上 下
46 / 53

45.憂える王女

しおりを挟む
 他人に興味はなくも、経験した記憶は残る。
 無の表情で湯の心地好さに目を閉じたフロスティーンは、侯爵と夫人、そしてその娘の顔を……。


 ──今夜は余計なことをしてしまったわ。


 思い出してはいなかった。
 彼らとの騒動について考えながら、フロスティーンの頭の中に浮かんでいたのは別のものとなる。


 ──ただこれからもあの白くてふわふわの美味しいパンを食べたかっただけなの……。


 これまで食べてきたお気に入りのパンを思い浮かべていたら、なんだかお腹が空いてきたフロスティーン。
 うっすらと目を開けて俯くフロスティーンの顔に作られた長い睫の影が、侍女たちには大層に憂いを帯びて見えていた。

 こうして勘違いからの双方の意識のすれ違いは勝手に大きくなっていく。


 ──天上では欲を出してはいけないのかもしれないわ。


 ゼインの予測が外れていることもあった。
 フロスティーンにだって、願うことはある。


 ──そうね。ここは天上だから。同じようにしても上手くいくわけがなかったのよ。どうして気付けなかったのかしら?


 フロスティーンの世話をする侍女たちも大分想像力は豊かであったが。
 その世話をされているフロスティーンもまた、想像を飛躍させたうえに真実からかけ離れた結論を導き出して自己完結する王女だったのだ。

 このようなことだから、双方の理解が一致するまでにはかなりの時間が掛かりそうである。


 ──天上で余計なことをしたせいで、もうあの白くてふわふわの美味しいパンを食べられなくなってしまったらどうしましょう?


 フロスティーンはずんと胃が重たくなるほどに落ち込んでいたが、しかし表情は悲しいくらいに無のままだった。
 それでも今宵の侍女たちは勝手に可哀想な王女に同情し心配していたので、まるで奇跡が起きたかのように、互いの心が通じ合えているかのごとく。

 いつも以上に腕を見せる侍女たちの手によって身体が癒されていくほどに、フロスティーンの心は上向きとなっていく。


 ──そうよ、パンが無ければ、他のものを食べればいいじゃない。天上には温かくて美味しいものが沢山あるわ。


 ミュラー侯爵一家をさっくり切り捨て、自身の明るい未来を描き始めたフロスティーンはまた思い出す。
 もちろん夜会で会った貴族たちの顔などはそこにない。

 その脳裏に次々と浮かんでいたのは、このひと月食べてきたものだった。

 そしてフロスティーンはその素晴らしき料理の材料へと想いを馳せる。

 野菜のほとんどはこの城に併設された畑で作られていることは聞いていた。
 鶏も飼われており、卵の心配もないだろう。
 ミルクは毎朝一番近くの牧場から届けられていると言うし。
 牛肉は城から二番目に近い牧場から必要分が提供されているとのこと。

 その材料で最高の食事を作ってくれているコックたちも、いつも城にいて、彼らは貴族ではない。


 ──良かったわ。大丈夫そうね。小麦がなくても食べるものはまだ沢山あ……待って。大変だわ。


 せっかく気分が上向いていたフロスティーンは、ここで重大な問題に気が付いてしまった。


 ──小麦がなくて、甘いものはどうなってしまうの?



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

完結 若い愛人がいる?それは良かったです。

音爽(ネソウ)
恋愛
妻が余命宣告を受けた、愛人を抱える夫は小躍りするのだが……

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

結婚式の晩、「すまないが君を愛することはできない」と旦那様は言った。

雨野六月(旧アカウント)
恋愛
「俺には愛する人がいるんだ。両親がどうしてもというので仕方なく君と結婚したが、君を愛することはできないし、床を交わす気にもなれない。どうか了承してほしい」 結婚式の晩、新妻クロエが夫ロバートから要求されたのは、お飾りの妻になることだった。 「君さえ黙っていれば、なにもかも丸くおさまる」と諭されて、クロエはそれを受け入れる。そして――

断罪された公爵令嬢に手を差し伸べたのは、私の婚約者でした

カレイ
恋愛
 子爵令嬢に陥れられ第二王子から婚約破棄を告げられたアンジェリカ公爵令嬢。第二王子が断罪しようとするも、証拠を突きつけて見事彼女の冤罪を晴らす男が現れた。男は公爵令嬢に跪き…… 「この機会絶対に逃しません。ずっと前から貴方をお慕いしていましたんです。私と婚約して下さい!」     ええっ!あなた私の婚約者ですよね!?

彼女が心を取り戻すまで~十年監禁されて心を止めた少女の成長記録~

春風由実
恋愛
当代のアルメスタ公爵、ジェラルド・サン・アルメスタ。 彼は幼くして番に出会う幸運に恵まれた。 けれどもその番を奪われて、十年も辛い日々を過ごすことになる。 やっと見つかった番。 ところがアルメスタ公爵はそれからも苦悩することになった。 彼女が囚われた十年の間に虐げられてすっかり心を失っていたからである。 番であるセイディは、ジェラルドがいくら愛でても心を動かさない。 情緒が育っていないなら、今から育てていけばいい。 これは十年虐げられて心を止めてしまった一人の女性が、愛されながら失った心を取り戻すまでの記録だ。 「せいでぃ、ぷりんたべる」 「せいでぃ、たのちっ」 「せいでぃ、るどといっしょです」 次第にアルメスタ公爵邸に明るい声が響くようになってきた。 なお彼女の知らないところで、十年前に彼女を奪った者たちは制裁を受けていく。 ※R15は念のためです。 ※カクヨム、小説家になろう、にも掲載しています。 シリアスなお話になる予定だったのですけれどね……。これいかに。 ★★★★★ お休みばかりで申し訳ありません。完結させましょう。今度こそ……。 お待ちいただいたみなさま、本当にありがとうございます。最後まで頑張ります。

処理中です...