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第2話 幸せそう
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一か月前、私とアカネさんが初めて会った場所は、通勤途中の急行列車の三両目だった。
混雑率百パーセントであろう車内で三十分立たされ、満足に眠れていな状態の私には限界で、ずっと埋め尽くされた座席を見つめていた。
今すぐ理由を作ってでも引き返したい、明日行けば何も問題はない。
先の事ばかりを考えていた私の身体は悲鳴を上げ、吊革に身を任せていた。
すると、目の前に座っていたワインレッドのカーディガンを羽織った美しい人がちらりとこっちを見た。
「良かったら、座りますか?」
「え……あ、はい」
女神様のような存在に感じた私は、譲ってもらった席に座って一息吐いた。
「お体、大丈夫ですか?」
心配そうな顔で気にかけてくれる人こそが、アカネさんだ。
「何とか、大丈夫そうです」
声が掠れ、大丈夫ではないことが露わになっていた。
列車は徐々にスピードを落とし、停車駅に接近すると女性の自動アナウンスが流れ始める。
もう、終点だった。
「良かったら、カフェでお話しでもしませんか?」
「いや、仕事があるので……気持ちは嬉しいですけど」
私は馬鹿だと思いながら、誘いを迷いなく断った。
すると、アカネさんは右手をメガホンのような構えで添えて顔を近づける。
「モンブラン、奢りますよ」
囁かれた好物は強がりな姿勢一転させる誘惑だ。
終着駅で腕を支えられながら降りた私は会社に休みの連絡を入れ、近くのカフェでモンブランを二つ食べた。
涙が零れるくらい、美味しかった。
「それにしても、朝ご飯はしっかり食べないと体に悪いですよ?」
アカネさんは少し苦笑いをした。
「わかっていてもそんな時間、ないんで」
目を逸らすと、アカネさんは体を前に倒して右肘で頬杖をつく。
「なら、私にメイドをさせていただけませんか?」
「……はい?」
アカネさんの突拍子もないことを口にする癖は、この時から既にあった。
最初は冗談だと思って、分からない振りをした。
「私、困っている人の助けになりたくて……だから、今日から一緒に住ませていただけませんか?」
弱い理由でも包み込む手と太陽のような心地良く優しい笑みが、逃せなかった。ただ、素直にもなれかった。
「でも、自分の家事を人任せにするなんて、私にはできないです」
強がりな私は、首を小さく何度も横に振った。
「構いません、ほんの少しで良いんです、あなたの力になれるなら」
包み込んだ手を少し強く握り、真剣な眼差しでアカネさんは訴えた。
素直になることが情けないと思っていた、その感情に気づかされた瞬間だ。
一人暮らしなんて自分で選んだ道だから、自分だけで生活に対する負荷を背負うことは当然。むしろ、赤の他人に擦り付けることは許されないだろう。
それでも、私のために動いてくれる人が目の前にいるこの機会が、恋しくて捨てられなかった。
だから、胸が張り詰めて悶える悩みが嫌いになれない。
風呂から上がり、乾かした髪を枕に寝かせる真っ暗な部屋の中、少し冷えた床の上に敷いた白いの布団で仰向けになって微かに映る天井と見つめ合う私の右腕にしがみついてすやすやと眠る顔があった。
とても幸せそうだ。しかし、その顔を見ているとずるい女だとモヤモヤする。
「うぅん……あったかい……」
寝言が証拠だ。白いタンクトップと黒いハーフパンツを着た体を布団と擦らせ、しがみつく腕をさらにぐっと寄せると頬が少し肩に触れる。
温かいのは私の体ではなく、彼女の体だ。
幸せそうなら気にしなくていい、と目を瞑る。
しかし、朝の陽ざしが部屋に差し込んだ時も昨夜のアカネさんの顔がくっきりと記憶に残っていた。
混雑率百パーセントであろう車内で三十分立たされ、満足に眠れていな状態の私には限界で、ずっと埋め尽くされた座席を見つめていた。
今すぐ理由を作ってでも引き返したい、明日行けば何も問題はない。
先の事ばかりを考えていた私の身体は悲鳴を上げ、吊革に身を任せていた。
すると、目の前に座っていたワインレッドのカーディガンを羽織った美しい人がちらりとこっちを見た。
「良かったら、座りますか?」
「え……あ、はい」
女神様のような存在に感じた私は、譲ってもらった席に座って一息吐いた。
「お体、大丈夫ですか?」
心配そうな顔で気にかけてくれる人こそが、アカネさんだ。
「何とか、大丈夫そうです」
声が掠れ、大丈夫ではないことが露わになっていた。
列車は徐々にスピードを落とし、停車駅に接近すると女性の自動アナウンスが流れ始める。
もう、終点だった。
「良かったら、カフェでお話しでもしませんか?」
「いや、仕事があるので……気持ちは嬉しいですけど」
私は馬鹿だと思いながら、誘いを迷いなく断った。
すると、アカネさんは右手をメガホンのような構えで添えて顔を近づける。
「モンブラン、奢りますよ」
囁かれた好物は強がりな姿勢一転させる誘惑だ。
終着駅で腕を支えられながら降りた私は会社に休みの連絡を入れ、近くのカフェでモンブランを二つ食べた。
涙が零れるくらい、美味しかった。
「それにしても、朝ご飯はしっかり食べないと体に悪いですよ?」
アカネさんは少し苦笑いをした。
「わかっていてもそんな時間、ないんで」
目を逸らすと、アカネさんは体を前に倒して右肘で頬杖をつく。
「なら、私にメイドをさせていただけませんか?」
「……はい?」
アカネさんの突拍子もないことを口にする癖は、この時から既にあった。
最初は冗談だと思って、分からない振りをした。
「私、困っている人の助けになりたくて……だから、今日から一緒に住ませていただけませんか?」
弱い理由でも包み込む手と太陽のような心地良く優しい笑みが、逃せなかった。ただ、素直にもなれかった。
「でも、自分の家事を人任せにするなんて、私にはできないです」
強がりな私は、首を小さく何度も横に振った。
「構いません、ほんの少しで良いんです、あなたの力になれるなら」
包み込んだ手を少し強く握り、真剣な眼差しでアカネさんは訴えた。
素直になることが情けないと思っていた、その感情に気づかされた瞬間だ。
一人暮らしなんて自分で選んだ道だから、自分だけで生活に対する負荷を背負うことは当然。むしろ、赤の他人に擦り付けることは許されないだろう。
それでも、私のために動いてくれる人が目の前にいるこの機会が、恋しくて捨てられなかった。
だから、胸が張り詰めて悶える悩みが嫌いになれない。
風呂から上がり、乾かした髪を枕に寝かせる真っ暗な部屋の中、少し冷えた床の上に敷いた白いの布団で仰向けになって微かに映る天井と見つめ合う私の右腕にしがみついてすやすやと眠る顔があった。
とても幸せそうだ。しかし、その顔を見ているとずるい女だとモヤモヤする。
「うぅん……あったかい……」
寝言が証拠だ。白いタンクトップと黒いハーフパンツを着た体を布団と擦らせ、しがみつく腕をさらにぐっと寄せると頬が少し肩に触れる。
温かいのは私の体ではなく、彼女の体だ。
幸せそうなら気にしなくていい、と目を瞑る。
しかし、朝の陽ざしが部屋に差し込んだ時も昨夜のアカネさんの顔がくっきりと記憶に残っていた。
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