5 / 21
ファンタジー
『鬼の寵児と永劫の火』(不問5)
しおりを挟む
──こんなのは、いっそ呪いだ。
虚空へとそれを呟いたのは、誰よりもその想いに相応しくない者だった。
※結末などシナリオの流れ変更 ×
※語尾アレンジ、一人称変更 ×
※人数変更、男女変更 〇
※軽微アドリブ 〇
『鬼の寵児と永劫の火』
──おにのちょうごとえいごうのひ──
作 / 鳳月 眠人
◆◇登場人物(男女自由)◇◆
ディビア:
異界の存在の加護を受けた依り代。無垢で優しい性格。
鬼の寵児、ラルウァテラス。
アルジュナ:
ディビアの後見人で、年の離れた姉または兄。
ディビアの護衛を兼ねる。ラルウァの民の若き首長。わりと苛烈。
エリアス:
ラルウァの民を絶対悪とするロダキニャ神国の教皇聖下。
ディビアの優しさに触れ、苦悩する。
ゼノア:
エリアスに忠義を尽くす神国の騎士。軍神とも称される家柄。
ラルウァ殲滅を使命とする。真面目。カタブツ。
蝶:
エリアスに忠義を尽くす影(スパイ)。ラルウァの混血であることは誰にも明かしていない。
男性がやるときはオネェでお願いします。
◆◇ここより台本◇◆
── 短い間(三秒)
蝶:
暦積は残酷に。
人々の思惑を、利害を、感情を経て、歪んでゆく。
── 間
── 人々の怒号。遠雷の轟。
── 鬱蒼とした森の中。
アルジュナ:
「1人として逃すな! 包囲を固めて射つづけろ!」
ゼノア:
「怯むな! 総大将は目の前だ! 永き戦いを今、終わらせるのだと思え!」
蝶:
「聖下だけでも、ッ、先にお逃げください!」
エリアス:
「馬鹿な! この状況で皆を捨て置けるはずがない。
全軍、応戦しつつ後退せよ! 道をひらく。光の加護よ──」
アルジュナ:
「そうはさせるか、橋を狙え!」
ディビア:
『スヴツヲォリ カヒクェメ シヒ……』
ゼノア:
「チッ、なんという、禍々しいチカラ……」
アルジュナ:
「撃て!」
蝶:
「攻撃で橋が落ちて……聖下!?」
ゼノア:
背後の道はやられて、前にはラルウァテラスとラルウァの軍勢。
聖下は? まさか、橋の崩落に巻き込まれたのか!
蝶:
マズイ! ラルウァたちの弓矢が、聖下に!
エリアス:
「う、ッぐ……」
アルジュナ:
「好機。星を討ち取れ、カタキを取れ!
此度も我々の勝利だ!」
エリアス:
「ゼノア! 隊を立て直し退きゃ、ッく……」
ゼノア:
「できかねます! 今助けにッ」
エリアス:
「なに、私は少し先に……休息をとる、だけだ。ゼノア、」
── 掴んでいた橋片から、手が滑ってゆく。
エリアス:
「必ずっ戻る……!」
ゼノア:
「、聖下ァア!」
蝶:
「アタシが行くわ。アンタは隊を」
ゼノア:
「下はッ! 流れの速い死の渓流だ! 加えてこの高さ……!」
蝶:
「あのお方はこんなところで死なない。死なせない」
ゼノア:
「蝶!」
── 渓谷の闇に蝶はひらりと降りた。
アルジュナ:
「ッ、星は落ちたか。リッズ班は追撃しろ!
首を取って……ラルウァテラス様!?」
ディビア:
『…………タイスガ カナオゥ……』
── 教皇と蝶を追うように、小さな黒い影が谷底へ落ちる。
アルジュナ:
鬼興の最中の襲撃だった……
ディビアは、不完全なラルウァテラスになった可能性がある。
だからといって、みずから星を追うなど……
ゼノア:
「これを撃って生き残れるか、微妙だな。──闇を散らせ、魔を滅せ」
アルジュナ:
「しつこいな……」
ゼノア:
「光芒よ、穿ち、導け!」
アルジュナ:
「! 一級聖典だ、伏せろ!」
── 短い間
蝶:
谷底が明るい。かなり深さがあるのに。ゼノアが高位の聖典術でも使ったのかしら。
「照明、アリガト。生きてなさいよね」
早く聖下を探さなければ。どうかご無事で……この流れは最終的に海へ出てしまう。
そこまでに見つけ出さないと……
──ッ(息を飲む)
── 蝶の眼下少し離れたところで、水しぶきの音
ディビア:
『ウソシ イオイオニイィ』
蝶:
ラルウァテラス……! いつの間に。
渓谷の激流の中に、濃く揺らめく闇が平然と立っている。
四肢をだらりとさせた聖下を、抱き上げている。
ディビア:
『…………』
蝶:ッどこへ行くの?
後を追いかけなければ。勘づかれないように……!
しばらくして、岩場に腰を下ろした闇は、大きな口をガパリと開けた。
聖下を食べる、気? 止めなければ! けど勝てる? 一人で?
ラルウァテラスを相手に? 混血の……アタシが?
聖典術も使えないのに──
絶望に塗りつぶされるためらいは一瞬。
その一瞬の内に、ラルウァテラスの闇は、砂埃のように散っていった。
中から出てきたのは更にひと回り小柄な、ラルウァの子。
さっき仕留め損ねた、鬼の寵児。
ディビア:
「っ、え……うわ! あーあ。えっ、どうしよ、どうしよう……」
蝶:
ん……? なんかおろおろし始めたわね。
今ならもしかすると穏便に、聖下を奪い返せるんじゃナイ?
距離を詰めて声を、出さなければ。初めて話しかける、ラルウァの民。
ラルウァとの混血であるアタシの、半分……同胞。
「……ぁ」
ディビア:
「そうだ、神苑なら……」
蝶:
ダメよ……ワナかもしれない。ラルウァの増援も来るかも。
確実に、聖下の安全を確保できるチャンスを待つほうが、ココは賢明。
どこまで、っ行くの、かしら……!
ディビア:
渓谷を、流れに逆らって進むと、どんどん幅が狭くなる。
激流を脇目に跳ねて、跳ねて、岩壁の中頃。小さな横穴。
「よいっしょ……通るかな……あ、ダメだ。引きずらなきゃ。
んん、ん、よっ、んっしょ、んっしょ」
蝶:
あんな、所に……横穴? 偵察の時は気づかなかったわ……
── 間
── 教皇の記憶の中
エリアス:
夢……か? 戦に出る前の……
ゼノア:
「奇襲、ですか」
エリアス:
「ああ。抗魔力の高い蝶のお陰で、
今まで近づくことすら難かしかったラルウァ集落の地図が、ほぼ完成した」
ゼノア:
「これは……すごい。すごい偉業ですよ、聖下」
蝶:
「もっと褒めなさい? ゼノア」
ゼノア:
「やるときは! やるのだな! お前!」
蝶:
「釈然としない褒め方だワ」
ゼノア:
「はーっ、なるほど、こうなって……
ああ、ここは五十九代の戦役跡ですね……」
蝶:
「狙うのは、ラルウァの地で鬼の気が最も弱まる、数十年に一度の日。
鬼の寵児の、儀式の日よ」
エリアス:
「その祭事中。今代の鬼の寵児が完全なるラルウァテラスになる前に、
少数精鋭にて叩く。こことここに二師団、陽動を配置する。敵数はおよそ千だ」
ゼノア:
「……千か。導線の悪いこの地形で、向こうも全軍を出すことはないでしょうが」
エリアス:
「ああ、消耗戦はできない。短期決戦の奇襲だ。
最終目標はトーチの点火だが、そのトーチは……
蝶を持ってしても、ありかが特定できなかった。厳重に隠されているようだ」
蝶:
「…………」
ゼノア:
「ラルウァの地のどこかにある、トーチさえ灯せば」
エリアス:
「ラルウァによって消された火を戻せば、ロダキニャ神の加護により、すべての魔は滅される」
エリアス:
「必ず! 必ずや、私の代でこの地をすべて白にする……
神の教えを成し遂げる。ラルウァテラスを討つことはその一歩と……蝶? どうした?」
蝶:
「いえ、武者震いです。……聖下のご意向のままに、影のこの身はどこまでも」
ゼノア:
「聖下のご威光のままに、剣の我が身は果てまでも」
エリアス:
二人の顔が霞みゆく。まだ、まだ私は、何も成していない。こんなところで……
── 短い間
ディビア:(適当な節にのせて小さめの声で)
「……ひらけーひらけーささげや咲詞……ふんふーんふんふんふー」
エリアス:
なんだ……? う、た……?
