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第一章:それなりに多忙な日曜日

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※20200714 1点、誤記修正しました。

「でも、本当に良かった、柾木君が元の体に戻れて」
 柾木の相向かいに座る玲子の、その隣に座って食後の茶を嗜みつつ、青葉五月あおばさつきが言う。
「柾木君には本当に色々助けられたから、本当に心配してたのよ?まあ結局、私は首、斬られちゃったけどね」
 今なら笑って言える、その時の事を思いだして、五月は微笑む。

 五月が井ノ頭邸に着いたのは、柾木が、玲子が入れた食後の茶を飲み干した頃だった。到着し、遅れた事を皆に詫びた後、五月は柾木が自分の体に戻った事を喜び、ささやかなプレゼントだと言って、小さな包みを手渡した。そんな、貰えませんよと遠慮する柾木に、五月は、柾木君は命の恩人も同然なんだから、と言って無理に受け取らせる。それは、シンプルなデザインの、ティファニーのシルバーのネクタイピンだった。

 本来なら五月はもっと早く、玲子と一緒に買い物に行ける程度の時間には来る予定だったが、占いの仕事が長引いて遅れると既に連絡があったので、五月の分の昼食は別に取っておいてあった。五月がそれを食べている間に、柾木は真新しいスーツに袖を通す。こっちは、先ほど、五月からのプレゼントの後、「実は、わたくしからもプレゼントがございますの」と言って玲子が手渡した、半年前、初めて玲子と会った日に貰ったスーツと同じ仕立てのオーダーメイドのスーツ。相変わらず、時田の見立てだろう、サイズもピッタリのそれを着て、セットのネクタイを締め、五月のタイピンで留める。
 五月の食事が終わった頃に台所に再登場した柾木は、玲子と五月と時田、さらには菊子やいおりからもたいそう持ち上げられてやや気恥ずかしい思いをし、そして、そんな他愛もない時間が、こんなにも居心地が良いものだと改めて感じていた。

「へえ。ずいぶん楽しそうだったんだ」
 その昼過ぎの食事会からお茶会の流れを、トレーナーにキュロットの部屋着の五月と晩酌を酌み交わしながら、上下スウェットの、やはり部屋着の酒井は聞いていた。
 あれ以来、互いの仕事の都合もあって必ずしも毎週ではないものの、日曜の夕食は五月の部屋で一緒に摂り、そのまま軽く呑むのが五月と酒井のルーティーンになっていた。ほとんどの場合、夕飯は五月が作り、酒は酒井が持ち込む。実のところ、酒量としては酒井より五月の方が多く呑むから、持ち出しとしてはトントンか、酒井の方が若干多い。
「楽しかったですよお。何しろ、玲子さんがケーキ焼いて持ってきたんですから」
 その時の様子を思い出して、五月は微笑む。柾木様のお口に合うと良いのですけれど。そう言ってはにかみつつ、朝早くから午前中いっぱいかけて作ってきたケーキを出してきた時の玲子が、可愛いやらいじらしいやら。どぎまぎしている柾木もなんとも初々しく、なんとなく姉ポジションで玲子を見ている五月としては、なんともうれし恥ずかしいものがあった。
「あの西条さんがねぇ、青春してるなあ……」
「ずっと家でメイドさんと練習してたんですって。もう、かわいいなぁ」
 酒井の記憶と印象では、西条玲子は西条精機の社長令嬢であり、いつも冷静沈着で、尊大な所こそ無いが、箸より重いものを持った事もない、食事はいつも上げ膳据え膳のフルコース、そんな感じに思っていた。だが、考えてみれば、彼女だって齢十七歳のお年頃の女の子、そのような一面があっても全く不思議ではない。
「……でも何で、柾木君なのかしら」
「北条君と色々あったみたいだけど、プライベートは聞いてないからなぁ」
 あの事件の後、状況を整理するため、酒井は改めて関係者に事情と経緯を聞いて回っていたが、細かいプライベートまでは、よほどの必要がない限り聞いてはいない。五月も、そのあたりの細かい事情はなんとなく聞きそびれていた。
「とはいえ、良く知らないけど西条精機ってその筋じゃ成長株の筆頭だって聞くし、逆玉だよなあ」
「なんですけど。どうにも柾木君の態度が煮え切らないんですよねぇ。柾木君だってまんざらじゃなさそうなんだから、とっとと告ってモノにしちゃえばいいのに」
「モノにするって……」
 確か北条柾木は二十三歳、西条玲子は十七歳。警察官として、酒井としては倫理的に諸手を挙げて賛成とは言いがたい。
「……知り合ってまだ半年ちょっとだし、そんなもんじゃないのか?」
「半年あれば充分ですよ?ホントにもう、男の人って、肝心な時に腰が退けるのよねぇ……」
 私の目の前の人も、腰が退けているし。そんな念のこもりきった視線を、頬杖をついた五月は酒井に向けてちらりと流す。
 当然、そんな視線が来るとわかりきっていた酒井は、ワンフィンガーの水割りをあおる振りをして視線を天井に泳がす。
 それを見て、これ見よがしにため息をついた五月は、グラスの中のツーフィンガーの水割りを一気にあおる。
「まあ、北条君も社会人一年生だろ?まだ若いんだし、遊びたい盛りだろうし」
「源三郎さん、わかってないなあ」
 こつん、と、グラスをテーブルに置いて、五月は氷を足して、ウィスキーを注ぎ直し、水で割る。自分の分と、酒井の分と。
「……それとも源三郎さんも、まだまだ遊びたい盛りなんですか?」
 グラスに唇を寄せた五月が、ちょっとだけ座った目で酒井を見ながら、言う。
「生憎と、おじさんもう遊ぶような年じゃないんでね」
 ちょっとだけおどけて酒井が返す。グラスに口をつけながら、実際、高卒で警察学校に入って以降現場一筋、見合い結婚だった酒井は、その手の遊びをした記憶が殆ど無い事を思い出す。どころか、よく考えたら、人並みに初恋の人とかその程度はあるが、青春の甘酸っぱい思い出とか、そういうのが自分にはほぼ全くない事に気付き、酒井はちょっと愕然とする。
「なあんだ、つまんない……源三郎さん、私と遊んでくれないんですか?」
 そんな、隙だらけになった酒井の心に、立てた片膝に顎を乗せ、軽く小首を傾げた五月が、からん、とグラスの中の氷の音を立てながら聞いた言葉が染み込む。視線が、絡み合う。
 ――遊びじゃあ、終われなくなるからな――心の中に浮かんだその言葉を、酒井は口に出すべきかどうか一瞬躊躇し、躊躇したが故にその言葉を発するべき唯一の瞬間が流れ去る。
 視線を逸らし、五月はグラスに口をつける。無言で視線を落とし、酒井もグラスを傾ける。
 二周くらい遅れて、その、今まで味わった事のなかった甘酸っぱい時間を過ごしている事を、酒井は自覚していなかった。
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