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第六章:金曜、それぞれの思惑、それぞれの決意

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 金曜朝、午前六時。機械式目覚まし時計の優しいオルゴールの音で、西条玲子は目覚める。
 ゆっくりとベッドの上で半身を起こし、オーガニックコットンのガーゼで織られたシンプルなネグリジェに包まれた肢体を伸ばし、
「……ふう」
 ため息を一つ。
 ベッドサイドから細く白い足を降ろし、薄ピンクのムートンのスリッパをつっかけると、ゆっくりと寝室に直結しているバスルームに向かう。

 バスルームを出た玲子に、ハウスキーパーの濾斗ろとが一礼する。
「おひいさま、お召し物をご用意致しました」
「ありがとう、舞耶まいや。そこに置いておいて下さいまし」
 玲子が生まれる以前から西条に仕えている、名前で呼ばれた年かさのハウスキーパーは、言われたとおりに部屋着をドレッサーの隣のワゴンに載せ、一礼して下がる。入れ替わるように玲子はドレッサーの前のスツールに座り、モイスチャーローションを手に取る。白子アルビノであるが故に、冬場の乾燥肌には人一倍気を使わざるを得ない玲子には、保湿系の化粧品は欠かせない。顔と手足にそれぞれ専用の乳液を塗り、寝起きの髪に充分ブラシを通してから、玲子は胸元の紐をほどいたネグリジェを、ストンと足下に落とす。夜具の下には何もつけていない玲子の、十七才にしては肉付きの薄い細い体が、レースのカーテン越しの朝日の中に露わになる。
 室温は、就寝に適切な温度から、活動に適切な温度に既に濾斗の手によって調節されているので、冬の朝とは言え肌寒さは感じない。とはいえ、素肌を晒しているには充分に高い温度でもないので、玲子は手早く濾斗の用意した下着を身につけ、部屋着を纏う。その後で再度髪を整え、目隠しのベールを付けた玲子は時計に目をやる。六時四十五分。ドレッサーの上のスマートフォンを手に取った玲子は、短縮ダイヤルの一番を呼び出す。

「お姫さま、如何なさいました?」
 朝食の席で、食後のアッサムのミルクティに口をつけようとしない玲子を見て、ポットを持って控える時田が声をかける。
「いえ、ちょっと考え事を……」
 場を取り繕って、時田に笑顔を見せてから、玲子はティーカップを口に運ぶ。
「北条様のことでございますか?」
 朝食の食器を片付け終わって食堂に戻ってきた濾斗が、玲子に尋ねる。なんとなれば、濾斗は、玲子が脱いだ夜具を洗濯するため、玲子が電話をかけているタイミングで寝室に入っていた。
「北条様が、どうかしましたか?」
 それを聞いた時田は、怪訝そうな顔をして、どちらにともなく尋ねる。
「……電話にお出にならないのです」
 ティーカップから唇を離した玲子が、ぽつりと言った。

 世田谷区等々力にある、低層階と高層階を併せ持つ高級マンション。その最上階である七階のワンフロア全体、床面積七十平米クラスの3LDK三戸分に相当するペントハウスが、西条家の住居である。そもそもこのマンション自体が西条の持ち物であって、五階六階も使用人のための住居として確保してある。しかしながら、社長である玲子の父は仕事の都合上、平日は武蔵野地域の西条精機本社工場に隣接する別のマンションに使用人二人と滞在し、本宅であるこちらには週末しか帰らない。その為もあり、玲子の祖父と母が存命の頃はもう少し多かった使用人も現在は執事の時田と袴田、そしてハウスキーパーの濾斗の三人だけに減っており、実質的に常にここに居るのは玲子を含む四人だけであった。

「北条様が、電話にお出にならないのですか?」
 これからは玲子が柾木にモーニングコールをすると――勝手に――決めたのは一昨日の水曜のこと、昨日の木曜は柾木も寝過ごしかけた事もあって感謝していたとのことだったから、今日になって早くもそれが頓挫するとは押しに弱い柾木の性格からちょっと考えづらい。時田もそう思ったのだろう、状況整理もかねて聞き返す。
「いえ、正確には、電話が繋がらないのです。電源をお切りになっているか、圏外なのか……」
「さて。故障や充電切れも考えられますが」
「情報が少のうございますわね」
 呟いた時田を見つつ、濾斗も意見を述べる。
「三十分ほど待ってから、かけ直されては如何でしょう?電池切れならその程度あれば」

 一応、玲子は某女学校に学籍だけは置いてある。が、見た目を揶揄されることを嫌うのもそうだが、何より周囲に迷惑をかけたくないこともあり、体調を理由に滅多に登校することもない。そのかわり、早い時期に将来の西条精機を担う覚悟を決めた玲子は、在宅で通信講座等を利用して勉学に励んでいる。その為、基本的には平日の昼間は自分の部屋で、自分で決めたスケジュール通りに勉強している、朝食後はいつもなら、すぐにその準備、予習にかかる、のだが。
「……袴田を呼んで下さい。ちょっと相談と、もしかしたらお願いをする事になりましょうから」

 マンション自体は西条の持ち物だが、上層階以外は不動産として一般の顧客に開放しており、不動産収益は西条精機ではなく西条の個人資産だ。とはいえ、そんなオーナーと一般居住者がエレベータで乗り合わせたりするのはセキュリティ上もあまり得策ではないため、スペースが無駄になることを承知で、専用地下駐車場及びエレベーターを設置している。毎朝のルーティーンである車両点検の途中だった袴田は、呼び出しを受けてすぐさま最上階の玲子の元に馳せ参じる。
「お呼びで?」
「お仕事中すみません、ここから柾木様のところまで、今からですと何時に着きますか?」
 ちょっと考えて、袴田は答える。
「順調に行って一時間、八時半前、週末の朝の混雑を加算すると、最大二時間、九時半頃かと」
「……それではもう出勤されているはずですね……」
「北条様に、お会いになりたいので?」
「電話が繋がらないのです、寝過ごされているなら……」
「北条様も社会人、ご自分の始末はご自分で付けられるべきと存じます」
 袴田の言葉は少ないが、言外の意味は多い。それが分からない玲子でもない、のだが。
「相変わらず袴田は厳しいですな」
「いえ、出過ぎたことを。しかしながら、あまり干渉すると男は退くものでありますから」
 箴言だと分かっていても、玲子も若い娘だから気持ちの方が先走る。そこを見越した時田の相の手に、あえて袴田は箴言を重ねた。
 ちょっとだけ、面白くなさそうな顔をしていた玲子だが、珍しく口数の多い袴田の言葉を飲み込み、そしてわずかに首肯する。
「……そうですね、私も、嫌われたくはございませんから……袴田、ありがとうございます」
 黙って一礼して、袴田は退がる。

 そんな冷静な玲子が血相を変えたのは、九時を少し過ぎ、通信教育講座の授業を始めた矢先だった。
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