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第七章:決戦は土曜0時

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 目標地点である有限会社グリーンリサイクル興業の倉庫から一ブロック離れた、南北に走る道路から西に延びるT字路を少し入ったところ。グリーンリサイクルから直接見えない位置に停められた、当時スポーティレッドと名付けられたわずかにワインレッドに寄った赤と、サイドモールの下の黒のツートンのP910ブルーバードの後ろに蒲田は銀メタのキザシを停めた。

「どう?」
 T字路の角にある別会社の倉庫棟の影から双眼鏡で様子をうかがう信仁しんじと、その後ろのともえかじかに、かおるを従えて近づいたまどかは声をかける。
「特に動きなし。仕掛けがあるから近寄って調べられないけどね」
 振り向いて、鰍が答える。
「俺があっちのトップなら、警察が聞き込みきたなんて言えば速攻逃げ支度だと思うんスけどねぇ……」
 それまで見ていたコンパクトな双眼鏡、サイトロンのTAC-36Mを円に渡しながら、信仁が付け足す。
 目標の有限会社グリーンリサイクル興業の倉庫はこのT字路を南に約四十メートル行った先、道路がこちらから見て九十度右に曲がる角の外側にある。その位置からだと、北向き西向き両方の道路が自然に視野に入り、警戒しやすいと言える。真冬の週末、深夜の倉庫街。あたりに人気はなく、百メートルちょっと西を南北に走る産業道路を散発的に行き来する大型トラックの音がここまで響いてくる。
「敷地内に動くモノ無し、倉庫の中は見えない、か……もしかして、もう逃げちゃった後?」
 双眼鏡を目から離しながら円が呟く。ニトロゲンガス封入の七倍×二十八ミリダハプリズムレンズは、肉眼と同等か、むしろやや明るい視野を提供する。
「無くは無いっすね。俺たちが来たの六時過ぎスから」
 呟くように言った円の言葉に、信仁が、双眼鏡を受け取りながら答える。
 その言葉に、鼻息も荒く、円が返す。
「……だとしても、絶対逃がすもんですか」

「……あの、蒲田巡査長、この方達は……」
 様子を伺う「協会」メンバーの少し後ろで、緊張感のない声がする。
「……この方達も捜査協力者です、はい」
 その声で、信仁、巴、鰍は初めて振り向く。
「あ、ども、蒲田さん。そちらは?」
 真っ先に信仁が会釈しつつ口を開き、それに合わせて巴と鰍が、ども、と言いつつ会釈する。
「こちらは本庁の熊川警部補です、はい。今回の家宅捜査の主体は本庁刑事部八課なので、同行戴いてます。熊川さん、こちらは滝波信仁さん、清滝巴さん、蘭鰍さんです、はい」
「あ、どうも、熊川です……みなさん、民間の方、ですよね?」
「はい、バリバリの民間人です」
 信仁が胸を張る。間髪入れずに巴が信仁の後ろ頭をはたく。
「何威張ってんのよ。熊川さんでしたっけ、どこまで聞いてるか分かりませんが、あたし達はあのばあちゃんの孫なんで」
「は?」
「えーと熊川さん、巴さん馨さん鰍さんは円さんのお孫さんで、信仁君は巴さんの彼氏さんです、はい」
「……はい?」
 理解がついて行かなかった熊川をフォローしようとした蒲田だったが、熊川の混乱を余計に深めてしまったらしい。
「……えーとですね、今回、分調班の手が全然足りないので、民間の腕っ節の強い方を応援に頼んだ、そう理解してください、はい」
「は、はあ……」

