好きだった。

木村 巴

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 私の些細な変化に友人達は一様に驚いていた。

 そう。本来の私は喜怒哀楽のはっきりした性格だったから。もちろん、大人になり王妃教育で身体に染み込んだモノは抜けないけれど……それでも感情を抑え込まなく良いと思えば、自然に微笑んだり感情を表にあらわした。

 そんな少しの変化だが、周囲は驚く程に私の変化に気がつき、そして喜んでくれる。

 笑いたい時は笑えて、悲しい時には悲しめる。そんな今に、感謝さえしている。



 私の毎日の生活は、色鮮やかに……まるで花が咲いた様に色付いたと、日々実感していた。



 そんな嬉しい気持ちとは裏腹に、フレディに対しての罪悪感は募る。フレディが私に優しく微笑んでくれるたび、優しい気持ちを向けてくれるたび、プレゼントを受けとるたびに苦しくなっていった。


 この気持ちの正体には、もう気づいている。


 殿下へと向けていた、幼い憧れの延長とは違う。

 私の恋心だ。





 こんなに優しくされて好きにならない方が難しい。


 でも幼なじみで兄の様に優しいフレディにとって、妹の様な私を……あの時、手を差しのべてしまったばっかりに……私の面倒を一生負わせる訳にはいかない。

 しっかりしないといけないわ。




 季節は穏やかに過ぎて、夏の長期休みに入る。地方の領地に静養という名目で向かう事にしていた。

 領地や地方の修道院の情報収集も、目的のひとつだった。


 最後の授業が終わり、帰宅の馬車を待つ間……一学年上の公爵令嬢に声をかけられた。

「ヴィオレッタ様、ごきげんよう。今よろしいかしら」
「エリーゼ様。はい。もちろんです」


 エリーゼ様は、お茶会等でよくお見かけしていたが、特に仲が良いわけでもなく、お話する事はあまりなかった。
 なぜ急に話しかけられたのか、心当たりもなく少し不安に思ったが、平静を装って話を聞いていた。



「……どうして、フレドリック様と婚約のというお話になったのか……教えてくださる? 」
「……どうして……」

 どうしてなのか、私にもわからないのだ。決定事項を伝えられただけで……全くわからない。


「エリーゼ様、申し訳ありません。
 父と兄とが王宮から帰って来たら……決定事項だけを聞かされたので、私にもわからないのです」

「そう。

 …………でも、なぜ貴女なの?
 私は、昔から家を通じてフレデリック様に婚約の打診をし続けていたのよ。なぜなの? なぜ……」


 ハラハラとエリーゼ様の涙が零れ落ちる。


 エリーゼ様もフレデリック様が好きなのね。零れる涙をみていたら、つんと鼻の奥が痛くなる。
 知らぬ間に私の涙も流れていた。
 

 私達二人は無言で涙を流した後、一言も話す事もなく……互いに一礼して席を立った。


 私は、エリーゼ様のお気持ちを知った。でも、私達にはどうする事も出来ないのだ。エリーゼ様も、それを理解されている。ただ、知りたかっただけなのだろう。……答えは見つからなかったけれど。

 私の気持ちをエリーゼ様に伝える事はしなかった。エリーゼ様も知りたい訳ではないだろう。



 でも、こんな押し付けられた婚約者よりも、フレディをただ愛している方のほうが相応しい……そう考えると心がツキンと痛んだ。

 フレディは次男とはいえ侯爵家の出身で、彼は騎士団長を継ぐと言われている将来有望な人だ。
 既に幾つかあるうちの、伯爵位も継いでいるし今後騎士団長についた後は更に安泰であろう。
 また、騎士らしく逞しい身体からは想像出来ない、優しく美しい容姿をしており、学園でも社交界でもとても人気があった。
 美しいだけではない。短く刈り込まれた茶色い髪も、金色の瞳も、日に焼けたその肌も、まるでお日さまの様に温かく感じる。フレディの性格がそのままにじみ出る様だった。


 ……早く行動を起こさなくてはいけないわ。




 夏の領地では、真剣に修道院や職業婦人について探そうと私は決意を新たにした。

 修道院や家庭教師の職について調べてくれていたのは、ずっと私の専属の侍女をしていてくれるメリーだ。
 メリーはいつも、お兄様かフレディに相談したらどうかと言ってくれる。侍女が意見して申し訳ありませんと言うが、私を思ってくれているのが分かる。メリーには、いつもあなたの考えを教えてくれてありがとう、本当に嬉しいと伝えていた。

 でも妹を溺愛するお兄様と、妹分と婚約までして守ってくれるフレディに相談したら、反対されるのは目に見えている。その二人の負担になりたくないがために、家を出るつもりなのだから――


 しかし、メリーはいつも以上に真剣な顔で言う。


「では、私も協力致しますから!
 ですから、必ず私を一緒にお連れください!
 お嬢様が修道院でも、どこかの家庭教師でも、落ち着くまで私をお側においてくださるとお約束ください」

「とても嬉しいのだけれど……
 私には、メリーにお給金も支払えないわ」

「問題はそんなことではありません!
 いいですか! 私は幼い頃から、ずっとお嬢様にお仕えしているんです! お嬢様に救われた私は、お嬢様の為に生きたいのです! お嬢様が落ち着かれないと、私の安寧はありません。
 私の為にもお嬢様はしあわせになって頂きたいのです!」


 あまりに真剣な様子で詰め寄られたので、うんうんと頷く以外は出来なかった。
 今すぐ一人で生きて行けるとは思えない私には、とてもありがたい申し出だ。メリーに申し訳ない気もするが、姉の様なメリーの優しさに落ち着くまで甘えさせて貰おうと思った。


 ……私は甘えてばかりだ。そんな自分が情けなくなる。





 夏期を過ごす領地に向かう途中で、旅行と称していくつかの街や村を訪れた。訪れた先の孤児院や修道院に慰問に行くのも忘れない。
 幸いにも、寄付する作品が手元にたくさんあったのだ。婚約破棄の夜から家で無為に過ごしていた間に、たくさんの作品を手慰みにしていた事が役にたった。人生何が役にたつかわからないものだ。

 慰問先にそれらを渡すと一様に喜ばれた。私の作品を喜んでもらえたならば、こんなに嬉しい事は無かった。さりげなく、修道院で針子としてやっていけるかも確認した。
 どこの修道院ならば見つかりにくいかも検討しながら、とりあえず領地の屋敷に向かった。




 今は領地の屋敷で楽しく過ごしている。


 例年ならば、王妃教育の為に登城しなければならず、こちらには数日しか滞在出来なかった。しかし今年はその必要もなく、一ヶ月はのんびり過ごす。
 
 そのため屋敷のみんなや領民達が、今回長く滞在する私の為に、たくさんの歓迎の気持ちを表してくれた。とても嬉しい事のあふれる毎日だった。


 子供達からは花束や手紙を貰い、近所に住む人達は領地内で採れる果物や野菜やお肉を持って来てくれる。

 ある日は、村の女の子が私の刺した刺繍の入ったストールを見せに来てくれた。数年前に刺した手なので、大切に使ってくれているのだろう。
 彼女が誇らしげに教えてくれる。私がたくさんの刺繍の小物を孤児院に寄付するので、領地の若い女の子が可愛い物を手に出来るのだという。お洒落にまでお金をかけたくても、かけられない人達が多い中で、私達はしあわせを貰っていると……いつかお礼を言いたかったのだと……。
 彼女のお姉さんは、このストールを巻いて隣の街に行った時に、旦那さんに出会ったのだと言う。そして、結婚祝いに新しい私のストールをプレゼントして、この結婚をもたらしてくれた幸運のストールを彼女にくれたと言うのだ。
 だからとても大切にしているし、私に感謝していると伝えに来てくれたのだ。帰り際に、本当はもっと早くお礼を伝えたかったが……字が書けないから手紙も書けなくてと顔を赤らめて帰っていった。
 彼女は私が領地に来た時には、必ず屋敷に来てくれていたらしい。屋敷の侍女が教えてくれた。伝言を伝えると言っても、直接会ってお礼が言いたいのだと言って、毎年来てくれていたらしい。

 私の刺繍が、もちろん大切に作りあげた物だったけれど、こんなにも領地で愛されていたなんて知らなかった。


 不器用な私の初期の物なんで、ひどい物だったに違いない。でも、幼い私の作品は直ぐに売り切れて、領地の皆に喜ばれたよ。と母が教えてくれたので、毎年せっせと作っては、寄付をしていた。マナー講座の先生から褒められる様になった頃には、少しでも孤児院の収益が増えて、ご飯がたくさん食べられる様になれば……と思い、いつものリボンやハンカチと言った小物以外にストールやスカート、シャツ等の大きな物にも刺していた。

 それが、孤児院の子供達だけではなく、領地の女の子達にも喜んで貰えていたと聞いて嬉しくなった。


 ――私は、お針子として修道院などで生きていけるもしれないと希望を持てる出来事だった。



 だからその夜、メリーに嬉しくなって言ってしまったのだ。『このまま修道院に行って、お針子として暮らしていけるわね』と……。



 翌日は良く晴れた日で、庭の四阿でのんびり本を読んで過ごしていた。時折吹く風に髪が舞い上がり、押さえながら空を見上げていた。
 日焼けしない様に、メリーが大きなつばの帽子や日傘を用意して気にかけてくれているから、日に当たる訳にはいかないが……お日さまの匂いがして……フレディを思い出す。

 目を閉じるとこの庭で、過ごした幼い日々を思い出せる。最近はこちらの屋敷でフレディに会う事は無かったけれど、今年は再来週にフレディがこちらに来てくれる事になっていた。一週間程こちらで夏期休暇をとり、王都に一緒に帰る予定であった。
 まだ王都を離れて数日しか過ぎていないのに、毎日会いに来てくれていたからか……フレディに会いたい。

 彼の優しい声を聞きたい。笑いかけてくれる顔がみたい。静かにこちらを見ているだけの優しい姿が、閉じた目の裏に映った。










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