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第五章:焦りだけがつのる木曜日

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「だからぁ、オレはなんにも知らねぇって」
 何度目かの同じ文句を、何度目かの同じふてくされた態度で被疑者である金田かねだは繰り返した。
 午後一時三十分過ぎ、警視庁赤坂警察署の取調室で、酒井と蒲田は先日の赤坂料亭襲撃事件で銃砲刀剣類所持等取締法違反及び凶器準備集合罪の現行犯で逮捕され赤坂署に勾留されている野槌会の構成員二名に聴取を行っていた。
 事件そのものは警視庁本庁の刑事部八課に指揮権が移管されていたが、現場が赤坂署管内であり、初動も当然赤坂署であったことから、警視庁刑事部八課及び組織犯罪対策部いわゆるマルボーと共同捜査の体をとりつつも、実際の捜査は赤坂署が仕切っていた。
 酒井と蒲田は、午後イチで八課経由で赤坂署に話を通して取り調べの許可をもらい、即座に霞ヶ関から赤坂に移動、早速取り調べを始めていた。

「もう一度聞きます、はい。一つは、あなたたちが所有する、事務所以外の不動産、倉庫などについて、その所在地を教えて下さい。もう一つ、あの料亭にあったあの人形について、知っている事を全部教えて下さい」
 にこやかな顔と優しい口調を崩さず、金田の対面に座った蒲田は何度目かの同じ台詞を繰り返す。
「人形って何の事だよ?事務所って何の事だ?」
 あくまでしらを切り通そうとする金田に、蒲田はため息をつくと、話を変える。
「そうですか……残念です、はい。御存知なら、司法取引も可能だったのですが。本当に残念です、はい」
「しほう……何?」
 初めて聞いたのかもしれないその単語に、金田がわずかに興味を示した。
「あなたの場合、銃砲刀剣類所持等取締法違反は現行犯ですので動かしようがありませんし、凶器準備集合罪もまず確定です、はい。前科もあるみたいですから、これだけで執行猶予無しの実刑間違いなしですが、さらに恐喝や薬物その他の余罪がありそうですね、はい」
「……だからって、何だってんだよ、脅かそうたって……」
「ですが、もし、あなたが正直に話してくれて、さらにもう一方の余罪についても教えていただけるなら、そうですね……」
 蒲田は、芝居がかって横を向き、考え込むふりをする。
「あなた方がそうやって二人とも黙秘を続けるなら、実刑は確定ですが余罪の分は証拠不十分になるかも知れません。それと、正直に話していただけたら執行猶予くらいはなんとか出来るかも知れません。ただ、あなたが話した分、もう一方の実刑は確定の上に余罪もきちんと取り調べます、はい」
 蒲田は、にやりとして金田を横目で見る。
「もし、もう一方が自白されて、あなたが黙秘する場合は逆にあなたは実刑確定の上にいつまでも取り調べが続きます、はい。そうなると余罪分もきちんと取り調べないと行けませんね、はい。まあ、お二人とも自白されたら、当然余罪も追求しないわけには行きませんが、一人に集中するよりはマシでしょうか、はい」
「ど、どういう事だよ」
「よく考えて下さい、お二人とも今のままなら現行犯の分の実刑だけ、お互いに自白されれば実刑に余罪が追加です、はい。ただどちらかだけが自白されたら、自白した方は執行猶予、黙秘した方は実刑に二人分の余罪が載るかもです、はい」
 酷い司法取引もあったもんだ、酒井は思った。蒲田の言っているのは、いわゆる囚人のジレンマってヤツだ、そのくらいは酒井も知っている。そして、刑期を決めるのは警察官の仕事じゃないから、蒲田も具体的な事はあえて言わないでイメージだけで話をしている。だが、これを言われた方は冷静ではいられないだろう。まったく、酷い事をするもんだ。
 酒井は、蒲田の新たな一面を知った気がしたが、だからといって反社組織の下っ端には、これっぽっちも憐憫の情は感じなかった。

「早けりゃ今日の夕方、遅くとも明日の昼前には何か言ってくるでしょう、はい」
 赤坂署から大塚の東京都監察医務院に向かうキザシの社内で、何でもない事のように蒲田は酒井に言った。
「蒲田君、割とえげつない事するんだな」
「ああいう手合いには効果的ですから、はい」
 蒲田の言葉にはにべもない。きっと今頃、あのサンピン共は互いに疑心暗鬼になっているだろう。あいつらにとっては、自分がゲロって相方が黙秘、ってのが最高のシナリオ、二人ともゲロったら二人とも黙ってるより状況は悪くなる。だから、何とかして相手は黙らせておいて自分だけが白状するタイミングを計るだろう。あの手のサンピンなんてそんなもんだ、酒井もそこの所は蒲田に同意する。
「酒井さん、ヤクザ好きですか?」
「大嫌いさ」
「僕もです、はい」
 信号待ちで停車したキザシの社内で、蒲田が屈託のない笑顔を酒井に向けた。
 何かあったのかも知れない。酒井は、それ以上の詮索はしない事にした。
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