ディビア:
「……ぁ、起きた? ああ、だめだめ。傷だらけなんだから。
所々、骨も折れてると思う。まだそのままでいて?」
エリアス:
しゃらん、という装身具の音とともに、誰かの声が振り向いて、駆け寄ってきた。
閉じたまぶたに明るさを感じる。しかし目を、開けられない……
「ここ、は……」
ディビア:
「ここは、神苑。といっても、目に包帯巻いてるから、見えないよね。
たくさん、カケラが入っちゃってたみたい。できる手当はしたんだけど……」
エリアス:
目が焼けるように熱い。動こうとすると身体に激痛が走る。
この声の主が言うことに、残念ながら嘘も間違いもなさそうだ。
エリアス:
「……カミノニワ、とは……?」
ディビア:
「えっとね、」
アルジュナ:
「ディビア! 苑にいるのですか?」
ディビア:
「あ……行かないと。また来るね。ここにはボク以外入れないから安心して。
まだ動いたらダメだよ」
アルジュナ:
「ディビア?」
ディビア:
「はーい」
エリアス:
……行ってしまった。手元の、この感覚は……植物、か。
花畑にでも寝かせられているのか。花の香りがする。鳥の声がする……
私が落ちた死の渓流は、滝ののちに大海へ通ずる流れではなかったか?
ここは一体……? 今日はいつだ。ああ、身体中が激しく痛むくせに、眠……い。
── 間
アルジュナ:
「あの儀式の夜からまだ日も浅いのです。フラフラしないでください、ディビア」
ディビア:
「はーい、アルジュナ」
アルジュナ:
「ん……クサい。また神国のモノで遊んでいるのですか」
ディビア:
「、うん、面白いよ? いろんな仕掛けがあって。
金属もね、ラルウァの加護がないのに純度が高いの。異界の力は帯びてないけど」
アルジュナ:
「まぁ、ディビアの趣味はとても役に立っていますよ。
ヤツらの手の内を知ることができる」
ディビア:
「ねぇアルジュナ?」
アルジュナ:
「?」
ディビア:
「……神国って、ラルウァの加護がないからラルウァが欲しいの?」
アルジュナ:
「……ディビアは、知らなくて良いのです。お話するとしても、もう少し大きくなってから」
ディビア:
「ボク、もうおっきいよ!」
アルジュナ:
「ディビア? ラルウァテラスは空でなくてはなりません。
余計な感情を生まない為です、理解してください。今代の星を堕としたらお話しますよ」
ディビア:
「…………」
アルジュナ:
「全く、星はどこに逃れたのか……」
異界の加護を受ける民はもう、我々のみ。私は最期まで抗わねば。
ラルウァの誇りにかけて。幼いディビアのために。
ディビア:
秘密が、できた。誰にも言えない、秘密。
── 間
── 神苑で
ディビア:
ふぅ。今日で、十日目か……
アルジュナの言う、星。それはたぶん、ココにいる人だ。
汗で濡れた髪が、透けるような肌に張りついていて綺麗で……いつも、ドキドキする。
だ、ダメダメ。変なこと思っちゃ。よし、今日も傷の手当をして、薬草を練って、
熱を冷まして、身体を清めて、果物の汁を飲ませて──
エリアス:
「クッ、う……はぁ、っは……ゼノ……うぐ……ッ」
ディビア:
やっぱり傷の治りは早い。神国の人には、それが負担なのかもしれない。
掠れた声で、汗を浮かばせて、苦しそうに時々うめく。
そっと撫でると少しだけ、眉間がゆるむ。それが嬉しい。
エリアス:
「はぁっ、はぁっ、うぅ……っあ……キミ、は」
ディビア:
「! ボクは」
アルジュナ:
「ディビア」
ディビア:
「……っ、は、はいっ」
アルジュナ:
「? ラルウァテラスの調整を行います。来てください」
ディビア:
「──はい」
エリアス:
「いく、な」
ディビア:(小声)
「ごめんね、眠っていてね……」
エリアス:
包むように握られた手は、冷たいのにとても、とても優しかった。
── 間
── 神国にて
ゼノア:
「意味がわからん」
蝶:
「だァから、ラルウァテラスの子が毎日、甲斐甲斐しく聖下を手当てシてるのよ」
ゼノア:
「信じられるか、そんなこと」
蝶:
「あーごめんなさいねぇ! めちゃくちゃ遠目での確認で!
あれ以上近づいたら灰になりそうだったのよ!」
ゼノア:
「灰ってなぁ……お前の抗魔力でも近づけないのに何故そこで聖下が」
蝶:
「あの場所はかなり特殊なんだわ。恐らくそこにトーチが」
ゼノア:
「む……可能性は大いにある」
蝶:
「というわけで引き続き、対ラルウァ要塞を拠点に偵察するから。アンタは早く身体治しなさいよ」
ゼノア:
「チッ」
蝶:
「今舌打ちしタ?」
ゼノア:
「何のことだ?」
蝶:
「フン。あ、あと聞きたいンだけれど」
ゼノア:
「なんだ」
蝶:
「サカセノウタ、とか、カミノニワ、って教典や伝承とかに出てくる?」
ゼノア:
「いや……聞いたことがない」
蝶:
「動けるようになったら、リハビリがてら調べてくれない?」
ゼノア:
「……いいだろう」
── 蝶、部屋を後にする。
蝶:
ラルウァの伝承は知らない。かと言って、聖典を全て知っている訳でもない。
アタシはとても──中途半端な存在。
── 短い間
ゼノア:(淡々と)
それは、神が火が灯される前のこと。
アルジュナ:(感情豊かに)
遥か、昔のことです。
ゼノア:
この世は、鬼のつくる醜悪な混沌に満ちていました。
アルジュナ:
鬼の気に満ちた、光差さぬ楽園がありました。
ゼノア:
その地を不憫に思ったロダキニャ神は
アルジュナ:
しかしある日、霄冠が一斉に牙を剥きました。
ゼノア:
雉光の幕間から星を降らせ
アルジュナ:
大坤に穴が開き、無惨に裂けて
ゼノア:
海の水で悪しき者を洗い流しました。
アルジュナ:
大洪水が起こり、みな、高台へと逃れるより他ありませんでした。
ゼノア:
神はその後、祓殃の火を世界の五つの端に灯し
アルジュナ:
高台にはそれぞれ發殃の樹が世界を支えており
ゼノア:
白き民にこう告げました。
アルジュナ:
難から逃れた鬼たちは、子らに教えを説きます。
エリアス:
「巡恒を行い、この火を絶やさず守りなさい」
ディビア:
「咲詞を歌い、この樹を絶やさず守りなさい」
エリアス:
「さすれば楽園は紡がれる」
ディビア:
「さすれば楽園は加護を失わぬ」
ゼノア:
「……最後にトーチへ火が灯されたのは千年あまり前だ。
現在までに灯された4つの神殿には、古い黄金の燭台に絶やさぬ炎が焚かれているが……
原初の神話には、灯すべき『トーチ』について、何も言及されていない。
トーチとは──そもそもなんだ?」
アルジュナ:
「さあ、ディビア。胸の墨の修復を」
ディビア:
「はい……!」
アルジュナ:
「布をしっかり咥えて。いきますよ」
ディビア:
「……ッく、ぅ」
アルジュナ:
「大樹よ。異界の鬼神よ。愛し子を繋ぎ、世界を護れ──」
── 間
── ひとつき後
エリアス:
──優しい声は、今日も傍で小鳥のように朗らかに笑う。体中が痛むが、それよりも。
殺伐としていた重責をほぐしてくれる、穏やかな日々。
浸るように、ここでの毎日を享受してしまっていた。
ここはどこか、気配が神殿に似ている。早く、周囲を見てみたい。
その想いを知ってか知らずか、目の治りは遅かった。そうしてひとつきが、過ぎた。
少し冷たい、やわらかな手が私の手を引く。
まだ足元の覚束無《おぼつかな》い私を、導く手。
傷ついた私を来る日も来る日も手当し、励ましていた手。
ディビアと名乗るその子を、私はいつしか……
ディビア:
「じゃあ、目の包帯、取るよ。もう開けられると思う」
エリアス:
「ああ」
── 包帯を取る音
── エリアスの瞳の奥に久方ぶりの光が刺さる
エリアス:
「…………!」
ディビア:
「綺麗でしょう。朝焼けに、透きとおった金の花びらがきらきらするの。
閃く炎みたいでしょ? 包帯が取れたら一番に見せたかったんだ!