「それで?これからどうするの?」
 孫を代表して、長女の巴が円に聞く。
「勿論、警察の方に家宅捜査していただくに決まってるでしょ?あたし達はそのお手伝いするだけよ?」
「お手伝いねぇ……この面子メンツで?」
遁甲陣とんこうじん張ってる相手に正面からガサ入れって……」
 馨と鰍が何か小声でブツブツ言っているが、円は無視して、
「なので、あちらさんが大人しく家宅捜査を受け入れてくれれば良し、そうでなければ……ね?」
「……出来ればなるべく荒事は避けていただきたいんですが、はい」
 円の言外の意味を瞬時に理解して、蒲田は警官としての希望を述べた。
「それはあっちに言って頂戴」
「はい先生、質問があります」
 蒲田の懇願ににべもない円に、信仁が手を上げて質問する。
「何?」
「深夜の倉庫街とは言え、大騒ぎはご近所にご迷惑では?」
「そこよ」
 真面目な顔で、円は説明を始める。
「今、あそこは向こうの術者が陣を張って、人目につきにくく細工している、そうよね?鰍?」
 確認された鰍が頷く。
「同時にこれは侵入者警戒も兼ねてるはずだけどそれはともかくとして、内側からの音や光を完全に遮断するほど強い陣でもない。当然、その中でどんちゃん騒ぎすればここいらの所轄が飛んでくるわ。だから」
 円は、一同を見渡して、
「侵入次第、あたしが人払いの陣を上掛けするわ。準備無しでやらなきゃだから、それやってる間はあたしはほとんど何も出来ないから、鰍、あんたはその間に元々の陣のお札だかなんだかを探して、あんたの術で上書きして。巴と馨はその間、あっちの目を引きつけといて頂戴、絶対、中に居るのカタギじゃないから」
 頷く巴と馨、頷きつつもちょっと何か言いたそうな鰍から目を離し、円は蒲田と熊川を見る。
「蒲田君と熊川君は、この子達があっちの目を引いている間に酒井君達を探して。柾木君と玲子ちゃんもここに居るんでしょ?」
 聞かれて、蒲田は頷いて答える。
「居ると思います、はい……つか、荒事になるの前提なんですね?」
「だってここ、ヤクザのアジトなんでしょ?」
「登記上は民間のリサイクル業者ですが、まあ……前みたいに、円さんが何かやって全部眠らせちゃうってのはダメなんですか?」
 蒲田に聞き返された円は、ちょっと困った顔で弁解する。
「……そんなに簡単なもんじゃないのよ?あの時は、あの船全体があたしの支配下に出来たから睡魔も使えたけど、ここ、今は向こうの術者の支配下にあるから、睡魔が寄ってこないのよ」
「はあ……そういうものなんですか」
 分かったような分からないような、それでも蒲田は、その簡単な方法が使えないという事は理解した。
「……ねえ、馨姉かおるねえ?」
 円が蒲田と話し始めると、鰍が馨の肩を叩き、聞く。
「ん?」
「今日、バンドの練習で遅れて来たのよね?」
「そうだけど?」
「みんな来てた?」
「そりゃあ。たまちゃんも来てたわよ?」
 鰍は、そこで視線を馨から円に移す。
「……じゃあさ、ばーちゃん?なんでお銀さんとかに声かけなかったの?」

「……あっ!」
 蒲田に弁解し終えたところで飛んできた鰍の質問に、円は一瞬ぽかんとし、すぐに頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。
「……完全に忘れてたんでしょ?お銀さんとかたまきさんとか江南えなみにいとか居るの」
「……そうだった……お銀ちゃん居ればずいぶん楽出来たじゃない……」
「あの、何の話でしょう?」
 蒲田が、ちょいちょいと信仁の袖を引いて聞く。
「ああ、今日、馨ちゃんは大学のバンド仲間とライブの練習で遅くなりまして。お銀ちゃんとかそのバンドのメンバーです」
 その一言で、蒲田はピンと来た。
「……もしかして?」
「……はい、人狼は江南だけですが。そういうことです」
「あのー……話が全く見えないんですが……」
 蒲田と信仁が互いに理解しあってるのを見て、疎外感を覚えた熊川が話しかける。
「……熊川さん、どこまで御存知なんですか?」
 信仁が、蒲田に確認する。
「……実は、なんにも御存知じゃありません、はい……」
「……あちゃー……」

