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第四章:深淵より来たる水曜日

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「ごめんください、どなたですか、通りすがりの渡り鳥です、おはいり下さい、ありがとう」
 すっぱーん。
「ボケてないと死ぬのか!あんたは!」
 台所で談笑していた柾木達の耳に、玄関の呼び鈴に続いて吉本新喜劇の定番ネタと、キッチリネタを振り終わったタイミングからのプロレスばりのよく通る平手打ちの音とツッコミの声が聞こえた。
「はあーい」
 それをものともせずに、平然と菊子が玄関に向かう。
 聞き覚えのあるその声に、柾木、酒井、蒲田が顔を見合わせた。
「もう来たのか。思ったより早かったな」
 言って、酒井も席を立つ。
「ですね」
 蒲田もそれに続く。つられて、柾木と玲子も腰を上げた。

「あらあら、いらっしゃいませ」
「すみません、お邪魔します」
 台所を出た柾木の目に、後頭部を押さえて玄関の隅にうずくまっている信仁をよそに、菊子が見慣れない女性三人と挨拶を交わしているのが見えてくる。
「「協会」の経理を担当しております、槇屋降まきやふりと申します。お見知りおきを」
「初めまして、妹がお世話になってます、清滝巴きよたきともえです」
蘭馨あららぎかおるです、これ、つまらないものですが」
「あらあら、これはご丁寧にありがとうございます。井ノ頭菊子です。さあ、どうぞお上がりになって下さい」
「どうも、お早いお着きで」
「あ、刑事さん、昨日はどうも。ほら、信仁」
「あんな全力でどつかなくても……お邪魔します、ああ、酒井さん蒲田さん、これ、ご注文の品です、あ、北条さん、西条さんも、お久しぶりです」
 左手で後頭部を押さえながら右手に持った風呂敷包みを酒井と蒲田に手渡しつつ、やや涙目の信仁が柾木と玲子を見つけ、挨拶した。
「お久しぶりです」
「ご無沙汰しております」
 柾木と玲子も挨拶を返す。
「さあ、立ち話も何ですから、こちらへどうぞ」
 菊子に促され、一同は客間に入った。

「なるほど、これですか」
 呼ばれて客間に来た緒方いおりが、早速風呂敷包みをほどく。中から現れた「ヤクザの生首」を見て、玲子が顔をしかめる。
「また悪趣味な顔にされちゃいましたね、これ。ラムダの変形機能、使ってないな?」
 井ノ頭邸の玄関横の客間は、滅多に使わない奥座敷の日本間の客間と違い、元々は商談などを行う為の洋室であり、それなりの人数が同時に席に着ける大きさがあるが、それでもこれだけの人数が入るのは珍しい。
 しげしげと生首を眺めるいおりを横目に、酒井が聞く。
「これ、こちらに移管って事でいいんですかね?」
「「協会」で調査が必要になった際に返却、あるいは貸し出しいただけるようであれば、警察庁で保管していただいて結構です」
 槇屋降が答える。以前会ったことのある笠原弘美かさはらひろみの上司だという彼女は、ピシッとしたスーツ、まとめた髪にフレームレスの眼鏡が「出来る女」感を滲み出させている。柾木は、恐らく彼女は酒井より多少年上だろうと値踏みする、彼女が普通の人間なら。
 窓と反対側の、壁面モニタ側に酒井と向かい合わせで座る槇屋降から、柾木は視線を左に――部屋の玄関側ドアは壁面モニタ向かって左、「協会」メンバーはそちら側に座っている――ずらし、槇屋降と信仁の間に座るこれも初対面の女性二人を、失礼が無い程度に見る。今までの経験から、この二人が例の人狼、蘭円あららぎまどかの孫、蘭鰍あららぎかじかの姉であろう事は間違いなかろう。それにしては顔つき体つきが似てないな、そう言えばさっき、栗色の髪をワンレングスに垂らした方はあららぎではない別の名字を名乗ったっけ、などと考える。
 日本茶とお茶菓子――さっき、蘭馨と名乗った女性が持ってきた土産だ――を配膳し終えた菊子が、柾木の左隣三つ先、玲子といおりを挟んだ末席に座る。
「それでよろしければ、こちらに受け取りのサインを頂けますでしょうか?」
 構成員に妖怪だなんだを大量に抱える「協会」の、このあたりの「お役所感」が、どうにもおかしい。柾木は、そのあたりがどうにもまだ慣れない。いや、逆に、人ならざるものが多いからこそ、そのあたりはキッチリやっておく必要があるのかも知れない、経験則的に。
 はい、では、と呟きながら、酒井が書類にペンを走らせる。昼前の話だと、今日ここにこの生首が持ち込まれることは規定路線だったようだ。
「じゃあ、早速解析のセッティングして来ますね」
 いおりが、生首を鷲掴みして席を立つ。いおりにとっては、見てくれはどうでもこれはオートマータのラムダ3号機の頭部パーツに過ぎないようだ。
「ある程度準備が出来たら呼びますね」
 言い残して、いおりは階下の実験室に消えた。
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