この樹を守って、咲かせるのがボクの役目。
でもここには、他のラルウァは入れないんだって。
だからこの景色は、……2人だけの秘密、だね。
……? 気に入らなかった?」
エリアス:
「いいや、本当に……美しい。見蕩れて、息の忘れるほどに」
ディビア:
「ええっ、息して?」
エリアス:
「……して、いるさ」
薄明の空、静かで穏やかな夜明けに、やわらかで無垢な微笑み。
やっとこの目に写すことのできた恩人の姿は、見覚えがあった。
否、忘れようはずもない。『ディビア』と名乗るこの子の正体を、知る。
──鬼の寵児。
「…………ありがとう……ここまで介抱してくれたことに感謝している。
もうどこも、痛むところはない」
ディビア:
「うん、元気になってよかった。ほんとに! だから、帰らないとね……」
エリアス:
「私は──」
ディビア:
「──うん」
エリアス:
「ディビア」
ディビア:
「なぁに?」
── エリアスに恐れや憎しみはなかった。ただ気づけば思うままを話していた。
── しかし、まるく妖しくきらめくディビアの瞳を、直視することは叶わない。
── 短い間
エリアス:
「私は──ロダキニャ神国の教皇、だ。鬼を、許さぬ……ロダキニャ神の代弁者であり、
代行者であり、使徒だ。それが私……だ。誰よりも教えに忠実であらねばならない。
穢れた鬼の気を祓い、人々の心を狂わせるラルウァを殲滅し、
真白き世界へと人々を導かねばならない。
……けれどッ! こんなに純真で罪のない君を……私は!」
ディビア:
「…………」
エリアス:
なぜ、救けた。あんなに手厚く──優しく。
鬼の最たる存在であるはずだろう。どうしてそんなに無垢なんだ。
ふと疑念が湧く。鬼は本当に……醜悪な存在なのか。
しかし聖典への疑いを抱いた瞬間、途方のない自己嫌悪と罪悪感が溢れだした。
心臓から、つないだ手へと、己が黒く黒く穢れてゆく気さえ、する。
いけない、この子まで穢してしまう。
── エリアス、ディビアの手を振り払う。
ディビア:
「あ……」
エリアス:
「はぁっ、はぁっ……! 穢れて、ゆく……私は、この先……ッ!
こんなことでは、私は神に見放され──母国に向ける顔がない。かといって君を……君を、」
私は……君を殺そうとしたんだよ、ディビア。
── 一拍の間
ディビア:
絶望しか写さない瞳。苦しみで歪んだ顔。
ああ、今、この人を狂わせているのは……鬼の気をあてているのは、ボクだ。
── ディビア、無意識にエリアスを抱きよせる。
エリアス:
「ッ? なにを……!」
ディビア:
「ねぇ、名前。……教えて?」
エリアス:
「な、まえ……?」
ディビア:
「そう」
エリアス:
「……エリアス。エリアス・タリ・ケテル・レーシュ」
ディビア:
「エリアス・タリ・ケテル・レーシュ……
長いね。ふふ、……エリアス」
エリアス:
──なんだ? 己の名は、こんな響きだっただろうか?
ディビア:
「エリアス……許せないことは、許さなくていい。
そんなエリアスを、ボクが代わりに赦してあげる。
神様じゃないけれど、全部……赦して、あげる」
エリアス:
「……!」
ディビア:
「苦しまないで……見ていられない」
エリアス:
「な、なぜ」
ディビア:
「…………エリアス」
エリアス:
耳心地の良い声が、名前を呼ぶ。何度も。頭に甘く残る。
ああ、やはりいけない。ラルウァは人を狂わせる。
ディビア:
「ダメだよ。絶望ばかり、苦しみばかり写さないで。
エリアスの瞳には、もっと綺麗なモノを写して欲しい。
月が、ひと巡りしてやっと、また世界を見られるようになったんだから」
エリアス:
「……っディビア……」
エリアス:
っなぜ、ラルウァテラスの名を、こんな声で呼んでいるんだ私は? みっともない!
そんな理性とは裏腹に、その言葉にすがるように……指先が、温もりをまさぐる。
ディビア:
「悩んで、苦しんで、もがいている。使命と【ジブン】の間で。
すごく……愛しいと、ボクは思う。こんなに愛しい存在が、穢れているわけない。
見て? エリアスの涙の雫は、こんなに透明でしょ?」
エリアス:
細い指にのった小さな雫は、天地を真逆に映していた。透き通ったままで。
ディビア:
オトナなのに、迷子のようにボクに縋ってくれる、ひと。
愛しい。その全部を、受け容れてあげたい。そして、ちゃんと──帰してあげなくちゃ。
「大丈夫。エリアスは綺麗だよ。だからちゃんとジブンの国に帰れるからね。
誰に謝らなくても、いいの。悩んで苦しんで出したエリアスの答えなら、
ボクはきっと、どんなものでも赦すよ」
エリアス:
なんて、美しく脆い……この無垢な存在を、守りたい。
いや、違う──そうではない。
……できることなら、己のものにしたい。
この、穢れのないささやきと慈愛に満ちた笑顔が、常に私の隣にあればいい。
……なんという利己的な欲だ……国への背信、教えからの逸脱、教皇らしからぬ、感情。
恋と呼称するには歪んだ想い。逃れようとするほど、しがらみのように首を絞めてくる。
「──ッ……は、はは……こんな想いは、いっそ……」
── 間
ゼノア:
「聖下! ご無事の帰還、お待ち申し上げておりました」
エリアス:
「──ああ。ゼノア、留守中はよくやってくれた。傷はもう良いのか」
蝶:
「この通りピンピンですよ、ねぇ?」
ゼノア:
「お前が答えるな。ご心配お掛けしました。お疲れのところ恐れ入ります。
さっそくなのですが……」
── エリアス、人払いをし、執務室に通る。
エリアス:
「……述べよ」
ゼノア:
「……蝶の報告では、他のラルウァが入れぬ、特殊な場所で、ラルウァテラスに……
手当を、受けていたと」
エリアス:
「……真実だ」
ゼノア:
「……何故、討たなかったのです……」
エリアス:
「──恩を受けてその場で討つなど、聖戦とは、言い難い──」
ゼノア:
「神国の騎士たちに、犠牲を強いても、ですか」
エリアス:
「…………」
ゼノア:
「ロダキニャ神は、神国はラルウァを決して許しません。
何代に渡って犠牲を払ってきたと?
この代で、私たちの代で必ず白にすると仰っていたのは聖下です!
私も、もちろんその志だけで! 生きてきました!」
エリアス:
「分かって……いる」
ゼノア:
「軍神と称される……誇りにかけて……」
蝶:
「アンタそんな顔できるのね、ゼノア」
ゼノア:
「蝶……茶化すな」
蝶:
「んもう。聖下もゼノアも自分のコトばっかり。
なら出血大サービスで、アタシもひとつ投下するワ」
ゼノア:
「お前は! いい加減に」
蝶:
「アタシは、……私は、ラルウァとの混血です」
エリアス:
「…………!」
ゼノア:
「……? は、」
蝶:
「…………」
ゼノア:
真剣で蒼白な顔つきを見ればわかる。つまり抗魔力が高いというわけではなく……
「貴様……」
蝶:
「あの日、聖下に拾われていなければ、もっと幼い頃に命を落としていた。
たとえトーチが灯されてこの身が焼かれようと。
同胞や、生きているかも分からない親族が、滅ぼうとも。
知識も思い出も感情も、全てアナタからいただいた。私は聖下のもとで戦い続けます」
ゼノア:
「……ふん。コイツの方がよほど、覚悟を決めている。
親友として、言わせていただく。……教皇、エリアス」
エリアス:
「…………」
ゼノア:
「一時の己の感情と、この地の統一と多くの人々の安寧。
教皇として何をとるべきか、秤にかけるまでもないだろう。それを!
