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シリアス
『四季追憶の晩餐』(不問2)🆕
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2024年 ハロモン企画参加シナリオです。胸糞注意
彼らは常に光の速さで疾走していて、私たちの声は届かない。
薫習は染み付いてしがみついて、蓮を咲かせぬ泥の匂い。
『四季追憶の晩餐』
──しきついおくの ばんさん──
作 / 鳳月 眠人
◆◇登場人物◇◆
戸松井:とまつい。食べる人。現代人。男女不問(最後の方に長台詞あります)
御影:みかげ。提供する人。穏やかな口調。男女不問
◆◇ここから台本◇◆
戸松井:
いつの間に眠っていたのだろうか。これは夢か?
いちめん、真っ暗な世界で
ガチガチ、ガチガチと奇妙な音がする。
どこから? 前? ……いや、
うっ、上!?
餓者、髑髏……? でっか……っ!
く、くるな、くるなあ! わぁあぁあ!
御影:(ゆっくりとした語り)
──人は「未練」という感情によって
終わりを願うほど、終わることができません。
真に幸せな状態を知らない人ほど、無意味に足掻いてしまうのです。
──間──
戸松井:
はっ! はぁ、はぁっ。
さっきのは、いったい
御影:
ご予約の戸松井様ですね。
戸松井:
うわっ!
御影:
失礼しました。後ろをご覧下さい。
戸松井:
あ、人……
御影:
こんにちは。もしくは、こんばんは。
あるいは、おはようございます。
戸松井:
……あ、どうも……
御影:
こちらへどうぞ。そこは暗いでしょう。
戸松井:
なん、なんでしょうか。この真っ暗な空間は……
御影:
ここは、あなた様ご専用の晩餐室でございます。
戸松井:
ばん、さん、しつ?
御影:
ええ、こちらにお掛けください。
椅子をお引きいたしますね──
戸松井:
あ、はい……
御影:
本日は、戸松井様のための懐石料理をご用意しております。
食前に、まずはこちらのワインをどうぞ。
戸松井:(ワインを注がれる間をあけて)
和食に、ワイン。
御影:
ええ、お料理に合うように、しっかりと吟味しております。
戸松井:
……大丈夫なんですか? これ。すごく、あのう
言いづらいのですが、むせ返るような。
御影:
年代物の良いワインはこういうものでございますよ。
お味は保証いたします。フルボディではありますが
酸味の抑えられたフルーティーな味わいですので。
戸松井:
…………ああ、本当だ。匂いはすごいけれど、
味は…………
御影:
どうかなさいましたか?
戸松井:
…………私、
御影:
はい。
戸松井:
死んだんですね。
御影:
思い出されましたか。
戸松井:
今ここにいるのは、夢か何か、だと思っていました。
…………これは最後の晩餐ってやつですか。
御影:
そうですねぇ。似たようなものかもしれません。
もう少し特別な意味もございますが。
戸松井:
あなたは何者ですか。死神とか?
御影:
申し遅れました。わたくし、みかげ、と申します。
わたくしもかつては戸松井様と同じようにこちらで
お食事をいただいた身ですよ。
つまりはわたくしも死人でございます。
戸松井:
そうなん、ですか……
私、どうやら、首を吊ったようです。
このワインが喉を通った時に思い出しました。
吊ったあと、意識がやっと遠のきはじめた時に
締まる喉を落ちた唾液か何かの感覚に近かった。
死刑の時って絞首刑ですけど、
頚椎をやるから苦しみはほぼないとか言うじゃないですか。
あれセルフでやるとダメですね。
後悔はしませんでしたが、早く終われ早く終われと
酸素の足りないアタマでそればかり考えていましたよ。
……御影さんは、どうして亡くなられたんですか?
