」殭屍の胡蝶刀が弧を描いて襲う。
そこに、声に続くように巴の放った衝撃波が追いつき、殭屍を背後から突き飛ばす。タイミングを計って振り向いた信仁は、姿勢を崩した殭屍の胸に左手だけで振り上げたスパスを押しつけ、引き金を引く。
「さあて……」
胸郭に大穴を開けてのけぞる殭屍の向こうの、ほんの一瞬だけ手を上げて走り出す信仁を見送り、馨が、酒井を攻める葉法善だった人虎に向き直る。
「ちょっと本気、出しちゃうわよお」
これ見よがしに舌なめずりして、言う。
「ったく、遊びじゃないのよ」
巴が、わざとらしい妹をたしなめる。だが、その顔も、楽しそうではあった。
目の隅に見えた、それが何かを確かめることは後回しにして、酒井は、葉法善に出来た隙を攻める。
「うらぁ!」
最小のモーションで、最大の力と体重を乗せて、酒井の意図に葉法善が気付くより速く、酒井は両手で持っていた丸太を垂直に立て、葉法善の、ほつれて指がはみ出している革靴の、右足の小指をめがけて振り下ろした。
一瞬の静寂の後、この世のモノとも思えない葉法善の絶叫が、倉庫の壁を揺らした。
――ああもう、畜生、これしかないか――
柾木は、なるべくならやりたくないその方法を考えつつ、五月に確認する。
「アイツにくっつければ良いんですね?」
「ええ……でも、私、今こんな状態だし……」
蒲田の肩を借りながら、五月が答える。
「呪文?お札?は使えます?」
「それは多分、大丈夫。足は萎えてるけど、法力はまだ大丈夫よ」
重ねて確認した柾木に、五月も再度答え、
「……何か、いい手があるの?」
「いい手かどうか……でもこれしか思いつかなくて、失礼します」
いぶかしげな表情の五月にそれ以上説明せず、柾木は、やや強引に五月をかかえ、いわゆる「お姫様抱っこ」の体制になる。
「え、ちょ、柾木君!」
「俺が五月さんかかえて行きます」
言うが早いか、柾木は五月をかかえたまま、ちょっと苦労して体を斜めにしてドアを出る。
この体は、柾木の指示に素直に、即座に反応する。その力、リミッター有りでも最大でざっと五人力。この半年ほどの経験でその事を熟知している柾木は、外廊下で軽く屈伸して足腰の様子を確認する。
「柾木様!」
背後から、玲子の声がする。心配そうでもあり、何かを戒めるような、引き留めるような声。
「大丈夫、やる事やったらとっとと逃げます。この体、結構すごいんですよ?」
「そうではなく!」
その時、階下の戦闘騒音を割って、葉法善の絶叫が響く。
「うわ……」
「えー……」
思わず下をのぞき込んだ柾木と五月が感嘆し、遅れて出てきて下を見た蒲田が、感想を述べる。
「……酒井さん、えげつない事しますね、はい……あ」
そして、さらに遅れて出てきた玲子も見ている前で、酒井は丸太を構え直すと、涙目で右足を押さえてけんけんしている葉法善の左の向こうずねに向けて、丸太をフルスイングで振り抜く。
「うっわー……」
「あ痛ぁ……」
「ああ……」
「ひぃ……」
「……てか、今がチャンスか!」
怒り狂ったらしい葉法善が、むちゃくちゃに酒井を攻めだしたのを見て、我に返った柾木が決心する。
「行きます!」
柾木は、腰をかがめ、膝に力を込める。
「お願い!」
五月も、柾木の首にしがみつきながら、その目は酒井を追っている。
玲子は、柾木の名を呼びたい衝動を必死に堪える。色々な思いが心をかき乱しているが、今は自分の感情を優先すべき時ではない、それくらいは分かるから、必死に自制する。けれど、柾木があえて危険に飛び込もうとするのが、辛い。柾木は、下に居る人たちと違って、戦いをする人ではない。それなのに。
そして。そうするのが一番だと、頭では理解していても。こんな時にと思いつつも。それが、信頼する青葉五月であっても。
玲子は、柾木が、自分以外の女性を抱っこしているのを見るのが、辛かった。
柾木は軽く跳躍して、一旦外廊下の手すりの上に乗る。そして、そのまま体を前に倒し、水平よりほんのわずか上を向いた姿勢まで体が倒れたところで、手すりを蹴って飛び出す。
ほんの一瞬の滞空時間だが、空中からは階下の様子がよく見える。葉法善は、酒井に怒りが集中しているのだろう、全くこちらに気付いている様子はない。その葉法善の左右から回り込むように、巴と馨が走り込んでいる。信仁の姿は見えないが、倒れているわけでもないので無事ではあるのだろう。そして何故か、まだ残っている十体に満たない殭屍が、倉庫奥に向かって移動している。
一秒弱かけて垂直方向には約三メートル程落下、水平方向には約十メートル程移動して、五月をかかえた柾木は、葉法善の背後に着地する。
……最初から一発でアタック出来ればかっこよかったんだろうけどね……
