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第四章:深淵より来たる水曜日

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「こざかしい!」
 視界を覆う真っ白な煙の中、巴の悪態と共に、何かを薙ぐ風切り音がした。
 巴が振った木刀の軌跡から、切り裂かれるように煙が晴れ、消えてゆく。
「……エータが!」
 作業台に背を向けていおりを抱くようにかばう馨の背中越しに、いおりの声が響く。
 咄嗟に玲子を抱えて作業台に背を向けていた柾木は、その声で振り向き、玲子をかばう自分ごとさらにかばう時田の脇から、空になった作業台を見る。
 そこには、仰向けになっていたはずのエータの姿が、無い。
「……クソ!」
 再度悪態をついて、菊子を引き倒してかばっていた巴が、いつどこから抜いたか柾木にはさっぱり分からない木刀を握ったまま、階段の方へ飛び出す。馨もそれに続く。目でそれを追った柾木は、二人を上回る勢いで目の前から酒井が飛び出して、先に階段を二段飛ばしで上がっていくのを見る。
「おひいさま、お怪我はございませんか?」
 時田が立ち上がりつつ、まずは玲子を気遣う。
わたくしは平気です、柾木様、ご無事ですか?」
「俺は大丈夫です、玲子さん、立てますか?」
「はい……何とか」
 先に立ち上がり、玲子に手を貸しつつ柾木が答える。
「北条様、お姫さまを護っていただき、なんとお礼を申し上げたらよいか」
「いやいや、時田さんこそ、ありがとうございます」
 立ち上がってホコリを払いつつ、柾木は辺りを見回す。
 爆発の規模は大したことは無いようで、むしろ煙幕をまき散らすのが目的のようなものだったらしい。これまたいつどこから抜いたか分からない中型拳銃を右手でハイレディポジションに構えつつ、信仁が作業台の向こう側、いおりの脇に立って様子を見ている。
 柾木達と作業台の間に立つ袴田を避けて、右手を背広の左脇に突っ込んだままの蒲田も作業台に近づく。
「何が何だか……はい」
「発煙弾か何か……いや弾じゃねぇか、そんな感じのものが仕込まれてたってとこですかね?」
 作業台の周りに置いてあったスパナでラムダの頭部――だった黒焦げの残骸――をつつきながら、信仁が蒲田のつぶやきに答える。
「とりあえず、これ以上は火ぃ噴いたりはしなさそうですね」
 まだ若干煙っている黒焦げの頭部を、やや強めにつつきながら信仁が言う。強くつつくと、黒い燃えかすらしきものが剥離して、のっぺらぼうのラムダの表面組織が見えてくる。
「なにか表面に塗ってあったのかな?」
「……顔を作るために粘土っぽい何かが塗ってありましたから、それでしょう」
 やっと立ち上がったいおりが、信仁に答える。
「菊子さん、問題ありませんか?」
 そのまま、いおりは菊子に声をかけた。
「はい、不正規入力をファイアウォールが検知したので有線接続を切断しましたから。遅効性や分割タイプのウィルスは検出されてません」
「一応後で診断ツール回してみましょう」
「はい、お願いします。では、上を見てきます」
 しずしずと、菊子は何でもなかったように階段を上ってゆく。
「……油断したなあ……」
 いおりが呟く。
「エータを持ち出されるとはなあ。しゃべらせるために制御系を連動させていたのを利用されるとは……」

「柾木様、ありがとうございました」
 早速実況の分析に入ったいおり達を見ている柾木に、玲子が声をかけた。
「あ、いや、大したことじゃ」
「いえ、私、咄嗟に何も出来ず……あ」
 かくり。一歩柾木に寄ろうとして、踏み出した玲子の膝が崩れる。
「おっと」
 咄嗟に、柾木は手を出して玲子を支える。
「す、すみません、急に、足が」
 脇を抱えるように柾木に支えられ、玲子が恥じ入る。
「いや、まあ、びっくりして足に来たんでしょう、少し上で休んだ方が」
「……そういたします、あの、手を貸していただいても……」
「どうぞ」
 柾木は、どうしたもんかと思いつつも、左手で玲子の右手を取り、右手は玲子の右腰を支えるようにして、階段へ向かう。か細く、華奢なその手応えに戸惑いながら。

 階段を二段抜かしで駆け上がり、そのまま玄関を飛び出した酒井は、井ノ頭邸が面する路地の左右を見渡して舌打ちをする。
「くそ、逃げ足のはやい……」
 一息遅れて、パンプスをつっかけた巴が出てきて、
「どっち行きました?」
「わからん!出遅れたから……」
「少し探してみます、馨、あっちお願い」
 さらに少し遅れてスニーカーをトントンしながら出てきた馨に右手方向を示し、返事も聞かずに巴は左手に駆け出す。
「あいよ!」
 馨も、後ろも見ずにそのまま右手方向に駆け出す。取り残された酒井は、二度ほど右見て左見てを繰り返した後、自分に出来る事がなくなったことに気付き、玄関に戻る。
「何か手がかりはありましたか?」
 丁度階段を上がってきた菊子が、戻ってきた酒井に声をかける。
「いや……すみません、出遅れたみたいです」
「そうですか……手拭いを持ってきますから、靴下を脱いでお待ちいただけますか?」
「え?……あ!」
 軽く微笑みながら言った菊子のその言葉を聞くまで、酒井は靴を履かずに表に飛び出していたことに気付いていなかった。

 抜いたマガジンを右手の中指と薬指で挟み、エジェクションポートを左手で包むようにしてスライドを引き、装填されているカートを取り出す。親指でデコッキングレバーを操作してハンマーを落とし、排莢したカートをマガジンに戻してからマガジンをフレームに戻す。
 流れるように一連の操作を行ってP228を安全な状態に戻し、セーターの裾を左手でまくってズボンの右前内側のIWBホルスターに収める信仁を見て、蒲田が、
「ああ……そこに入れてたんですか、はい」
「え?ああ、はい、冬場はこれが一番持ち歩きやすいんで。夏場はどうしょうもないですけど」
「なるほど……やはりそっちの方が抜きやすいんでしょうね、はい」
「蒲田さんはどこに?」
「ここですけど」
 蒲田は、右手で左脇を軽く叩く。
「こういう時、パッと抜くにはちょっと、はい」
「あー、分かります。けど、普通、警察の人って抜き撃ちなんてしない、つか、そもそも滅多に抜かないですよね」
「まあ、そうですね……あ、酒井さん、どうでしたか?」
 階段から降りてきた酒井に気付いた蒲田が、今ひとつ浮かない顔の酒井に聞く。
「逃がしたかな……今、巴さんと馨さんが探してるみたいだけど」
「さっきの煙、鼻に来るみたいだから、大丈夫かな……」
 果たして、信仁の心配通り、肩を落とした巴と馨が戻ってくるのに、さほど時間を要しなかった。
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