穢れた鬼の最たる存在になど……!」
エリアス:
「ゼノア……これは、時間や禊で、消えてゆくような感情では──」
ゼノア:(さえぎって)
「正気に戻れ。鬼の気にあてられている。禊の支度を……して参ります。
それから、蝶」
蝶:
「──今後の身の振り方なんて、分かっていルわ」
── ドアの閉まる音。二人の背中に迷いはない。
── 一人残されたエリアス
エリアス:
「次会うとき……私は覚悟が、できるだろうか……」
── 窓の外、鬼の気の及ばぬ空は、突き抜けるような明青色。
エリアス:
「あちらの空は、霞んで……暗かったな。
あの樹と朝日が、よく映えた。
……そう、それだけのことだ。
そうに、違いない……ちがい、ない。そうでなければ私は──」
── 間
── 背後には要塞
ゼノア:
「聖下!」
蝶:
「……聖下」
エリアス:
「……これより……巡恒を……実行する」
もしかしたら、君と肩を並べられる日が、来るのでは、と。
正反対の極地にいるもの同士が手を取ることで、新しい時代が拓けるのでは。
私たちの縁と、芽生えた想いが、世界にとって意味のあるものになるのでは。
聖典術を駆使すれば共栄ができるのでは、と。
──そんな夢のような光景は、夢でしかなかった。圧倒的な、宗教社会と世論の前では。
蝶:
「聖下! ゼノア! この先です! この先にトーチが!」
アルジュナ:
「クソッ……待て! 神域に、入れさせるかァァ!」
ゼノア:
「蝶! 任せたぞ」
蝶:
任せて、くれるのね。
ゼノア:
「──」
アルジュナ:
「キサマァ……交じり者か……先代の落胤、裏切り者めが」
蝶:
「──私の血が何者でも関係ない。影のこの身の、尽きるまで」
アルジュナ:
「チッ……ディビア! 逃げなさい!」
── 短い間
ディビア:
「……おかえりなさい、エリアス」
ゼノア:
「ラルウァテラス!」
ディビア:
「こんにちは。ロダキニャ神国の騎士さん。
そう、ボクは……鬼の加護を最も受ける、ラルウァの王」
エリアス:
「……ディビア……」
ディビア:
「この樹を、あなた方の言うトーチを護る、鬼の寵児」
ゼノア:
「……違うな」
エリアス:
「ゼノア?」
ゼノア:
「聖下がお戻りになるまで、現存するトーチを調べさせていただきました。
その結果を、聖下が知っているのかどうか、私には分かりませんが」
エリアス:
「……ゼノア!? トーチの調査は教皇以外……」
ディビア:
「…………」
ゼノア:
「黄金のトーチの中は……樹の紋章の墨の入った、ボロ皮だった。
恐らく、ラルウァテラスの……皮膚。それをあの樹の太枝に巻き付け」
エリアス:
「──ッ」
ゼノア:
「死してなお、鬼の気を発するのをやめない、その心臓を……
ラルウァテラスの血液を、原初の聖典術で、燃やし続ける」
エリアス:
「う、……」
ゼノア:
「…………その様子、やはり知っていたんだな」
エリアス:
「なぜ……ここで、敢えて告げる……」
── 仮面をつけたディビアの表情は、誰にもわからない。
ディビア:
『……カウガネヲイ エンハノ ケダ ラマサキ』
『カムバコヲ ゴカノニオォ!』
ゼノア:
「ラルウァテラスッ!」
エリアス:
「クッ、ディビ、ア…………ゼノアは樹を! っ切り……倒せ」
ゼノア:
「御意」
ディビア:
『ナルレ フニレワ』
エリアス:
「ゼノア! 後ろだ!」
ゼノア:
「くぅっ! ハァッ」
ディビア:
『ウォツハヤ セカサ』
ゼノア:
「グ、がァァァあ! く、ッぐう……ッ!」
── 黒い影と騎士がぶつかり合う。
── 空間におびただしく拡がる、魔の気配。
エリアス:
ディビア。ディビア──すまない。
「第零級 聖典術。雉光」
── 間
蝶:
「ハァッはっ、あ……え、うそでしょ……どんどん、鬼の気が、身体から消えてゆく」
アルジュナ:
「! あ、ああ……ディビア!?」
蝶:
「待ちなさい!」
アルジュナ:
初めて入る神苑。あんなに入ってみたかった場所は……
しかし入れてしまうということは、もう。
「ディ、ディビ、ア」
ディビア:
「……ジュ、ナ……」
アルジュナ:
「……ああ、鬼よ、最後の愛し子が……! そんな……!
渡す、ものか。トーチになど、されて、たまるか」
ゼノア:
「ハァッ、ハァッ、反乱分子の頭となりうる首長は、摘み取らねば──」
エリアス:
「待て、ゼノ」
アルジュナ:
「!」
ゼノア:
「貴様に、何人の騎士たちが犠牲に、なったか」
アルジュナ:
「こちらこそ……貴様らのとち狂った紛いだらけの伝承に、
幾度、馬鹿げた被害を被ったか」
ゼノア:
「オアアアア」
アルジュナ:
「ハアアアァッ」
エリアス:
「ゼノ! ゼノア! いい、ラルウァテラスさえ」
アルジュナ:
鬼の加護が切れかけているのか、チカラが入らない。
こんな、瀬戸際で──
アルジュナ:
「ッラァァァ!」
ゼノア:
「ガァァア!」
アルジュナ:
「──ご、ふ」
── ゼノア、アルジュナの首を大剣で斬る。
── 血飛沫が、幻想的な花畑に散る。
エリアス:
「…………っ」
ゼノア:
「あ、アハハハハハ、成った──これで──これで」
蝶:
「ゼノア……?」
エリアス:
「だめだ、至近距離で、鬼の気を浴びすぎている」
ゼノア:
「蝶。お前も私が、送ってやる」
── 暗転
アルジュナ:
──ディビア
ディビア:
──アル、ジュナ?
アルジュナ:
立って。まだ樹は生きている。あなただけでも、異界へ逃げなさい。
ディビア:
他の、みんなは? ボクだけ、なの? アルジュナは?
アルジュナ:
他のラルウァのことは、心配しないで下さい。時間が無いのです。
こうやって話せるのも、少しの間だけ。
ディビア:
異界──あの、暗いところ──? こわい──
アルジュナ:
ラルウァテラスのあなたなら、大丈夫──
ディビア:
やだ、いやだ。怖い。ひとりはやだぁ……
アルジュナ:
行かなければディビアは、切り刻まれてしまうのですよ。
ディビア:
知ってる、聞いた。身震いするほど怖かった……けど。
皆のいない暗い世界で、生きるより、ボクは。
ボクの、大好きな世界で。あの、樹のように。エリアスに焼かれつづける……
「炎に、なりたい……」
蝶:
「ヒッ────」
エリアス:
「──ディビ、ア」
ゼノア:
「……あ……?」
── ゼノアが蝶へ、振り下ろした剣を受けたのは
── 庇うように飛び込んだディビアの小柄な身体だった。
エリアス:
「ゼノア……しばらく、眠っていろ」
ゼノア:
「ガッ……」
蝶:
「ラルウァテラスが、私を庇った? どうして」
エリアス:
「……ディビア。……聞こえるかい。面を……とるよ」
ディビア:
「…………」
ディビア:
「エリ、アス
つらく、して、ごめん
ボク、を、キミで、燃やし、て」
エリアス:
──痛いだろう。無念だろう。この子はまだ幼い。それなのに君は。
真っ先に、人の心配事か。この小さな口から言わせる願いが、これか。
私はこの愛しい存在に、何ができる。
── 短い間
エリアス:
「……君の一族は、生き残る、はずだ……投降する者は必ず、
最後の一人まで、手厚い……同化政策を行う。必ず丁重に……クッう……
……それから、これから君を痛くないように……処置を、する。
君の、他の……ほか、の部位っ、は……、丁寧に、ここへ葬ると……ッ約束する……」
── ディビアの目元が少しだけ緩む。
── そして、動かなくなった。
エリアス:
「っ……なにひとつ……返せていない……」
蝶:
焦がれる理想を、想いを、伝えることも、実現することもせず。
感じた一瞬のぬくもりを。もう見ることの叶わぬ笑顔と、
もう二度と聞くことのできない、自分の名を呼ぶ声を、胸にしまい込んで。
その無力感は、生涯、彼の身を焼くのだろう。
エリアス:
「本当に……っ、呪いだ、こんなものは……」
蝶:
星合いの夜、物語は交わることなく。癒えることのない深い傷を遺す。
ゼノア:
こらえ続けた涙は、一筋だけ、罪を洗い流すかのように。
アルジュナ:
しかしそれは地を濡らす前に砕けて、風にさらわれて。
ディビア:
もう戻ることのない人、そのものだった。
── 間
── (終幕)
◆◇読んでも読まなくても◇◆
蝶:
それは、遥か昔のことです。
この世は異界のエネルギーに満ち、だれもが魔法を使っていました。
しかし、雉光の眩しい、ある夜。
霄冠 が一斉に大坤に降り注ぎ
大洪水が起こります。
生き延びた者はみな、高台へと逃れるより他ありませんでした。
ディビア:
高台には、燃える炎のような、美しい樹が植わっていました。
樹の名前はロダキニャ。
異界からエネルギーを汲み上げ、また消費しながら、
眩く美しく咲く植物でした。
この樹の周囲は、異界のエネルギーが激しく消費され
限られた者しか立ち入ることができません。
アルジュナ:
ロダキニャの樹はいつしか聖域となり、祀るものたちは、
この炎のような花を、絶やすことなく守ろう。
手を取り合い、この世界で生きていこう。
楽園を紡いでいこう。そう誓って生きていたのです。
ゼノア:
けれど次第に、薄まってしまった異界のエネルギーを
身体が受けつけず、適応できない者たちが現れ始めました。
異界のエネルギーを打ち消すチカラを持って生まれたのです。
彼らは迫害され、逃れてやがて、水上都市を築きます。
エリアス:
やがて彼らは、樹のそばで特殊なチカラをつかって独特の文明を発展させてゆく者たちを
「鬼」と呼びはじめ、羨み妬み憎悪し、そして──
そしてすべてをこの日、狩り尽くしてしまいました。
── (終演)
『愛という言葉を使わずに愛していると示す』
ぎぃ(薙介)様より素敵な言葉とシチュエーションの雰囲気一部をお借りしました。
虚空へとそれを呟いたのは、誰よりもその想いに相応しくない者だった。
※結末などシナリオの流れ変更 ×
※語尾アレンジ、一人称変更 ×
※人数変更、男女変更 〇
※軽微アドリブ 〇
『鬼の寵児と永劫の火』
──おにのちょうごとえいごうのひ──
作 / 鳳月 眠人
◆◇登場人物(男女自由)◇◆
ディビア:
異界の存在の加護を受けた依り代。無垢で優しい性格。
鬼の寵児、ラルウァテラス。
アルジュナ:
ディビアの後見人で、年の離れた姉または兄。
ディビアの護衛を兼ねる。ラルウァの民の若き首長。わりと苛烈。
エリアス:
ラルウァの民を絶対悪とするロダキニャ神国の教皇聖下。
ディビアの優しさに触れ、苦悩する。
ゼノア:
エリアスに忠義を尽くす神国の騎士。軍神とも称される家柄。
ラルウァ殲滅を使命とする。真面目。カタブツ。
蝶:
エリアスに忠義を尽くす影(スパイ)。ラルウァの混血であることは誰にも明かしていない。
男性がやるときはオネェでお願いします。
◆◇ここより台本◇◆
── 短い間(三秒)
蝶:
暦積は残酷に。
人々の思惑を、利害を、感情を経て、歪んでゆく。
── 間
── 人々の怒号。遠雷の轟。
── 鬱蒼とした森の中。
アルジュナ:
「1人として逃すな! 包囲を固めて射つづけろ!」
ゼノア:
「怯むな! 総大将は目の前だ! 永き戦いを今、終わらせるのだと思え!」
蝶:
「聖下だけでも、ッ、先にお逃げください!」
エリアス:
「馬鹿な! この状況で皆を捨て置けるはずがない。
全軍、応戦しつつ後退せよ! 道をひらく。光の加護よ──」
アルジュナ:
「そうはさせるか、橋を狙え!」
ディビア:
『スヴツヲォリ カヒクェメ シヒ……』
ゼノア:
「チッ、なんという、禍々しいチカラ……」
アルジュナ:
「撃て!」
蝶:
「攻撃で橋が落ちて……聖下!?」
ゼノア:
背後の道はやられて、前にはラルウァテラスとラルウァの軍勢。
聖下は? まさか、橋の崩落に巻き込まれたのか!
