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第七章:決戦は土曜0時

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 葉法善ようほうぜんの繰り出す拳、というより張り手のラッシュを、酒井はハラガンツールを駆使して捌く。
 スーツの二の腕から先が裂けた葉法善のそれは、文字通り虎の前足。とてもではないが、鬼と化した酒井の肉体をもってしても、生身で捌けるようなものではない。
 ――強い……それに、速い――
 鉄のバールですら傷だらけになるその猛攻を紙一重で凌ぎながら、酒井は思う。
 ――だが、負けない、負けるもんか。俺だって、努力はしたんだ、努力した事は、嘘でも何でもないんだ、絶対負けてなんかやるもんか――
 倍ほども体格差のある相手の猛攻におしこまれながら、酒井は、歯を食いしばった。

 巴は、その酒井の様子を見ながら、何とか近づいて援護しよう、葉法善に一太刀浴びせようと思い、それでも厚い殭屍キョンシーの壁を抜けずに焦っていた。
 巴にとって、殭屍そのものは、本来ならば、油断こそならないが決して手強い相手ではない。ほとんどの場合素手である殭屍に対し木刀の分リーチで勝り、いかに殭屍が人より強く速いと言っても、人狼の力も速さもそれを軽く上回る。そして、巴は、念をこらすことで相手を斬ることが出来る、普段なら。
 荒くなりかけた呼吸を整えつつ、巴は木刀を中段に構え直す。ここ一帯にかけられた嫌な結界、精神攻撃のおかげで念がまとまらない、木刀が刃を纏わない。直接当てれば念を通せるから、それで相手の、殭屍の「魄」を破壊して停める事は出来る。だが、その為には普段以上に気合いを入れて集中しなければならない。
 自分の未熟さに歯噛みする思いで、巴は木刀の切っ先に念を集中する。打ち据えて牽制し、隙を作って念を突き込む、今はそれが一番効率が良い。術の影響か、ともすれば焦りに乱れる心を意識して鎮め、巴は酒井との間に立ち塞がる殭屍を切り崩すルートを探そうと、殭屍の群れを見据える。
 その、一瞬だが動きの止まった巴を、殭屍の壁の隙間から棒が飛び出し、襲う。

 信仁も、自分にも迫る殭屍を確実に撃ち抜きつつも、酒井の援護が出来ずに焦れていた。
 殭屍は、爪と牙で攻めてくるから、必ず最終的にはこっちに向かって直線的に突っ込んでくる。そこを仕留めるのは信仁にとって難しい事ではなく、普通の散弾銃に比べてリロードに一手間余計にかかるスパスの弱点も、リズムさえ崩さなければ慣れが解決していた。
 だが、体格の割りにあまりに速く、しかも酒井に恐ろしく近接して動く葉法善は、飛びかかってくる殭屍を捌きながら散弾銃で狙い撃つには難しすぎた。生身のヤクザ相手だと思って、ゴム弾の撃てるスパスを持って来たのは選択ミスだったか、せめてFA-MASも持ってくるべきだったかと思わず信仁は瞬間後悔し、そのわずかな隙を、ひょうが襲った。

 サバゲ用のダミーではなく本物のセラミックのトラウマプレート、小銃弾でも受け止めるそれは、殭屍の力で胸の真ん中を狙って投げられた鏢であってもきちんと受け止める。プレートキャリアに鏢が突き刺さった時、信仁の目は反射的にその射線を探り、機械的にそちらを向いたスパスの銃口から、セミオートモードのダブルタップで00ダブルオーバック弾が飛ぶ。盾になる位置の殭屍の半身が飛び散るのにまぎれて、鏢を放ったのであろう「動きの良い」殭屍が跳躍する。斜め後方に跳んで距離をとろうとするそれの未来位置にリードをとって散弾を放った信仁は、殭屍の群れの中にやっかいなのが混ざっていることに気付き、舌打ちをする。

 自分に向けて低く伸びる棒――棍を、巴はすんでの所で木刀の柄頭で左斜め下にたたき落とす。ギリギリで躱しきれず、脇腹を掠める棍を木刀から離した左手で掴んだ巴は、
「りゃあっ!」
 木刀を握った右手の中指から先三本も棍に添え、背負い投げの如くに棍を、操っている殭屍もろとも投げる。空中で棍を離した「動きの良い」殭屍に、切っ先を向けて左脇に木刀を構え直した巴が突きを放つ。宙を走った白い衝撃波は、狙い違わず空中の殭屍を捕え、体を二つ折りにしたその殭屍は倉庫の奥の壁まで吹き飛ばされ、叩きつけられてから床に落ち、おかしな角度でねじれた体が動かなくなる。
 脇腹に鈍痛を感じながら、巴は、己の油断を戒め、さらに念を研ぎ澄ます。

「ぐあっ!」
 背中に激痛を感じ、酒井は叫ぶ。
 いつの間にか、背後の殭屍に手の届くところまで押し込まれ、爪の一撃を食らってしまっていた、その事を理解する以前に酒井は体を沈めつつ左に捌き、葉法善の腕を空振りさせつつハラガンツールで後ろに居るはずの殭屍の足下を払う。
 手応えすら確認せず、酒井は床を転がり、空振りした葉法善が次に繰り出すであろう床に向けた拳を回避する。ここまでの葉法善の動きから、酒井は相手が力と速度こそ並外れているが、その動きはいわゆる格闘技の動きというよりは肉食獣が前足の爪で獲物を引き裂こうとするそれに近く、足技もほぼ全く繰り出してこないことに気付いていた。酒井は、流れを変えるため、そこに賭けた。
 案の定、葉法善は空振りした右の掌に続けて、体を沈めた酒井を追って左の掌を斜め下に向けて薙いだ。葉法善の爪が、足を払われよろけた殭屍を捕え、引き裂く。
 その左足元を、酒井は前転してすり抜ける。さらに酒井を追おうとした葉法善の右の爪は、上半身を失って倒れ込む殭屍の下半身が邪魔で酒井に届かない。忌々しげに短く吠え、葉法善は左足で酒井を踏み潰そうとするが間に合わない。
 酒井はそのままさらに二回転ほど前転し、立ち上がる。さっきまでの突出した位置から、信仁と巴を結ぶ線上へ。ここなら、背後に殭屍は居ない。
 左右から、信仁と巴が横歩きで近づいてくるのが分かる。自分が転がったコンクリの床に、大きく血の痕がついている。
「大丈夫ですか!」
 数発発砲しながら近づき、今、葉法善が振り向く隙に散弾銃を再装填している信仁が、前を見たまま酒井に聞く。
「ああ、痛いだけだ」
「っとに無茶しないで下さいよ!」
 信仁に答えた酒井に、ちらりと酒井の背中を見た巴が一声かけてから一歩前に出て、木刀を中段に構える。
 殭屍に裂かれた背中が、焼け付くように痛む。ぬるぬるしたものが、背中を滴るのも分かる。だが、痛いだけでまだ充分体は動く。そして、心が軽い。まだいける、そう思える。
 葉法善が身を沈め、こちらに飛びかかるのと、信仁の銃口が葉法善に向き直るのがほぼ同時だった。銃声が耳を聾し、葉法善は右手に横飛びに避け、巴が追う。酒井も巴に続きながら、思う。
 まだ行ける。まだ、負けない。俺は、負けなければいい。そうすれば。
 その間にきっと、蒲田巡査長があっち・・・を何とかしてくれる。
 酒井は、自分が初めて、大事なことを他人に任していることに、無意識に同僚を信頼している事に、まだ気付いていなかった。
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