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第三章:予兆と岐路の火曜日

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「鰍さん、ちょっと良いですか?」
 酒井は、改まって鰍に聞く。
「日曜の夜、赤坂で何があったか、詳しく教えていただけませんか?」
「う?えっと……」
「S会系の末端組織と海外に本拠のある反社組織が一昨日の日曜の夜に赤坂で何らかの会合を持った際に、四人の暴漢が乱入し、構成員十五人に重傷を負わせて逃走。詳細は略しますが目撃証言から、四人のうち二人は鰍さんと円さんであろうと推測しました」
 手帳を見ながら淡々と読み上げる酒井を、鰍は難しい顔をして見ている。
「昨日、円さんにお会いした時点で確認する事も出来ましたが、まず間違い無かろうとは思いましたが確証がないので控えました。ですが、残りの二人のうちの一人が、高い確率で巴さんであると確信しました……どうでしょう?」
「どうでしょう、って言われても……困っちゃったな……」
 鰍は頭を掻きながら答え、助けを求めるように、少し離れた所に立つ姉と、その近くで蒲田が「首無しヤクザ人形」の部品を纏めて容疑者捕縛用ロープで縛るのを手伝っている信仁を見る。
「なんか口止めされてたっけ?」
 巴が鰍に歩み寄ってきて、聞く。それって、もう認めたも同然だろ。酒井はその言葉を聞いて思う。
「されてないけど……」
 鰍の返事は煮え切らない。
「いいんじゃない?本当のこと言っても」
 ロープを結ぶ手を休めて、顔を上げた信仁が助け船を出す。
「刑事さん達だってこっちの事情知ってるわけだし、今更本当のこと言ってもそれで逮捕とかないでしょ。ですよね?」
 信仁は、横に居る蒲田に話を振る。
「まあ、銃刀法違反とか今更ですし、はい」
 信仁の拳銃は勿論、銃刀法を厳密に運用すれば鰍のダガー、両刃で刃渡り5.5cm以上の刃物も所持禁止品に該当する。
 あんまり気乗りしないけど、と言う顔で、鰍が答える。
「……あんまし余計な事言うとばーちゃんうるさいのよ……「あたしが言いたかったのに」って」
「そっち?」
 信仁、酒井、蒲田の声がハモる。

「順を追って話すと、この一、二年で、急に「協会」に陳情が増えたんです」
 片付けが一息ついたあと、表通りの自販機で蒲田と信仁が手分けして買ってきた缶コーヒーを手に、倉庫の奥から出してきたパイプ椅子に皆で座り、一休みがてら鰍と、たまに巴と信仁が補足して話を始める。
 法外な料金でガラクタを売りつけられた、タダ同然で霊薬をだまし取られた、などという詐欺行為の陳情が、人からも物の怪からも、今までより頻繁に「協会」に上がってくるようになったのがおおよそ二年前位から。その手の詐欺行為は、実は件数ベースでは「協会」が扱うトラブルで土地問題と並ぶ双璧である。とはいえ、その一連のトラブルは時期的にも地域的に偏りすぎており、当初は個別のトラブルとして別々のネゴシエイターが担当していたが、その関連性に気付いてからは専門の対策担当が付くようになった。その関連性とは「トラブルの相手が特定の反社会的集団、あるいはその関係者」であることだった。とはいえ、それが個別、かつ金銭上のトラブルである限りは「協会」としてもそれ以上どうこうするという事でもなく、単に対応が定型化し処理がしやすくなった程度のことだった。
 それが変わったのは、十日程前の東華貿易の盗難の一件だった。ノーザンハイランダー号の一件以来、東華貿易は「協会」の重鎮たる蘭円あららぎまどかの監督下にあった。そこにちょっかいを出してきた命知らずの存在は、円の闘争本能を刺激するのに充分であった。さらに、その盗品リストから推察される犯人像が当該の海外系反社組織、なにより当事者である東華貿易専務の東大あずままさるが「盗品の荷主はその反社組織のトンネル会社です。もっとも、弊社としては、トンネル会社であっても現時点で法的に問題なければ取引しますが」と公言する始末。反社組織が自作自演的に窃盗を働いたのは、荷の保証に関してイチャモンを付けて補償を要求する嫌がらせのため。
「ちょお~っと、おイタが過ぎたわねぇ……」
 そう言って円が孫とその彼氏に招集をかけたのが日曜の朝。その日の夕刻過ぎに会合が設けられるのは、既に反社組織の下っ端を手当たり次第に締め上げて確認済み。移動用の車も「協会」の別のハンターの名義でレンタル済み。かくして、円発案の「反社組織に苦情を言う集い」は決行された、というのが事の次第との事だった。

