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第六章:金曜、それぞれの思惑、それぞれの決意

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 柾木の部屋の、点けっぱなしになっていたテレビ画面の隅のデジタル時計表示が、十一時を示した。
「車の中は一人、眠らせて縛ってあります」
 その男が持っていた携帯を見せながら、袴田が玲子と時田に報告する。
「では、この方にお話しを聞くとしましょう……大声など出されませんように、近所迷惑でございますからな」
 言って、時田はその男、歯並びの悪い痩せたチンピラ風の男の猿ぐつわを解く。
「んだてめえらなにしゃがうぐ……」
「大声は出されませんようにと、言ったはずでございます」
 満面の笑みの時田の大きな手が、男の口を押さえている。握り潰さんばかりの力で。
「よろしゅうございますか?」
 涙目で頷こうともがくチンピラを見つつ、時田は手を離す。
「単刀直入に伺います。柾木様……この部屋の住人を、どこへ連れて行かれまして?」
 部屋に監禁されている、と言う見立ては崩れた。部屋は荒らされているが、争ったと言うより家捜しした跡に見える。玲子は、焦りと怒りを必死で抑えつつ、チンピラに質問する。
「しらねぇよ、んだよおめぇらはよ、あ?」
 涙目のまま、それでも虚勢を張るチンピラを横目で見つつ、袴田が提案する。
「……吐かせる手はいくつか存じておりますが」
「いえ、時間ももったいないですから、案内していただきましょう」
 玲子は言い放ち、ボンネットに手をかけようとする。
 それを見た時田と袴田は、目を丸くして慌てて止めようとする。
「おひいさま!」
「お止め下さい、それは!」
「時田、袴田、これが」
 玲子は止めるのも聞かず、ベールごとボンネットを脱ぐ。
わたくしの本気、いえ、私の覚悟です」

 玲子は、部屋と車、両方のチンピラの顔写真をスマホで撮ると、黒塗りハイエースのナンバーの写真と共にメールに添付し、酒井と蒲田のメアド宛てに送信する。タイトルは「柾木様誘拐犯人」、本文には、ここに至る経緯を完結にまとめてある。
「本当に、お一人で?」
 時田が聞く。
「……私が行っても、何のお役にも立てないかも知れません。けれど、我慢がならないのです。それに、さっき言いましたとおり、私ひとりならば、ここに現れたのでとにかく拉致して来た、と言っても通るかも知れません」
 玲子は、自分の邪眼を用いて、チンピラ二人から可能な限りの情報を引き出そうとした。だが、ここに居たのは「何か」を探すため、北条柾木の名前は知らない、ただここに居るヤツを連れてこいと言われただけ、連れて行った先も行き方はわかるが住所はわからない、命令したのは最近上位の組から派遣された老人だがよく知らない、と、まるで要領を得なかった。
 それでも、北条柾木が夕べ、ここからどこかに拉致されたことは確認が取れた。その場所も、このチンピラに運転させれば辿り着ける。となれば、是が非でもこいつらに運転させてそこに行かなければならない。
 玲子がまとめた事実関係と今後の方針に、そこまでは時田も袴田も異論はなかった。だが、玲子が一人でハイエースに同乗する、と言い出した時は、流石に侍従二人は即座に翻意を乞うた。
 しかし、相手の情報がないに等しいところで、この三人で行っても何も出来ない可能性が高い、むしろ警戒されるだけかも知れず、事態を悪化させかねない、ならば、自分がある意味人質として一人で潜入する方がまだ事態を好転出来る目がある、と言われては、確かに強面二人が不用意に近づくのは問題が多いと認めざるを得ず、有効な反論が出来なかった。
 それでも、時田も袴田も玲子の護衛、主人をわざわざ虎の穴に投げ込むようなことは、虎の子を得るためであっても、ましてや北条柾木を得るためとなればなおさら、と言ったところが本音であり、容認出来るものでは決してない。決してないのだが、それでも玲子は頑として譲らない。いざとなれば、私はこの邪眼を使ってでもこの身は護ります、そう言われてしまっては、侍従二人は返す言葉がない。
 そこで、妥協案および安全策として、ここまでの経緯を伝えた上で、小太りの方のチンピラは柾木の部屋に残して、証拠物件として警察の酒井と蒲田に引き取ってもらう事にし、また、時田と袴田は現場まで車でついて行き、柾木の居場所が分かった時点で離脱して以降は酒井達と行動を共にする、という案を玲子に提示し、侍従二人は渋々納得することにした。

「くれぐれも、お気を付け下さい……」
 言いにくそうに、一度言葉を切って、時田は続ける。
「……こう言っては何ですが、お姫さまは、お姫さまの安否は、大変申し訳ございませんが、重々ご承知とは思いますがお姫さまお一人でどうこうしてよいものではございません。この時田も北条様のことは心配ですが、何卒、お姫さまの身の安全を第一にお考え下さい」
 あちらを立てれば、こちらが立たない。時田の立場ではそう言うしか無いことは、玲子にもよく分かる。自分に何かあったら、西条精機の社員みんなに迷惑がかかることも、玲子は心得てはいるつもりだった。
「分かっております。くれぐれも、軽はずみな真似は致しません……こんな事で、この先の人生を捨てるわけには行きませんから」
 そう言って、玲子はハイエースの後部座席に乗り込んだ。
 発進するハイエースを見送った時田は、急いでセンチュリーの助手席に乗り込む。

「……あれほど、御自分の目の事を嫌っておいででしたのに……」
 助手席に飛び乗ってきた時田がシートベルトを着けるのも待たずにセンチュリーを発進させた袴田が、聞こえよがしに呟く。
「それこそ、お姫さまも女であった、いや、女の子であった、という事ですな。その意味で、北条様に感謝せねば」
「確かに。して、我々の成すべきは?」
 やや芝居がかって、袴田は時田に聞く。
「決まっています。お姫さまのお心のままに、です」
 初老の執事は愉快そうに微笑む。運転手も、口元を緩ませた。

 ハイエースの後部座席で独りになると、玲子は急に体に震えが来たのを知った。
 ……怖い。怖いです。でも、きっと、柾木様の方が何倍も怖くて心細いはず……
 私が、自分の邪眼を自分の意思で積極的に使うのは、これが三度目。だから、どこまで有効なのか、相手がどれくらい言うことを聞くか、いつまでそうなのか、私自身も掴みきれてはいません、それは確か。今こうしている瞬間にも、運転しているあの男は正気を取り戻すかも知れない。以前、東大あずままさるを相手に初めてやった時のことから考えると、かなり手加減したとは言え数日はこのままだと思いますが……きっと、それもこの不安の原因の一つなのでしょう。
 警察に、酒井さん達にも連絡しましたから、もし何かあってもきっと解決してくれるでしょう。そうです、私は、そこは酒井さんと蒲田さんを信頼しております。ですが、でも、それだけでは、この不安を拭い切ることが出来ません……何かもう少し、安心出来る材料、不安を、怖さを抑えられる何かが欲しい……
 そして、その存在を玲子は思い出した。
 ……そうですね。やはり、もう一つ、予防線を張っておくべきですね。その方が絶対に安全だし……なによりも、私が安心出来ます。

 玲子は、先ほど酒井にメールした内容をコピーして、新しい宛先にメールする。
 最後に一言、「どうか、柾木様を、お助け下さい」と付け足して。
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