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第六章:金曜、それぞれの思惑、それぞれの決意

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 この爺さんはクセ者だ。ドアの影から現れたその老人を見て、北条柾木は思った。恐らくは、この爺さんがこの組織のかなめ、この爺さんの機嫌一つで、冗談抜きで俺の生死も決まる。柾木は、さっき食べた粥が胃から逆流しそうな程の緊張を、必至で堪えていた。

 昨夜、カタギとはどう見ても思えない大男とチンピラに連行され、北条柾木が連れてこられたのは、どこかの事務所とおぼしき薄汚れた部屋だった。ワンボックスでの移動の最中は目隠しをされていたので、どこをどう走ったのか全く分からない。部屋に入るなり財布、スマホ、時計を取り上げられたので時間もわからない。勢いで持ってきてしまったコンビニ弁当は取り上げられなかったが、今この状況で食べるわけにも行かない。
 というのも、柾木の目前に、香港映画で見るようなカンフーの老師みたいな服を着た老人が居て、大男から何やら話を聞いているからだ。
 おそらく中国語なのだろう、話の内容は全く分からない。部屋を出る時は勢い任せのクソ度胸で不安や恐怖を忘れられたが、流石にこれだけ時間が経つと、やはり不安の方が勝ってくる。柾木は、わずか数瞬の沈黙に耐えられず、かといって過度にビクビクした態度を見せるのも問題があると思い、不自然にならない程度の動きで部屋の中を観察して自分の気を逸らすことにした。

 その事務所らしき部屋は、中央に事務机がぱっと見で六台あり、壁際に大きめの机、恐らく上役用だろうがあって、件の老人はその机の肘掛けつき椅子に座っている。大男はその側で耳打ちするように何かを説明し、もう一人のチンピラは、老人から見て正面にあるドアを背に立ってガムをクチャクチャやっている。柾木は、そのチンピラの側、事務机の島の角あたりに立たされている。
 さっき目隠しされたままおっかなびっくり上がった階段の感覚からするとここは二階。老人の後ろには窓があり、窓の外は夜景、それも工場街か倉庫街、どっちとも取れる殺風景なそれだった。
 窓以外の事務室の壁は、ほとんどが書類棚で埋め尽くされ、色々なファイルがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。視力には自信のある柾木だが、細かい字で手書きされているファイルの背表紙は、一番近い所のものがかろうじて読める程度。年度と取引先名らしき名称が書かれていることから、どうやらここは本当に、普通に何かの事務所らしい。
 その中で異彩を放つのが、上役机と、四隅の書類棚に置かれた人形達。市松人形やフランス人形が飾ると言うより無造作に置かれており、事務所の雰囲気に全く似合っていない。
 これを飾った人は一体どんな趣味をしているのか、柾木は一瞬、不安を忘れて不思議に思った。

 どのくらい時間がかかったのか、恐らくはほんの数分もかかってはいなかっただろう。大男が老人の耳元から顔を離す。と、老人は机の上の人形を抱えると、立ち上がって柾木に近づいてきた。
 いよいよ正念場か。流石に柾木も緊張し、不安が高まる。膝が笑いそうになり、下半身が歪むような、床が不定型に傾くような変な錯覚を感じる。
「君が、北条柾木、だね」
 枯れ木がこすれるような、体の中にもはや水分が残っていないような老人の声が、柾木に尋ねる。
「……はい、そうですが。一体俺に何の用ですか?」
 人形を抱いた――人形は、老人の方ではなく、柾木の方を向いている――老人は、ふむ、と息をついて柾木の質問返しに答える。
「君そっくりの人形について、知っていることを話したまえ」
 これを、どう受け取るべきか。柾木は咄嗟に考える。返答まで時間をかけることは、多分出来ない、してはいけない。相手はエータを手に入れている、のか?手に入れられずにカマをかけてきたのか?それとも、もっと何か深い所まで知っているのか?そもそもどうして俺の名前を知っている?
「……俺そっくりの人形って、もしかしてアレですか?昨日今日ネットに上がってるヤツ」
 あまり褒められた切り返しではなかろうが、知っているとも知らないとも言わずに、さほど悪くもなかろうと言う返事を柾木はひねり出す。
「ああ、そんな映像もあったな。それだ……知っている事を、話してくれないかね?」
「知っていることと言われましても……」
「礼はしよう。今ここで全部話してくれたら、すぐに家まで送らせよう」
「って、言われましても……何のことだか」
 下手な嘘だが、これ以外に言いようがない。
「んだてめぇさっさといえよんのくそがきゃ……」
 すぐ後ろのチンピラが凄む。が、その言葉が鈍い打撃音と共に途切れる。
 音もなく移動していた大男に殴り倒されたチンピラが、床に倒れる音が一瞬後に柾木の耳に届いた。
「お前はもういい……手荒なまねはあまり好まん。今のうちに、話してくれんかの?」
 柾木の胸中は大揺れに揺れた。デモンストレーションとして、これは一般人である柾木に対して非常に効果的だった。あの大男に、殴られる。ちらりとでもそう思っただけで、鼻血をふきながらへこへこして部屋から退散するチンピラを見ただけで、ケンカなど滅多にしたことのない、それでも殴られる経験くらいはある、その傷みを知っている柾木の心は、記憶の中のその傷みと恐怖に震え上がった。
 だが、だからといって正直に何もかも話そうという気は、全く起こらなかった。何故だかは柾木自身にも分からない。
「すいません、話せること、ないです」
 言っちまった。これで、柾木は自分が素直に解放される可能性は限りなく小さくなった、自分でそうしたのだと自覚はしていた。
 だが、理由は分からないが、ここは下がってはいけない線なのだと、柾木の心のどこかで声がしたような気がした。
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