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第六章:金曜、それぞれの思惑、それぞれの決意

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 それは、咄嗟の判断だった。
 選択肢は、その瞬間に三つ、酒井は思いついてはいた。一つ目は、部屋に踏み込まない事。だがこれは、その先の聞き込みが出来なくなる可能性がある。二つ目は、避けるか、あるいは反撃する事、だがこれは、大事おおごとになり、刃傷沙汰も覚悟しなければならないだろう。そして三つ目、甘んじて受ける事。何でどう、どこを殴られるかにもよるが、万が一気絶したとしても、まさか警官を殺すほどヤバい橋を渡るような組織とも思えない、流石にそれはしないだろう。
 酒井は、無理にでもそう思う事にした。

 ガチャガチャと雑にドアを解錠する音がし、すぐに乱暴にドアが開けられる。
 驚いてソファベッドの上で体を離した柾木と玲子は、作業服こそ着ているが明らかにカタギの目つきではない三人が、ロングのトレンチコートを着た誰かの手足を持って部屋に入ってくるのを見る。
 なんだお楽しみだったのか、こんなところでよくやるぜ、こちとらおあずけだってのによ、そんな内容の、もっと聞くに堪えないような下卑た言葉を言い合いながら、その作業服の男達は運んできた誰かを部屋の中に放り出し、下品な捨て台詞を残して出て行く。
 投げ捨てるように運び込まれたのが誰かを一目で理解した柾木と玲子は、ドアが施錠されるやいなやその誰かに駆け寄る。
「さ……大丈夫ですか?」
 危うく名前を呼びそうになったのをギリギリで押しとどめて、柾木は目の焦点が合ってない酒井を助け起こす。大怪我している様子はない、気も失ってはいない、いや、失っているも同然の状態か?柾木はざっと酒井の様子を確認し、とにかく命に別状はなさそうだと判断する。
 玲子も、柾木にならって酒井に手を添える。
 次第に酒井の視線に力が戻って来る、その頃合いを見計らって、怪我を確かめるふりをしながら柾木は酒井に囁く。
「盗聴されてます、気をつけて下さい」
「ああ、ありがとう」
 あえて大きな声で酒井は答える。これは、いつまでもボケてはいられない。酒井は、しこたま殴られて痛む後頭部をさすりながら、無理矢理体を起こした。

「ああ、増山さん吉川さん、すみません、こいつちょっと見ててください」
「うえっ?」
「ちょっ?」
 午後五時十五分過ぎ。小太りのチンピラを連れて分調班の事務室のドアを開けた蒲田巡査長は、たまたまそこにいた増山巡査部長と吉川巡査部長にそのチンピラを半ば投げるように預け、返事を聞く間もあらばこそ、大慌てで再度事務室を飛び出して行く。
「その辺に正座させときゃいいですから、はい!」
 なんとなれば、蒲田は、ここへ帰ってくる途中で、蘭円あららぎまどかから待ち合わせ場所と時間の変更を連絡されていたのだ。

「遅くなりました!蒲田巡査長、入ります!」
 ドアの前で曲がったネクタイと着崩れた背広だけ整え、蒲田は岩崎管理官の執務室のドアを開けた。
「おお、待っていたよ。入りたまえ」
 ブラインドを引いた窓を背中に、難しい顔でうつむき気味にデスクに肘をついていた岩崎警視長がほっとした顔を上げて柾木を呼び込む。
「失礼します!」
 覚悟を決めて一歩部屋に踏み込んだ蒲田は、入って右手の応接セットに座り、目を伏せてティーカップに口をつけている蘭円を見つけ、背筋が凍った。

「岩崎に頼んで日報は見せてもらったわ。火曜と水曜の件はあの子達から直接聞いてるし。追加の情報だけ聞かせて」
 岩崎と蒲田が応接セット側に移動するのを待って、ソファに座り、ティーカップをソーサーに置いた円が、チェアに座った岩崎と蒲田をその視線で射すくめつつ切り出した。
「え、えーと、はい、本日午前、野槌会のづちかいの家宅捜査中に西条玲子さんからメールがありまして、そのメールで北条柾木君が拉致された事を知りました。また、西条さんが北条さんのマンションに残しておいた重要参考人も確保、この参考人からの情報提供によって北条さんが拉致監禁されていると思われるリサイクル業者の倉庫を特定し、戻ってきたところであります、はい」
「酒井警部はどうしたのかね?」
 岩崎が、当然と言えば当然の質問をした。
「は、酒井警部は、現場周辺で聞き込みを行う為、現地に残りました、はい」
「……あたしに会うのが嫌で残ったって事?」
 珍しく地味なスーツを着た円が、静かに言う。冷や汗すら凍りそうに感じつつ、蒲田が答える。
「い、いえ、決してそのような事は、はい。物証に乏しいので、確証を得るための聞き込みが必須との判断であります、はい」
「そう……いいわ、酒井君に電話してみてくれる?」
「は、はい」
 蒲田は、スマホを取り出して酒井の短縮ダイアルを選択する……繋がらない。
「……すみません、酒井さん、電源切ってるみたいです、はい」
 蒲田の答えを聞きつつ、円も自分のスマホを取り出す。ちょいちょいと操作し、メーラー画面を出してからテーブルの上に置き、蒲田と岩崎に見せる。
「あたしが玲子ちゃんからメールもらったのが十一時過ぎ、ちょっと用があってその時あたしメール見れなくて、気が付いたのが三時過ぎなんだけど、それからすぐに玲子ちゃんに電話しても繋がらないのよ」
 テーブルに置かれた円のスマホを、失礼します、と断わってから蒲田は手に取る。表示されている文面は、酒井と蒲田に送られたものと同じ、いや、最後に一文、「どうか、柾木様を、お助け下さい」と付け足されているところだけ違う。
「勿論、玲子ちゃんの執事二人にも電話してみたわ、で、結果は同じ」
「それって……」
 円のスマホから顔を上げた蒲田に、円は頷いて、
「メールによれば、玲子ちゃんもその現場に行くって書いてあるから、電源切って潜入してるって可能性もあるけど、酒井君含めて四人全員ってのもちょっと不自然よね。あたしとしては、最悪の状況を想定すべきだと思ってるの。で、玲子ちゃんはあたし宛に、助けてくださいって言ってるわけ。あたしはこれを、「協会」に対する救助要請と受け取ったわ」
 途端に、岩崎の顔色が変わる。
「ちょ、ちょっと待ってください、まさか、今から踏み込もうって言うんじゃ……」
「そのまさかよ。ここに顔出しただけ有り難いと思いなさい。厚い皮膚より早い足、だったわよね?とはいえ……」
 その岩崎を見つめ、円が言う。
「警察も動いてるのは知ってるわ。正直あたしは今すぐ行きたいんだけど、特別にちょっとだけ待ってあげるから、調整して令状とって。あくまで警察による家宅捜査からの強制捜査、って体にしてあげるから、蒲田君、あなたはあたしと現場に同行して」
「分かりました……蒲田巡査長、そのように整えられるか?」
「え、えっと……酒井さんから桜田門の八課には一報入れてあるので、令状は八課にお願いして今日中に何とか出来ると思います、他部署には事後承諾の形で八課の課長から連絡してもらった方が色々よろしいかと」
「よし、八課は任せる、私は桜田門の刑事部長に話を通しておく」
「形は整えておいてよ、そっちに花持たせてあげるから。で、情報はさっきのあれだけ?相手の手口とか、なんかないの?」
 円に言われて、蒲田は考え込む。
「それが……野槌会という新進気鋭の反社組織がクロなんですが、組織そのものは普通の暴力団の下部組織です、はい。現場には作業服着た構成員がいっぱい居るのは確認しましたが、こんな事しでかすような術者?って言うんですか?どういうのが何人居るかというのはまだほとんど手がかりがありません。人形や死体を使うというのは分かっているのですが、はい。倉庫内の見取り図や」
「日報にあったわね。符籙ふだもあるって書いてあったけど?」
「あ、はい、保管してあります」
「OK、後で見せて。つか、貸してもらえる?」
「はい、管理官、手続きは……」
「書類は後で構わん、先に渡して差し上げてくれ」
「了解です……それから……」
 言いにくそうに、蒲田が続ける。
「……何?」
「まだ分調班に事案が回ってきてなくて、はい、繋がりも証明出来てないんですが……」
 蒲田が、前置きしてから、応接チェアの上で小さくなって、言う。
「……青葉五月さんも、行方不明です、はい」

「……な・ん・で・す・っ・て?」
 静かに、死刑を宣告する裁判官みたいな感情のこもらない声で、円が言う。
「いえ、だからその、新宿で発見された変死体は、目撃証言から青葉五月さんを襲って返り討ちに遭った可能性が高くて、はい。以降青葉五月さんが部屋に帰ってないので、変死体以外の共犯者に連れ去られた可能性があると判断してます、はい。ただ、目撃証言だけではそこにいたのが青葉五月さんだと断定できなかったので、すみません、酒井さんと相談の上で日報には記載してませんでした、はい。確定情報としては、変死体の他には女性一名、男性二名がその場に居たとしか、はい。あ、勿論、青葉五月さんの捜索願は出てます、五月さん身寄りがないので、バイト先から出して貰うよう酒井さんが要請しました、はい。物証が固まり次第、分調班で引っ張り上げる予定でした、はい」
 蒲田は、一気にまくし立てた。まるで、そうする事で、円の視線を遮る言葉のバリアを張れるかのように。
「……初耳だわよ?」
 バリアの御利益か、円の矛先が蒲田から、藪蛇を避けて一言も言葉を挟まなかった岩崎にくる~りと向いた。
「わ、私も初耳だ、蒲田巡査長、確かなのか?」
「は、青葉五月さんがこの数日帰宅していないのは、酒井さんが確認されています、はい。バイト先を無断欠勤されているのも確認済みですし、火曜の夜、歌舞伎町のバイト先を出た時刻と、変死体の発見時刻もほぼ一致してます、はい」
 肩を落とし、俯いて深いため息をついてから、円が言う。
「これだからお役所仕事は……わかるけども!いい?次からは、おかしいと思ったらすぐあたしにも連絡入れなさい!わかった?」
「は、はいです!はい!」
 円の勢いに気圧されて返事した蒲田は、円が顔を上げた拍子に胸元で揺れた、見慣れないIDカードに気付いた。この警察庁の入る中央合同庁舎二号館の、外来者の一時入構許可カードでもなければ、同じ庁舎の他の省庁、総務省や国土交通省、その他の部局のものでもない。あれは……?
 蒲田の視線に気付いた円は、さっとそのIDカードを裏返して胸ポケットに仕舞った。
「とにかく!じゃあ、家宅捜査強制執行の書類準備しといて!あたしもこっちの用意があるから、令状が何時に出るか分かったら連絡頂戴!」
 言うだけ言うと、円はさっさと席を立って部屋を出て行った……と思うやいなや戻ってきて、
「その現場の住所!偵察出すから、他の情報全部付けてメールして!頼んだわよ!」
 自分のスマホを顔の横で振って示してから、今度こそ円は部屋を出て行く。
 嵐の過ぎ去った執務室の応接セットのソファに並んで座った警視長に、巡査長は、
「……管理官、円さんって、もしかして管理官より序列が上なんですか?」
「……何故、そう思った?」
 ちょっと驚いた顔で、岩崎は蒲田に振り向いた。
「いえ、ちょっと、何というか……そうだ、そもそもどうやってここまで?」
 勿論、民間人でも事前に申請して許可を得れば、この合同庁舎に入る事は可能だが、特別な許可がなければ警察庁には入れない。それは、他の省庁のIDカードでは警察庁のエリアには入れない事でも明らかだ。
 そして。見る機会が殆どないので定かでは無いが、あのIDカードは、もしかして、宮内庁の……
 蒲田の疑問に是とも非とも言わず、岩崎が答えた。
「……まあ、いずれ話すよ、君にはな……」
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