蝶:
マズイ! ラルウァたちの弓矢が、聖下に!
エリアス:
「う、ッぐ……」
アルジュナ:
「好機。星を討ち取れ、カタキを取れ!
此度も我々の勝利だ!」
エリアス:
「ゼノア! 隊を立て直し退きゃ、ッく……」
ゼノア:
「できかねます! 今助けにッ」
エリアス:
「なに、私は少し先に……休息をとる、だけだ。ゼノア、」
── 掴んでいた橋片から、手が滑ってゆく。
エリアス:
「必ずっ戻る……!」
ゼノア:
「、聖下ァア!」
蝶:
「アタシが行くわ。アンタは隊を」
ゼノア:
「下はッ! 流れの速い死の渓流だ! 加えてこの高さ……!」
蝶:
「あのお方はこんなところで死なない。死なせない」
ゼノア:
「蝶!」
── 渓谷の闇に蝶はひらりと降りた。
アルジュナ:
「ッ、星は落ちたか。リッズ班は追撃しろ!
首を取って……ラルウァテラス様!?」
ディビア:
『…………タイスガ カナオゥ……』
── 教皇と蝶を追うように、小さな黒い影が谷底へ落ちる。
アルジュナ:
鬼興の最中の襲撃だった……
ディビアは、不完全なラルウァテラスになった可能性がある。
だからといって、みずから星を追うなど……
ゼノア:
「これを撃って生き残れるか、微妙だな。──闇を散らせ、魔を滅せ」
アルジュナ:
「しつこいな……」
ゼノア:
「光芒よ、穿ち、導け!」
アルジュナ:
「! 一級聖典だ、伏せろ!」
── 短い間
蝶:
谷底が明るい。かなり深さがあるのに。ゼノアが高位の聖典術でも使ったのかしら。
「照明、アリガト。生きてなさいよね」
早く聖下を探さなければ。どうかご無事で……この流れは最終的に海へ出てしまう。
そこまでに見つけ出さないと……
──ッ(息を飲む)
── 蝶の眼下少し離れたところで、水しぶきの音
ディビア:
『ウソシ イオイオニイィ』
蝶:
ラルウァテラス……! いつの間に。
渓谷の激流の中に、濃く揺らめく闇が平然と立っている。
四肢をだらりとさせた聖下を、抱き上げている。
ディビア:
『…………』
蝶:ッどこへ行くの?
後を追いかけなければ。勘づかれないように……!
しばらくして、岩場に腰を下ろした闇は、大きな口をガパリと開けた。
聖下を食べる、気? 止めなければ! けど勝てる? 一人で?
ラルウァテラスを相手に? 混血の……アタシが?
聖典術も使えないのに──
絶望に塗りつぶされるためらいは一瞬。
その一瞬の内に、ラルウァテラスの闇は、砂埃のように散っていった。
中から出てきたのは更にひと回り小柄な、ラルウァの子。
さっき仕留め損ねた、鬼の寵児。
ディビア:
「っ、え……うわ! あーあ。えっ、どうしよ、どうしよう……」
蝶:
ん……? なんかおろおろし始めたわね。
今ならもしかすると穏便に、聖下を奪い返せるんじゃナイ?
距離を詰めて声を、出さなければ。初めて話しかける、ラルウァの民。
ラルウァとの混血であるアタシの、半分……同胞。
「……ぁ」
ディビア:
「そうだ、神苑なら……」
蝶:
ダメよ……ワナかもしれない。ラルウァの増援も来るかも。
確実に、聖下の安全を確保できるチャンスを待つほうが、ココは賢明。
どこまで、っ行くの、かしら……!
ディビア:
渓谷を、流れに逆らって進むと、どんどん幅が狭くなる。
激流を脇目に跳ねて、跳ねて、岩壁の中頃。小さな横穴。
「よいっしょ……通るかな……あ、ダメだ。引きずらなきゃ。
んん、ん、よっ、んっしょ、んっしょ」
蝶:
あんな、所に……横穴? 偵察の時は気づかなかったわ……
── 間
── 教皇の記憶の中
エリアス:
夢……か? 戦に出る前の……
ゼノア:
「奇襲、ですか」
エリアス:
「ああ。抗魔力の高い蝶のお陰で、
今まで近づくことすら難かしかったラルウァ集落の地図が、ほぼ完成した」
ゼノア:
「これは……すごい。すごい偉業ですよ、聖下」
蝶:
「もっと褒めなさい? ゼノア」
ゼノア:
「やるときは! やるのだな! お前!」
蝶:
「釈然としない褒め方だワ」
ゼノア:
「はーっ、なるほど、こうなって……
ああ、ここは五十九代の戦役跡ですね……」
蝶:
「狙うのは、ラルウァの地で鬼の気が最も弱まる、数十年に一度の日。
鬼の寵児の、儀式の日よ」
エリアス:
「その祭事中。今代の鬼の寵児が完全なるラルウァテラスになる前に、
少数精鋭にて叩く。こことここに二師団、陽動を配置する。敵数はおよそ千だ」
ゼノア:
「……千か。導線の悪いこの地形で、向こうも全軍を出すことはないでしょうが」
エリアス:
「ああ、消耗戦はできない。短期決戦の奇襲だ。
最終目標はトーチの点火だが、そのトーチは……
蝶を持ってしても、ありかが特定できなかった。厳重に隠されているようだ」
蝶:
「…………」
ゼノア:
「ラルウァの地のどこかにある、トーチさえ灯せば」
エリアス:
「ラルウァによって消された火を戻せば、ロダキニャ神の加護により、すべての魔は滅される」
エリアス:
「必ず! 必ずや、私の代でこの地をすべて白にする……
神の教えを成し遂げる。ラルウァテラスを討つことはその一歩と……蝶? どうした?」
蝶:
「いえ、武者震いです。……聖下のご意向のままに、影のこの身はどこまでも」
ゼノア:
「聖下のご威光のままに、剣の我が身は果てまでも」
エリアス:
二人の顔が霞みゆく。まだ、まだ私は、何も成していない。こんなところで……
── 短い間
ディビア:(適当な節にのせて小さめの声で)
「……ひらけーひらけーささげや咲詞……ふんふーんふんふんふー」
エリアス:
なんだ……? う、た……?
ディビア:
「……ぁ、起きた? ああ、だめだめ。傷だらけなんだから。
所々、骨も折れてると思う。まだそのままでいて?」
エリアス:
しゃらん、という装身具の音とともに、誰かの声が振り向いて、駆け寄ってきた。
閉じたまぶたに明るさを感じる。しかし目を、開けられない……
「ここ、は……」
ディビア:
「ここは、神苑。といっても、目に包帯巻いてるから、見えないよね。
たくさん、カケラが入っちゃってたみたい。できる手当はしたんだけど……」
エリアス:
目が焼けるように熱い。動こうとすると身体に激痛が走る。
この声の主が言うことに、残念ながら嘘も間違いもなさそうだ。
エリアス:
「……カミノニワ、とは……?」
ディビア:
「えっとね、」
アルジュナ:
「ディビア! 苑にいるのですか?」
ディビア:
「あ……行かないと。また来るね。ここにはボク以外入れないから安心して。
まだ動いたらダメだよ」
アルジュナ:
「ディビア?」
ディビア:
「はーい」
エリアス:
……行ってしまった。手元の、この感覚は……植物、か。
花畑にでも寝かせられているのか。花の香りがする。鳥の声がする……
私が落ちた死の渓流は、滝ののちに大海へ通ずる流れではなかったか?
ここは一体……? 今日はいつだ。ああ、身体中が激しく痛むくせに、眠……い。
── 間
アルジュナ:
「あの儀式の夜からまだ日も浅いのです。フラフラしないでください、ディビア」
ディビア:
「はーい、アルジュナ」
アルジュナ:
「ん……クサい。また神国のモノで遊んでいるのですか」
ディビア:
「、うん、面白いよ? いろんな仕掛けがあって。
金属もね、ラルウァの加護がないのに純度が高いの。異界の力は帯びてないけど」
アルジュナ:
「まぁ、ディビアの趣味はとても役に立っていますよ。
ヤツらの手の内を知ることができる」
ディビア:
「ねぇアルジュナ?」
アルジュナ:
「?」
ディビア:
「……神国って、ラルウァの加護がないからラルウァが欲しいの?」
アルジュナ:
「……ディビアは、知らなくて良いのです。お話するとしても、もう少し大きくなってから」
ディビア:
「ボク、もうおっきいよ!」
アルジュナ:
「ディビア? ラルウァテラスは空でなくてはなりません。
余計な感情を生まない為です、理解してください。今代の星を堕としたらお話しますよ」
ディビア:
「…………」
アルジュナ:
「全く、星はどこに逃れたのか……」
異界の加護を受ける民はもう、我々のみ。私は最期まで抗わねば。
ラルウァの誇りにかけて。幼いディビアのために。
ディビア:
秘密が、できた。誰にも言えない、秘密。
── 間
── 神苑で
ディビア:
ふぅ。今日で、十日目か……
アルジュナの言う、星。それはたぶん、ココにいる人だ。
汗で濡れた髪が、透けるような肌に張りついていて綺麗で……いつも、ドキドキする。
だ、ダメダメ。変なこと思っちゃ。よし、今日も傷の手当をして、薬草を練って、
熱を冷まして、身体を清めて、果物の汁を飲ませて──
エリアス:
「クッ、う……はぁ、っは……ゼノ……うぐ……ッ」
ディビア:
やっぱり傷の治りは早い。神国の人には、それが負担なのかもしれない。
掠れた声で、汗を浮かばせて、苦しそうに時々うめく。
そっと撫でると少しだけ、眉間がゆるむ。それが嬉しい。
エリアス:
「はぁっ、はぁっ、うぅ……っあ……キミ、は」
ディビア:
「! ボクは」
アルジュナ:
「ディビア」
ディビア:
「……っ、は、はいっ」
アルジュナ:
「? ラルウァテラスの調整を行います。来てください」
ディビア:
「──はい」
エリアス:
「いく、な」
ディビア:(小声)
「ごめんね、眠っていてね……」
エリアス:
包むように握られた手は、冷たいのにとても、とても優しかった。
── 間
── 神国にて
ゼノア:
「意味がわからん」
蝶:
「だァから、ラルウァテラスの子が毎日、甲斐甲斐しく聖下を手当てシてるのよ」
ゼノア:
「信じられるか、そんなこと」
蝶:
「あーごめんなさいねぇ! めちゃくちゃ遠目での確認で!
あれ以上近づいたら灰になりそうだったのよ!」
ゼノア:
「灰ってなぁ……お前の抗魔力でも近づけないのに何故そこで聖下が」
蝶:
「あの場所はかなり特殊なんだわ。恐らくそこにトーチが」
ゼノア:
「む……可能性は大いにある」
蝶:
「というわけで引き続き、対ラルウァ要塞を拠点に偵察するから。アンタは早く身体治しなさいよ」
ゼノア:
「チッ」
蝶:
「今舌打ちしタ?」
ゼノア:
「何のことだ?」
蝶:
「フン。あ、あと聞きたいンだけれど」
ゼノア:
「なんだ」
蝶:
「サカセノウタ、とか、カミノニワ、って教典や伝承とかに出てくる?」
ゼノア:
「いや……聞いたことがない」
蝶:
「動けるようになったら、リハビリがてら調べてくれない?」
ゼノア:
「……いいだろう」
── 蝶、部屋を後にする。
蝶:
ラルウァの伝承は知らない。かと言って、聖典を全て知っている訳でもない。
アタシはとても──中途半端な存在。
── 短い間
ゼノア:(淡々と)
それは、神が火が灯される前のこと。
アルジュナ:(感情豊かに)
遥か、昔のことです。
ゼノア:
この世は、鬼のつくる醜悪な混沌に満ちていました。
アルジュナ:
鬼の気に満ちた、光差さぬ楽園がありました。
ゼノア:
その地を不憫に思ったロダキニャ神は
アルジュナ:
しかしある日、霄冠が一斉に牙を剥きました。
ゼノア:
雉光の幕間から星を降らせ
アルジュナ:
大坤に穴が開き、無惨に裂けて
ゼノア:
海の水で悪しき者を洗い流しました。
アルジュナ:
大洪水が起こり、みな、高台へと逃れるより他ありませんでした。
ゼノア:
神はその後、祓殃の火を世界の五つの端に灯し
アルジュナ:
高台にはそれぞれ發殃の樹が世界を支えており
ゼノア:
白き民にこう告げました。
アルジュナ:
難から逃れた鬼たちは、子らに教えを説きます。
エリアス:
「巡恒を行い、この火を絶やさず守りなさい」
ディビア:
「咲詞を歌い、この樹を絶やさず守りなさい」
エリアス:
「さすれば楽園は紡がれる」
ディビア:
「さすれば楽園は加護を失わぬ」
ゼノア:
「……最後にトーチへ火が灯されたのは千年あまり前だ。
現在までに灯された4つの神殿には、古い黄金の燭台に絶やさぬ炎が焚かれているが……
原初の神話には、灯すべき『トーチ』について、何も言及されていない。
トーチとは──そもそもなんだ?」
アルジュナ:
「さあ、ディビア。胸の墨の修復を」
ディビア:
「はい……!」
アルジュナ:
「布をしっかり咥えて。いきますよ」
ディビア:
「……ッく、ぅ」
アルジュナ:
「大樹よ。異界の鬼神よ。愛し子を繋ぎ、世界を護れ──」
── 間
── ひとつき後
エリアス:
──優しい声は、今日も傍で小鳥のように朗らかに笑う。体中が痛むが、それよりも。
殺伐としていた重責をほぐしてくれる、穏やかな日々。
浸るように、ここでの毎日を享受してしまっていた。
ここはどこか、気配が神殿に似ている。早く、周囲を見てみたい。
その想いを知ってか知らずか、目の治りは遅かった。そうしてひとつきが、過ぎた。
少し冷たい、やわらかな手が私の手を引く。
まだ足元の覚束無《おぼつかな》い私を、導く手。
傷ついた私を来る日も来る日も手当し、励ましていた手。
ディビアと名乗るその子を、私はいつしか……
ディビア:
「じゃあ、目の包帯、取るよ。もう開けられると思う」
エリアス:
「ああ」
── 包帯を取る音
── エリアスの瞳の奥に久方ぶりの光が刺さる
エリアス:
「…………!」
ディビア:
「綺麗でしょう。朝焼けに、透きとおった金の花びらがきらきらするの。
閃く炎みたいでしょ? 包帯が取れたら一番に見せたかったんだ!
この樹を守って、咲かせるのがボクの役目。
でもここには、他のラルウァは入れないんだって。
だからこの景色は、……2人だけの秘密、だね。
……? 気に入らなかった?」
エリアス:
「いいや、本当に……美しい。見蕩れて、息の忘れるほどに」
ディビア:
「ええっ、息して?」
エリアス:
「……して、いるさ」
薄明の空、静かで穏やかな夜明けに、やわらかで無垢な微笑み。
やっとこの目に写すことのできた恩人の姿は、見覚えがあった。
否、忘れようはずもない。『ディビア』と名乗るこの子の正体を、知る。
──鬼の寵児。
「…………ありがとう……ここまで介抱してくれたことに感謝している。
もうどこも、痛むところはない」
ディビア:
「うん、元気になってよかった。ほんとに! だから、帰らないとね……」
エリアス:
「私は──」
ディビア:
「──うん」
エリアス:
「ディビア」
ディビア:
「なぁに?」
── エリアスに恐れや憎しみはなかった。ただ気づけば思うままを話していた。
── しかし、まるく妖しくきらめくディビアの瞳を、直視することは叶わない。
── 短い間
エリアス:
「私は──ロダキニャ神国の教皇、だ。鬼を、許さぬ……ロダキニャ神の代弁者であり、
代行者であり、使徒だ。それが私……だ。誰よりも教えに忠実であらねばならない。
穢れた鬼の気を祓い、人々の心を狂わせるラルウァを殲滅し、
真白き世界へと人々を導かねばならない。
……けれどッ! こんなに純真で罪のない君を……私は!」
ディビア:
「…………」
エリアス:
なぜ、救けた。あんなに手厚く──優しく。
鬼の最たる存在であるはずだろう。どうしてそんなに無垢なんだ。
ふと疑念が湧く。鬼は本当に……醜悪な存在なのか。
しかし聖典への疑いを抱いた瞬間、途方のない自己嫌悪と罪悪感が溢れだした。
心臓から、つないだ手へと、己が黒く黒く穢れてゆく気さえ、する。
いけない、この子まで穢してしまう。
── エリアス、ディビアの手を振り払う。
ディビア:
「あ……」
エリアス:
「はぁっ、はぁっ……! 穢れて、ゆく……私は、この先……ッ!
こんなことでは、私は神に見放され──母国に向ける顔がない。かといって君を……君を、」
私は……君を殺そうとしたんだよ、ディビア。
── 一拍の間
ディビア:
絶望しか写さない瞳。苦しみで歪んだ顔。
ああ、今、この人を狂わせているのは……鬼の気をあてているのは、ボクだ。
── ディビア、無意識にエリアスを抱きよせる。
エリアス:
「ッ? なにを……!」
ディビア:
「ねぇ、名前。……教えて?」
エリアス:
「な、まえ……?」
ディビア:
「そう」
エリアス:
「……エリアス。エリアス・タリ・ケテル・レーシュ」
ディビア:
「エリアス・タリ・ケテル・レーシュ……
長いね。ふふ、……エリアス」
エリアス:
──なんだ? 己の名は、こんな響きだっただろうか?
ディビア:
「エリアス……許せないことは、許さなくていい。
そんなエリアスを、ボクが代わりに赦してあげる。
神様じゃないけれど、全部……赦して、あげる」
エリアス:
「……!」
ディビア:
「苦しまないで……見ていられない」
エリアス:
「な、なぜ」
ディビア:
「…………エリアス」
エリアス:
耳心地の良い声が、名前を呼ぶ。何度も。頭に甘く残る。
ああ、やはりいけない。ラルウァは人を狂わせる。
ディビア:
「ダメだよ。絶望ばかり、苦しみばかり写さないで。
エリアスの瞳には、もっと綺麗なモノを写して欲しい。
月が、ひと巡りしてやっと、また世界を見られるようになったんだから」
エリアス:
「……っディビア……」
エリアス:
っなぜ、ラルウァテラスの名を、こんな声で呼んでいるんだ私は? みっともない!
そんな理性とは裏腹に、その言葉にすがるように……指先が、温もりをまさぐる。
ディビア:
「悩んで、苦しんで、もがいている。使命と【ジブン】の間で。
すごく……愛しいと、ボクは思う。こんなに愛しい存在が、穢れているわけない。
見て? エリアスの涙の雫は、こんなに透明でしょ?」
エリアス:
細い指にのった小さな雫は、天地を真逆に映していた。透き通ったままで。
ディビア:
オトナなのに、迷子のようにボクに縋ってくれる、ひと。
愛しい。その全部を、受け容れてあげたい。そして、ちゃんと──帰してあげなくちゃ。
「大丈夫。エリアスは綺麗だよ。だからちゃんとジブンの国に帰れるからね。
誰に謝らなくても、いいの。悩んで苦しんで出したエリアスの答えなら、
ボクはきっと、どんなものでも赦すよ」
エリアス:
なんて、美しく脆い……この無垢な存在を、守りたい。
いや、違う──そうではない。
……できることなら、己のものにしたい。
この、穢れのないささやきと慈愛に満ちた笑顔が、常に私の隣にあればいい。
……なんという利己的な欲だ……国への背信、教えからの逸脱、教皇らしからぬ、感情。
恋と呼称するには歪んだ想い。逃れようとするほど、しがらみのように首を絞めてくる。
「──ッ……は、はは……こんな想いは、いっそ……」
── 間
ゼノア:
「聖下! ご無事の帰還、お待ち申し上げておりました」
エリアス:
「──ああ。ゼノア、留守中はよくやってくれた。傷はもう良いのか」
蝶:
「この通りピンピンですよ、ねぇ?」
ゼノア:
「お前が答えるな。ご心配お掛けしました。お疲れのところ恐れ入ります。
さっそくなのですが……」
── エリアス、人払いをし、執務室に通る。
エリアス:
「……述べよ」
ゼノア:
「……蝶の報告では、他のラルウァが入れぬ、特殊な場所で、ラルウァテラスに……
手当を、受けていたと」
エリアス:
「……真実だ」
ゼノア:
「……何故、討たなかったのです……」
エリアス:
「──恩を受けてその場で討つなど、聖戦とは、言い難い──」
ゼノア:
「神国の騎士たちに、犠牲を強いても、ですか」
エリアス:
「…………」
ゼノア:
「ロダキニャ神は、神国はラルウァを決して許しません。
何代に渡って犠牲を払ってきたと?
この代で、私たちの代で必ず白にすると仰っていたのは聖下です!
私も、もちろんその志だけで! 生きてきました!」
エリアス:
「分かって……いる」
ゼノア:
「軍神と称される……誇りにかけて……」
蝶:
「アンタそんな顔できるのね、ゼノア」
ゼノア:
「蝶……茶化すな」
蝶:
「んもう。聖下もゼノアも自分のコトばっかり。
なら出血大サービスで、アタシもひとつ投下するワ」
ゼノア:
「お前は! いい加減に」
蝶:
「アタシは、……私は、ラルウァとの混血です」
エリアス:
「…………!」
ゼノア:
「……? は、」
蝶:
「…………」
ゼノア:
真剣で蒼白な顔つきを見ればわかる。つまり抗魔力が高いというわけではなく……
「貴様……」
蝶:
「あの日、聖下に拾われていなければ、もっと幼い頃に命を落としていた。
たとえトーチが灯されてこの身が焼かれようと。
同胞や、生きているかも分からない親族が、滅ぼうとも。
知識も思い出も感情も、全てアナタからいただいた。私は聖下のもとで戦い続けます」
ゼノア:
「……ふん。コイツの方がよほど、覚悟を決めている。
親友として、言わせていただく。……教皇、エリアス」
エリアス:
「…………」
ゼノア:
「一時の己の感情と、この地の統一と多くの人々の安寧。
教皇として何をとるべきか、秤にかけるまでもないだろう。それを!
