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第六章:金曜、それぞれの思惑、それぞれの決意

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 あの時は、ぱっと見で女神みたいだと思ったけど、このは、玲子さんは、本当に中身が純粋なんだ、むしろそっちの方が女神っぽいのかもしれないな……
 柾木は、玲子がはっきりと自分の気持ちを宣言するのを聞いて、ふと己を省みる。
 ……俺は、どうなんだろう。こんなに良い娘が慕ってくれているのに、俺はどうすればいいんだろう?
 柾木は、玲子のアピールを自分が故意にはぐらかしている事を自覚しているが、その理由は今まであまり考えていなかった。
 今、はっきり分かった。俺、自分に自信がないんだ。玲子が凄いと思う、輝いて見えるのは、そういう事なんだ。
 北条柾木は、自分の学歴、経歴を思い出す。県立大学出身で、大手の販社の社員。普通に考えれば充分以上だろう、けど、自分に自信が持てない。
 柾木は、北関東某県の、最近近隣の市に合併された町村部にある半農半自営業の三男坊だった。長兄は農業高校に行って農家を継ぎ、次兄は工業高校に行って自営の自動車修理業を継いだ。三男の柾木は特にやりたい事を思いつかず、とにかく大学くらいは出よう、でも裕福ではないから公立、と思って、県に五つある公立大学、うち二つは女子大と看護大なので実質選択肢は三つ、そのうちの総合大学の商学部を選び、なんとか合格し卒業も出来た。そのおかげで現在、日販自動車の中野営業所に新入社員として取ってもらえている。
 それ自体は、傍から見れば充分に自慢出来る経歴だったが、それでも柾木は玲子を見ると引け目を感じてしまう。
 なんとなれば、それは目的を持って努力した結果では無かったからだ。

「……柾木様?」
 ひとしきり宣言し終わった玲子が、怪訝そうな顔をして柾木を見上げていた。
「あ、いや、何でもないです」
 余計な事を考え込んで、つい黙り込んでしまっていたのだろう。柾木はその場を取り繕おうとして、思い直す。
 折角だ、良い機会なんだろう、玲子さんに、聞いてもらおう。
「いや、玲子さんはすごいなって思ったんです。で、それに比べて俺なんて、って思っちゃって」
「いえ、わたくしなど別に、それより、柾木様?一体……」
「玲子さん、俺ね、なんて言うか、玲子さん見てると、俺はなんにも頑張ってないなって思えちゃったんです。いや、ちゃんと親戚に自慢出来る大学出て、親戚に自慢出来る就職はしてますけど、別に俺、それが目的だったわけでもないし、正直、今も特に目的があって仕事してるわけでもないし。だから、目的があって努力してる玲子さんが凄いなって」
「そんな事おっしゃらないで下さい、柾木様は……」
 玲子の言葉を遮って、柾木は付け加える。
「だから、何か目標つくって、これから頑張ってみよう、って思いました、今」
 言って、柾木はちょっと心配そうに見上げていた玲子に微笑む。
 ほっとした様子で、玲子も微笑み返した。

「それで、何を頑張られるおつもりなんですの?」
「さーて、ジャストアイデアですからねぇ、まだ何にも……とりあえず、もう少し体鍛えるかな」
 玲子に聞かれて、柾木はまず外見からかなと思い、そしてエータの体を連想する。アイツ、顔は俺と同じだけど、体は彫刻がモデルだからな、少しはあっちに近づけないと。
「女性から見ても、やっぱ鍛えてる男の方が良いんでしょう?」
「さあ、どうでしょう?」
 言われて、玲子はちょっと考え込む。
「すみません、私はそういう事に疎いもので……でも、柾木様に関してなら、私は別に容姿は気に致しません。勿論、今の柾木様のお姿もお顔も私は嫌いではございませんし、それに、私が本当にお慕い申し上げているのは、柾木様のお心ですから」
 歯の浮くような事を、真顔で玲子は言う。
「だって、あの時は、柾木様のお体はエー……」

