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第四章:深淵より来たる水曜日

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「来る度に思うんですけど」
 階段を降りつつ、蒲田が言う。
「ここ、異世界ですよね、はい」
 蒲田の目線は、先立って階段を降りる、ラムダと呼ばれたオートマータの背中に注がれている。
 一番経験の薄い俺が言うのも何だが、そう前置きして酒井が返す。
「俺たちの仕事もたいがい現実離れしてるけどな」
「それはそうですけど。ここは別格です、はい」
「そりゃそうと、玄関、気付いてたか?」
「はい、お客さん来てますね、男性三人、女性一人」
「俺の記憶が確かなら、北条柾木君と西条玲子さん、及びその執事だ」
「良く覚えてますね、すごいです、はい」
「蒲田君だって気付いてたんじゃないのか?」
「北条さんの靴、若者にメジャーなスニーカーなんで、確信が持てなかったです、はい」
「なるほど」
 やはり、こいつは俺より優秀だ。酒井は、改めて蒲田に感心した。
 ちょっとだけ嫉妬も感じながら。

「お久しぶりです、酒井さん、蒲田さん」
「ご無沙汰しております」
 お茶が入りました、そう言って茶器を乗せた盆を手に地下実験室に入る菊子に続き、柾木と玲子が部屋に入り、酒井と蒲田に挨拶する。
「ああ、やはり、はい」
「しばらくぶりです、北条さん、西条さん。そういえば北条さんは体、元に戻られたそうで」
「え、それ知りませんでした、どこ情報ですか?」
「さつ……青葉さんから聞いてな」
 うっかり名前呼びしそうになって、酒井は即座に言い直す。
「よかったです、北条さん、はい」
 蒲田は、どうやら酒井の言い直しを重要な事とは認識しなかったのか、スルーした。
「本当に良かった。俺たちもこれで一つ肩の荷が下りたってもんだ」
「いやぁ……」
 やや冗談めかす酒井に、頭の後ろを掻いて柾木も答える。
「お茶が入りました、皆さん、いかがですか?」
 人数分のカップを用意した菊子が、男共に声をかけた。

「これは、ラムダの部品で間違いないです」
 アールグレイをすすりながら、緒方いおりが言う。
「正確には、ラムダの部品とフレームに適当なカバーをかけて運用したみたいですね、外装はボクの作品じゃないです。パーツで持って行かれた方、三号機かな?」
 手元のパッドをスワイプしてリストをチェックしているのだろういおりが補足する。
「って事は、完成品で持ち出されたのもあるんですか?」
 蒲田が訪ねる。頷いたいおりは、
「完成品の二号機と、未組み立てのこの三号機と、あと細かいパーツをごっそり。二号機はほら、あの社長の首から下だったのがそうです」
「ああ……」
 柾木も思い出した。ノーザンハイランダー号のコンテナで出会った、東華貿易の専務、東大あずままさる。彼の首から下はオートマータだったっけ。
「時間無くて調整不足だったんですけど。普段はここの機械使って首のすげ替えとかするんですけど、あの時は素手で一人でやったから」
「首のすげ替え、ですか?」
 男衆が思っている事を、蒲田が代表する形になって聞く。
「オートマータの構造は人のそれに寄せてあるんで、神経系と循環器系を繋げばいいだけなんですけど、道具が揃ってないと不便で」
「……あのコンテナの中でやったんですか?」
 コンテナに偽装された、実験室というか手術室というかの内部に入った事のある柾木が聞く。
「そうですよ?」
「そんな簡単に出来るものなんですか?」
 蒲田が重ねて聞く。
「ここの設備があれば半日ちょっとで出来ますよ?あの時は手持ちの道具しか無かったから、ぶっ通しで丸二日かかっちゃいましたけど」
「手持ちの、道具?確か緒方さん、何も持たずに連れて行かれたはずじゃ……」
 その時の防犯カメラ映像を覚えている柾木が聞く。
「ボク、こんな仕事ですから。最低限は常に身につけてます、こんな感じで」
 言いながら、いおりは右手の袖をまくり上げた。何?と少しのめり込み気味の男衆は、次の瞬間、驚愕の声をあげた。
「うわ!」
 その瞬間、留め金が外れるような機械音と共に、いおりの右の二の腕から先が弾けたように見えた。
 よく見れば、掌が手首から上下に二分割して十本指に、二の腕もあちこちが開いて用途のよく分からない工具その他が顔を出している。
「マナの生成の関係でボクは内臓系は生体のままですが、これくらいないと、今時の錬金術師はやってられないです」

「それでは、私お買い物に行ってきます。酒井さん、蒲田さん、お昼はご一緒にいかがですか?」
 話が一段落したとみたのか、菊子が割って入った。
「出来合いでよろしければ、一緒に買って来ちゃいます」
「え、いいんですか?」
「それは申し訳ない。お気遣いなく……」
 蒲田と酒井で反応が分かれた。思わず二人は顔を見合わせる。
「遠慮しないで下さい。本当なら私がご用意するべきなんですが、私もここしばらくお料理してませんし、食材もありませんので、出来合いを買って来るくらいしかできませんので」
 微笑みながら軽く首を傾げ、菊子が言う。長い黒髪がさらりと透明な音を立てる。
 その実はオートマータだとわかってはいても、酒井はその笑顔に抗するのは難しかった。

「では、緒方さん、またイプシロンをお借りします」
「はいどうぞ、イプシロン」
 緒方が実験室の奥に声をかけると、整った顔つきのオートマータが進み出て、菊子の一歩後に就く。すると、玲子が、
わたくしもご一緒します、柾木様、何か食べたい物はございまして?」
 と、柾木に聞く。
「え?じゃあ、いつものチャーハンがいいかな?」
 ちょっとどぎまぎして答えた柾木に、玲子が微笑みを返す。
「はい。では、皆様も一緒でよろしゅうございまして?」
 酒井も蒲田も、喰わせて貰えるなら言うことはない。無言で頷く。
「それでは、行って参ります」
「行ってきま~す」
 言って、玲子と菊子は階段を上る。階上で増えた足音、恐らくは時田か袴田が玲子に同行するのだろうそれを聞きながら、なんとなく男衆は顔を見合わせ、苦笑した。
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