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希望を抱き前へ
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侍女長は微笑み、指示通り諭すことにした。
しかし相手はレオンだ。
「旦那様もお医者様からお話をお聞きになられましたでしょう。今は邸でじっと過ごすより、動いていた方が良い時期なのです。ですから奥様もいつも通りに過ごされようとしております」
「しかし……」
オリヴィアが嬉しそうに微笑めば、きらきらと空気は華やぎ、レオンは言い掛けた言葉に詰まった。
援軍を頼んだ侍女長が、まさかオリヴィアの味方になるなんて。
いや、違う。レオンの認識はまだ間違っている。
侍女長はずっとオリヴィアの味方で、オリヴィアの気持ちを最優先し動いてきた。
ただし──。
「けれども、奥様。ご無理はいけません。奥様の大事にされております『公爵夫人として』というご信念から考えますと、今のところ奥様が最も優先すべきは御子を無事にご出産なさることにございましょう。一日のご予定は最小限となりますよう調整されてはいかがですか?」
侍女長は、オリヴィアにも時に厳しく、されども優しい笑顔は浮かべたままに、よく進言するようになっていた。
彼女はもう仕事中に笑うことに対して何ら抵抗がない。
「あ……そうでした。まだまだ私は考えが足りていないようで申し訳ないです」
「それではオリヴィアがまた違う方向に……。オリヴィア、いいか。子より、オリヴィアが優先だ。いいな?それだけは違えないでくれ」
「いえ、私なんかのことより、大事な後継ぎとなるこの子を無事に産むよう努め──」
「駄目だ、大事な公爵夫人があってこその公爵家と考えてくれ!公爵家ではオリヴィアが最優先!お前たちもこの通り頼むぞ」
躊躇なく声を張るレオンに、侍女長はまた思い出の中に身を置いた。
懐かしいというほど古い記憶ではないそれは、すぐに思い出してしまうというより、常々思い出すよう促されているために、侍女長の記憶に深く刻まれてしまっている。
それは公爵夫妻がある特訓を始めてからの日々の記憶だ。
その記憶はオリヴィアのこんな言葉から始まった。
「どうか、私を罵ってくださいませ!」
オリヴィアが頭を下げてそう言った日のことを、侍女長はつい昨日のことのように思い出される。
けれども目のまえのオリヴィアのお腹の張り具合を目の当たりにすると、実はそれからかなりの月日が経過していることを思い知らされるのだ。
お二人と過ごす時間は、以前よりも早く、あっという間に過ぎていく。
忙しいお二人に付き従い、自身も濃密な日々を過ごしている故だろうか。
侍女長は不思議に思うが答えを知らず。
ただこれからも長く側に仕えていたいと願うばかり。
続いて侍女長に思い出されるのは、レオンの反応である。
あの日のレオンの戸惑い振りは、今となっては笑えるもの。
「の、罵るだと?今、罵れと言ったのか?俺が?俺がオリヴィアを……罵るだと……?」
「やはり難しいでしょうか」
妻がしゅんと落ち込む様子を見せれば、レオンは慌てたが、それでも困惑しきりだ。
「いや、難しいことは……難しいことは……どうだろうか……俺が頑張れば……どうだろう」
「旦那様にご無理を言って申し訳ありません。他の方に頼んでみたいと──」
「待て、それは困る。困るが……困るのだが……俺がオリヴィアを罵るなど……」
「奥様。差し出がましいようですが」
ここで侍女長が二人の会話に入り込み、助け舟を出した理由は、自分たちにあった。
使用人らに公爵夫人を罵れという方が無理難題で、第一にレオンがそれを許さないだろう。
「大きな声に慣れることから始められてはいかがでしょうか?身体に染みついてしまった条件反射を消したいということでしたら、言葉の内容は問わず、声の大きさに慣れてしまえばよろしいのではないかと」
「大きな声……確かにそうかもしれませんね」
「えぇ。ですので、ここは旦那様に大きな声で愛などを叫んでいただいては如何でしょうか?」
「え?」
「は?」
固まった公爵夫妻を見て、侍女長が純粋に笑いそうになったことは今も秘密だ。
「それは素晴らしいですね!そうしましょう、旦那様!もうそれしかありません!奥様に心からの愛を叫びましょう!」
すかさず賛同を示した若い男は、レオンの乳母の息子でもある侍従だった。
「お、お前たち……」
困惑するレオンをよそに、オリヴィアは乗り気だ。
「旦那さま、それでしたら特訓にご協力いただけますか?」
「それは……オリヴィアが望むならば、そうするが……」
「では、お願いします」
「うん、よし、やってみ……待て。お前たちは部屋を出ろ。そうだな、出来るだけ部屋から遠くへ。しばらく誰もこの部屋に近付けるな」
当主がほんのり耳を染め、部屋から出て行けと言ったのに。
「え、せっかくの面白いものを見せて頂けないのですか?」
「お前!」
「わたくしも奥様が心配ですから同席したく」
「侍女長まで!なんなのだ、お前たちは」