御影:
わたくしは、老衰で。
今の姿は記憶の濃い年齢のものですが
百四歳まで生きたのですよ。
最期は布団の中で脱水で、眠るようにここへ来ました。
戸松井:
理想的な死だ。大往生ですね。
なんか、いいなあ。面白い。死んだ時の境遇なんて
人と語り合えるものではないですから。
御影:
その通りですね。奇跡的に蘇生したか
前世を覚えていない限りは、語れませんね。
戸松井:
──幸せ、でしたか。
御影:
──戦争も経験しましたが、幸運であったように
思います。
戸松井:
戦争、か……
御影:
さぁさぁ、お食事もどうぞ。
こちらの折敷ですが──
お米は、戸松井様のお通夜で盛られた枕飯のものを。
汁物は熟成された赤味噌と、魚介の出汁を
使用しております。
向付は紅白のなますと
春の魚、ウスメバルのお刺身でございます。
戸松井:
死んだのに紅白って。
ああでも、飾りの桜が、綺麗ですね。
御影:
死は、卒業ですから。おめでとうございます。
そして、お疲れ様でした。
戸松井:
そうですね。私は終わりを望んだのだから。
ありがとうございます。
それにしてもお通夜、してくれたんだな。誰が──
…………
御影:
…………
戸松井:
……みかげ、さん。
御影:
はい。
戸松井:
料理を口にするたびに、
少しずつ思い出していく感じですか、これは。
御影:
そのような方もおいでですね。
戸松井:
…………
御影:
走馬灯のようなものでございます。
戸松井:
美味しいだけなら、良かったのに。
御影:
お食事をやめられますか?
戸松井:
いえ……
すべて、最後まで食べなければ、いけない気がして。
御影:
では。次をお持ちしますね。
椀盛は素材の風味を大切にいたしました、
すまし汁にございます。
お野菜と魚のすり身は、あの夏の旬のものを。
戸松井:
あの、夏。
御影:
焼き物は秋に採れたカワハギを。
強肴は、かぼちゃをメインに据えた
炊き合わせです。
戸松井:
……美味しい。
どうして……真知子。
私は……
あんなに、タイセツニ、オモッテ、イタノニ
御影:
大丈夫ですか。戸松井様。
戸松井:
ダ、だい、じょうぶです。
いや、だめかも。
御影:
あなたは、頑張りましたよ。
命を自ら絶つという行為は、
戸松井様が考え抜いた結論です。
ドロップアウトは簡単だなんて言いますが、
わたくしは、そうは思いません。
戸松井:
ハァッ、ハッ、うう……
ちがう、ちがう……っ
私、首吊ったけれど死に損ねたんです、そうだ。
ああ……あいつが。あいつのせいで。
御影:
自殺ではなかった、ということですか?
戸松井:
ソウ……
すみません、次のお料理、お願いしていいですか。
御影:
かしこまりました。
箸洗いの吸い物です。一度、落ち着きましょう。
戸松井:
…………
御影:
…………
戸松井:
ところで
このテーブル以外の真っ暗闇の向こうには、
一体、何があるんですか……?
御影:
この闇の向こう側ですか?
時間や空間といった概念の無い世界、というのが
説明としては近しいものと思います。
強いて言えば、宇宙の外側のようなものとお考え下さい。
ですがお食事が済まれましたら、
戸松井様の望む場所へ、行くことができますよ。
戸松井:
望む場所に、ですか? 天国とか地獄とかではなく。
御影:
ええ。あなたの望むところへ。
戸松井:
…………
御影:
お下げしまして、次は八寸でございます。
お酒は純米大吟醸。コクとキレを併せ持ち、
香りの良いものをご用意しました。
海の幸・山の幸は、冬に旬を迎えるレンコンをはじめ、
カブ、カニ、ブリを使用して、お酒に合うよう
調理してございます。
こちらから時計回りに、どうぞお楽しみください。
戸松井:
どれも綺麗で美味しそうですね……
生きている間に食べたかったな。こんなの。
御影:
ここで召し上がられると、お代は不要ですよ。
戸松井:
それは嬉しいですけれど
代償がないわけでもナイノが……
御影:
ごゆっくり味わってください。
駆け抜けてきたあなたの人生とともに。
「人の寿命には、それぞれの四季が備わっている」
かつて、投獄され処刑される運命を悟った吉田松陰が、
処刑の前日遺した『留魂録』という遺書の中の言葉です。
戸松井様の四季は、いかがでしょうか。
きちんと四季をご堪能なさいましたか?
あなたの心や意志の種を、継いでくれる人はいましたか。
戸松井:
うう……私ハ……
私の気持ちは……誰にも伝わらなかっタ。
愛していたのに。
愛していたからこそ、許せない、ユルセ、ナイ。
御影:
もう終わってしまったことですよ、戸松井様。
戸松井:
終わった。そうですね、戻れない。
くやしい……あっちが先に、裏切ったのに。
のうのうと生きて楽しそうに、幸せそうにして。
どうして。こんなもの、見たくない。
私の人生は、私のしてきたことは?
誰も私を肯定してくれなイ……
御影:
本当に、そうでしたか。
差し伸べられた手を振り払ったり
あなたがあなたを否定したり
成長の機会を逃したりしませんでしたか。
戸松井:
うるさい!
こんな時に、終わってまで説教しないでください!
ユルシテ、ダレか、私ヲ、悪くないっテ。
、っああ、酒が、喉を焼く、うう、絶対忘れてやらない。
許さレないナら、私も許サない。
御影:
覚えていると、おつらいでしょう。
幸せになりたくないのですか?
戸松井:
みかげさんハ、忘れられるんですか。
されたことを、すべて忘れて、許せると?
苦しんだことヲ、傷つけられたことヲ、
悲しみヲ怒りヲ悔しさヲ、自尊心ヲ。
……私には無理そうデす。ダメな私にハ。
実りそウだった種ヲ、踏みにじられた気分でス。
この心の奥のどうにもならないものを
理解して欲しイし、ぶつけテ、傷ついてほしイ。
すべて外に出さないことには、前へ進めそうもなイ。
早く……次を。
御影:
では最後のお食事の、湯桶を。
焼きおにぎりはそのままでも、こちらの温かい出汁を
お掛けいただいても美味しく召し上がれます。
色とりどりの香の物とご一緒にどうぞ。
戸松井:
…………ン、ぐぅ、ぐっ
御影:
大丈夫ですよ。お食事も憎く思う人も、逃げません。
戸松井:
……憎くなんか、ない……
御影:
そうなのですか?
戸松井:
本当は、本当ハ……ッ
御影:
ゆっくり、味わってください。
あなたはもう、ラクになって良いのです。
戸松井:
……ラク、に……
御影:
食後には主菓子。デザートでございます。
表千家で点てましたお抹茶と、
炎を模した純白の落雁です。
また、こちらのクッキーは砂糖の代わりに
落雁を使っておりまして
サクサクホロホロと、くちどけてゆきます。
戸松井:(すすり泣く)
あああ……
御影:
そんなに泣かれては、塩味になってしまいますよ。
戸松井:
す、砂みたいでス……
味が……わからな……
いつもそうダ……甘いものや、幸せハ、
一瞬でスぐに溶けて消えテ、無クなってしまウ──
──少しの間──
戸松井:
私は出来損ないの人間だ。それを奥底で認識していながら
他人に指摘されるのが何よりも嫌だった。
これ以上、私の値打ちを下げるのが苦痛だった。
真知子。私が人生で一番、可愛がってあげた人。
私に欲しい言葉をたくさんたくさんくれた人。
私が他の人を可愛がると拗ねて可愛いのに、
なのに、彼女の一番は私ではなかった。
欲しい言葉をくれていたのも、
私に好意があるようなフリをしていたのも
私からの恩恵が目的で、つまり私は騙されていたのだ。
だってそうでなきゃ私よりもクズな男に貢いだりしないでしょう。
あまつさえ、真知子は私にこう言ったのだ。
「私に依存するのはやめてほしい」と。
私は真知子に依存しているつもりなんかない。
真知子がアイツに依存しているんだ。
だから私は彼女が貢いだクズ男から金を返して貰った。
やりたくもない仕事をして苦労して稼いで
何とかやりくりした中で捻出したものだったのに。
元は私のお金なのだから取り返さなければ。
クズ男の住所を調べ上げて家に侵入したら、
クズ男の母らしき老婆がいた。
私が縛り上げるとソレは漏らした。
暑い、夏の日だった。臭くて汚くて暑くて腹が立って、
汚い顔を蹴っとばしておいた。
持てるだけの金目のものを持って、震える老婆を踏みつけて去った。
せいせいした。でも、クズ男はそれを逆手にとって
悲劇の主人公を演じ始めた。目障りだった。
だから真知子に、あんな悲劇の主人公を演じる寒いクズと
付き合わないよう言ったらこう返ってきたのだ。
「あなたがそれを言うの?」と。
傷ついた……
彼女の目には、私もあのクズ男のように映っていたと知って。
そんなふうに貶されるとは思ってもみなかった。
仮に同じならなぜ、私を愛してくれないのか。
真知子はもう私の欲しい言葉をくれなくなっていた。
誰も彼もが、クズ男に向けられている哀れみとは別の目で、
見下しているような憐れみで、自分を見ている気がした。
こんな思いを背負うことになったのは、真知子のせいだ。
どうして……
こんなにも傷つけられたことを知らしめたい。
彼女の家で、私が死ねば、彼女は謝罪の言葉を口にするだろうか。
後悔させたい。自分のした事を。
そうやって首を吊った──
なのに直後、帰ってきた真知子に、下ろされた。
真っ青な顔をして助けてくれた真知子に、安心した。
でも病院に運ばれ回復すると、警察と弁護士がやってきて、
真知子との接触禁止令が出された。
やり切れなくて病院のトイレで手首を切った──
そのまま、精神病棟へ入れられた。
馬鹿にされているとしか思えないカウンセリングを受けているうちに
私がクズ男の家へ侵入したことが露見した。
私の経歴に罰が付いた。
本当は。本当に欲しかったのは、
喉から手が出るほどの憧憬は──
私も、アイツらの傍で──
光の中で、偽りなく笑っている自分、だった。
──そんなことを願う自分は認めたくない。
ありもせず実現することのないゆめは、淡く消える。
どうして思う通りにいかない。私を求めてくれない。
悲しさと悔しさが揺り返す。
まず、こんな私だから誰かから愛されるわけがないのだ。
けれどなぜ。
真知子はいっとき、あんなに私を必要としてくれたじゃないか。
彼女だけは私を認めて肯定してくれると思ったのに。
そうやって追い詰め思い詰めて、私は、
病院のベッドに縛り付けられた状態で
他の精神病患者に刺し殺されたのだ。
誰だったんだろう、アレは。
最期に見たのは臭くて、しわくちゃの、老婆。
何度も何度も腹を、短い棒みたいなもので、ザクザクブツブツと。
私がいつも叫んでいるから、誰も様子を見に来なかった。
そうして、皮膚が裂かれて内蔵を損傷して、血を流して、死んだ。
全部、全ブ、ゼンブ、ぜんぶ、アイツらのせい。
アイツらさえいなければ、こんな惨めで痛くて馬鹿みたいな
死に方ハ、シテ、イナカッ、タ。
哀しい。私ハ、そんな死に方をするホド、出来損ないだっタ?
私は何のタメに、生まレタ。
──少しの間──
御影:
これで、ご提供はすべてです。
戸松井:
ぁぁあぁあアアぁあ、う、ううう
御影:
行けそうですか? 死後の世界へ。
戸松井:
イヤ……嫌ダ。
イヤダ!
嫌ダ嫌ダ嫌ダ嫌ダ嫌ダ嫌ダ嫌ダ嫌ダ!
ヤツラ二! ワタシノ苦シミヲ! アジワセルマデ!
ワタシハ、ワタシハ逝ケナイ!
御影:
あなたが、おつらくなってもですか。
また傷つきますよ、必ず。
不幸に身を浸し続けて、良いのですか。
戸松井:
果タセナイ、心ノ痛ミよリ、イイぃぃぃぃい
御影:
……ええ。だめでした。
戸松井様は現世へ戻られることを希望されています。
……はい。承知しました。
戸松井:
ダレと、話シて、ル
御影:
戸松井様。わたくし先程、
「あなたの望む場所に行ける」と申しましたね。
このテーブル正面の暗闇へ、強い気持ちを抱きながら
走り続けると、生まれ変わることができますよ。
記憶が残るかはあなた次第ですが、
業というものは容易くあなたを離しません。
あなたが成し遂げたいことに導いてくれるでしょう。
良いですか、あっちの方へ、真っ直ぐです。
戸松井:
マッ、スグ……!
(咆哮:やってもやらなくても)
──間──
御影:
──咆哮が聞こえる。獣のようだ。
いや、それよりももっと……
他人を正しく赦すこと、自分を正しく赦すこと。
そのたった2つの尊重を悟れないだけで、
魂は器を求めてしまう。輪廻に縛られてしまう。
そのうち現世は、卒業できない魂ばかりの
世の中になってしまうのでしょうねぇ。
まったく……
逞しくて、それでいて脆く愚かで
哀れで愛しく、なんとも、生き汚い。
これだから、怪物づくりは、やめられない。
またとんでもないモンスターが
世に放たれてしまいますね。──フフッ
彼らは常に光の速さで疾走していて、私たちの声は届かない。
薫習は染み付いてしがみついて、蓮を咲かせぬ泥の匂い。
『四季追憶の晩餐』
──しきついおくの ばんさん──
作 / 鳳月 眠人
◆◇登場人物◇◆
戸松井:とまつい。食べる人。現代人。男女不問(最後の方に長台詞あります)
御影:みかげ。提供する人。穏やかな口調。男女不問
◆◇ここから台本◇◆
戸松井:
いつの間に眠っていたのだろうか。これは夢か?
いちめん、真っ暗な世界で
ガチガチ、ガチガチと奇妙な音がする。
どこから? 前? ……いや、
うっ、上!?
餓者、髑髏……? でっか……っ!
く、くるな、くるなあ! わぁあぁあ!
御影:(ゆっくりとした語り)
──人は「未練」という感情によって
終わりを願うほど、終わることができません。
真に幸せな状態を知らない人ほど、無意味に足掻いてしまうのです。
──間──
戸松井:
はっ! はぁ、はぁっ。
さっきのは、いったい
御影:
ご予約の戸松井様ですね。
戸松井:
うわっ!
御影:
失礼しました。後ろをご覧下さい。
戸松井:
あ、人……
御影:
こんにちは。もしくは、こんばんは。
あるいは、おはようございます。
戸松井:
……あ、どうも……
御影:
こちらへどうぞ。そこは暗いでしょう。
戸松井:
なん、なんでしょうか。この真っ暗な空間は……
御影:
ここは、あなた様ご専用の晩餐室でございます。
戸松井:
ばん、さん、しつ?
御影:
ええ、こちらにお掛けください。
椅子をお引きいたしますね──
戸松井:
あ、はい……
御影:
本日は、戸松井様のための懐石料理をご用意しております。
食前に、まずはこちらのワインをどうぞ。
戸松井:(ワインを注がれる間をあけて)
和食に、ワイン。
御影:
ええ、お料理に合うように、しっかりと吟味しております。
戸松井:
……大丈夫なんですか? これ。すごく、あのう
言いづらいのですが、むせ返るような。
御影:
年代物の良いワインはこういうものでございますよ。
お味は保証いたします。フルボディではありますが
酸味の抑えられたフルーティーな味わいですので。
戸松井:
…………ああ、本当だ。匂いはすごいけれど、
味は…………
御影:
どうかなさいましたか?
戸松井:
…………私、
御影:
はい。
戸松井:
死んだんですね。
御影:
思い出されましたか。
戸松井:
今ここにいるのは、夢か何か、だと思っていました。
…………これは最後の晩餐ってやつですか。
御影:
そうですねぇ。似たようなものかもしれません。
もう少し特別な意味もございますが。
戸松井:
あなたは何者ですか。死神とか?
御影:
申し遅れました。わたくし、みかげ、と申します。
わたくしもかつては戸松井様と同じようにこちらで
お食事をいただいた身ですよ。
つまりはわたくしも死人でございます。
戸松井:
そうなん、ですか……
私、どうやら、首を吊ったようです。
このワインが喉を通った時に思い出しました。
吊ったあと、意識がやっと遠のきはじめた時に
締まる喉を落ちた唾液か何かの感覚に近かった。
死刑の時って絞首刑ですけど、
頚椎をやるから苦しみはほぼないとか言うじゃないですか。
あれセルフでやるとダメですね。
後悔はしませんでしたが、早く終われ早く終われと
酸素の足りないアタマでそればかり考えていましたよ。
……御影さんは、どうして亡くなられたんですか?
御影:
わたくしは、老衰で。
今の姿は記憶の濃い年齢のものですが
百四歳まで生きたのですよ。
最期は布団の中で脱水で、眠るようにここへ来ました。
戸松井:
理想的な死だ。大往生ですね。
なんか、いいなあ。面白い。死んだ時の境遇なんて
人と語り合えるものではないですから。
御影:
その通りですね。奇跡的に蘇生したか
前世を覚えていない限りは、語れませんね。
戸松井:
──幸せ、でしたか。
御影:
──戦争も経験しましたが、幸運であったように
思います。
戸松井:
戦争、か……
御影:
さぁさぁ、お食事もどうぞ。
こちらの折敷ですが──
お米は、戸松井様のお通夜で盛られた枕飯のものを。
汁物は熟成された赤味噌と、魚介の出汁を
使用しております。
向付は紅白のなますと
春の魚、ウスメバルのお刺身でございます。
戸松井:
死んだのに紅白って。
ああでも、飾りの桜が、綺麗ですね。
御影:
死は、卒業ですから。おめでとうございます。
そして、お疲れ様でした。
戸松井:
そうですね。私は終わりを望んだのだから。
ありがとうございます。
それにしてもお通夜、してくれたんだな。誰が──
…………
御影:
…………
戸松井:
……みかげ、さん。
御影:
はい。
戸松井:
料理を口にするたびに、
少しずつ思い出していく感じですか、これは。
御影:
そのような方もおいでですね。
戸松井:
…………
御影:
走馬灯のようなものでございます。
戸松井:
美味しいだけなら、良かったのに。
御影:
お食事をやめられますか?
戸松井:
いえ……
すべて、最後まで食べなければ、いけない気がして。
御影:
では。次をお持ちしますね。
椀盛は素材の風味を大切にいたしました、
すまし汁にございます。
お野菜と魚のすり身は、あの夏の旬のものを。
戸松井:
あの、夏。
御影:
焼き物は秋に採れたカワハギを。
強肴は、かぼちゃをメインに据えた
炊き合わせです。
戸松井:
……美味しい。
どうして……真知子。
私は……
あんなに、タイセツニ、オモッテ、イタノニ
御影:
大丈夫ですか。戸松井様。
戸松井:
ダ、だい、じょうぶです。
いや、だめかも。
御影:
あなたは、頑張りましたよ。
命を自ら絶つという行為は、
戸松井様が考え抜いた結論です。
ドロップアウトは簡単だなんて言いますが、
わたくしは、そうは思いません。
戸松井:
ハァッ、ハッ、うう……
ちがう、ちがう……っ
私、首吊ったけれど死に損ねたんです、そうだ。
ああ……あいつが。あいつのせいで。
御影:
自殺ではなかった、ということですか?
戸松井:
ソウ……
すみません、次のお料理、お願いしていいですか。
御影:
かしこまりました。
箸洗いの吸い物です。一度、落ち着きましょう。
戸松井:
…………
御影:
…………
戸松井:
ところで
このテーブル以外の真っ暗闇の向こうには、
一体、何があるんですか……?
御影:
この闇の向こう側ですか?
時間や空間といった概念の無い世界、というのが
説明としては近しいものと思います。
強いて言えば、宇宙の外側のようなものとお考え下さい。
ですがお食事が済まれましたら、
戸松井様の望む場所へ、行くことができますよ。
戸松井:
望む場所に、ですか? 天国とか地獄とかではなく。
御影:
ええ。あなたの望むところへ。
戸松井:
…………
御影:
お下げしまして、次は八寸でございます。
お酒は純米大吟醸。コクとキレを併せ持ち、
香りの良いものをご用意しました。
海の幸・山の幸は、冬に旬を迎えるレンコンをはじめ、
カブ、カニ、ブリを使用して、お酒に合うよう
調理してございます。
こちらから時計回りに、どうぞお楽しみください。
戸松井:
どれも綺麗で美味しそうですね……
生きている間に食べたかったな。こんなの。
御影:
ここで召し上がられると、お代は不要ですよ。
戸松井:
それは嬉しいですけれど
代償がないわけでもナイノが……
御影:
ごゆっくり味わってください。
駆け抜けてきたあなたの人生とともに。
「人の寿命には、それぞれの四季が備わっている」
かつて、投獄され処刑される運命を悟った吉田松陰が、
処刑の前日遺した『留魂録』という遺書の中の言葉です。
戸松井様の四季は、いかがでしょうか。
きちんと四季をご堪能なさいましたか?
あなたの心や意志の種を、継いでくれる人はいましたか。
戸松井:
うう……私ハ……
私の気持ちは……誰にも伝わらなかっタ。
愛していたのに。
愛していたからこそ、許せない、ユルセ、ナイ。
御影:
もう終わってしまったことですよ、戸松井様。
戸松井:
終わった。そうですね、戻れない。
くやしい……あっちが先に、裏切ったのに。
のうのうと生きて楽しそうに、幸せそうにして。
どうして。こんなもの、見たくない。
私の人生は、私のしてきたことは?
誰も私を肯定してくれなイ……
御影:
本当に、そうでしたか。
差し伸べられた手を振り払ったり
あなたがあなたを否定したり
成長の機会を逃したりしませんでしたか。
戸松井:
うるさい!
こんな時に、終わってまで説教しないでください!
ユルシテ、ダレか、私ヲ、悪くないっテ。
、っああ、酒が、喉を焼く、うう、絶対忘れてやらない。
許さレないナら、私も許サない。
御影:
覚えていると、おつらいでしょう。
幸せになりたくないのですか?
戸松井:
みかげさんハ、忘れられるんですか。
されたことを、すべて忘れて、許せると?
苦しんだことヲ、傷つけられたことヲ、
悲しみヲ怒りヲ悔しさヲ、自尊心ヲ。
……私には無理そうデす。ダメな私にハ。
実りそウだった種ヲ、踏みにじられた気分でス。
この心の奥のどうにもならないものを
理解して欲しイし、ぶつけテ、傷ついてほしイ。
すべて外に出さないことには、前へ進めそうもなイ。
早く……次を。
御影:
では最後のお食事の、湯桶を。
焼きおにぎりはそのままでも、こちらの温かい出汁を
お掛けいただいても美味しく召し上がれます。
色とりどりの香の物とご一緒にどうぞ。
戸松井:
…………ン、ぐぅ、ぐっ
御影:
大丈夫ですよ。お食事も憎く思う人も、逃げません。
戸松井:
……憎くなんか、ない……
御影:
そうなのですか?
戸松井:
本当は、本当ハ……ッ
御影:
ゆっくり、味わってください。
あなたはもう、ラクになって良いのです。
戸松井:
……ラク、に……
御影:
食後には主菓子。デザートでございます。
表千家で点てましたお抹茶と、
炎を模した純白の落雁です。
また、こちらのクッキーは砂糖の代わりに
落雁を使っておりまして
サクサクホロホロと、くちどけてゆきます。
戸松井:(すすり泣く)
あああ……
御影:
そんなに泣かれては、塩味になってしまいますよ。
戸松井:
す、砂みたいでス……
味が……わからな……
いつもそうダ……甘いものや、幸せハ、
一瞬でスぐに溶けて消えテ、無クなってしまウ──
──少しの間──
戸松井:
私は出来損ないの人間だ。それを奥底で認識していながら
他人に指摘されるのが何よりも嫌だった。
これ以上、私の値打ちを下げるのが苦痛だった。
真知子。私が人生で一番、可愛がってあげた人。
私に欲しい言葉をたくさんたくさんくれた人。
私が他の人を可愛がると拗ねて可愛いのに、
なのに、彼女の一番は私ではなかった。
欲しい言葉をくれていたのも、
私に好意があるようなフリをしていたのも
私からの恩恵が目的で、つまり私は騙されていたのだ。
だってそうでなきゃ私よりもクズな男に貢いだりしないでしょう。
あまつさえ、真知子は私にこう言ったのだ。
「私に依存するのはやめてほしい」と。
私は真知子に依存しているつもりなんかない。
真知子がアイツに依存しているんだ。
だから私は彼女が貢いだクズ男から金を返して貰った。
やりたくもない仕事をして苦労して稼いで
何とかやりくりした中で捻出したものだったのに。
元は私のお金なのだから取り返さなければ。
クズ男の住所を調べ上げて家に侵入したら、
クズ男の母らしき老婆がいた。
私が縛り上げるとソレは漏らした。
暑い、夏の日だった。臭くて汚くて暑くて腹が立って、
汚い顔を蹴っとばしておいた。
持てるだけの金目のものを持って、震える老婆を踏みつけて去った。
せいせいした。でも、クズ男はそれを逆手にとって
悲劇の主人公を演じ始めた。目障りだった。
だから真知子に、あんな悲劇の主人公を演じる寒いクズと
付き合わないよう言ったらこう返ってきたのだ。
「あなたがそれを言うの?」と。
傷ついた……
彼女の目には、私もあのクズ男のように映っていたと知って。
そんなふうに貶されるとは思ってもみなかった。
仮に同じならなぜ、私を愛してくれないのか。
真知子はもう私の欲しい言葉をくれなくなっていた。
誰も彼もが、クズ男に向けられている哀れみとは別の目で、
見下しているような憐れみで、自分を見ている気がした。
こんな思いを背負うことになったのは、真知子のせいだ。
どうして……
こんなにも傷つけられたことを知らしめたい。
彼女の家で、私が死ねば、彼女は謝罪の言葉を口にするだろうか。
後悔させたい。自分のした事を。
そうやって首を吊った──
なのに直後、帰ってきた真知子に、下ろされた。
真っ青な顔をして助けてくれた真知子に、安心した。
でも病院に運ばれ回復すると、警察と弁護士がやってきて、
真知子との接触禁止令が出された。
やり切れなくて病院のトイレで手首を切った──
そのまま、精神病棟へ入れられた。
馬鹿にされているとしか思えないカウンセリングを受けているうちに
私がクズ男の家へ侵入したことが露見した。
私の経歴に罰が付いた。
本当は。本当に欲しかったのは、
喉から手が出るほどの憧憬は──
私も、アイツらの傍で──
光の中で、偽りなく笑っている自分、だった。
──そんなことを願う自分は認めたくない。
ありもせず実現することのないゆめは、淡く消える。
どうして思う通りにいかない。私を求めてくれない。
悲しさと悔しさが揺り返す。
まず、こんな私だから誰かから愛されるわけがないのだ。
けれどなぜ。
真知子はいっとき、あんなに私を必要としてくれたじゃないか。
彼女だけは私を認めて肯定してくれると思ったのに。
そうやって追い詰め思い詰めて、私は、
病院のベッドに縛り付けられた状態で
他の精神病患者に刺し殺されたのだ。
誰だったんだろう、アレは。
最期に見たのは臭くて、しわくちゃの、老婆。
何度も何度も腹を、短い棒みたいなもので、ザクザクブツブツと。
私がいつも叫んでいるから、誰も様子を見に来なかった。
そうして、皮膚が裂かれて内蔵を損傷して、血を流して、死んだ。
全部、全ブ、ゼンブ、ぜんぶ、アイツらのせい。
アイツらさえいなければ、こんな惨めで痛くて馬鹿みたいな
死に方ハ、シテ、イナカッ、タ。
哀しい。私ハ、そんな死に方をするホド、出来損ないだっタ?
私は何のタメに、生まレタ。
──少しの間──
御影:
これで、ご提供はすべてです。
戸松井:
ぁぁあぁあアアぁあ、う、ううう
御影:
行けそうですか? 死後の世界へ。
戸松井:
イヤ……嫌ダ。
イヤダ!
嫌ダ嫌ダ嫌ダ嫌ダ嫌ダ嫌ダ嫌ダ嫌ダ!
ヤツラ二! ワタシノ苦シミヲ! アジワセルマデ!
ワタシハ、ワタシハ逝ケナイ!
御影:
あなたが、おつらくなってもですか。
また傷つきますよ、必ず。
不幸に身を浸し続けて、良いのですか。
戸松井:
果タセナイ、心ノ痛ミよリ、イイぃぃぃぃい
御影:
……ええ。だめでした。
戸松井様は現世へ戻られることを希望されています。
……はい。承知しました。
戸松井:
ダレと、話シて、ル
御影:
戸松井様。わたくし先程、
「あなたの望む場所に行ける」と申しましたね。
このテーブル正面の暗闇へ、強い気持ちを抱きながら
走り続けると、生まれ変わることができますよ。
記憶が残るかはあなた次第ですが、
業というものは容易くあなたを離しません。
あなたが成し遂げたいことに導いてくれるでしょう。
良いですか、あっちの方へ、真っ直ぐです。
戸松井:
マッ、スグ……!
(咆哮:やってもやらなくても)
──間──
御影:
──咆哮が聞こえる。獣のようだ。
いや、それよりももっと……
他人を正しく赦すこと、自分を正しく赦すこと。
そのたった2つの尊重を悟れないだけで、
魂は器を求めてしまう。輪廻に縛られてしまう。
そのうち現世は、卒業できない魂ばかりの
世の中になってしまうのでしょうねぇ。
まったく……
逞しくて、それでいて脆く愚かで
哀れで愛しく、なんとも、生き汚い。
これだから、怪物づくりは、やめられない。
またとんでもないモンスターが
世に放たれてしまいますね。──フフッ
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