1 / 15
序
第0話
しおりを挟む
帰路につく人々の中に、年端も行かない男の子と母親の姿があった。走ってはしゃがんでを繰り返す子供の後を、少々げんなりした様子で母親が着いていく。
自分の小指の爪ほどの仄かに輝く立方体を、男の子は宝物のように拾い集めていた。
洗練された都市区画を見下ろす、眺望の良い道の上。眼下に広がる平地には、高層ビルがそびえ立っている。
今日は昼をすぎてから″アンジュテクスト″が降っていた。光粒子と光魔素が空の高いところで合わさって結晶化した、重さのほとんどない小さな立方体。それは上空で撹拌されながら漂い、空を泳ぐ大魚の気紛れで不定期に大地へ降り注ぐ。
ほうきや清掃車で掃かれて回収され、世に出回る魔法工学用品の動力として使われるのが常だが、回収を逃れた小片がそこかしこに転がっているのもまた、日常の光景であった。
帰りを急ぎたい母親はしびれを切らし、子を抱き上げて歩きだす。下ばかり見て宝物を探していた男の子がしばらくぶりに顔を上げると、見たことのない白いものがじわりじわりと空に滲んでいるのに気付いた。
「おかあさん……? あれ、なあに……?」
腕の中で揺られながら指差して疑問を投げた。立ち並ぶビル群の影の向こう、淡い夕焼色に染まった空を背景に、白い何かが徐々に形を成してゆく。
「……絶滅した四足種のジラフィクスにそっくりだけど……何か催しでもやってるのかしら?」
水蒸気の凝固とも光ともつかない白い線は、四つ脚の古代生物をかたち取り、ただそこにいた。泡の表面のようなパターンの網目が全身を飾り、首と脚が驚くほど長く、頭部には角がある。
遠近法の狂いそうな圧巻の大きさ。街の一番高いビルを縦に二つ積んでも、その発光体の全長には及ばないだろう。加えて、上空からは同色の丸い何かがいくつも、ゆらゆらとした軌跡を描きながら落ちてきている。
既に道行く人々もざわざわと空を仰ぎ見て指を差し、あるいはタブレットでその怪奇を撮影していた。誰も彼もが初めて見る光景に呆けて目を奪われていた。
母親は言い知れぬ不安を感じ、いち早く子を抱えたまま駆け出す。
しかし、彼女の息が切れてきた頃。その巨大な怪奇の目であろう部分が突如赤く光りだした。特に音もなく、それは数刻もせずに鮮烈にギラギラと輝きだす。明らかに様相の変わった発光体に、やっと人々も本能的な恐怖を感じて慌てて逃げ惑い始める。
しかしその行動は、危機を脱するには遅すぎた。
そもそもこの街にそれが現れた時点で、手遅れであったのだ。
赤い光は夕日を千個も集めたような眩しさとなり、収縮されて極大に達すると、光の帯を直線的に一気に放出した。
母親は子を胸に庇い、持てる魔力を最大展開して障壁を張る。あまりの衝撃に派手に転んでしまったが子は無事だ。
前方に立つ建物が、熱波と衝撃の余波でゆっくりと倒れてゆく。先の一撃をなんとかやり過ごした人達が、成す術なく目の前でつぶされた。それはスロー再生をされているように彼女の目に映り、自らも死を覚悟するに十分足るものだった。
光線の直撃したらしい都市の一角、といってもかなりの広範囲であることは一目で理解できたが、ともかくそのあたりは舐め取られたように灼け溶けて黒煙が立ち上ぼっていた。
ああ、あの辺りは確か夫の勤務先ではなかったか。
大地の地殻も裂けて地下水が勢いよく噴出していた。まるでこの惑星が泣いているようだと、絶望にふらつく意識の中、彼女は頭の隅で小さく現実逃避をする。
上体を起こして巨大な発光体を見上げると、目の部分は再び白色に戻っていた。
「おか、おかあさん、」
「聞いてユイガ」
再び赤く灯った目は光を集め始めていた。不吉な光が無慈悲に煌々と空を照らす。次はこちらにあの熱線が向けられるかもしれない。