 その時の柾木のスピードは、まるで体がエータの時のようであったと後に玲子が語るほど、ものすごい勢いで柾木は玲子に抱きつくと、そのまま有無を言わさず玲子をソファベッドに押し倒し、覆い被さる。
「ま、柾木様?な、何を……」
 驚愕しつつ、玲子はそれでも年頃の少女らしい潔癖さで柾木の上体を押しのけようとする。ただ、その腕にもう一つ力が入っていないのは、何か別の意思が働いているのか。
 その玲子の心の内を知ってか知らずか、柾木は玲子の耳に口を寄せ、囁く。
「ごめんなさい玲子さん、でもその話聞かれちゃまずい、ここ、盗聴されてます」
 はっと、玲子も目を剥く。
「洗面台の横の棚の上、人形があるの、見えますか?」
 柾木は、玲子の右頬に顔を寄せて囁く。洗面台とその横の棚はこの部屋のドアから見て、入ってすぐの右側の壁にある。ドアから見て左側の壁の奥側にあるソファベッドに押し倒されている玲子からは、足下側かつ左手側、部屋を対角線に渡って見る事になる。
 柾木が少し顔を避けた事で空いた空間から、玲子は洗面台の横の棚にある人形が見えた。先ほどまでは全く気付いていなかったが、今こうして凝視すると、ほんのわずか、何か淀んだものがその人形を取り囲んでいるのが、玲子には見えた。
「あれは……」
「見えましたか?」
「はい……何か、禍々しいものがまとわりついてます」
「あ~……玲子さんそっちも見えちゃうのか……まあいいや、さっきのあのジジイ、張果ちょうかとかいう名前らしいですけど、盲目なんですよ、なんですけど、どうも人形の目と、多分耳も代わりに使っているみたいで」
「まあ……だから……」
 玲子は、自分の邪眼が通じなかった理由を今知った。
「そういう事です。アイツ、俺たちの事かなり知ってるみたいですが、肝心なところは流石に知らないみたいなんで」
「……承知いたしました。気をつけてお話しなければいけないのですね」
「そういう事です……すみません、驚かせてしまって」
「いいえ、そういう事でしたら……でも、びっくりしました」
「ホントすみません。でもまあ、こう言うの、スパイ映画とかで良くあるじゃないですか、ちょっとやってみたかったってのも……」
 正直に白状した柾木に、くすりと、玲子は笑って、
「まあ……柾木様ったら悪い人ですこと……でも、柾木様でしたら許して差し上げますわ。お父様には、はしたない娘だと怒られてしまいそうですけれど……」
 柾木の耳に囁き返す玲子の声色が、熱い。
 ヤバイって。
 柾木は内心うろたえる。この娘は、玲子さんは、それが男にどう聞こえるか分かっているのだろうか?柾木は、わずかに体を離し、玲子の顔を見つめる。
 玲子は、無垢な眼差しで柾木を見つめ返している。柾木のする事に、何の恐れも疑いもない、絶対の信頼を置いている。ルビー色に黒曜石の瞳は、そんな玲子の心を如実に映している。
 これは据え膳だ、さっさと残さず全部喰え!柾木の中のどこかでそんな声がする。大丈夫、許すと言ってるじゃないか。
 いや待て違う、それは断じて違う。柾木の中の別の所から違う声もする。恐らく、玲子は「押し倒された」のを「許した」のであって、それすら玲子には「はしたない」行いなのだ、そういう意味だ。
 だが、男とは哀しい生き物だ。この状況であの台詞は、ここから先も全て許されたと曲解、拡大解釈したがるものだ。そして、昨夜から精神的にも肉体的にも痛めつけられている柾木の心と体は、無意識に切実に癒やしを求めてもいて、目の前には、豊穣の女神、とまでは言えないけれど、癒やしを与えてくれるに違いない女神が……
 柾木が逡巡していたのは、時間にすれば一瞬だっただろうが、柾木には永遠に等しい長さに感じられた。そして。
 柾木の葛藤は、乱暴にドアの鍵を開ける音で断ち切られた。
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