オリヴィアの心を癒そうと、公爵邸の使用人たち総出で協力を始めてから、当主夫妻と使用人らの関係性も大きく変わっていった。
使用人として弁えた線を保ちながら、レオンやオリヴィアと気さくに話す時間が増えていく。
「旦那様は、わたくしたちがおらずとも大きな声で愛を叫ぶことが出来るのですね?」
侍女長はこのとき、こんなことまで言っているくらいで。
「なっ……俺をなんだと思っているのだ!早く出ていけ!」
「あ、その声がいいです、旦那様。もっと叫んでくださいますか?」
「なんだと?オリヴィアはこんなものがいいのか?」
「はい。大きな声に慣れたいのです」
「待て。やはり内容は大事だ。大きな声に良き記憶を上書きせねば……うむ、ここはやはり……早くお前たちは出ていけ!」
思い出しては、いつもふふっと微笑んでしまう侍女長である。
慣れとは恐ろしいもので。
今でも公爵夫妻が部屋に引き込んだあとに、レオンの声が廊下に響くことはたびたび起きた。
かつての特訓が、公爵夫妻の習慣として根付いてしまったのだろう。
そしてきっと、これからもこの当主夫妻は新しい習慣を増やし、この邸に、公爵領に、さらには王都までも、あるいは国中に向けて、幸せを広げていく。
侍女長は小さな笑み零しながら、ゆったりとしたドレスから膨らむ腹部を擦りレオンと共に今日の予定を調整するオリヴィアを眺めた。
最近のオリヴィアの顔色は頗る良く、邸の者たちも安心して世話に尽くしている。
公爵邸が賑やかになれば、この公爵領ももっと賑やかになりましょう。
お子を連れた高貴な方々もお集まりになられ──。
侍女長は確信する。
それは以前あったことなど、誰も信じられないほどに。
多くの罪人を抱えていることを、誰もが忘れるほどに。
そしてかつての方々が望んだ以上の、いいえ、あの頃にはまだ想像出来なかった変化を──。
奥様、どうか。
見ていてくださいませ。
心の中にあるかつての主人に一礼し、侍女長は今の主人のために。
ショールを持つと、喚き続ける夫と共に出掛けようと立ち上がったオリヴィアの元へと近付いていった。
おしまい
しかし相手はレオンだ。
「旦那様もお医者様からお話をお聞きになられましたでしょう。今は邸でじっと過ごすより、動いていた方が良い時期なのです。ですから奥様もいつも通りに過ごされようとしております」
「しかし……」
オリヴィアが嬉しそうに微笑めば、きらきらと空気は華やぎ、レオンは言い掛けた言葉に詰まった。
援軍を頼んだ侍女長が、まさかオリヴィアの味方になるなんて。
いや、違う。レオンの認識はまだ間違っている。
侍女長はずっとオリヴィアの味方で、オリヴィアの気持ちを最優先し動いてきた。
ただし──。
「けれども、奥様。ご無理はいけません。奥様の大事にされております『公爵夫人として』というご信念から考えますと、今のところ奥様が最も優先すべきは御子を無事にご出産なさることにございましょう。一日のご予定は最小限となりますよう調整されてはいかがですか?」
侍女長は、オリヴィアにも時に厳しく、されども優しい笑顔は浮かべたままに、よく進言するようになっていた。
彼女はもう仕事中に笑うことに対して何ら抵抗がない。
「あ……そうでした。まだまだ私は考えが足りていないようで申し訳ないです」
「それではオリヴィアがまた違う方向に……。オリヴィア、いいか。子より、オリヴィアが優先だ。いいな?それだけは違えないでくれ」
「いえ、私なんかのことより、大事な後継ぎとなるこの子を無事に産むよう努め──」
「駄目だ、大事な公爵夫人があってこその公爵家と考えてくれ!公爵家ではオリヴィアが最優先!お前たちもこの通り頼むぞ」
躊躇なく声を張るレオンに、侍女長はまた思い出の中に身を置いた。
懐かしいというほど古い記憶ではないそれは、すぐに思い出してしまうというより、常々思い出すよう促されているために、侍女長の記憶に深く刻まれてしまっている。
それは公爵夫妻がある特訓を始めてからの日々の記憶だ。
その記憶はオリヴィアのこんな言葉から始まった。
「どうか、私を罵ってくださいませ!」
オリヴィアが頭を下げてそう言った日のことを、侍女長はつい昨日のことのように思い出される。
けれども目のまえのオリヴィアのお腹の張り具合を目の当たりにすると、実はそれからかなりの月日が経過していることを思い知らされるのだ。
お二人と過ごす時間は、以前よりも早く、あっという間に過ぎていく。
忙しいお二人に付き従い、自身も濃密な日々を過ごしている故だろうか。
侍女長は不思議に思うが答えを知らず。
ただこれからも長く側に仕えていたいと願うばかり。
続いて侍女長に思い出されるのは、レオンの反応である。
あの日のレオンの戸惑い振りは、今となっては笑えるもの。
「の、罵るだと?今、罵れと言ったのか?俺が?俺がオリヴィアを……罵るだと……?」
「やはり難しいでしょうか」
妻がしゅんと落ち込む様子を見せれば、レオンは慌てたが、それでも困惑しきりだ。
「いや、難しいことは……難しいことは……どうだろうか……俺が頑張れば……どうだろう」