柾木は、着地の瞬間にそう思う。ごく短時間とは言え、飛んでいる間に葉法善がどう動くか分からない。もしかしたらモロにこっちを向いている可能性だってあった。背後を取れたのは僥倖だったと言えるのだろう。
裸足の足がコンクリの床を滑走し、咄嗟に柾木はエータの痛覚を遮断する。おかげで滑走音以外の騒音、特に声をあげずにすんだ柾木は、膝で吸収した衝撃を使って、今度こそ葉法善めがけて跳ぶ。
「玉帝の勅により符に命ずる!剛善く柔を断ち、故に金は木に打ち克つ!」
五月が、呪文を唱え、符籙に法力をこめる。決して大きな声ではないが、霊的不感症の柾木であっても、凜と響くその声には感銘を覚える。
その声に、びくりと肩を動かし、葉法善が振り向こうと動く。だが、それより早く、少しでも速く接触出来るように、柾木は五月を差し出すようにかかげ、葉法善の背中に突っ込む。
「金克木!」
五月の声が響く。瞬間、「目の良い者」であれば、鋭い閃光が走ったのが見えただろう。五月は、符籙を葉法善の背中、ちょうど肩甲骨の間あたりに叩きつけた。叩きつけた勢いで、五月は回転しつつ宙を舞う。それを追って、葉法善の後頭部に激突した柾木が、三次元的なスピンをしながら五月と違う軌道で弾け飛ぶ。
葉法善が、呻く。呻き、叫び、膝をつく。なにがどうしたものか、葉法善の姿が瞬時に人のそれに戻る。そこを、左右から回り込んだ巴と馨が襲う。
「せーのぉ!」
声を合せ、ダッシュの勢いを乗せた木刀とトンファーの突きが振り向いた葉法善の腹に深く入る。白い念の載った木刀とトンファーの突きは、人の姿であっても体重が百キロを優に超えそうな葉法善の巨体を吹き飛ばし、五メートルほど離れたシャッターに激突させる。勢いでシャッターが歪み、ガイドレールから外れる。
何が、起こった?葉法善は、衝撃で鈍る頭で考える。……符だ。木気を禁じられた。だから、虎の姿で居られない。
虎は、十二支においては木気に属する。これを封じられては、その属性を力の源とするものは、まともに動くこともかなわなくなる。
葉法善は、懐に手を突っ込んで、数枚の符を引きずり出す。この状況を打開するには、これしかない。
「精勝懸!故火勝金!火克金!」
呪文を怒鳴り、符を自分の背中に叩きつける。
「ギャ!」
叩きつけた符が葉法善の背中で燃え上がり、五月の叩きつけた符ごと消滅した。
「もういっちょ!」
再度声がハモり、再度木刀とトンファーが葉法善を突いた。
「え、な、五月さ、うわ!」
でたらめに殴りかかる葉法善の爪から必死のガードを固めていた酒井は、急に爪が来なくなったと思ってわずかに顔を上げたら、くるくると空中で回転しつつ誰かが落ちてくるのを見て、それが青葉五月である事にすぐに気付いて、慌てて丸太を放り出して五月をキャッチする。
「だ、大丈夫か?おい?」
腕の中で目を閉じている五月に、酒井は混乱しつつ声をかける。一体何がどうした?
「んなあっ!」
少し離れた所で、変な声と共に柾木が軟着陸というか落着し、そのまま少し転がって動かなくなる。
「……源三郎さん……」
柾木達には口では大丈夫と言いつつ、その実、なけなしの法力を放出した五月は、自分の目の前に酒井の顔があるのを薄目を開けて確かめると、微笑みつつ再び目を閉じた。
「……おい!」
思わず荒っぽく揺すりそうになり、ギリギリで思いとどまった酒井は右手を離して五月の首に当て、脈はあるのを確認して少しほっとし、息を吐いた。
シャッターを突き破って、二匹の人狼の全力の突きを喰らった葉法善が倉庫の外に転げ出る。混乱する頭で、葉法善は考える。何故、オレはこんな奴らにやられている?こいつらは……狼?オレが、狼ごときに?……ふざけるな、そんな事、許せない。
首をまわすと、前と後ろに狼が二匹ずつ。前に居るのがこっちに向かってくる。後ろは、動かない。
葉法善は、立ち上がり、吠える。オレは何をしている?何故人の姿などしている?狼に倒されるなど、屈辱だ。混乱する記憶の中で、葉法善は、思う。
こいつら、皆殺しにする。
「何ぃ?」
「うそぉ!」
葉法善を追って、破れたシャッターをくぐった巴と馨が、思わず立ち止まる。
彼女たちの視線の先に居たのは、額に曲がった角を生やし、背中には鳥の羽のようなものを生やした、虎に似た何かだった。
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大好きなお父様とパパ様がいれば、皇太子との婚約は白紙になっても何も問題はない。
※箱入り娘な主人公と娘溺愛過保護な父親コンビのとある日のお話。
追記(2021/10/7)
お茶会の後を追加します。
更に追記(2022/3/9)
連載として再開します。
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