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第七章:決戦は土曜0時

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「源三郎さん!怪我を!」
 五月が、悲痛な声をあげる。丸太を受け止められて動きが止まったから、はっきり見える。酒井の背広の背中が大きく裂け、元々暗い色のその背広が血でどす黒く染まっている。
「助けなきゃ!」
 事務棟二階の外廊下の手すりに掴まり、四人の最も右側に居る五月が、他の三人を請う目つきで見る。
「でも、どうやって……」
 思いは同じだけれど、あんな人外の戦いに割って入ったら命がいくつあっても足りない。五月に答えた蒲田の顔には、明らかにそう書いてある。
「……あ!」
 と、何事か気付いた柾木が事務所跡の中にとって返す。
「柾木様?何を……」
 玲子も、小走りに後を追う。
 残された、一番右に居た五月と、一番左に居た蒲田は、目配せしあい、蒲田が五月を支えるようにして部屋に戻る。

「これだこれ!五月さん、これ、使えます?」
 エータ柾木は、床に倒れている生身柾木のスタジアムコートのポケットから、何やら丸められた紙を取り出し、皺を伸ばして五月に見せる。
「え……あ!」
 五月は、その短冊状の紙を見て、驚いた顔で柾木を見る。
「これ、どこで!」
「昼間、こいつが」
 気を失っている生身の自分の体を、さっきまではエータが座っていたパイプ椅子に座らせようとしている柾木が、つま先で同じく気絶している張果ちょうかを軽くつついて、
「玲子さんに手を出そうとした時に、偶然……」
「……柾木様は、わたくしの為に、その符籙ふだで何やら術を使おうとしたこの男を止めて下さったのです」
 玲子が、柾木があえて言わなかったことを付け足す。
「……まあそういう事なんです、その時、邪魔するついでに偶然そのお札をもぎ取れまして」
 ちょっと照れくさそうに、柾木も付け足す。それを聞いた五月は、色々な事を考えて、ちょっとどう反応するべきか迷う。
 どういう状況だったか分からないけど、張果ほどの術者が術を成そうとしているのを横から止めたって事?よくそれで無事で済んでるわね……柾木君の霊的不感症は知ってるけど、おかげで私も助かったけど、まさか、そこまでとは……それに、これ……
「……使えるわ、これ。ていうか、バッチリよ」
 いくらか普段の自分らしい口調に戻って、五月が言う。
「マジすか。じゃあ……」
「……問題は、どうやってアイツに近づくか、ね」
 嬉しそうに声をあげた柾木を制して、五月が釘を挿す。
「……え?」
「この符籙、特定のものを禁ずるものなんだけど、相手に貼り付ける必要があるのよ」
 とてもではないが達筆すぎて柾木には読めない字で「金剋木」の文字と、それに関する呪文の書かれたその符籙を見つつ、五月は冷静に言った。

「こいつはびっくりだ!」
 軽口を叩き、信仁はスパスを左手で持ったままレッグホルスターからストライクガンを抜き、その銃口を葉法善の右肩に向ける。信仁から葉法善まで5ヤードそこそこ、散弾でもほとんど散らないが、葉法善の目の前に酒井がいるこの状況では万が一の跳弾や誤射は避けたい。片手撃ちで二発、ダブルタップで.38Super弾が狙い違わず葉法善の右肩に撃ち込まれる。
 だが、.357マグナムと同等と言われるその弾丸を右肩に喰らっても、葉法善はさして効いた様子がなく、それでも痛みは感じたのだろう、虎の顔をしかめて唸りつつ、信仁を見る。
「ったあ!効かねぇか!」
 自分に注意が向いたことを確認して、信仁はストライクガンをホルスターに戻し、スパスのグリップに手を戻す。そのわずかな隙を狙って、三メートルほど間合いをとっていた殭屍の戦列の後ろから、中華包丁のお化けのような短く幅広の二振りの剣、胡蝶双剣を持った「動きのいい」殭屍が跳躍し、頭上から信仁に切りつける。
「うわった!」
 ギリギリで身を躱し、それでもスーツの裾は切りつけられながら、信仁は至近距離の殭屍をスパスの銃床で左から突く。殭屍は踏み込み、銃床を曲げた右腕、上腕前腕両方を使ってそれをいなし、同時に左の剣を突き出す。右足を引いて体捌きでその突きを避けた信仁は、右手を腰に伸ばして再度ストライクガンを抜き、殭屍に突き当てて、撃つ。
 体を反時計に回し、突いた剣を横薙ぎにして半歩退いた殭屍と、剣が薙ぐ軌道から右腕を引いて躱し、同時に左手をフォアグリップから離し、スパスが落ちるより速くグリップを握り直した信仁は、そのまま動きを止めずに再度斬り結ぶ。拳法とガン・カタが組み合い、金属が打ち合い、たまに銃声が響く。
「信仁!」
 その様子に、つい巴も気を散じて目を向けてしまう。その巴の視野の隅に、自分に向けて伸びる剣、細く、両刃で、真っ直ぐな剣がちらりと映る。

 葉法善の気が逸れた瞬間、酒井は葉法善の胸を蹴って二歩後退し、体が覚えている動きで丸太の杭の両端を両手で持って構える。一メートル前後の棒を持って戦う時は、この方が取り回しがよく応用も利く。
 ……なんだ、こいつは……
 酒井の背中に、冷や汗が流れる。こいつは、さっきまでは、虎の腕とは言え体も顔も一応は人間だった。だが、今は違う、顔も、今蹴った胸も、獣毛に覆われている。全体のプロポーションこそ人型だが、はち切れてボロ切れになりつつあるスーツの下は、獣のそれだ……人虎、なるほど、人狼が居るんだ、それ以外だって居たっておかしくはない。理屈は合ってる。問題は、勝てるかどうかだ……
 酒井は、元々大男だった葉法善の、さらに一回り膨れ上がった体を前に、自分の心を鼓舞する。
 葉法善が、吠える。酒井は、全身の筋肉を緊張させ、何が来ても良いように身構える。だが、何も来ない。
 葉法善は、酒井の頭上を越えた先を見ている。見て、すぐその視線が何かを追って移動する。
 酒井の目の隅にも、その瞬間、何か栗色のものが、ちらりと映った。
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