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第二章:大忙しの週始め
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「と、まあ、そんな話をしてきたんだが、お節介だったかな?」
午後十一時少し前、青葉五月がバイト先のスナックから帰宅し、部屋着に着替えた頃を見計らい、酒井はアパートの隣室の呼び鈴を鳴らした。すぐに、わずかにアルコールの匂いの残る、だが殆ど酔った風はない五月が顔を出す。仕事帰りで疲れているだろう所を済まないが、昨日のことで話があると告げると、驚いたことに五月も丁度よかった、私も話があると答えた。酒井はとにかく五月の部屋に上がり、まずは自分の方から、昼間の一連をかいつまんで説明した。
「いえ、ありがとうございました。心配してもらっちゃいましたね……」
氷を浮かべたグラスに入ったアイソトニック飲料を飲みながら、五月が、ちょっとうれしそうに答える。化粧を落とす前だったのか、寝間着兼用だろう部屋着の薄ピンクのスウェットに、まるで崩れていないバッチリのメイクがアンバランスだ。
ちょっと待ってて下さい、先に顔落としてきます。酒井の前に同じ飲物を置くと、五月は小走りにバスルームに消える。しまった、もうちょっと間を置くべきだったか?いっそメールしてから来れば良かったか。酒井は自分の時間の読みというかデリカシーの無さに気付く。こればっかりは、なかなか治らない。
とはいえ、さほど待つことも無く、ヘアバンドで髪を上げた五月が戻って来る。冷えた飲物をグラス半分程一気に空けて、一息ついてから、五月が話し出す。
「酒井さん、知ってたら教えて下さい」
真正面から目を合わせて、五月が酒井に聞く。
「……円さんて、実際歳いくつなんでしょう?」
「そっち?」
深夜にも関わらず、酒井は思わず声をあげてしまう。幸い、このマンションのこの階、四階建ての最上階には、それぞれ共に2DKの酒井と五月の部屋しか存在しない。
「いやだって気になるじゃないですか?なりません?あの人、見た目アラフォーか、頑張ればアラサーの上の方で通りますよ?もう、「お年頃」とか、酒井さんの話聞いたら気になっちゃって」
「確かに俺も気になってはいるけど……まあ、前、鰍さんが、戦前にどうこう言ってたから、一九四〇年に二十歳だったとして、逆算すると……」
「……うわ」
改めて逆算したその驚愕の事実に、五月がマジで引く。
「多分それ最低ラインで、実際それより上って事も充分あり得るから。俺、怖くて絶対聞けない」
「……ですよね……そういえば、酒井さんておいくつでしたっけ?」
「俺?俺は三十三だけど……」
言って、酒井は、そういえば五月の歳を聞いたことなかったな、と、今更に気付き、無意識に五月を見つめてしまう。
五月は、その酒井の視線の意味する所を敏感に察し、
「……え?私、ですか?……こないだ、二十六、に、なりました……」
ちょっとだけ俯いて答える。
「あ、いや、ごめん、そうか、すまん……」
誕生日とか、そういや全然聞いてなかった。酒井は、改めて自分のデリカシーの無さと、そもそも五月のプライベートについてほとんど知識がない事を思い出した。
「……ところで、五月さんも話あるんじゃなかったっけ」
気を取り直して、酒井が聞き直す。
「あ、そうです。実は、今日も来たんです、その人」
「その、老人?」
「はい」
五月が週三で新たに入れたバイトのスナックは、ママがカウンターの中だけで客対応するタイプの比較的小さな店で、むしろ形態としては小料理屋に近い。深夜営業もやっているのだが、「若い子は終電前に帰れ」というママのポリシーで五月は遅くとも十一時、普段なら十時過ぎには店を上がる。
その、仕事上がり直前にふらりとその老人は現れた、と五月は説明する。
