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第五章:焦りだけがつのる木曜日

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「まだ本格的な検案をしたわけじゃありませんけれど」
 文京区大塚の東京都監察医務院で、酒井と蒲田を案内しつつ、穴菱あなびしと名乗ったその監察医はバインダーに挟んだ書類を見ながら説明する。
「死因は、恐らく眉間への鋭利な刃物による一撃でしょう。だけど、色々と不審なところがありまして」
 無造作にまとめた伸ばした強いくせ毛、浅黒い肌に痩せ型、緩いカーゴパンツの裾から出た足はサンダル履き、見た目をあまり気にしないタイプらしい穴菱は、遺体安置所の一角で足を止めた。
「ここですね……どうぞ」
 白衣のポケットから出したメンタムを自分の鼻の下に塗った穴菱は、そのメンタムを酒井に投げてよこした。
「結構臭いますから」

「ご覧の通り、死因は二体とも鋭利な刃物による眉間への一撃に見えますが……遺体の損壊状況から見てこれ、一回冷凍されてるみたいで」
「冷凍……ですか?」
 メンタムを塗った鼻をハンカチで押さえた酒井が、くぐもった声で聞く。
 穴菱は頷くと、
「死亡推定時間を誤魔化すために冷やしたり冷蔵庫に入れたりって例はたまにあるんですが。これはどうも冷凍して解凍してから刺したっぽいですね、穴の周りの組織から見て」
 匂いが気にならないのか、穴菱は遺体の眉間の傷に顔を近づけて言う。
「まあ、詳しい事は開けて見ないと分かりませんから、寝台空き次第取りかかります」
「よろしくお願いします」
 酒井は、軽く会釈する。
「新宿署の担当の人から、特急でやってくれって言付かってますから。訳あり案件みたいですねぇ、あっちはさっさと手離れしたいみたいですけど……あ、そうそう」
 何かを思い出した風の穴菱は、白衣のポケットから大きめのビニール袋を引っ張り出す。
「これ、遺体の側にあった遺留品だそうです。これも移管対象なので、持ってって下さい」
 酒井に手渡されたそれは、途中で断ち切られたとおぼしき細長い紙が入っている。一目見て、酒井はその紙が、そしてこの遺体が「当り」であった事を確信した。
 その紙には、酒井には読み取れない、だが以前見たものにそっくりの漢字と模様が書き込まれていた。そして、それを以前見たのは、北条柾木の体が乗っ取られたあの事件の際の事だった。

「大当たり、ですかね、はい」
 キザシのエンジンをかけ、シートベルトを付けながら、蒲田が言う。
「だな。少なくとも高い確率で前の件と今回の件は繋がってる」
 シートベルトを付けて、きちんと座り直しながら酒井が答える。
「そして、その組織だかなんだかは、五月さんを誘拐した連中とも繋がってる?」
「そこはまだ未確定だがな……そういえば、人形を探してるって言ってたっけ」
「何が、ですか?」
「いや、五月さんがな、変な老人から占いで人形を探す依頼を受けたって言っててな」
「ああ……大金で雇われそうになった話ですね、はい、人形ですか……」
「こないだも、俺たちは出くわしてないが、北条君達は人形と一戦交えたって言ってなかったっけ」
「言ってましたね、はい」
「点と線、じゃなくてまだ点線くらいだが、繋がったかな?」
「今一番堅い線だとは思います、はい。で、このお札ですけど、はい」
「……こっち方面は、やっぱり……」
「……ですかねぇ……はい」
 酒井は、「協会」に借りを作るのはなるべく避けたいと思いつつも、そこしか頼れない事を苦々しく思った。
「整理しよう。今の本命は野槌会、ここが人形やら遺体やらを操っている、と」
「五月さんと接触した怪しい老人もそこに属していたと、はい。で、人形を探していた、集めるため?」
「恐らく。呪いの人形とか探してたって言ってたな。どう使うのかは知らんが……どうせろくな事じゃあるまい」
「ですね、はい。で、五月さんの占いの能力に目を付けて、お金で雇おうとして失敗して、実力行使に出たと」
「辻褄は合うな。「協会」が動いた件と井ノ頭邸の一件がどう絡むかだが」
「野槌会の若頭は緒方さんのオートマータですから、やはりお札か何かで操っていた?」
「野槌会の内部の何者かが野槌会の若頭を操るって、ちょっとおかしくないか?」
「ですね、はい。とすると、操っているのは野槌会の外に居る?」
「外部から操ろうとしたってのが順当だが、そこは保留として、とにかくそいつが倉庫で大暴れして、井ノ頭邸でもやらかしてくれたって事か?」
「人形を操ってるのが一人なのかどうか、って事ですね、はい」
「そういうのって分かるのかな?」
「どうでしょう……お札の筆跡とかは分かりそうですけど、はい」
「どっちにしてもだ、その一人か複数かは、野槌会に居るかそこを隠れ蓑にしていて、人形を集めている、ここは間違いないって事だな。疑問点は?」
「目的と人数はともかくとして、人形と遺体を同時に使う理由ですかね、はい。どうせ操り人形ならどっちかだけで良さそうなもんですけど、はい」
「呪いの人形ってのも気になるけどな……ガサ入れしたら何か出てくるかな?明日だっけか?」
「明日の朝イチです、はい。でも、人形にしろ遺体にしろ、嵩張りますから事務所に置くとは思えないです、はい。野槌会の事務所、中華街の近くだったはずなんで」
「倉庫か何か持ってるって事か……住所とか出てくる事を期待するしかないか……」
 歯痒いな。酒井は、焦りを感じている事を自覚した。一刻も早く五月の行方にたどり着きたい、だが今はまだ核心の周りをウロウロしている感じでしかない。突破口が見えない。それが、歯痒い。
「……焦りは禁物です、はい。それに、僕たちは警官です。法に従って、手順を踏んで動かなければなりません、はい」
 酒井が口を閉じたのに気付いた蒲田が、前を向いたままサイドブレーキを落とし、言う。
「……そうだな……」
 酒井は、超法規的に動く事の出来る「協会」が、心底羨ましかった。
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