「ばーちゃんさあ、そもそも今回一人で飛び出そうとしたでしょ?」
「……」
「何とかしてくれって槇屋降まきやふりさんから電話かかってきたんだから。頭に血が上ると体力任せに走るのはアタシらみんなそうだけどさ、ばーちゃんらしくなくない?」
「うわ、鰍が正論言ってる」
「ばあちゃんが鰍に説教されてる」
 巴と馨は、引き気味でその珍しい光景を凝視している。そこから少し離れて、信仁は、非常にざっくりとした説明を熊川に試みていた。
「ぶっちゃけ、あの人達は人狼です」
「じ、人狼?」
「さいです。で、これから乗り込むあの倉庫には人間の妖術使いがいて、人質を数名監禁してます。俺たちは、これからその人質を奪還し、犯人を抑えます」
 言いながら、信仁は自分のブル-バードのトランクを開ける。
「その際、超法規的なあれこれが発生しますが、そこはよほどのことがない限り、上の方で話がついてるそうです。以上、ご理解頂けましたか?」
 凶悪な外見の散弾銃らしきものをナイロンのガンケースに仕舞いながら、信仁が言い切った。
「……よく分かりませんが、よく分かりました。要するに、悪い妖術使いからみんなで力を合わせて人質を開放するんですね?」
「その通りです」
 満面の笑みでそう答えた熊川に笑顔で相槌を打ち、なにやら嬉しげにしている熊川から少し身を引いた信仁は、傍らにいる蒲田に小声で聞く。
「……大丈夫なんですか?あの人……」
「さあ……」
 八課、大丈夫か?蒲田は、よその部署ながら心配になった。

「……あたしの思い違いならいいんだけどさ、ちょっと気になってることがあるのよ……」
 円が、立ち上がって鰍に答える。
「あの西条玲子ちゃんってお嬢ちゃんの事でさ、ちょっとね。はっきりするまでは詳しい事は勘弁して」
「……この・・アタシにも?」
 いぶかしげに、鰍が聞き直す。
「あたしの後を継ぐあんただからよ」
 立ち上がれば、円と鰍は頭二つほども身長差がある。円の目を真剣に見上げた鰍は、ため息をついて視線を逸らすと、
「おっけー。蘭典侍あららぎのないしのすけ円御前まどかごぜんがそうおっしゃるのなら、女蔵人にょくろうどかじかは仰せに従います……そういう事なんでしょ?」
 言って、片方の口角を上げる。
「……気付いてたの?」
 少し驚いた顔で、円は鰍を見た。
「初めて見た時からね……なんとなく、だけど」
「……出来のいい跡継ぎで助かるわ」
「……何の話?」
「さあ……」
 何かしら二人だけでわかり合った祖母と妹を見て、姉二人は首を傾げるばかりだった。

「……で?」
 あらためて、鰍は円に聞く。
「お銀ちゃん呼ばなかったのは確かにこの典侍円ないしのすけ まどかの一生の不覚よね」
「出た、使い減りしない一生の不覚」
「何年ぶり何度目?」
 鰍に合わせて、やや芝居がかって失敗を認めた円を、巴と馨が茶化す。
「そこうるさい。とにかく、やる事はさっき言ったとおりで変更は無し。いいわね?」
「俺はどっちのバックアップ?」
 信仁が、鰍と蒲田達を交互に見ながら円に聞く。
「そこは臨機応変だけど、まあ蒲田君達かな?」
「円さんには要らない?」
 あえて聞く、そんな雰囲気で、にやつきながら信仁が確認する。
「あら、護ってくれるなら嬉しいけど、後で巴に文句言われそうだから止めとくわ」
 言わないわよ!間髪入れず不平を言う巴を無視して、円は、
「……じゃあ、さっさと行きましょか」
 言って、T字路の角を出て有限会社グリーンリサイクル興業の倉庫に向かって歩き出す。
「あ、そうそう、忘れてました、はい」
 二歩歩き出してから急に回れ右した蒲田は、キザシのグローブボックスから何やら書かれた紙を二枚取り出し、キザシのダッシュボード一枚置くと、信仁にも渡してブル-バードにも置けという。
「……これ、この世で一番御利益ありそうなお札っすね……」
 ――捜査関係車両につき云々――
 所属と連絡先込みでそう書かれた覆面パトカー御用達の路駐取締除外票を見て、信仁はそう呟いた。
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