「前に教えたでしょ、障壁。張って、今」
「むり、できない、こわい、こわいよやだ」
「大丈夫できる。湖で潜った時のことを思い出して。魔力をまあるく沿わせて。そう。でももっと分厚く。集中して。……ほらできた。ユイガ天才じゃん」
幼いながら、そして魔法操作能力の発現しにくい性別でありながら、ユイガと呼ばれた男の子は震えつつも、自身を閉じ込めるように治安維持機関も顔負けの強固な障壁を形成した。
その完成とほぼ同時に第二撃目が、親子の頭上の夕闇を裂く。
「、ッぐ、うぅ」
「うあ、ひい、あああ」
母親は衝撃をカバーしきれず熱線を浴び、痛みに言葉を詰まらせた。男の子は防御に無事成功したものの、そんな母親を見てぼろぼろと泣き出してしまう。
障壁を解いて駆け寄ってきた我が子のポケットに彼女はおもむろに手を突っ込んで、先程収集されたアンジュテクストを口へ運び噛み砕き飲み下した。
少し回復した魔力と、なけなしの生命力を織り交ぜて彼女は転移魔法を展開しはじめた。恐らく半身が熱で酷いことになっている。どうかユイガのトラウマになりませんようにと願いつつ、この地の裏側に住む、自分の親へ子を託す。
「…………じゃあ、じーじばーばの所に″飛んでけ″するからね」
「やだ、いやだ、おかあさんも、」
「ごめんね……大好きよ」
「おかあさん、おかあさ、」
暗闇が目の前を支配する。
青年に成長したユイガは自室でハッと目を覚ました。何かを掴もうとして何も掴めなかった、虚空を掻いた手を下ろす。
額に浮いた脂汗を拭い、久方ぶりの夢見の悪さで込み上げる吐き気を抑えるように、長く長く息をついた。
自分の小指の爪ほどの仄かに輝く立方体を、男の子は宝物のように拾い集めていた。
洗練された都市区画を見下ろす、眺望の良い道の上。眼下に広がる平地には、高層ビルがそびえ立っている。
今日は昼をすぎてから″アンジュテクスト″が降っていた。光粒子と光魔素が空の高いところで合わさって結晶化した、重さのほとんどない小さな立方体。それは上空で撹拌されながら漂い、空を泳ぐ大魚の気紛れで不定期に大地へ降り注ぐ。
ほうきや清掃車で掃かれて回収され、世に出回る魔法工学用品の動力として使われるのが常だが、回収を逃れた小片がそこかしこに転がっているのもまた、日常の光景であった。
帰りを急ぎたい母親はしびれを切らし、子を抱き上げて歩きだす。下ばかり見て宝物を探していた男の子がしばらくぶりに顔を上げると、見たことのない白いものがじわりじわりと空に滲んでいるのに気付いた。
「おかあさん……? あれ、なあに……?」
腕の中で揺られながら指差して疑問を投げた。立ち並ぶビル群の影の向こう、淡い夕焼色に染まった空を背景に、白い何かが徐々に形を成してゆく。
「……絶滅した四足種のジラフィクスにそっくりだけど……何か催しでもやってるのかしら?」
水蒸気の凝固とも光ともつかない白い線は、四つ脚の古代生物をかたち取り、ただそこにいた。泡の表面のようなパターンの網目が全身を飾り、首と脚が驚くほど長く、頭部には角がある。
遠近法の狂いそうな圧巻の大きさ。街の一番高いビルを縦に二つ積んでも、その発光体の全長には及ばないだろう。加えて、上空からは同色の丸い何かがいくつも、ゆらゆらとした軌跡を描きながら落ちてきている。
既に道行く人々もざわざわと空を仰ぎ見て指を差し、あるいはタブレットでその怪奇を撮影していた。誰も彼もが初めて見る光景に呆けて目を奪われていた。
母親は言い知れぬ不安を感じ、いち早く子を抱えたまま駆け出す。