穢れた鬼の最たる存在になど……!」
エリアス:
「ゼノア……これは、時間や禊で、消えてゆくような感情では──」
ゼノア:(さえぎって)
「正気に戻れ。鬼の気にあてられている。禊の支度を……して参ります。
それから、蝶」
蝶:
「──今後の身の振り方なんて、分かっていルわ」
── ドアの閉まる音。二人の背中に迷いはない。
── 一人残されたエリアス
エリアス:
「次会うとき……私は覚悟が、できるだろうか……」
── 窓の外、鬼の気の及ばぬ空は、突き抜けるような明青色。
エリアス:
「あちらの空は、霞んで……暗かったな。
あの樹と朝日が、よく映えた。
……そう、それだけのことだ。
そうに、違いない……ちがい、ない。そうでなければ私は──」
── 間
── 背後には要塞
ゼノア:
「聖下!」
蝶:
「……聖下」
エリアス:
「……これより……巡恒を……実行する」
もしかしたら、君と肩を並べられる日が、来るのでは、と。
正反対の極地にいるもの同士が手を取ることで、新しい時代が拓けるのでは。
私たちの縁と、芽生えた想いが、世界にとって意味のあるものになるのでは。
聖典術を駆使すれば共栄ができるのでは、と。
──そんな夢のような光景は、夢でしかなかった。圧倒的な、宗教社会と世論の前では。
蝶:
「聖下! ゼノア! この先です! この先にトーチが!」
アルジュナ:
「クソッ……待て! 神域に、入れさせるかァァ!」
ゼノア:
「蝶! 任せたぞ」
蝶:
任せて、くれるのね。
ゼノア:
「──」
アルジュナ:
「キサマァ……交じり者か……先代の落胤、裏切り者めが」
蝶:
「──私の血が何者でも関係ない。影のこの身の、尽きるまで」
アルジュナ:
「チッ……ディビア! 逃げなさい!」
── 短い間
ディビア:
「……おかえりなさい、エリアス」
ゼノア:
「ラルウァテラス!」
ディビア:
「こんにちは。ロダキニャ神国の騎士さん。
そう、ボクは……鬼の加護を最も受ける、ラルウァの王」
エリアス:
「……ディビア……」
ディビア:
「この樹を、あなた方の言うトーチを護る、鬼の寵児」
ゼノア:
「……違うな」
エリアス:
「ゼノア?」
ゼノア:
「聖下がお戻りになるまで、現存するトーチを調べさせていただきました。
その結果を、聖下が知っているのかどうか、私には分かりませんが」
エリアス:
「……ゼノア!? トーチの調査は教皇以外……」
ディビア:
「…………」
ゼノア:
「黄金のトーチの中は……樹の紋章の墨の入った、ボロ皮だった。
恐らく、ラルウァテラスの……皮膚。それをあの樹の太枝に巻き付け」
エリアス:
「──ッ」
ゼノア:
「死してなお、鬼の気を発するのをやめない、その心臓を……
ラルウァテラスの血液を、原初の聖典術で、燃やし続ける」
エリアス:
「う、……」
ゼノア:
「…………その様子、やはり知っていたんだな」
エリアス:
「なぜ……ここで、敢えて告げる……」
── 仮面をつけたディビアの表情は、誰にもわからない。
ディビア:
『……カウガネヲイ エンハノ ケダ ラマサキ』
『カムバコヲ ゴカノニオォ!』
ゼノア:
「ラルウァテラスッ!」
エリアス:
「クッ、ディビ、ア…………ゼノアは樹を! っ切り……倒せ」
ゼノア:
「御意」
ディビア:
『ナルレ フニレワ』
エリアス:
「ゼノア! 後ろだ!」
ゼノア:
「くぅっ! ハァッ」
ディビア:
『ウォツハヤ セカサ』
ゼノア:
「グ、がァァァあ! く、ッぐう……ッ!」
── 黒い影と騎士がぶつかり合う。
── 空間におびただしく拡がる、魔の気配。
エリアス:
ディビア。ディビア──すまない。
「第零級 聖典術。雉光」
── 間
蝶:
「ハァッはっ、あ……え、うそでしょ……どんどん、鬼の気が、身体から消えてゆく」
アルジュナ:
「! あ、ああ……ディビア!?」
蝶:
「待ちなさい!」
アルジュナ:
初めて入る神苑。あんなに入ってみたかった場所は……
しかし入れてしまうということは、もう。
「ディ、ディビ、ア」
ディビア:
「……ジュ、ナ……」
アルジュナ:
「……ああ、鬼よ、最後の愛し子が……! そんな……!
渡す、ものか。トーチになど、されて、たまるか」
ゼノア:
「ハァッ、ハァッ、反乱分子の頭となりうる首長は、摘み取らねば──」
エリアス:
「待て、ゼノ」
アルジュナ:
「!」
ゼノア:
「貴様に、何人の騎士たちが犠牲に、なったか」
アルジュナ:
「こちらこそ……貴様らのとち狂った紛いだらけの伝承に、
幾度、馬鹿げた被害を被ったか」
ゼノア:
「オアアアア」
アルジュナ:
「ハアアアァッ」
エリアス:
「ゼノ! ゼノア! いい、ラルウァテラスさえ」
アルジュナ:
鬼の加護が切れかけているのか、チカラが入らない。
こんな、瀬戸際で──
アルジュナ:
「ッラァァァ!」
ゼノア:
「ガァァア!」
アルジュナ:
「──ご、ふ」
── ゼノア、アルジュナの首を大剣で斬る。
── 血飛沫が、幻想的な花畑に散る。
エリアス:
「…………っ」
ゼノア:
「あ、アハハハハハ、成った──これで──これで」
蝶:
「ゼノア……?」
エリアス:
「だめだ、至近距離で、鬼の気を浴びすぎている」
ゼノア:
「蝶。お前も私が、送ってやる」
── 暗転
アルジュナ:
──ディビア
ディビア:
──アル、ジュナ?
アルジュナ:
立って。まだ樹は生きている。あなただけでも、異界へ逃げなさい。
ディビア:
他の、みんなは? ボクだけ、なの? アルジュナは?
アルジュナ:
他のラルウァのことは、心配しないで下さい。時間が無いのです。
こうやって話せるのも、少しの間だけ。
ディビア:
異界──あの、暗いところ──? こわい──
アルジュナ:
ラルウァテラスのあなたなら、大丈夫──
ディビア:
やだ、いやだ。怖い。ひとりはやだぁ……
アルジュナ:
行かなければディビアは、切り刻まれてしまうのですよ。
ディビア:
知ってる、聞いた。身震いするほど怖かった……けど。
皆のいない暗い世界で、生きるより、ボクは。
ボクの、大好きな世界で。あの、樹のように。エリアスに焼かれつづける……
「炎に、なりたい……」
蝶:
「ヒッ────」
エリアス:
「──ディビ、ア」
ゼノア:
「……あ……?」
── ゼノアが蝶へ、振り下ろした剣を受けたのは
── 庇うように飛び込んだディビアの小柄な身体だった。
エリアス:
「ゼノア……しばらく、眠っていろ」
ゼノア:
「ガッ……」
蝶:
「ラルウァテラスが、私を庇った? どうして」
エリアス:
「……ディビア。……聞こえるかい。面を……とるよ」
ディビア:
「…………」
ディビア:
「エリ、アス
つらく、して、ごめん
ボク、を、キミで、燃やし、て」
エリアス:
──痛いだろう。無念だろう。この子はまだ幼い。それなのに君は。
真っ先に、人の心配事か。この小さな口から言わせる願いが、これか。
私はこの愛しい存在に、何ができる。
── 短い間
エリアス:
「……君の一族は、生き残る、はずだ……投降する者は必ず、
最後の一人まで、手厚い……同化政策を行う。必ず丁重に……クッう……
……それから、これから君を痛くないように……処置を、する。
君の、他の……ほか、の部位っ、は……、丁寧に、ここへ葬ると……ッ約束する……」
── ディビアの目元が少しだけ緩む。
── そして、動かなくなった。
エリアス:
「っ……なにひとつ……返せていない……」
蝶:
焦がれる理想を、想いを、伝えることも、実現することもせず。
感じた一瞬のぬくもりを。もう見ることの叶わぬ笑顔と、
もう二度と聞くことのできない、自分の名を呼ぶ声を、胸にしまい込んで。
その無力感は、生涯、彼の身を焼くのだろう。
エリアス:
「本当に……っ、呪いだ、こんなものは……」
蝶:
星合いの夜、物語は交わることなく。癒えることのない深い傷を遺す。
ゼノア:
こらえ続けた涙は、一筋だけ、罪を洗い流すかのように。
アルジュナ:
しかしそれは地を濡らす前に砕けて、風にさらわれて。
ディビア:
もう戻ることのない人、そのものだった。
── 間
── (終幕)
◆◇読んでも読まなくても◇◆
蝶:
それは、遥か昔のことです。
この世は異界のエネルギーに満ち、だれもが魔法を使っていました。
しかし、雉光の眩しい、ある夜。
霄冠 が一斉に大坤に降り注ぎ
大洪水が起こります。
生き延びた者はみな、高台へと逃れるより他ありませんでした。
ディビア:
高台には、燃える炎のような、美しい樹が植わっていました。
樹の名前はロダキニャ。
異界からエネルギーを汲み上げ、また消費しながら、
眩く美しく咲く植物でした。
この樹の周囲は、異界のエネルギーが激しく消費され
限られた者しか立ち入ることができません。
アルジュナ:
ロダキニャの樹はいつしか聖域となり、祀るものたちは、
この炎のような花を、絶やすことなく守ろう。
手を取り合い、この世界で生きていこう。
楽園を紡いでいこう。そう誓って生きていたのです。
ゼノア:
けれど次第に、薄まってしまった異界のエネルギーを
身体が受けつけず、適応できない者たちが現れ始めました。
異界のエネルギーを打ち消すチカラを持って生まれたのです。
彼らは迫害され、逃れてやがて、水上都市を築きます。
エリアス:
やがて彼らは、樹のそばで特殊なチカラをつかって独特の文明を発展させてゆく者たちを
「鬼」と呼びはじめ、羨み妬み憎悪し、そして──
そしてすべてをこの日、狩り尽くしてしまいました。
── (終演)
『愛という言葉を使わずに愛していると示す』
ぎぃ(薙介)様より素敵な言葉とシチュエーションの雰囲気一部をお借りしました。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説




体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。



フリー声劇台本〜1万文字以内短編〜
摩訶子
大衆娯楽
ボイコネのみで公開していた声劇台本をこちらにも随時上げていきます。
ご利用の際には必ず「シナリオのご利用について」をお読み頂ますようよろしくお願いいたしますm(*_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる