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第六章:金曜、それぞれの思惑、それぞれの決意

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「若い人って。酒井さんだって充分お若いでしょう……失礼ですが、おいくつでしたっけ?」
 酒井の愚痴を真に受けて、柾木が聞き返した。
「え?いや、三十三だが……」
「じゃあ、まだ充分お若いじゃないですか。うちの営業所、俺の次に若いのって三十六ですよ」
 柾木は、自分のOJTの先輩、下山を思い出す。ただし、下山から柾木までの間に新入社員が居なかったわけではなく、自己都合だったりなんだかんだで長続きしなかった、とも聞いていたが。
 言われた酒井は、苦笑する。そういう事じゃないんだがな。酒井自身、分かっている。これは、俺のひがみだ。大卒の若いのが希望を語るのを、高卒のオヤジがひがんでる、ただそれだけだ。
 その酒井をして、そうさせたのは、監禁されているこの異常な状況のせいかもしれない。あるいは、北条柾木があまりにも素直に、自分の気持ちを吐露したからかも知れない。
「いや、俺は高卒だし……」
 小声で、酒井は呟いた。

「高卒だと、ダメなんですか?」
 真顔で、柾木は酒井に聞いた。
 虚を突かれて、酒井は聞き返す。
「え?」
「いや、うちの会社、メカニックはだいたい高専ですし、大体所長も確か高卒だったはず、だよな、うん。それに、俺、兄貴二人居るんですけど、どっちも高卒で家業継いでます。俺から見て、みんな俺より有能です」
 柾木は、一呼吸して続ける。
「俺が言うのも何ですけど、大学出てる役立たずより、高卒の即戦力の方がずっと有り難いって、うちの工場長よく言ってます。大事なのは経験、大学出はちょっとシゴクと辞めちまう、根性がないって……俺、失礼だけどお巡りさんもそう言うもんだと思ってたんですけど、違うんですか?」
「いや、違わないが……」
「ですよね?うちの会社も、フロントの俺よりメカニックの方が客あしらい上手い人いっぱい居るんですよ、そりゃ経験違うから当たり前なんですけど。でもね、たまに思いますよ、俺、四年間何勉強してきたんだろうって」
 柾木は、少し笑う。
「書類仕事には少しは役に立つんですけどね。対人関係はやっぱ経験しないとダメですね……酒井さんなんか、俺より対人関係絶対上手いと思うんですけど?」
「俺が?」
「だって、お巡りさんしてたんですよね?今度そのへん是非教えて下さいよ、話し聞き出すコツとか」
 よろしくおねがいします、そう言って柾木は頭を下げる。
 ああ、そうか。酒井は、いろんな事が同時に分かった気がした。まず、北条柾木は確かに営業向きだ、今オレは強引に彼のペースに巻き込まれつつある。それに、そもそも彼は人見知りをしない。人怖じもしない。
 そして。
 彼は、彼の目線は水平だ。今、それが分かった。それは、彼の生来の気質なのかも知れないし、彼の今までの半生によるものかも知れない。
 それに対して、俺は。
 どうやら俺は、俺の目線は、下から上を見ていたみたいだ。

 何かが、吹っ切れた。
 酒井は、そう思った、そう思えた。
「……そうだな、どうだろう、ここ出たら、どっか呑みに行くか?」
「いいですね、是非」
「それには、ここから出ないとな」
「それなんですけど。とりあえず力業での脱出は無理だと思います」
「……そうなのか?」
 柾木は頷いて、
「ここには、張果ちょうかって名前の爺さんと、葉法善ようほうぜんっていう大男が居ます、さっき見ましたよね?どうもその爺さんがここのトップで、大男がナンバーツーですかね、あと、手下がどれくらいいるかはわからないんですが……」
 柾木は、その二人が妖術使いで、などという事は言わない方が良いと判断した。それを言うという事は、柾木は多少なりともそういう事を知っていると自白したも同然、そう考えたからだ。
「作業員風のなら、そうだな、昼間は見ただけで二十弱、多分見えない所含めて倍は居るんじゃないかな。夜は泊まり込みかどうかはわからないが……」
「……なので、玲子さんかかえて逃げ切りは多分無理です」
「……そうだな。それに、俺も警察手帳と名刺は取り返さないとな」
 手帳は勿論、名刺も悪用されると一大事なので、警官はみだりに名刺を出すことをしない。この二つは絶対取り返さないと始末書じゃ済まない。
 それと、煙草。
「……煙草、吸いたいな」
「今ですか?」
 ちょっとギョッとして、柾木が聞き返す。
「いや、あいつらに盗られてね。取り返すまでは逃げ出せないな」
 両手を振って否定しながら、酒井は言った。
 ちょっとほっとした表情で、柾木も言う。これくらいなら、聞かれても問題ないだろう。
「じゃあ、チャンスを待ちましょう……することないし、電気消して少し休みませんか?」
「……この床、固いし冷たいな」
「寄っ掛かって寝るしかないですね……」
 言って、立ち上がって柾木は電気を消しに行った。
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