しかし、彼女の息が切れてきた頃。その巨大な怪奇の目であろう部分が突如赤く光りだした。特に音もなく、それは数刻もせずに鮮烈にギラギラと輝きだす。明らかに様相の変わった発光体に、やっと人々も本能的な恐怖を感じて慌てて逃げ惑い始める。
しかしその行動は、危機を脱するには遅すぎた。
そもそもこの街にそれが現れた時点で、手遅れであったのだ。
赤い光は夕日を千個も集めたような眩しさとなり、収縮されて極大に達すると、光の帯を直線的に一気に放出した。
母親は子を胸に庇い、持てる魔力を最大展開して障壁を張る。あまりの衝撃に派手に転んでしまったが子は無事だ。
前方に立つ建物が、熱波と衝撃の余波でゆっくりと倒れてゆく。先の一撃をなんとかやり過ごした人達が、成す術なく目の前でつぶされた。それはスロー再生をされているように彼女の目に映り、自らも死を覚悟するに十分足るものだった。
光線の直撃したらしい都市の一角、といってもかなりの広範囲であることは一目で理解できたが、ともかくそのあたりは舐め取られたように灼け溶けて黒煙が立ち上ぼっていた。
ああ、あの辺りは確か夫の勤務先ではなかったか。
大地の地殻も裂けて地下水が勢いよく噴出していた。まるでこの惑星が泣いているようだと、絶望にふらつく意識の中、彼女は頭の隅で小さく現実逃避をする。
上体を起こして巨大な発光体を見上げると、目の部分は再び白色に戻っていた。
「おか、おかあさん、」
「聞いてユイガ」
再び赤く灯った目は光を集め始めていた。不吉な光が無慈悲に煌々と空を照らす。次はこちらにあの熱線が向けられるかもしれない。
「前に教えたでしょ、障壁。張って、今」
「むり、できない、こわい、こわいよやだ」
「大丈夫できる。湖で潜った時のことを思い出して。魔力をまあるく沿わせて。そう。でももっと分厚く。集中して。……ほらできた。ユイガ天才じゃん」
幼いながら、そして魔法操作能力の発現しにくい性別でありながら、ユイガと呼ばれた男の子は震えつつも、自身を閉じ込めるように治安維持機関も顔負けの強固な障壁を形成した。
その完成とほぼ同時に第二撃目が、親子の頭上の夕闇を裂く。
「、ッぐ、うぅ」
「うあ、ひい、あああ」
母親は衝撃をカバーしきれず熱線を浴び、痛みに言葉を詰まらせた。男の子は防御に無事成功したものの、そんな母親を見てぼろぼろと泣き出してしまう。
障壁を解いて駆け寄ってきた我が子のポケットに彼女はおもむろに手を突っ込んで、先程収集されたアンジュテクストを口へ運び噛み砕き飲み下した。
少し回復した魔力と、なけなしの生命力を織り交ぜて彼女は転移魔法を展開しはじめた。恐らく半身が熱で酷いことになっている。どうかユイガのトラウマになりませんようにと願いつつ、この地の裏側に住む、自分の親へ子を託す。
「…………じゃあ、じーじばーばの所に″飛んでけ″するからね」
「やだ、いやだ、おかあさんも、」
「ごめんね……大好きよ」
「おかあさん、おかあさ、」
暗闇が目の前を支配する。
青年に成長したユイガは自室でハッと目を覚ました。何かを掴もうとして何も掴めなかった、虚空を掻いた手を下ろす。
額に浮いた脂汗を拭い、久方ぶりの夢見の悪さで込み上げる吐き気を抑えるように、長く長く息をついた。
1
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。



寮生活のイジメ【社会人版】
ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説
【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】
全四話
毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる