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第一章:それなりに多忙な日曜日
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「お待ちしておりました、北条様」
井ノ頭邸の地下の研究実験室へ繋がる階段から玄関広間に上がってきた北条柾木に、台所から顔を出した時田が声をかける。
「お食事の用意が出来ております。緒方様もどうぞこちらに」
「食事?って、え、ちょっと、今そもそも何時ですか?」
ちょっと虚を突かれた柾木が聞き返す。なんとなれば、北条柾木は昨日、土曜日の仕事が終わった後、その足でここ、井ノ頭邸に向かい、そのまま土曜の深夜、やっと修復なった自分の体にエータから意識を戻す作業に突入していた。そのせいもあり、そもそも今がいつの何時だか把握出来ていない事に、柾木は今更のように気付いたのだった。
「今は日曜の午後二時でございますわ、柾木様」
時田の後ろから、エプロンをかけた西条玲子が、ティーサーバーを片手に顔を出した。
「玲子さん?」
「おはようございます、柾木様。お腹が空いていらっしゃいますでしょう?どうぞ、お台所においで下さいまし。緒方さんもどうぞ」
よく見れば、玲子の着ているそれは、単なるエプロンではなくエプロンスカートだった。ごく薄い空色のブラウスに薄ピンクのエプロンを合わせ、控えめなフリルで飾られたそれは、あれ以来隠さなくなった、軽く肩に触れる長さで切りそろえられた白銀の髪と相まって実にコケティッシュだ。相変わらず、濃いベールで目元を隠してはいるものの、その下が満面の笑顔である事は疑う余地がない。
思わずつられて笑顔になりつつ、はい、と返事した柾木は、思い出したように空腹を訴える胃袋に驚きながら、誘われるがままに井ノ頭邸の台所に入っていった。
「ごちそうさまでした」
人の舌で味わう久しぶりの食事を満喫し、柾木が言った。
「お粗末様でした」
玲子が答える。
柾木が、毎週日曜に八丁堀の井ノ頭邸で「充電」をするようになった約半年前から、一時間強はかかるその充電の間に玲子が銀座のデパートの地下街で惣菜を買い込み、柾木の充電終了後に皆で昼食を摂る、というのがルーティーンになっていた。今日もその延長線上であったが、今、玲子が食後のお茶を注いでいる――普段なら給仕は時田の仕事だが、今日は玲子がどうしても、とわがままを言ったのだ――相手の柾木が、その体がオートマータではなく、生身の体であると言う点で大きな違いがあった。
「いやあ、やっぱり生身はちがうもんですね。お米がこんなに美味しいなんて、初めて知った気がします」
玲子の持つティーサーバーが、カチャリと鳴る。滅多に茶器を鳴らさない玲子にしては珍しい。
「それはよろしゅうございました、柾木様。何しろ、今日のご飯はお姫さまがお焚きになったものでございますから」
「え」
即座に情報を追加した時田の言葉に、玲子がお茶を入れる姿以外を台所で見た事のない柾木が、小さく驚いて玲子を見る。
「……炊いたと言っても、分量を量って、研いで炊飯器にかけただけです……」
言って、玲子はそそくさと台所の奥にティーサーバーを下げに行ってしまう。心なしか、その頬を少し赤らめて。
「そんなに違います?味覚……」
その玲子の様子を全く意に介さない様子で、いおりが柾木に聞く。
「そうですね、あの体も味は感じてたんで気にしてなかったですけど、こうやって比べてみると、なんかこう、深みが違うというか、味を物理的に感じていたというか」
「そうかー。やっぱり味覚と嗅覚は、視覚聴覚痛覚みたいには行かないかー」
残念そうにいおりが言う。どうやら、エータの味覚が生身のそれに今一歩劣るのが悔しいらしい。
「まあ、そんなに違いますの?」
井ノ頭菊子が小首を傾げて聞く。
「菊子さんの信号処理がどうなっているのかはボクもよく分からないですけど、人間の視覚聴覚痛覚は電気信号として、その非線形さも含めてかなり高い一致率で再現出来るんです。けど、味覚と嗅覚は、出力の非線形性とかセンサ自体のドリフトやダイナミックレンジの変化とか、煮詰め切れてないところが多くって……」
何のこっちゃよく分からないが、とにかく、よく出来たオートマータのボディであるエータにしても、味覚は柾木の肉体に敵わない、それだけは柾木にも理解出来た。
美味しいって事を感じて、お腹がいっぱいになるって、こんなにも幸せな事だったんだ……
エータの体に入ってから、半年以上忘れていた、感じる事の出来なかった感覚を思い出し、北条柾木はささやかな幸せに浸っていた。
井ノ頭邸の地下の研究実験室へ繋がる階段から玄関広間に上がってきた北条柾木に、台所から顔を出した時田が声をかける。
「お食事の用意が出来ております。緒方様もどうぞこちらに」
「食事?って、え、ちょっと、今そもそも何時ですか?」
ちょっと虚を突かれた柾木が聞き返す。なんとなれば、北条柾木は昨日、土曜日の仕事が終わった後、その足でここ、井ノ頭邸に向かい、そのまま土曜の深夜、やっと修復なった自分の体にエータから意識を戻す作業に突入していた。そのせいもあり、そもそも今がいつの何時だか把握出来ていない事に、柾木は今更のように気付いたのだった。
「今は日曜の午後二時でございますわ、柾木様」
時田の後ろから、エプロンをかけた西条玲子が、ティーサーバーを片手に顔を出した。
「玲子さん?」
「おはようございます、柾木様。お腹が空いていらっしゃいますでしょう?どうぞ、お台所においで下さいまし。緒方さんもどうぞ」
よく見れば、玲子の着ているそれは、単なるエプロンではなくエプロンスカートだった。ごく薄い空色のブラウスに薄ピンクのエプロンを合わせ、控えめなフリルで飾られたそれは、あれ以来隠さなくなった、軽く肩に触れる長さで切りそろえられた白銀の髪と相まって実にコケティッシュだ。相変わらず、濃いベールで目元を隠してはいるものの、その下が満面の笑顔である事は疑う余地がない。
思わずつられて笑顔になりつつ、はい、と返事した柾木は、思い出したように空腹を訴える胃袋に驚きながら、誘われるがままに井ノ頭邸の台所に入っていった。
「ごちそうさまでした」
人の舌で味わう久しぶりの食事を満喫し、柾木が言った。
「お粗末様でした」
玲子が答える。
柾木が、毎週日曜に八丁堀の井ノ頭邸で「充電」をするようになった約半年前から、一時間強はかかるその充電の間に玲子が銀座のデパートの地下街で惣菜を買い込み、柾木の充電終了後に皆で昼食を摂る、というのがルーティーンになっていた。今日もその延長線上であったが、今、玲子が食後のお茶を注いでいる――普段なら給仕は時田の仕事だが、今日は玲子がどうしても、とわがままを言ったのだ――相手の柾木が、その体がオートマータではなく、生身の体であると言う点で大きな違いがあった。
「いやあ、やっぱり生身はちがうもんですね。お米がこんなに美味しいなんて、初めて知った気がします」
玲子の持つティーサーバーが、カチャリと鳴る。滅多に茶器を鳴らさない玲子にしては珍しい。
「それはよろしゅうございました、柾木様。何しろ、今日のご飯はお姫さまがお焚きになったものでございますから」
「え」
即座に情報を追加した時田の言葉に、玲子がお茶を入れる姿以外を台所で見た事のない柾木が、小さく驚いて玲子を見る。
「……炊いたと言っても、分量を量って、研いで炊飯器にかけただけです……」
言って、玲子はそそくさと台所の奥にティーサーバーを下げに行ってしまう。心なしか、その頬を少し赤らめて。
「そんなに違います?味覚……」
その玲子の様子を全く意に介さない様子で、いおりが柾木に聞く。
「そうですね、あの体も味は感じてたんで気にしてなかったですけど、こうやって比べてみると、なんかこう、深みが違うというか、味を物理的に感じていたというか」
「そうかー。やっぱり味覚と嗅覚は、視覚聴覚痛覚みたいには行かないかー」
残念そうにいおりが言う。どうやら、エータの味覚が生身のそれに今一歩劣るのが悔しいらしい。
「まあ、そんなに違いますの?」
井ノ頭菊子が小首を傾げて聞く。
「菊子さんの信号処理がどうなっているのかはボクもよく分からないですけど、人間の視覚聴覚痛覚は電気信号として、その非線形さも含めてかなり高い一致率で再現出来るんです。けど、味覚と嗅覚は、出力の非線形性とかセンサ自体のドリフトやダイナミックレンジの変化とか、煮詰め切れてないところが多くって……」
何のこっちゃよく分からないが、とにかく、よく出来たオートマータのボディであるエータにしても、味覚は柾木の肉体に敵わない、それだけは柾木にも理解出来た。
美味しいって事を感じて、お腹がいっぱいになるって、こんなにも幸せな事だったんだ……
エータの体に入ってから、半年以上忘れていた、感じる事の出来なかった感覚を思い出し、北条柾木はささやかな幸せに浸っていた。
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