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第六章:金曜、それぞれの思惑、それぞれの決意

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「……粥じゃないの?」
 青葉五月あおばさつきは、少し前に北条柾木が発したのと同じ質問を、少し早めの夕食を持ってきた張果ちょうかに投げた。
「……どいつもこいつも……お前らが散々食うで、蓄えが足りん」
 忌々しげに張果が答える。そう言えば、今日の午後は張果を初めて見るが、何かあったのだろうか、やや腫れた左頬に氷嚢を当て、態度も今までと違って余裕が感じられないと五月は思う。
「……それ、転んだか何かした?おまじないしてあげましょうか?」
 皮肉たっぷりに、五月は張果に言う。フンと鼻を鳴らして、張果は、
「腕の程は確かだろうがな、茉茉モモの力まで使って仕返しされたのではたまらんでな、遠慮しておくわい」
 面白くもなさそうに答え、張果はさっさと事務所跡を出る。無言でついて行く葉法善ようほうぜんの後ろ姿を見ながら、何かあったのだな、と五月は感付き、その原因を推理する。
 道士の食事は粥と決まっている、だから、張果は自分の分は粥を作るはず、多分葉法善も粥食だろう。今まで私にも粥を出していたのは、一人分程度増えても大して手間も量も差がなかったから、だろう。さっき、張果は「どいつもこいつも」と言った。つまり、私以外にも粥を出す相手が居る、居た、それが増えたって事?流石に手間も量もやってられなくなった、それくらいに今、ここには私みたいな人質が居るって事?
 他にも理由は考えられるだろうが、それが一番しっくり来ると五月は感じる。そして。
 だとすれば。その人質の誰かに張果は殴られたんだ。誰に殴られたかは知らないけど、張果は見た目相当な高齢で相当な痩せ型、あの年齢、あの体格で殴られればそりゃ効くだろう。機嫌が悪いのはそのせい?でも、コンビニ袋の大きさからして、あたしの分だけ買ってきたようには見えないから、それでも律儀に弁当用意するあたり、性格、良くわかんないわよね……ひょっとして、機嫌悪そうなのは、殴られたことだけじゃないとか、実は無関係とか?何か予定外のトラブルが起きてる?
 想像だけならいくらでも膨らむ。五月は、茉茉をあやす傍ら、久々の粥以外の食事を味わいつつ、暇つぶしの想像を楽しむことにした。

「夜半前には令状取れそう?OK、取れ次第持ってきて。そうねぇ……大黒で落ち合いましょ?……うん、そう、大黒パーキング……え?週末、閉鎖?今夜閉鎖なの?……じゃあついでに確認しといて。え?……そんときゃ高速警察にネジ込んどきなさい、あんたも警察でしょ!じゃあ令状取れたらまた連絡頂戴。よろしく!」
 「協会・銀座大本営」の総務部室で、スマホの通話モードを切った蘭円あららぎまどかが同僚に向き直る。
「と、いうわけ。悪いけど、今夜残業付き合ってもらえる?」
 肩をすくめ、槇屋降杏まきやふり あんは苦笑いしながら答える。
「私はただの事務ですからね、幹部にそういわれて拒否権あると思います?」
「若い子に振ってもいいんだけど?」
「若い子に深残ふかざんつけると人事がうるさいんですよ。円さんも控えて下さい?」
「OK、覚えとくわ。じゃあ、今のうちに腹ごしらえしときましょ。お詫びに奢るわよ、何食べたい?」
「……じゃあ、銀座コアの玉寿司行きません?」
「いいけど、もっと張り込んでもいいのよ?」
「あそこの社長、小学校の同級生の弟なんですよ」
「あら……」

「それにしても……」
 流石に色々あって疲れてしまったのだろう、ソファベッドで、掛け布団代わりに柾木のスタジアムコートを掛けて静かな寝息をたてる玲子を見て、感心したように酒井が言った。玲子を起こさないよう、声のトーンは抑えて。
「……大したお嬢さんだな、要するに北条君を追っかけて来たって事だろう?」
「まあ、そうともいいますね」
 柾木が、ややはにかみながら答える。
 コンビニ弁当の夕飯からどれくらい経っただろう、表はすっかり暗くなったようだ、時計がないからよく分からないが、恐らく夜の八時頃だろうか。
 一応、お互いに初対面の体を崩さないように気は使っているが、そうは言ってもそこはやはり無理がある。どうしてもくだけてしまうが、それでも、この状況でお互いに名字で呼び合うくらいはするだろう、身の上話くらいはするだろうという、だがあっち・・・にとって重要そうな話は避けよう、という暗黙の了解の上で、酒井と柾木は先ほどから世間話をしていた。
「正直言って羨ましいとは思うよ、逆玉だろ?それに、こんなに可愛らしいお嬢さんだ」
「止めて下さいよ、まだそんなんじゃないですよ」
 柾木は、少々困って言い返す。
 酒井は、暇を持て余していることもあって、ちょっとだけからかってみたくなる。
「今は?」
 柾木は、酒井の突っ込みに、苦笑し、ため息をつくと、少しだけいい笑顔で、酒井に言った。
「……そうです、今は、です」
 おや?思っていたのと違う反応が返ってきて、酒井はちょっと驚く。その酒井に、柾木は言葉を続けた。
「実はさっき、玲子さんとそんなような話をしたんですよ……玲子さんは本当に凄いんです。色々あって凄い苦労してるはずなのに」
 何故か少し嬉しそうに、柾木は前を向いて言う。
 柾木と並んで、ソファベッドに寄りかかるように床に座っている酒井は、その横顔をじっと見ながら、聞く。
「苦労?」
「……俺が言っちゃっていいことでもないんですけど、玲子さん、体が弱くて、特に目にちょっと障害があるんです」
 柾木は、盗聴されていることも考慮して当たり障りのない言い方を選ぶ。
 ああ、それでいつもベールを。邪眼のことを未だに知らない、聞いていない酒井はそれで玲子がいつもベールを付けていること、視線を合わせようとしないことに納得した。
「自分じゃ言わないけど、凄い苦労したはずです、してないわけないんです。でも、それ以上に努力してて。だから俺、ちょっと卑屈になってたんです」
 柾木は、わずかに微笑んだ表情で酒井を見る。本当に微笑んでいるのか、卑屈な笑みなのか、曲がりなりにも警察官歴の長い酒井でも、その表情から柾木の感情が読み取れなかった。
「玲子さんは学校もろくに行けてないのに、俺なんかよりよっぽどものを知ってて、勉強も出来るんです。正直、敵わないです」
「酒井君は大卒だっけ?」
「そうです」
 柾木は自分の卒業大学の名前と学部を言う。北関東の、県名の付く国立大学。例外もあるが、一般に県名の付く国立大学というのは、入試に合格すれば親戚に自慢出来る、そういうレベルである事は酒井も知っている。
 十分じゃないか、何を卑屈になる事がある?高卒の酒井は、むしろわずかに柾木に反感を持ってしまう。
「……目的意識が凄いんですよ、玲子さん。西条精機は人工臓器の開発と製造をする会社です、それはつまり、難病の患者の希望になる。だから、もっともっと良いものを安く作って、難病の患者さんに使っていただきたい。その為には、自分は開発は出来ないから、開発者や生産者が働きやすいように会社をもり立てていかなければならない、会社を大きくしなければならない。自分の役目はそれだって。前、そんな事言ってたんです」
 今度は、酒井にも柾木の感情がよく分かった。この青年は、その少女がそう思い、その為に努力することを好ましく思い、それを助けたいと思っている。柾木の、無意識にこぼれたであろう微笑みから、酒井はそれを読み取る。
「俺は、何の目的も持たずに社会人になって、さっき気が付いたんですよ。このまんまじゃダメだって。だから、これから少しは俺もがんばってみようと思ったところなんです。だから、今は、です」

 酒井は、正直にそれを言えてしまう柾木を羨ましいと思った。この異常な状況が、それを口にするのをためらわせなかったのか。それとも、それが若さなのか。どっちにしても、羨ましい。 
 まいったなぁ。
 酒井は、ひとしきり柾木と目をあわせ、そして目を伏せる。
「酒井さん?」
 酒井の様子を気にした柾木が声をかけた。
「……いや、何でもない」
 俯いたまま答えた酒井が、顔を上げる。
「ただ、若い人が羨ましくってね……」
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