「旦那様にご無理を言って申し訳ありません。他の方に頼んでみたいと──」
「待て、それは困る。困るが……困るのだが……俺がオリヴィアを罵るなど……」
「奥様。差し出がましいようですが」
ここで侍女長が二人の会話に入り込み、助け舟を出した理由は、自分たちにあった。
使用人らに公爵夫人を罵れという方が無理難題で、第一にレオンがそれを許さないだろう。
「大きな声に慣れることから始められてはいかがでしょうか?身体に染みついてしまった条件反射を消したいということでしたら、言葉の内容は問わず、声の大きさに慣れてしまえばよろしいのではないかと」
「大きな声……確かにそうかもしれませんね」
「えぇ。ですので、ここは旦那様に大きな声で愛などを叫んでいただいては如何でしょうか?」
「え?」
「は?」
固まった公爵夫妻を見て、侍女長が純粋に笑いそうになったことは今も秘密だ。
「それは素晴らしいですね!そうしましょう、旦那様!もうそれしかありません!奥様に心からの愛を叫びましょう!」
すかさず賛同を示した若い男は、レオンの乳母の息子でもある侍従だった。
「お、お前たち……」
困惑するレオンをよそに、オリヴィアは乗り気だ。
「旦那さま、それでしたら特訓にご協力いただけますか?」
「それは……オリヴィアが望むならば、そうするが……」
「では、お願いします」
「うん、よし、やってみ……待て。お前たちは部屋を出ろ。そうだな、出来るだけ部屋から遠くへ。しばらく誰もこの部屋に近付けるな」
当主がほんのり耳を染め、部屋から出て行けと言ったのに。
「え、せっかくの面白いものを見せて頂けないのですか?」
「お前!」
「わたくしも奥様が心配ですから同席したく」
「侍女長まで!なんなのだ、お前たちは」
オリヴィアの心を癒そうと、公爵邸の使用人たち総出で協力を始めてから、当主夫妻と使用人らの関係性も大きく変わっていった。
使用人として弁えた線を保ちながら、レオンやオリヴィアと気さくに話す時間が増えていく。
「旦那様は、わたくしたちがおらずとも大きな声で愛を叫ぶことが出来るのですね?」
侍女長はこのとき、こんなことまで言っているくらいで。
「なっ……俺をなんだと思っているのだ!早く出ていけ!」
「あ、その声がいいです、旦那様。もっと叫んでくださいますか?」
「なんだと?オリヴィアはこんなものがいいのか?」
「はい。大きな声に慣れたいのです」
「待て。やはり内容は大事だ。大きな声に良き記憶を上書きせねば……うむ、ここはやはり……早くお前たちは出ていけ!」
思い出しては、いつもふふっと微笑んでしまう侍女長である。
慣れとは恐ろしいもので。
今でも公爵夫妻が部屋に引き込んだあとに、レオンの声が廊下に響くことはたびたび起きた。
かつての特訓が、公爵夫妻の習慣として根付いてしまったのだろう。
そしてきっと、これからもこの当主夫妻は新しい習慣を増やし、この邸に、公爵領に、さらには王都までも、あるいは国中に向けて、幸せを広げていく。
侍女長は小さな笑み零しながら、ゆったりとしたドレスから膨らむ腹部を擦りレオンと共に今日の予定を調整するオリヴィアを眺めた。
最近のオリヴィアの顔色は頗る良く、邸の者たちも安心して世話に尽くしている。
公爵邸が賑やかになれば、この公爵領ももっと賑やかになりましょう。
お子を連れた高貴な方々もお集まりになられ──。
侍女長は確信する。
それは以前あったことなど、誰も信じられないほどに。
多くの罪人を抱えていることを、誰もが忘れるほどに。
そしてかつての方々が望んだ以上の、いいえ、あの頃にはまだ想像出来なかった変化を──。
奥様、どうか。
見ていてくださいませ。
心の中にあるかつての主人に一礼し、侍女長は今の主人のために。
ショールを持つと、喚き続ける夫と共に出掛けようと立ち上がったオリヴィアの元へと近付いていった。
おしまい
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どら様、いつもご感想ありがとうございます。
お返事が遅くなり申し訳ありません。
妻と娘のその後も描きますので、また楽しんで頂けたら嬉しいです!
楽しみに読ませて頂いてます!
ここまでの話でいったいどの様な境遇でオリヴィアがこの状態になったのか気になる。
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ご感想ありがとうございます。
長くなりましたが、読んで頂けて嬉しいです。
ここから終わりに向かい過去も解明されていきますので。
よろしければ、最後まで楽しんで頂けると嬉しいです。
この義妹馬鹿じゃなかろうか?
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ご感想ありがとうございます。
お怒りごもっともですね。
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終わりまであと少しとなりました。
最後まで楽しんで頂けたら嬉しいです。