「……彼氏ぃ?」
 その話の途中で、酒井と蒲田の驚愕の声がハモった。缶コーヒーを飲み終わり、吸ってもいい?と聞いてから懐から出した煙草を下唇に貼り付かせたまま、文字通り開いた口が塞がらない様子で酒井は鰍と巴を交互に見てから、信仁に向く。
「あ、アタシじゃなくて。信仁にいは巴おねえの彼氏ですから」
 鰍が、開いた両手を体の前で振る。
「ああ、それで。納得です、はい」
 ノーザンハイランダーに強制捜査に入った際、非常に息の合ったコンビネーションを見せる割に、鰍と信仁が、特に鰍が「信仁兄」と呼んでいたのが酒井も蒲田も引っかかっていたのだが、これでその点はすっきりした。のだが。
「もうね、この人、あたしより鰍と組んで動くことの方が多いから。よく間違われるんですよ、ねぇ?」
 周りに目で許可を取ってから自分もメンソール系の細い煙草に火を点けた巴が、紫煙を吹き出してからギロリと信仁をめつける。相手は妹とは言え、そこの所をよく間違われるのがどうにも気に入らないらしい。
「いやだって。あねさんすぐ突っ込むから援護出来ないじゃないスか」
 信仁が大慌てで懸命に否定し、ジト目でそっぽ向いて紫煙をくゆらす巴を必死になだめ始める。
「ま、あっちはほっといて。どこまで話しましたっけ?」
 犬も食わないケンカを始めた二人を放っておいて、鰍が水を向ける。
「ああ、そうそう、もう一人のお孫さんについても聞いても良いですか?」
 蒲田が、情報の欠損を補おうと質問する。
かおるお姉?今日も声かけてたんですけど……ライブのリハあるからダメだって」
「……はい?」
 聞けば、巴が長女、鰍が三女、ここに居ない馨という娘が次女で、目撃証言のトンファー使いがそうだという。三姉妹で、年子としご。鰍を除く上の二人は、信仁も含め同じ大学に通っているそうだ。
「鰍さんは同じ大学ではないんですか?」
「アタシは看護学校の専攻科です、聖ロカ病院付属の」
 ポロっと出てきた都内屈指の大病院の名前にわずかに蒲田はビビったが、未だに都内の土地勘その他に疎い酒井は今ひとつピンと来ていない。なんでも、キリスト教系の病院付属の看護学校であり、立地条件的に「協会」に近いこともあって歴史的に繋がりも深く、病院の上層部にも事情を知っている者が複数いるのだという。為に、魔法的な治癒も可能な鰍は、准看護師でありながら戦力的にはかなり重宝されているらしい。
 いやはや、やっぱり学歴は必要か。酒井は、煙草をふかしながら考える。高卒で警察学校に入った酒井から見れば、高卒で准看の資格を取り、さらに正規の看護師を目指す鰍は似たような立場のはずだが、何故か眩しく見える。

 理由も、分かっている。
 警察学校に居た当時は、そして任官した当時は、俺も引け目なんて感じてなかった。
 だから、その頃の自分のような鰍に、その後の現実にまみれた酒井は失った眩しさを感じている。学歴で引け目を感じている、今の酒井は、その自分を自覚していた。
 
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