「占いは役に立った、またよろしく頼む、って言って、封筒握らされて」
ハンドバッグから、やや厚みのある茶封筒を取り出して酒井に渡しながら、五月が言う。視線で五月に許可を取った酒井は、その封筒の中身を確かめる。
「……うわ」
中から出てきたのは、使用済み紙幣で、諭吉が二十枚程。
「……強引に押しつけられて、断り切れなくて……断わるのもダメな感じがしたんです」
五月は、酒場のバイトよりも占いが本業、いやむしろ占いを入口とした「拝み屋」が本来の姿だ。その事を知っている酒井は、その五月だからこそ、感じていることに間違いはなかろうと確信している。
「……多分、その老人はいずれまた来るだろうから、その時にこれは返した方が良いと思う。返して、丁重に誘いを断わった方が良いだろう」
五月も同じ事を思っていたのだろう、酒井の言葉に頷く。
「冗談じゃなく、五月さんは腕が立つから、滅多なことはないと思うけど。もしかしたら、こっちの仕事に絡んでるかも知れないから、出来る範囲で調べてみる。それと、詳細を円さんに伝えておくべきだろう。俺から連絡しておこうか?」
五月が蘭円に苦手意識のある事を知っている酒井の提案に、五月が頷き、即答する。
「お願いします」
「四六時中誰かがついていてあげる、って訳にもいかないから、充分気をつけてもらうしかないけど、大丈夫?」
「大丈夫です、多分。……ホントは、酒井さんについていて欲しいですけど」
分かっていながら、努めて冗談っぽく五月がほのめかす。以前のこともあるから、半分以上は色々な意味で本気だろう、と言うのも、酒井には分かるのだが。
「こっちの仕事を先に片付けないといけないしなぁ。そっちが事件化してれば貼り付けるだけど」
「そうですよね……って、事件化するって、私が大丈夫じゃなくなるって事じゃないですか?」
「まあ、そうなるか」
「もう!」
拗ねた振りをし、すぐに破顔する五月を見ながら、酒井は、大丈夫、五月には符術も体術もある、俺なんかよりよっぽど場慣れしているはず、そう、自分に言い聞かせていた。
午後十一時少し前、青葉五月がバイト先のスナックから帰宅し、部屋着に着替えた頃を見計らい、酒井はアパートの隣室の呼び鈴を鳴らした。すぐに、わずかにアルコールの匂いの残る、だが殆ど酔った風はない五月が顔を出す。仕事帰りで疲れているだろう所を済まないが、昨日のことで話があると告げると、驚いたことに五月も丁度よかった、私も話があると答えた。酒井はとにかく五月の部屋に上がり、まずは自分の方から、昼間の一連をかいつまんで説明した。
「いえ、ありがとうございました。心配してもらっちゃいましたね……」
氷を浮かべたグラスに入ったアイソトニック飲料を飲みながら、五月が、ちょっとうれしそうに答える。化粧を落とす前だったのか、寝間着兼用だろう部屋着の薄ピンクのスウェットに、まるで崩れていないバッチリのメイクがアンバランスだ。
ちょっと待ってて下さい、先に顔落としてきます。酒井の前に同じ飲物を置くと、五月は小走りにバスルームに消える。しまった、もうちょっと間を置くべきだったか?いっそメールしてから来れば良かったか。酒井は自分の時間の読みというかデリカシーの無さに気付く。こればっかりは、なかなか治らない。
とはいえ、さほど待つことも無く、ヘアバンドで髪を上げた五月が戻って来る。冷えた飲物をグラス半分程一気に空けて、一息ついてから、五月が話し出す。
「酒井さん、知ってたら教えて下さい」
真正面から目を合わせて、五月が酒井に聞く。
「……円さんて、実際歳いくつなんでしょう?」
「そっち?」
深夜にも関わらず、酒井は思わず声をあげてしまう。幸い、このマンションのこの階、四階建ての最上階には、それぞれ共に2DKの酒井と五月の部屋しか存在しない。
「いやだって気になるじゃないですか?なりません?あの人、見た目アラフォーか、頑張ればアラサーの上の方で通りますよ?もう、「お年頃」とか、酒井さんの話聞いたら気になっちゃって」
「確かに俺も気になってはいるけど……まあ、前、鰍さんが、戦前にどうこう言ってたから、一九四〇年に二十歳だったとして、逆算すると……」
「……うわ」
改めて逆算したその驚愕の事実に、五月がマジで引く。
「多分それ最低ラインで、実際それより上って事も充分あり得るから。俺、怖くて絶対聞けない」
「……ですよね……そういえば、酒井さんておいくつでしたっけ?」
「俺?俺は三十三だけど……」
言って、酒井は、そういえば五月の歳を聞いたことなかったな、と、今更に気付き、無意識に五月を見つめてしまう。
五月は、その酒井の視線の意味する所を敏感に察し、
「……え?私、ですか?……こないだ、二十六、に、なりました……」
ちょっとだけ俯いて答える。
「あ、いや、ごめん、そうか、すまん……」
誕生日とか、そういや全然聞いてなかった。酒井は、改めて自分のデリカシーの無さと、そもそも五月のプライベートについてほとんど知識がない事を思い出した。
「……ところで、五月さんも話あるんじゃなかったっけ」
気を取り直して、酒井が聞き直す。
「あ、そうです。実は、今日も来たんです、その人」
「その、老人?」
「はい」
五月が週三で新たに入れたバイトのスナックは、ママがカウンターの中だけで客対応するタイプの比較的小さな店で、むしろ形態としては小料理屋に近い。深夜営業もやっているのだが、「若い子は終電前に帰れ」というママのポリシーで五月は遅くとも十一時、普段なら十時過ぎには店を上がる。
その、仕事上がり直前にふらりとその老人は現れた、と五月は説明する。
「占いは役に立った、またよろしく頼む、って言って、封筒握らされて」
ハンドバッグから、やや厚みのある茶封筒を取り出して酒井に渡しながら、五月が言う。視線で五月に許可を取った酒井は、その封筒の中身を確かめる。
「……うわ」
中から出てきたのは、使用済み紙幣で、諭吉が二十枚程。
「……強引に押しつけられて、断り切れなくて……断わるのもダメな感じがしたんです」
五月は、酒場のバイトよりも占いが本業、いやむしろ占いを入口とした「拝み屋」が本来の姿だ。その事を知っている酒井は、その五月だからこそ、感じていることに間違いはなかろうと確信している。
「……多分、その老人はいずれまた来るだろうから、その時にこれは返した方が良いと思う。返して、丁重に誘いを断わった方が良いだろう」
五月も同じ事を思っていたのだろう、酒井の言葉に頷く。
「冗談じゃなく、五月さんは腕が立つから、滅多なことはないと思うけど。もしかしたら、こっちの仕事に絡んでるかも知れないから、出来る範囲で調べてみる。それと、詳細を円さんに伝えておくべきだろう。俺から連絡しておこうか?」
五月が蘭円に苦手意識のある事を知っている酒井の提案に、五月が頷き、即答する。
「お願いします」
「四六時中誰かがついていてあげる、って訳にもいかないから、充分気をつけてもらうしかないけど、大丈夫?」
「大丈夫です、多分。……ホントは、酒井さんについていて欲しいですけど」
分かっていながら、努めて冗談っぽく五月がほのめかす。以前のこともあるから、半分以上は色々な意味で本気だろう、と言うのも、酒井には分かるのだが。
「こっちの仕事を先に片付けないといけないしなぁ。そっちが事件化してれば貼り付けるだけど」
「そうですよね……って、事件化するって、私が大丈夫じゃなくなるって事じゃないですか?」
「まあ、そうなるか」
「もう!」
拗ねた振りをし、すぐに破顔する五月を見ながら、酒井は、大丈夫、五月には符術も体術もある、俺なんかよりよっぽど場慣れしているはず、そう、自分に言い聞かせていた。
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